イエス!キリスト教とその教え・福音・復活とは?

イエスとは!キリストの福音とは!イエスの教えと信仰、キリストの復活、福音の意味、キリスト教とはいったいなんだろう!


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クリスチャンとしてなら、
何か発信できるかもしれない。
自分の醜さを意識せず、苦しみも、怖さも、
感謝と喜びに変えて生きていけるかもしれない。
なぜかって?
主イエスは、すべてを許してくれるからです。

そしてあなたも・・・
もし、あなたがその苦しみを、
苦しんでいるんだと自覚できたなら、
その救いの道を、新たな自己改革との、
際限のない戦いに向けるかわりに、
イエスキリストを知ることに向けるならば、
もしかしたら、
あなたも救われるかもしれませんよ。

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長野赤十字病院、夜更けの10時過ぎだったでしょうか?

父と私と弟は、電話で呼ばれ、母の病室へ向かいました。

夏だったのか、冬だったのか、はっきりしない記憶。

母は病室で、とても激しい息遣いをしています。

まるで、100m走で走っているとでもいうのでしょうか。

しばらく見守っていましたが、私は、

日課となっている運動をしに、外へ出て、

病院の外の空地へ行って、例の縄跳びをしました、

何度も何度も繰り返し。

眼前に病院凍が並んでいます、夜空に星がかすかに見えます。

そうだ、きっと冬だったのでしょうか、人っ子ひとりいません。

寂しい空地、黒々としたコンクリート。

見上げると、白い蛍でしょうか。

左から右へ、すーっと飛んで行くようです。

そうして、ひゅっと、夜空の上のほうへ、

ひゅうっと、吸い込まれていきました。




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 主は、立ち止まって2人の盲いを憐れみ、彼らの目に触られた。するとすぐさま、彼らは見えるようになった。私たち、いや私も盲いであって、どうか、主イエスに頼えみ、願って目を開いて頂けるようにして下さい。主イエスの業と力は、本当に本当のことでした。それは今も変わりありません。

 主イエスは、福音を伝えなさいと命じられました。私たちは、その福音を伝え、そのことによって人々を救いに導き、そして、わたしたち自身が大きな恵みを手にすることができる。このことは、真理であって、奥義です。

 私たち(私)はすでに、キリストを信じることによって、救われ、新しい命を与えられましたが、更に大きな輝きを得ることができるということです。私の魂は、それを真理であると感じています。

 科学は真理をつかみ取ることはできないと思います。どこまで自然の摂理を解き明かしていこうと、その奥に立ちはだかる壁を打ち破ることはできないでしょう。主イエスの真理は、すべてを凌駕するということを、いずれ、すべての人が知ることになると思います。

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 真夏の暑い夜だったような気がするが、そんなに暑かったのかどうかは定かではない。

ダイニングルームのちょっと固い板の間に背中を押し付けて大の字になっていた。とても

気持ちよかった。それと、何となく幸福感を感じていたような気もする。

 自分は彼女を愛しているし、彼女が自分のすべてのような気がしていたんだと思う。

そのことで、自分のすべての失敗は報いられ、これからもそのことによって、幸福のすべて

を見い出そうと思った。それが、間違いだった。

 彼女は、台所に立って、くつろいでいる私に向かって、何か罵詈雑言を浴びせた。

その言葉が何だったのか、今となっては記憶の闇の底だ。しかし、その言葉で私の幸福感

は、理由のない怒りに変わってしまった。

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 信仰者として認めてもらえるならば、その必然性が確かにありました。

遊び呆けていた学生時代に、接触のあった創価学会という世界で、

5年ほど、その教義と友達と、勤行の力や、矛盾を経験し、最終的に

結婚を機に、いや結婚のために、学会との繋がりを断ったわけですが。が

 それから、結婚と離婚、離婚調停、母の死。そして、キリスト教に求めた

救いです。

 今の自分にとっての義務は、聖書から読み取れるように、キリストの

福音を述べ伝えなさいという命令です。これが縛りでもあり、人々を救う

手段でもあり、自分にとっての喜びにも結び付いていると思います。

 ただし、自分の生き様は、矛盾と偽善に満ちていることは、明白な限りです。

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八 隠されたる神 


 ブランケという神学者の、「ルターにける隠されたる神」という論文は、小さな論文ですが、非常に面白いと思いました。「救者としての神も、隠されたる神であり、啓示は同時に被覆である」と、ブランケは言います。また、「被覆は啓示の仮定であるだけでなく、信仰の仮定である」と言うのです。また、「怒りは、神がみずからを隠すヴェールである」というのです。信じるものを、地獄に落とそうとするかのように、怒りのヴェールをかぶって接近する神に対して、信頼と従順とが要求されるのです。信仰とは、怒りの背後にある愛と真実の神を、信じて疑わないことだと、ルターは言うのです。

