今日、偶然にも

事務局の方々と白木健一先生ご夫妻を

熊谷駅で、お迎えしました。


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石上寺にご案内し、ご住職にお会いし、

お堂にて、千手観音様を拝観。

そのことは、また、後日書かせていただきます。

本日のお題

若き宮沢賢治と人造宝石

そして、妙法蓮華経

熊谷市 市民活動支援センターにて

くまがや賢治の会 勉強会です。

白木健一先生のプロフィールから

立正高校を経て横浜国立大学工学部卒、

NEC、トーキン、並木精密宝石(現職)において

工学結晶の開発に携わる。

NHKラジオ「宮沢賢治と人造宝石、そして私」

放送(2007年9月)。

宮沢賢治学会定期大会研究会にて発表5件

(1997~2009)。

その他、研究多数。

盛岡高等農林で鉱石の勉強をしていた賢治は、

宝石を人工的に作ることにも関心を持ち、

そのような仕事がしたいと、東京から父親に

手紙を書いたことがありました。当時美しい宝石を

人の手で作る研究を基に、その事業化に最初に

成功したのは20世紀初めのフランス人化学者、

A・ベルヌーイでした。東京滞在中に

その研究論文を読み、日本で最初に事業化を

発想したのは若き宮沢賢治であったと白木氏は

推定されます。しかし、その望みは実現せず、

直後の国柱会との出会いをきっかけとして、

やがて妙法蓮華経による法華経信仰へと

賢治の思いは昇華して行きます。


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人造宝石と賢治

 鉱物採集に熱中した少年時代の宮沢賢治。

盛岡高等農林に入ってからも鉱物への興味は

尽きることなく、研究科の時に地質学、岩石学とともに

鉱物学の原書を講読している。

 岩石、鉱物に関連した仕事を

自分の職業としたい旨の希望は大正7年(1918年)22才の時、

父・政次郎氏宛の手紙に明確に示しており、

岩手県産の有望鉱物名を列挙している。

白木先生の宮沢賢治学会イーハトーブセンター

第8回研究会記録集(1999)より一部修正転載された

日本結晶成長学会誌からの資料から転記しました。

早いお話は、賢治の若かりし頃と父・政次郎さんとのやりとりに、

時代に関係なく、思いを貫く時の家族間の葛藤がみえてくるよう。

父宛の手紙について、友人宛書簡にて。

1918年(大正7年)妹・とし子の看病のため上京し、

病人の世話や父への報告のかたわら宝石に、鉱物に関わる動きを

される様子を、白木先生が、お話された。

ベルヌーイのルビイを成長させる人造宝石の造られる過程や、

賢治の作中に人造宝石、妙法蓮華経がみえてくると

先生の解釈として、

雨ニモマケズ

ソウイウモノニワタシハナリタイ

妙法連華経の構成を説明された。

妙法連華経の伝来

ブログに書くには時間がかかり、

先生の学会発表記録集を

読まれるこがよいでしょう。

雨ニモマケズとマンダラの考察について

解説された詳細も記録にあります。

「雨ニモマケズ」について

法華経と宮沢賢治の作品、言葉5

法華経寿量品第十六

諸々のあらゆる功徳を修め

柔和質実なるもの

即ち皆我が身ここに在って

法を説くと見るなり

「雨ニモマケズ」

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に・・・・・・・・・

・・・・・・

さうゆふもの

わたしはなりたい

[本尊まんだら]

キリスト教と宮沢賢治の作品、言葉

イタリアの聖人と町の名前

貧者に生涯をささげた聖職者

フィリップ・ネリの生まれ変わり

と言われた、イタリアの

聖ジョバンニ・パティスタ・デ・ロッシは

カステロ・ガドルフォ町に眠る


宮沢賢治童話の人名

「グスコー・ブドリの伝記の妹 ネリ

「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニ

「ガドルフの百合」のガドルフ

   ロジャー・パルバース著

「賢治から、あなたへ」集英社(2013年)より

賢治の作品にみる。

とっつきやすい宮沢賢治の世界を

お伝えして。

最後に、白木先生が

奥様に贈られた

ご自信が作られたルビイを。


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奥様が身につけらていたものを

お見せくださいました。


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若き宮沢賢治と人造宝石

そして、妙法蓮華経

くまがや賢治の会

講師 白木健一氏

勉強会にて。


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夕方 夕陽が西に傾き

真上に浮かぶ

ふっくらした三日月

桜色に薄く染まり

春の夕暮れは

やわらかく感じて。


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