「自動車免許を取るにはどうすればよいのか、易しく解説します!」という趣旨のものではもちろんありません。実は昨年の10月から2ヶ月間教習所に通い、12月に普通自動車の免許を取りました。あまり深く考えずにマニュアルを選択した私。しかし、やっぱりありました、ミオパチーの壁!!オートマ限定にしておけばよかったのかもしれません。マニュアル車ならではのギア操作とクラッチ操作こそ、ミオパチーの天敵だったからです。


Lesson 1 ~教習所で申し込み~
一般的に、最初の一歩は教習所で申し込みをすることです。その場で、簡単な適性検査をされます。視力や身長や運動能力など。そうです。運動能力です。「手をグーパーグーパーしてください」という要求には応えました。でも、「脚を屈伸してください」という要求には応えられません。だって脚を曲げたら、もう何かにつかまらないと立ち上がれません。というわけで、適性検査不合格です。試験場へ行って、それでも免許をとってもよいという認定をもらってくるように言われました。教習所への入校は保留です。
心得その1:試験場へ行かされる覚悟をしておくべし!


Lesson 2 ~運動適性検査~
試験場へ行くと、担当の人に怪訝そうな顔をされました。そして「何が問題なの?」「どこが悪いの?」と繰り返し聞かれました。私は見た目にはなんともないのです。試験場には車の模型があり、まず右足でブレーキとアクセルが、左足でクラッチが踏めるかどうかをみました。次に左手でギアとハンドブレーキが操作できるかどうかです。ギアは思ったより固く、冷や汗ものでしたが、なんとかなりました。しかしハンドブレーキのほうは固くて動きません。困っていたら、その人がハンドブレーキを軽めに設定してくれた上、なんと、引くのを手伝ってくれたのです。そして、「全然問題ないよ。頑張って免許とってね」と言ってくれました。何のための検査なのか?そんなことで、よいのでしょうか?おかげで助かりました。これでお墨付きを得たので、教習所へ入校です。
心得その2:いざとなったら人の手を借りるべし!?


Lesson 3 ~実技~
車を動かそうとするとき、最初にいじるのはギアです。試験場のとき同様、このギアがなかなか上手く動きません。「動かし方が悪い。ほら、指一本で動くんだよ。」と言われるのですが、その指一本の力がないのですよ。それでも、力が入りやすい持ち方や動かし方を自分なりに工夫し、ほぼ問題なく動かせるようにはなりました。しかし、私のギア操作には最後まで文句をつけられ、その都度説明を試みましたが、やはりなかなか理解されないので、最後のほうは聞き流すようにしていました。
これに関しては同病の弟でさえ、よくわからないようです。手の力は弟のほうが私よりも強いからです。ところが、ある友人に「マニュアルで免許を取った」と言ったら、「ギア操作、力がないから大変でしょう」と言ってくれました。わかってくれている人もいるんだなと、少し嬉しくなりました。
次にハンドブレーキ。私は体が小さいので、座席は目一杯前に出します。そうすると、相対的にハンドブレーキは体の左後方にいくわけです。そしてそこは力を入れにくい場所。片手では動きません。だから、両手で操作するしかありません。「坂道発進」では、ハンドルに手をおかずに車を発進させることになります。また、そもそも坂道なので、ハンドブレーキのかけかたが軽いと車が下がってしまうわけですが、両手を使っても力不足で軽くしかかけられないため、ひやひやものです。でも試験には合格しました!これに関しても、力の使い方が悪いだとか、ボタン(親指で押すものです)を押すタイミングが悪いだとか、色々言われましたが、絶対的に力が足りないので、何といわれてもどうしようもありません。
最後にクラッチ。クラッチは左足で踏むものですが、クラッチを操作するときは、右足でアクセルやブレーキを踏んでいなければならないことが多く、両足が浮く状態になります。その状態で力加減の調節までしなければならないので、この体勢はかなり腿に負担がかかります。右足を使わなくてもよいときは、ギアの操作が伴うため、前述したとおりそれはそれで大変なのです。
心得その3:説明しても理解してもらえないときは、「言わせとけ!」と割り切るべし!