 この思想は、困難と苦しみの日々における私に、大きな慰めと励ましを与えるものでありましたが、また同時に、大きな問題の提出でもありました。神が私に、どんなにひどいことをなさろうと、キリスト者としての節操を守って、黙って耐えていくことが、信仰というものなのでしょうか。そこには、神の愛を信じる者の、生き生きとした喜びはなく、ただ、暗い忍従のみがあるのです。そして、どんなにひどいことをされようと「受け取っていくのだ」、「耐えていくのだ」という、悲壮感がつきまとって離れなかったということは、問題であったと思います。そのような悲壮感は、けっきょく、自己追求にすぎなかったと思います。恵みにゆだねた者の、勝利でも、平安でもなかったのです。

 ルターにおける隠されたる神が、私にとって、現実の生活の、どのような状況の下において問題となり、また、克服されていったのでしょうか。昭和二十五年から二十九年にかけて、私の一家は、川の中の中州に建てられた、小屋のような小さな家に住んでおりました。その家は、発狂した少女を隔離するために、建てられた家でありましたが、少女が死んで空いていたので、私たちが買って入ったのです。その家で私は胃を患い、貧困と絶望の底に落ちました。毎日、一家心中を口にする日が続きました。特に、大雨になって増水した場合、逃げ道がなくなり、家が流されるかも分からないと思われました。それは、形容することのできない不安でありました。そういう状況の中で、私はルターを学び、ルターによって救われたのです。(詳しくは私のあかし「生きよ」をご覧下さい)




 隠されたる神を信じるということは、私にとって、いつの間にか暗い予想へと思いを馳せながら、そのことに耐えていこうとすることでありました。「流さないで下さい」と祈りながら、「信じる者は、むしろその信仰の故に流されるであろう」という、自暴自棄的な思いに駆られるのです。祈るということは、確かに、人間の願望のままに、神をねじ伏せることではありますまい。「あなたを信じています」と、どんなにあつかましく申し上げたとしても、そのことが、義にして自由なる神のみ前に、特権として通用することもありますまい。「流さないで下さい」と祈る心の底に、そのような暗い思いが、渦巻いていたのです。そして、そのような神に反抗しないことが、信仰であるというような、悲しい思いに満たされていたのです。しかし、信仰とは、はたしてそういうものなのでしょうか。「隠されたる神」に、どうして耐えることができるのでしょうか。

 昭和二十八年のある日、病んでいた私は、少し体ぐあいのいい日に、杖をついて河原に出ました。そして私は、「お前は救われているではないか。キリストのいのちが、お前には流れているではないか」という、静かなる語りかけを聞いたのです。その日から、私と一家八人の家庭と生活は、すべてを神にゆだねた、平安と感謝の生活にと、変えられていきました。それは、言いかえますならば、キリストの臨在と内住の確信が、与えられたということです。私の心の内に住んで下さる、いのちなるキリストは、私の家庭の中にも居て下さるということが、確信されるようになったのです。

 私の病気、失業、貧困という、最悪の状態は、その後も何年も続きました。しかし、キリストが共に居て下さるならば、そういう日々にも、平安と感謝は失われないのだということを、発見させていただいたのです。神の怒りのわざとしか考えられないような、地獄に落とされるかのような、苦しみの日々をも、暗い心で、悲しげに、耐えていくのではありません。そのような日々にも、生ける主は、共に居て下さるのです。信じる者にとって、主が共に居て下さらないような瞬間はありえないということです。「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ二三・四三)と、主は、十字架上の犯罪人に言われましたが、そのみ言葉は、また私たちにも、言って下さったみ言葉であったのです。

 ルターは、隠されたる神に耐えました。しかも、生き生きとした感謝と、充実した生命感をもって、隠されたる神に耐え、そして、信じたのです。どうして彼は、隠されたる神を信じ、また、耐ええたのでしょうか。それは、いのちなるキリストの内住、生けるキリストの臨在の確信を、持っていたからだと思います。私もまた、そのことを、生活体験の中で、発見させていただきました。もしそうでないならば、人間というものは、決して、悲壮感を克服できるものではないのです。生けるキリストにゆだねきった、平安なる日々には、将来に対する暗い予感さえも、ゆだねてしまうことができ、忘れてしまうことができるのです。ゆだねるということは、暗い予想や想像を、決して心に持たないで、一瞬一瞬を、ただ主におまかせして、賛美感謝していけばいいのだということを、教えられたのです。


