心筋梗塞からの生還 Part2 | my(マイ)のブログ  

心筋梗塞からの生還 Part2

間が開いてしまいましたが続きを書きます。

【心臓カテーテル手術】
4月13日の朝、急性心筋梗塞になった私は、そのまま心臓カテーテル手術を受けることになりました。
目的は、詰まった血栓を取り除き細くなった血管を広げ、血流を回復することです。
まず、右手の手首の付近に麻酔の注射のチクッとした痛みがありました。
その後麻酔が効いてしまうと、手首の動脈から心臓の冠動脈までカテーテルを入れられた感覚はまったくありません。
局所麻酔なので意識ははっきりしていますが、心臓の血管を治療されている感覚などもなく、モニターの画面が見れるわけでもなく、ただ横になってドクターの「よし!」とか「あれ?」とかの言葉に
何が起こっているのか想像するしかありませんでした。

しばらくして、「myさん、血栓が取れましたよ」とドクターが言ったような気がしたのですが、この頃から私は胸に強烈な痛みを感じていました。
はっきり言って、発症後今まで感じていた痛みを遥かに超える強い痛みで、私はじっとしていることが出来ませんでした。
ドクターが「myさん、もう少しですからじっとして!」と言っているのが聞こえました。
おそらく数分だったと思いますが、この痛みを堪えるのが一番辛かったです。
数日後、ドクターに「あの痛みは何だったのですか?」と聞くと、詰まっていた血流が一気に流れたために起こるようで、
その時のショックで亡くなる方もいるとのことでした。

私の感覚では手術は1時間もかからなかったように思えました。
ドクターが「myさん、無事に終わりましたよ!」と言われた頃には胸の痛みも嘘のようになくなって、
私はもうこのまま歩いて帰れるんじゃないか?と思えるほど元気だったのですが、やはりそれほど甘いものではありませんでした。



【HCU】
私はそのままHCUという集中治療室に運ばれました。
よく耳にするICUとの違いは、とりあえず生命の危険な状態は脱したものの、引き続き24時間観察が必要な患者さんが
入っているようでした。
完全な個室ですが、ただベッドが置かれているだけのドアもなくナースステーションからは丸見えの状態です。
もちろん窓もなく天井に光を取り入れるためのわずかなガラスがあるだけです。

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ここに運び込まれて、4月13日から16日の4日間は39度を超える高熱の中で過ごしました。
ステントと言う心臓の血管を広げるために体内に残っている網のようなものを、身体は異物と認識したために出た熱でしょう。
この頃は看護師さんからも「myさん、今は眠ることが仕事です」と言われ眠っていることが多かったですが、14日からはご飯も出てツイートができるまでになりました。
新聞で熊本の地震を知ったのも16日になってからだったと思います。

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21時には消灯なのですがさすがにすぐには眠れなくて、そんな時の私の心の友はしばじゅんでした。
やっぱりまだアッパーな曲を聴く気分にならなくて、病室で聴くしばじゅんの曲調は一番違和感がありませんでした。(笑)

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結局、このHCUという集中治療室には4/13~17まで5日間過ごしたのですが、14日の夜勤の看護師さんの対応が素晴らしかったです!
ちょっと、昔の松本佳奈ちゃんのようなボーイッシュな若い看護師さんでしたが、その夜は救急患者が運ばれてきたり、寝てる私でも分かるくらい大変な状況だったのですが、彼女の落ち着いた対応と患者に対する優しい気配りには本当に感心しました。
一般病棟に移る前に、彼女とツーショット写真を撮れなかったことが、今回の入院で最大の後悔です!(笑)

徐々に熱も下がり、食欲もあったのですが、おちんちんの管は入ったままだし、点滴も続いていました。
15日に初めてリハビリの先生が来て、ベッドから立ち上がり足踏みをすることが許されましたが、
依然として私はほとんどの時間をベッド上で過ごすしかありませんでした。
楽しみと言えば、ラジオや音楽を聴いたり、本来禁止されているスマホで看護師さんの目を盗んでツイートすることぐらいしかなかったので、カミさんが毎日仕事の帰りに来てくれたことは、本当に有難かったです。

そして、4月18日やっと一般病棟に移れたのですが、それからさらに8日間も入院生活は続きました。


                       Part 3へ続く。