Lesson 4 ~整備~
車の整備のためには、ボンネットを開けてエンジンオイルなどを点検しなければなりません。ところが、ボンネットは重い。それまでトランクしか開けたことがなかった私は、同じ感覚で開けようとしたらびくともしません。毎回全身を使って、やっとのことで開けていました。見るに見かねて指導員が開けてくれることもありましたが、整備は運転前だというのに、すでにへとへとです。
タイヤがパンクしたときのために、又はチェーンを掛けるときのために、タイヤ交換の仕方も学びました。ジャッキを使って車体を持ち上げようとしても、ジャッキのハンドルが回りません。てこの力すらミオパチーには通用しないのか。そして、タイヤを外すことは出来ても、持ち上げる力がないので、タイヤをはめることは出来ません。それも、しゃがんだ状態でやれというので、ますます無理な話です。
心得その4:自分の車のときは、人に(またはお店で)やってもらうからいいさと気楽に構えるべし!


Lesson 5 ~応急救護~
免許をとるには応急救護を学ぶことが必修です。免許とは関係なく、心臓マッサージの講習を受けたことがある方もいるでしょう。人形を相手に練習します。機械により、マッサージの力加減やリズムがわかるようになっています。力加減のバロメーターはマッサージの深さ。胸が4cm沈む程度が目安だそうです。が、2cmしか沈みません。「体重かけて!」と言われましたが、膝をついた状態で全体重をかけても、2cmが限界なのです。蘇生失敗。近くにAEDがあることを期待しましょう。
心得その5:本当に助けたいなら、心臓マッサージは足ですべし!?


そんなこんなで、苦労しながらも、スケジュール的には最低時限数で教習を終えることができました。車を運転してみて、感動することもあります。普段歩いているときは、前方に段差があると、気合を入れて乗り越えなければならないのが、車だとアクセルを軽く踏んでいるだけでも簡単に乗り越えてしまう。乗り越えるつもりがなくても、です。上り坂だって力はいらない。自分の力で、段差や上り坂が軽々だなんて、そんなことは初めてで、それはなんとも言えない不思議な感覚です。普段走れないから、一人で走れることだって特別です。調子に乗ってスピードを出し過ぎないように気をつけなければいけませんね。


※症状は人によって様々。これはあくまで私の場合です。
→詳しい症状についてはみおぱちっく


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怪我3~右足骨折~

テーマ:

3度目の怪我は、大学1年生の秋。夏休み明け最初の授業に向かう途中の朝のことでした。


その日は翌日に射撃の試合を控え、友人宅に前泊するつもりで、教科書類のほかに1泊分の荷物と、もちろん銃を携えての登校でした。

当時地下鉄を乗り継いで、大学最寄り駅まで行き、下車後、キャンパス内を含め、教室まで15分ぐらいあるルートを使っていたのですが、最後の電車を降りて、1~2メートルぐらい歩いたときでしょうか。靴のヒール(と言ってもローファーの比較的安定したヒールです)が横に倒れたようになって、要するに足首を90度ひねったような状態になって、バランスを崩してしまったのです。

荷物がとても重かったし、とても自分の体を支えきれるものではありませんでした。足から「ぐりっ」という鈍い音がしたあと、銃がバターンと倒れる音が地下鉄駅構内に響きわたりました。その音を聞きつけ、駅員が駆け寄ってきます。当然、私も倒れています。「大丈夫?」そう言って、銃の入ったケースを拾い上げてくれましたが、「うわ、重いね」と言ってまた地面に置いてしまった駅員。そんな行動ありですか?と思いながらも、そのとても重たい物(ぶつ)をまた持って歩くのかと思うと、私も不安でなりません。なぜなら、あの足のひねり方と音からして、足首の骨が真っ二つに折れているに違いないと思ったからです。「立てる?」と聞かれ、なんとか(普段でもなんとか)立ち上がったところ、意外にも足首はきちんとつながっています。捻挫で済んだのか?と思いつつも、足を着くと、やはり激痛が走ります。「すいません、電話を掛けたいのですが、電話どこですか?」と尋ねてみると、「階段を降りて、また登った、向こう側のホーム」としれっと答えてくれました。実はこれ、相当な痛みがあることを伝えたあとの対応です。重いとはいえ、銃を地面に戻してしまう駅員さんですからね。この人はまったく協力してくれそうにありません。

