周公旦
酒見 賢一 文藝春秋 \560 (文庫: 2003/04)

太公望と並ぶ周王朝建国の功労者にして、孔子が夢にまで見たという至高の聖人に、著者の大胆な解釈で迫る。殷を滅ぼし、周を全盛に導いた周公旦の「礼」の力とは何か。果たして彼は政治家なのか、それともシャーマンなのか。そして亡命先の蛮夷の国・楚での冒険行の謎とは。 新田次郎文学賞受賞作。

私が酒見氏の作品に興味を抱いたのは、理に基づいて歴史を紐解く観点に優れている、と意識したからだ。

古代中国・周の礎と安定を築いた、聖人・周公旦の生涯を描く、酒見氏の著書「周公旦」。
周公旦は兄武王を献身的に補佐し、太公望、召公らと共に殷(商)を滅亡させ、周王朝建国の功臣となる。だが、武王は志半ばにして崩御。周公旦は兄である武王の意志を継ぎ、幼少の成王を立て、摂政を執り行なう。しかし、その辛苦の末に、後年政争に巻き込まれ、楚に亡命を余儀なくされる。


周は紀元前1000年頃の古代中国であり、その歴史的な背景は三皇五帝の時代のように、神話としての側面も少なからず持ち合わせるような、伝承的な古代と考慮しても然程矛盾が生じない時代ともいえる。事実、有名な伝奇小説「封神演義」の題材として殷周革命が扱われているように、周の時代の印象は、より幻想性が比重として高められているのかもしれない。

本書における周公旦の生涯は、二部構成として捉えられる。周建国の功労者として多大な威徳を天下に示す献身的な姿と、図らずも佞臣の讒言による亡命を選択せざるをえない波乱の道程。
前者に示される周公旦の像は、限られた史実的な一般認識として通用する面が描き出されている。対して、後者で示される周公旦の像は、酒見氏の疑問を発端とする、著者の考察であり解釈が多分に含まれる側面が強くなっている。
著者が周公旦に興味を抱いたのは、”周公旦が未開ともいえる非友好的な南蛮の楚に亡命したことを不思議に思ったからだ”と冒頭で語られる。それは、文献の些細な記述に注視し、不断の常識で縛られることなく、歴史(文献)で詳らかにされていない疎な部分を”理”で補おうと試みた行為ともいえる。

だが、著者が発想を歴史に汲み込む姿勢は、大胆な仮説・仮定として捉えられるのが常なのかもしれない。しかし、それを単に妄想であり幻想として意識してしまうのは、どうも腑に落ちないとさえ感じてしまう。なぜなら、そのような巷の認識というのも、ただ単に酒見氏の出自(日本ファンタジーノベル大賞)による影響が大きい要因として考えられ、周囲の意見に無闇に流されているだけのようにも思えるからだろう。
酒見氏の視点というのは客観性と合理に基づいたものであり、それは歴史の端的な解釈といえる。史実と認識されている公の歴史とは、時の強大な権力による見解が少なからず拭い切れない、歪められた解釈ともいえる。その点を考慮すれば、果たして歴史小説に適用される幻想性とはいったい何を指しているのか、むしろ真実という言葉が矛盾するように疑問であり不明とも考えられる。


周公旦は、常に”礼”という謙譲の精神で満ち溢れる、献身を厭わない聖人だった。周公旦の礼とは、幻想であるかのような古の呪術と強固に繋がる、社会秩序を円滑とする道徳的な規範だった。それは神懸り的な力を借りた、主観ではなく客観の視点であり、すべてを平等に捉える広い視野を有した良識といえる。
著者は蛮勇の徒でさえも従わせる、見識の豊かさであり、礼の力という正しき道理を広く世に示したかった。それが、周公旦の楚亡命という英断と、密接に理で結び付いている。それを妄言と捉えるか、歴史の解釈と捉えるか、また、情ではなく理による物語の駆動と捉えるかは読者の見解次第となる。

ここで再度付言する。私が酒見氏の作品に興味を抱いたのは、理に基づいて歴史を紐解く観点に優れている、と意識したからだ。
酒見氏の著作には、礼は存在しないのか。幻想という呪術しか見い出せないのか。本書では、孔子が夢にまで見た至聖の姿と酒見氏の柔軟な視点が、礼により重なるように映し出されている。


『こちらが礼を履めば、むこうも履まざるを得ません。友好の使者であれ、戦さの使者であれ、礼としてそうなる。これが私のいう礼の力というものです』


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