※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません

現在、Ren が病気療養中のため、Musu Boreとしての活動は一定ではございません。

活動をご支援下さってる皆様には、誠に申し訳ございませんが、
公式 Musu Bore サイトの音源情報、及び、ライブ情報活動を ご参照頂ければ幸いに存じます。



  御観覧希望の方、お問い合わせにつきましては、
  Musu Bore ライブを見たい場合のお問い合わせ方法 を ご参照ください。

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2016-05-15 02:39:42

告知: Emotional Infectious Scene.09 - 2016/05/28

テーマ:ライブ告知
Musu Bore + URGA 最後の組み合わせ。
見ておいていただきたい。敢えて、それしか言いません。



Saravah!URGA - Emotional Infectious Scene.09 At Shinjuku URGA

・日時:2016年5月28日(土)18:00 / 18:30
・会場:新宿ウルガ
    住所:東京都新宿区歌舞伎町2丁目42-16
    電話:03-5287-3390
・料金:2.500yen / 3000yen(税込/ドリンク代別)

・出演:Musu Bore
    Sredni Vashtar
    japanese Babies
    DESTRUCT SYSTEM
    DJ.NEU! (NEUROTIC DOLL/Labyrinth Records/ex.Shinjuku URGA店長)

・発券:店頭 / 各バンド受付 / e+ 専用ページ

 Musu Boreは こちら からご予約ください。

・オフィシャルページ:https://www.facebook.com/SaravahURGA
(こちらからのメッセージでも予約受付ます)
・制作:ウルガ/bOOsterstOre



かつてのMusu Boreがどうだったか、なぜ今のMusu Boreがあるのか。
全ての歴史を知る場所で、最後の演奏になるのだから。

ここが無くなったら、
Musu Boreの歴史を知る場所は、あとは京都の夜想だけになる。

そのくらいに、大切な場所だったからこそ、
この最後のライブを見逃したことを、後悔するくらいのものにしたいよね。
今のMusu Boreが生まれた場所ですから。

本当は、URGAの終焉と共に、もうMusu Bore解体してもいいな、とか、
俺自身もう人前で演奏しなくてもいいかな、くらいの事は、
一瞬、頭をよぎったんだよ。正味の話。

でも、ま、今のメンバー・スタッフは、
この時代を知ってるからこそ、今を共にできてる訳で。

そのメンバーとスタッフのいる場所が、URGAを継承してるとすれば、
そのメンバーと最後のステージに臨むこと、続けていくことが、
「あの場所」を思い出すよすがになると思うんだよね。

さあ、最後の瞬間を焼きつけといてくださいませ。
ああ、これが、あの頃のMusu Boreだったよな、ってことを思い出せる
最後の日ですから。

他の場所で共演した方々も、見た方々も、
URGAでのMusu Boreを見ておいて頂かなければ、
何故これがこうなのか、語るにはいささか足りないかも。

皆様のお越しをお待ちしております。
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2016-05-12 15:50:40

Miss Me Blind / Culture Club

テーマ:徒然なるままに
未だ、勘違いしてる人は多いんだが。

中学生の頃、この曲が好きだった時は、理論なんかぜーんぜん知らないし、
他の曲にない不思議な響きが好きだったから、
他の曲聞かされようが「こっちの方が上手い」とか言われようが、
んなもん、関係なかったわけです。


で、自分もこういう事から音の不思議とかに興味持って勉強していくうちに、
様々な理論知って、この曲のある種の絶妙に気づいたのはいいんだが、
逆に「うわ、ここまでシンプルなのに絶妙な事やっちゃうと、
楽器と楽器のマッチングの妙や、個人のボーカルとか音そのものの魅力がないと、
逆に曲として成りたたない。」って、逆に気づかされてしまうものだった。

で、個人の音に何の魅力も無い人が、
シンプルな楽曲やったって、なーんの感銘も受けないってことでもある。

同時に、複雑怪奇な事をやろうが、それは同じことなんだよね。

「シンプルな楽曲がいい」ってのは、それはそれで憧れではあるが、
それ以上に個人の音の魅力がモノを言ってる部分は、相当ある。

いや、例えば、低い声が魅力の人が、
無理やり自分の歌いたい歌が、高い声のボーカルだからって、とか
「高い声の方が、売れるから。」とか
「BMM135の方が売れるから」いうセオリーみたいなもので
(そういう迷信は、未だに世にはびこっている)
無理やりトレーニングで繕ったものが、
本当に自分にしかできない唯一無二の個性なのかよ、って話でもあるんだ。

要は、理論も全体構図も、
ある種の美を完成させるための要素でしかないってことであって、
それ以前に演者としての本当の魅力って何だよ?という所まである音を作れたか
それを、どうやって見極めていくか、って話であって。