とりあえず、痛い足を引きずって、階段を登り、地上に出て、電話。しかし、家に連絡をしてみたものの、留守番の祖母がいるだけで、どうにもなりません。授業に出ているはずの友人、射撃部の仲間、考えられる限り連絡をしてみましたが、つながりません。なにせ、当時はPHSがようやく出始めた時代。今のように誰でも電話を持っているわけではないのです。しかたなく、大学の診療所まで自力で辿り着こうと決意しました。診療所までは駅から10分ぐらいです。おそらく救急車を呼ぶのが正解だったでしょう。今ならそうします。ただ、その時はたかが捻挫で救急車を呼ぶなんてと思ってしまったのです。ティーンエイジャーだったし、ずうずうしさが足りなかったんですよね。そして、歩き始めることに。しかし、その道のりは長かった・・・。すれ違う学生に助けを求めようと思った回数、10回以上。その学生に「この子、大丈夫か?」という不審げな目で見られた回数も10回以上。助けを求めるべきだったでしょうが、どう助けてもらえばよいのかがわからなかったというのもあります。「診療所まで負ぶってください」?やはり救急車でしょうね。足はローファーからはみだして、みるみる膨れ上がっていきました。

やっとのことで診療所のドアをノックしたのは、歩き始めてからおよそ1時間後。砂漠の中のオアシスに辿り着いたような気分です。その日の外科の診療は午後からだったため、近所の大学契約病院に車椅子で連れて行ってもらうことになりました。やっと、足を着かなくて済むかと思いきや、「ちょっと車椅子までケンケンしてもらえます?」と言われたので、「ケンケンできないので、今更ですから足着いて行きます・・・。」もう、座れるならなんでもいいです。

結局診察の結果、小指の付け根の骨折であることがわかりました。場所としては足の外側の、つま先からかかとまでのちょうど中間にあたります。診断結果を受けて、診療所のかたに、「足をつかせてごめんなさいね」と謝られましたが、自力で歩いてきたくらいなので、まさか骨折しているとは思っていなかったでしょう。


そんな足を抱えても、若かった私はまだ翌日の試合に出る気でいました。雨が降り始める中、やっと連絡のついた射撃部の友人の一人を呼びつけて、宿泊予定の友人宅へ。ところが、幸か不幸か、降り出した雨はやがて台風になり、射撃場の屋根が壊れたとかで、翌日の試合は中止になりました。翌朝は、片足跳びができない私を友人に背負わせたり、看護士さんに抱えさせたり、また重たい荷物を友人に運ばせたり、母を迎えに来させたり、とにかく周りの人に迷惑をかけまくって自宅へ戻りました。最初から自宅に戻っていればと、本当に申し訳ない限りです。試合に出ていたら、もっとひどいことになっていたでしょう。


さすがにその後は部活動をお休みしましたが、授業には休まず出席しました。そして、その間、松葉杖という強力な武器を手にした私は無敵になりました。階段をゆっくり上るのも気分がよく、電車では黙っていても席を譲られます。優先席に座っていても罪悪感はなく、学生禁止の大学のエレベーターだって堂々と利用できます。体の自由がいつもほどきかない以外は、普段より気持ちよく毎日を送れたように思います。怪我をしているというのに味わえるこの楽な感覚は、ミオパチーならではの複雑な感覚だったといえるでしょう。


でも、もう大きな怪我はこれで終わりにしたいと思います。


※症状は人によって様々。これはあくまで私の場合です。
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二度目の怪我こそ、大怪我でした。