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私に本当の信仰があるのかどうか。お金のことや、名誉や欲が、信仰心の前を行く。自分が偽善者であることは間違いない。クリスチャンとして、恥も外聞もなく洗礼を受けて、地獄の精神生活から救われたと思った自分。そして確かに間違いなく、平安は訪れ、葛藤地獄から自分は救われた。自分の前から忽然と消えた元妻のことを思い出す。消えてから、元妻と顔を合わせることはその後なかったが、弁護士を通じて裁判所で約一年間争った。そして得たものは高い慰謝料のつけと、際限のない葛藤地獄。そして母の死。それから教会で救われて、韓国人の母と子供に出会えたこと。人生は本当に不思議だ。主イエスに洗い清めて頂いた自分の生命。今は、聖書を通して、祈ること、喜ぶこと、感謝することを学んだ。その新たな命の中で、何かどろどろした欲望・野心が渦巻いている。偽善者の自分をお許しください、主イエス。借りは返します、きっと。

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●1日1回黒豆を食べるだけで
黒豆(くろまめ)は、ダイズの品種のひとつ。種皮にアントシアニン系の色素を含んでいます。栄養成分的にはダイズと同等のものになっています。
 
●熟練された調理法
なべに分量の熱湯と調味料、重曹を合わせたところに洗った黒豆と錆びた鉄釘(酸化鉄が黒豆の色を濃くする)を入れて数時間放置し、そのあと一旦煮立て、煮立ったらあくを丁寧に取って弱火でことこと煮詰め、煮あがったらなべのままおいてゆっくり味を含ませるというもの。黒豆の表皮に皴が生じないように、調味料の分量をきちんと量って最初に全て入れておき、冷たい空気に触れないよう豆が煮汁に浸った状態を保っています。


体内石鹸サポニン

 脂肪が多すぎると、肥満、高血圧、心臓病、糖尿病、痛風などの生活習慣病にかかるリスクが高まります。クロマメには、胃腸の機能調整、過剰な食欲亢進を抑制、食べすぎ防止などの働きがある。新陳代謝を活発にして脂肪の燃焼を助ける。

 クロマメに含まれる機能性成分は、タンパク質、不飽和脂肪酸などの油性成分、食物繊維、ビタミン類、各種ミネラル、サポニン、そしてアントシアニジン系成分になる。クロマメに豊富に含まれるタンパク質は、アミノ酸の組成にすぐれた良質のもので、肉や魚にまさるとも劣らない。

 必須アミノ酸が多いのが特徴。
クロマメには、サポニンという特殊な成分も含まれていて、体内の石鹸とも呼ばれ、脂肪の吸収を抑制し、その分解を促進し、さらに過酸化脂質の発生を抑える効果も備えています。


油分の強力なパワー
 クロマメの油分には、不飽和脂肪酸、リン脂質のレシチン、ビタミンE、植物ステロールなどが豊富に含まれています。このような成分が相乗してコーステロールの吸収を阻害したり、老廃物を排泄し、細胞の老化を防ぐ強力な作用を発揮します。


全身の機能回復
 クロマメは「補腎」の働きがあり、機能の衰えを回復させます。

また、胃腸を強くしたり、尿の出をスムーズにしたりします。
クロマメはそのほか、動脈硬化や脂肪肝の予防などに有効です。

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 「主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。『この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。』」

 神様が選び、愛されたアブラハムの子孫であるイスラエル人は、豊かな国、エジプトにおいて、430年の間に、ヤコブから生まれた70人から、壮年の男子だけで60万人の民族にされていました。
 正月は、神様が与えて下さった、私たちが罪から開放されて、新しく出発させていただいたことを記念する、大切な日です。正月こそ、私たちを罪のさばきによるほろびから、あがないという大事業を実行され、天の祝福の御国へ移してくださったイエス様の十字架の恵みに感謝すべき時です。
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「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」       

              

 イエス様、私をあがなって下さってありがとうございます。神のひとり子が、はりつけにされて私たちの罪をゆるして下さいました。親が子の願いに答えてくれるのと同じように、主はわたしの祈りに耳を傾けてくださっています。
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