奇天烈

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やま!


KUMA結婚おめでとう!!

懐かしい人に会えて楽しかった!

同世代が少しずつ結婚していくなぁ。。。




同世代の美容師さんと話していた時、幼少時代の話になった。


その時美容師さんに話したら、微妙なリアクションを取られたエピソードがある。



ドラえもん・キテレツ大百科とかに共通するんだけど、「いじめられっこ」タイプの少年が主人公の漫画がいくつかあった。

中でもキテレツに憧れた時期があった。

ただの憧れではない。自分の中では熱狂的。

学校から直帰して、家の中にある材料でタイムマシーンを作ってしまうところなんて、たまらなかった。

当時、エジソンとかライト兄弟とかそっち系の漫画をよく読んでいたので、「発明」というものにすごく神々しいものを感じていた。



なりきった。

ある日さすけ少年は、キテレツになりきった。



さすけ少年の頭の中では 暗い子=天才 という間違った方程式を成立させていた!!




まず。放課後、遊びの誘いは全部断った。

天才」になる為に。

そして一人で孤独に家に帰る!これ鉄則。

この寂しさが余計にワクワクした。危険な少年。




帰宅し、いよいよ発明の時間!!偉人への第一歩

図工が苦手なさすけ少年にとって、ここが一番の難関。

周りにあるものを材料に何か組み立てようと、考えたがハードルが高すぎた。


プラモデルを買いに行った!!凡人への第一歩

ガンダム。アニメも見たことないのに、ガンダム!!

普段まずしない行動が、発明心をかりたてる!!



初日は、説明書を読みながら、天才気分を味わった。


翌日も、キテレツ的行動で帰宅。

ついに、ガンダム制作にとりかかる。

図工が苦手なさすけ少年は30分で飽きた。


3日目、外で野球をしていた。




この体験から新たな方程式を成立させた。



凡人=すぐ飽きる人








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メモリー・レーン

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やーまん。

先日、mixi上で15年ぶりくらいの再会をした。
小学校時代in奈良で、所属していた少年野球チームのメンバーだ。


小学校2年の時、イトマンスイミングスクールで水泳をやっていた。一通り1級まで進んでいた僕は、早くやめたくて仕方がなかった。
キャプテン翼の若林と同じアディダスの帽子も購入済みだった僕は、サッカーがしたかった。


ところが、サッカー部は朝練が7時からあり、終わったらそのまま授業、、。朝7時から練習はキツイだろと断念。

父の希望もあり、野球をすることにした。
入ってみてわかったことは、野球部は朝練が6時からだった。


5時半にチャリで学校に向かい、早朝練習。7時にサッカー部と入れ代わりで終了。朝飯食いに帰宅。んで、また徒歩で登校。


冬の6時なんて真っ暗よ。朝のランニング中にゆっくりと日が出てくる感じ。


平日は朝練。土曜は昼から夜まで。日曜はほぼ朝から試合。

(引越してから知ったけど、こっちの少年野球・サッカーは朝練なんて無かったみたい。土日だけスタイル。)



ジュニアリーグ(小3、4年中心)とレギュラーリーグ(小5、6年中心)があるくらい、野球人口が多い地域だった。



はっきり言って、結構ハードなチームだった。阪神ファンの鬼コーチのノックには毎回皆泣かされてた。


「グローブで取れないなら、体でとめろ!」


マジ痛い。実際小学生の試合ではまず飛んでこない速さのノックをしてくる。
ノリで入った奴は、だいたい3ヵ月以内にやめていった。


小3の時、学校で一番仲良がかった運動神経抜群の大ちゃんも、野球をやると言ってきた。

当然うちのチームに来るもんだと思っていたが、何をトチ狂ったか隣の小学校のライバルチームに入った。
通算しても、数試合しか対戦しなかったが、大ちゃんを超意識した特別な試合だったのを覚えている。

小5になり、レギュラーリーグに参加するようになった。
1番ショート。
年末の納会で、初めて背番号6 というレギュラー番号を渡された時の感動は今でも覚えている。

そして、小5が終わろうとしていた。

ずっと入院していた4番打者のシンちゃんも退院間近。

ついに、自分達の代が最高学年にあがり、本当の戦いが始まろうとしていた。
今までやってきたすべてをこの1年にかけようとしていた、矢先。

親の都合で、川崎に引っ越す事が決まった。



小学生の僕にはあまりにも残酷だった。

小6になる事をどれだけ楽しみにしていた事か。
さらに中学にあがったら、大ちゃんも同じチームになれるし、更に強くなるんちゃうか?
とか色々夢はあった。
お恥ずかしい話、甲子園だって心の片隅で意識していなくは無かった。


野球の盛んなその地域では毎年、様々なチームのメンバーで奈良選抜みたいなのを組む。

そして、日の丸のユニフォームを着て台湾遠征に行く。
小6になったら、その選抜に入る予定だった。それも楽しみだった。

引っ越し…。

小6の一年間居候させてやるから奈良に残れと言ってくれたコーチもいた。

自分としてはそうしたかったが、現実的にありえなかった。



引っ越しが決まっていた僕は、ポジションがショートからレフトになった。

ショートには別の子が入り、新チーム編成の調整が始まっていた。

外野なんて一度もやったことがない…。


何もかもが悲しかったが、引越しは間近。マジか。

引越しまで数試合、全力で試合に臨んだ。


そして小6の春、川崎市に引っ越した。
過半数が受験勉強しているような不思議な学校に入学。

後の半分は、サッカーをやってるか他人の金でゲーセンに行ってるか。


生活がガラっと変わった。ゲーセン・・・。


引っ越してから、少年野球をしなかった。


親は当然のように、もう一回こっちで野球やるように薦めてきた。


「今から僕が入ったら、レギュラーの子が一人補欠になるやん。そんなんでチームに溶け込まれへん。」と返したらしい。。。


実にかわいくない傲慢な発言だが、当時の本音だった。

レギュラーと補欠には、子供ながらシビアな差があった。



そして野球部の無い中学に進学した僕は、ボンクラサッカー部に入部。

中々強いチームだったが、教えてくれるコーチもいない部活動は、体育会系と呼ぶにはヌルすぎた。

楽しかったからいいけどね。


高校はボンクラ帰宅部。

楽しかったからいいけどね。



僕のスポ魂青春は、小学5年生で早々に幕を閉じた。。。



あのころ培った精神は今でも自分の中に生きてる。

かどうかは疑問に残るが、やはり僕にとって奈良という地域がルーツの一つになっている事は間違いない。



久しぶりの再会でプレイバックされた土にまみれた記憶。

何のオチもない、一人よがりの思い出話に付き合ってくれてありがとう。





背番号6








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