それは高校一年の夏休み、クラブの合宿中に起きました。「合宿中に怪我をした」と言うと、「何のスポーツをやってたの?」とよく聞かれますが、科学部です。
夕食の為、食堂へ行った時のこと。その日は湿度が高く、Pタイル張りの床はかなり湿っていました。スリッパを履いていた私は滑ってしまったのです。右足だけが前方へ行ってしまった時、そのまま転んでしまえば大したことにはならなかったのかもしれません。しかし人間、無意識に踏ん張ろうとしてしまうもので、これが裏目に出て、変な風に右膝に力が加わってしまったようです。ゴリッという音とともに膝に激痛が走り、そのまま床に倒れこむ形となりました。右膝はひどい痛みで、もう1ミリだって動かせない状況になってしまったのです。
すぐに救急車が呼ばれ、担架で車内まで運ばれましたが、私の痛がりように隊員は呆れ顔。とは言え、本人にとっては地獄の苦しみです。宿舎は山荘だったので、病院までの道のりは山道です。揺れの一つ一つが足に響いて、痛かったこと、痛かったこと。涙はかってに出てくるし、脂汗はかくしで、もう大変でした。経験したことのない痛みに、これは手術の可能性もあると思った私は、付き添ってくださった先生に、麻酔をする際には主治医に連絡をとってほしいと頼みました。先生はそれを聞いて、私がそれまでのパニック状態から落ち着きを取り戻したのだと判断したようでした。
病院に着くと、まずレントゲン室に連れていかれました。写真を撮るのに脚を伸ばすように言われましたが、右足はくの字に曲がったまま、もはや痛くて動かすことなどできませんでした。「無理です」と必死に訴えているにも関わらず、担当した医師はやれやれという態度で私の膝を無理矢理伸ばし始めました。泣きながら「やめて」と繰り返しても無視です。次の瞬間、パキンと音がして脚がまっすぐに伸び、痛みはスーッと引きました。伸ばした脚を上からと横から撮影して診察室へ。そこで言われた言葉は、「どこも悪くない」でした。和らいだとは言ってもまだ相当な痛みが残っていたし、どこも悪くないはずはないと言いましたが、レントゲンで見る限り何ともないと言うし、付き添いの先生もほっとした様子だったので、それ以上は食い下がらず、痛み止めの注射を打ってもらって、松葉杖で宿へ戻りました。帰りはタクシーでしたが、行きとは痛み方が嘘のように違っていたので、本当にもう治ったのかもしれないと思えたほどでした。とは言うものの、宿に着いてすぐ家に電話をさせてもらったのですが、母相手に先生との区別がつかず敬語で状況を説明するなど、動揺は隠せませんでした。


翌日は友人達が歩けない私を椅子ごと移動させてくれたりと、本当によく助けてくれました。先生にまでおぶらせてしまいました。両親が車で迎えに来たのはその日の夜で、さらにその翌朝、近所の整形外科に行くことになりました。
そこではレントゲンを3枚撮りました。3枚目は膝を体育座りの状態で前から撮るもので、実はこの3枚目が重要だったのです。レントゲンを見た医師は、開口一番、「すぐ手術ですね」と言いました。ショックよりも先に、やっぱりねという納得感がありました。あれだけの痛みで、なんでもないはずはないのです。怪我の説明は次の通りでした:
まず、滑った時の最初の「ゴリッ」は膝が脱臼した音。普通、脱臼は激痛を伴うそうです。次にレントゲン室での「パキン」は外れた膝が元に戻った衝撃で、半月盤(お皿)にひびが入った音。脱臼自体は不完全ながら元に戻った為、痛みが引いたのだそうです。そして、この一連の怪我により、膝はぶくぶくになるほど内出血していました。
・・・明らかに医療ミスです。救急とは言え、ベテラン医師だったのに。いまさら言っても仕方ありませんが、訴えるべきでした。
即日入院することになり、膝専門の敏腕医師が手術を担当してくれることになりました。手術の日が決まってからは、検査をしたり、水(溜まった血)を抜いたりと、準備が着々と進んでいきました。ところが、突然手術が中止になったのです。手術中の麻酔の件で、ミオパチーの主治医と話し合った結果、執刀医が手術を嫌がったようでした。手術をすれば膝の両側に大きな縫い跡が残ることになります。ミオパチーでよかったと思えた、数少ない瞬間でした。


手術は免れたものの、入院生活は長引き、1ヶ月に及びました。その間松葉杖を使用するので、両腕と左足の筋肉を鍛えなくてはなりません。松葉杖を使う患者が一番最初にするリハビリは、怪我した足を地面に着かずに、うまく杖を使って床から立ち上がる練習だそうです。が、私にそんなことが出来るはずもないので、いつもベッドを使わせてもらっていました。リハビリ用のおもりも0.5~1kg(通常は2~5kg)のものを使用しました。怪我をしていなくてもできないような動きを強制されて、わかってもらえず困ったこともありましたが、なんとか1ヶ月間耐えました。
困ったのはリハビリだけではありません。片足は地面に着けず、両手に松葉杖の状態ですから、当然食事はベッドまで運んできてもらえるものだと思っていたら、看護婦さんに「皆さん、自分で持っていきますよ」と冷たく言い放たれてしまったのです。確かに「皆さん」は片方の手に松葉杖、もう片方の手にトレーを持って、ケンケンして運んでいます。私は怪我をしていなくても片足跳びなどできないし、トレーを片手で持つというのも重くて不可能です。なんといってもミオパチーですから。結局、頼んだらしぶしぶ運んでくれましたが、肩身の狭い思いをしました。ちょっと不親切ですよね?
余談ではありますが、入院中は、リハビリのとき以外ずっとベッドの上で暇を持て余すことになりがちですが、この時は夏休み中。課題がどっさりあったので、そうはなりませんでした。「夏休みの宿題」が余裕をもって終わったのはこの年だけだったかもしれません。回診の度に、「学生にはいつも勉強しなさいと言っているけど、もう勉強はやめなさいと言うのは君が初めてだよ」と言われてしまいました。久しぶりに集中して読書もできました。その上、近所に住む友人が毎日お見舞いに来てくれたので、本当に助かりました。


さて、右脚全体を固定していた装具を外す段階になると、今度は膝を曲げる練習が始まりました。約1ヶ月間伸ばしきりだった膝は、曲げようとしても痛くて曲がらなくなってしまっているのです。機械を使って少しずつ日にちをかけて曲げて行くのですが、関節はまるで錆び付いた蝶つがいのようにきしんでいるような感じです。それからしばらくして、ようやく右足を地面に着く許可が下り、退院が決まりました。実は私には入院中ずっと心掛けていたことがありました。それは、歩いてもよいと言われたときには、最後に歩いたときのように歩こうということでした。普通に歩いていた時の感覚を忘れないようにしようと思っていたのです。私の久しぶりの歩行は問題ないと医師に褒められました。この時聞いた話ですが、長い間歩いていないと、歩き方を忘れてしまったり、怪我した足をかばってバランスの悪い歩き方になってしまったりするらしいのです。私の1ヶ月間のイメージトレーニングは正しかったようです。(でもそういうことは最初から言っておいてほしいですね。)ただし、実際には関節がうまく曲がらないし、筋力も落ちているので全く同じように歩くということはできませんでした。


退院後は松葉杖を卒業し、装具は膝が曲げられるようなものに代わりました。時をほぼ同じくして、夏休みが終わり、新学期の始まりです。普通なら家から学校まで1時間程度なのですが、ゆっくりしか歩けないので、2時間以上かけての通学が1ヶ月間ぐらい続きました。さらに最悪なことには、学校の最寄駅から学校までというのが通常20分ぐらい(ミオパチーでなければ15分ぐらい)なのですが、学校は丘の上にあるため、途中には240段の石段(手摺りなし!)と坂を含んでいるのです。それでも雨の日以外はタクシーを使わず、なんとか頑張り抜きました。時間のかかる通学に毎日付き合ってくれる友人がいたからできたのだと思います。ただ、校舎内では生徒は使用禁止のエレベーターを使わせてもらえたので、普段よりも楽だなぁと思ってしまいました。
さらに2ヶ月ほどが経ち、「完治」という診断結果がでました。ところが、完治しても以前のように楽に床から立ち上がることができません。(「楽に」と言っても、健常者とは大違いです。)「怪我だけはしないように」と言われ続けた理由はここにあります。一度落ちた筋力はミオパチーの場合、取り戻すのが難しく、結局今でも怪我をする前のような立ち上がり方はできません。


怪我をしていた約3ヶ月間の間に得たものもあります。歩幅が狭く、足も思うように上がらない状態で街を歩くと、わずかな段差や隙間に神経を使わなければならなくなります。この隙間に足を取られる老人はいないのだろうか、この段差を車椅子の人はどうしているのだろうか、と考えるようになったのです。元々段差などには苦労していたわけですが、その苦労をなかなか健常者にわかってもらえないように、私自身、自分よりも弱い人たちの苦労をわかってはいなかったことに気付いたのです。街は危険な罠だらけ。この怪我がきっかけで、バリアフリーについて深く考える機会を得たのでした。
ちなみに、普段と違って明らかな怪我人となったので、電車では席を譲ってもらえたり、堂々と優先席に座れるようになるのでは?と期待しましたが、装具が制服のスカートで隠れてしまったため、やっぱりだめでした。この期待は次回の怪我に持越しです。


※症状は人によって様々。これはあくまで私の場合です。
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