単一の要素がどうこうではなく、
結局、全てが全てで、それでしかありようがない、ってものに
キチンと、落とし込めたかどうか、でしかない。

この曲、最後は、ボーイ・ジョージの声の魅力なんだよね。
それを理解した上で、
演奏隊は、それを徹底的に前に出す上での
最高の仕事をしたってことなんだよ。

もはや、それは太刀打ちできない天性を宝とした曲を前面に押し出している、
そんな勝ち目のないものと対決してるようなものなのだ。

そうだねぇ。
ある種、完璧な戦車に、良く磨きこんだだけの刀で勝負挑んでるようなものなんだよ。

戦車としては、もっと荒まじいほど性能を磨きこまれた戦車もあるだろうが、
戦車として完璧な形をしているものに、たった一つ優秀な武器があったからって
勝負をひっくり返せるようなものではない、ってくらいの、良きまとまり方。

シンプルだからいいとか、そういう事ではない。

声の良さをシンプルに聞かせるために、それを生かした曲なんだもの。
そうならざるを得ない。

その取捨選択を完璧にやったからこそ
そして、メンバーたちは、その事を分かった上で、自分たちの限りを尽くした。
ようは、そういう事であり、それが「プロの仕事」なんだと思うよ。

80年代って、そういう時代だったのだ。

シンプルな楽曲でも輝くことのできる個々の人間力を見極め、
それを、総合力で、シンプルにまとめて、何倍にも膨らませていた。
それを、一番簡単な形で、勝負する時代だったんだよ。

こういう曲に「俺の方が上手く演奏できるのに」とか言ったところで無駄。

寧ろ、個人技能があったところで、
こういう「音楽としての落とし所やまとめ方」をきちんとできないのと
それを理解できないっていう点で、完璧に負けていると思う。

だって、音楽の演奏ってのは、最後は集団作業の総合力であり、
「アンサンブル」としての輝きなんだから。

アコギやピアノソロの弾き語り、でもない限りね。

個人の演奏が上手いとか、
そんなもんすら、全体の総合力や完成度の前に何の意味も無いのだ。

全体の中で、何の意味を果たしてるかって事でしかないのだもの。
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2016-05-10 17:01:37

Wave-A-Raid / Musu Bore

テーマ:徒然なるままに
Wave-A-Raidを作ってから16年にもなるが、
未だに自分の中で、一つの壁みたいに立ちはだかってる。

この曲を超えようとあがいてきた歴史が、
そのままMusu Boreの音の歴史なのかもしれない。


それまではただのやかましいギター弾くあんちゃんだったので
周りの人は、Musu Boreを始めた瞬間、どえらく驚いたらしく
「いきなり何でそっち方向へ行っちゃったの!?」と言われたのを懐かしく思い出す。

自分としては、バンドでメンバーがいちいち変わるだけで、
音をゼロから作り直すみたいになる事に嫌気が差してただけだったんだよ。

だって、そのたびに音をやり直してたら、
The Cure みたいに「1人の人と10の違った音を追求する」ってことが出来ないし、
音をじっくり追い込んで深めていくなんてことが出来やしないと思った。

そんな、いい加減にバンドやるくらいなら、音楽やめた方がマシだ、とも思ってた。

それこそ、僕は「One Night Loverと、その場のセックスを楽しむ」みたいな
その場しのぎの楽しさを追いかけてるだけの音楽をやりたいと思ってた訳ではない。

ましてや、飽きっぽい人とは、そんな事すらできやしないだろうから、
派手でなくてもいいから、自分一人で温めていく音楽をずっと探してた。

たった一つ、自分がやってる音楽でさえ、
考えを共有できる人間がそういないってのは、ある種、絶望を通り越して笑けた。
そういう音に対する考えさえも人と共有できない自分は、完全に場から浮いている。
いや、今だって、恐らくこんな考えは、ひたすらに理解もされないだろう。

だから、もはや孤独などというものではないくらい、
「私は異次元の世界の住人なので、世間の音に興味ありません。」と、
人とコンタクトを取る事すら、あほらしくなって諦めたようなものだ。

人など当てにならぬ、と冷めた目で、僕は機械を見た。
この音だけは、私を裏切らない。そんな音を探してた。

今でもそんな音を探してる。

多分、私はこの曲と共に生きて、共に死ぬ、という曲しか、
Musu Boreでは人前に出したことはない。
それをひたすら温める事で、深みと円熟を増していきたかっただけなのだ。

人に好かれようとか、聞いてもらおうとか思ったことが無いよ。
ひたすら、自分が好きなものを固めて、曲を作っただけだから。
だから、自分は、今、Musu Bore以外の音に、救いなど求めてない。
自分で一番しっくりくるものを、自分で作ったのだから。

後は、自分が深く愛した The Cure のように、
一曲をひたすら大事に育ててきた、彼らのように、曲を育てたいと思うだけだ。

そこからして、僕は、今のポップミュージックや
ロックのありかたというものには
どえらいほどの不満を持っていたんだろう。

だから、僕にとっての反逆とは、そうしたものから全て背を向ける事で、
この音に閉じこもる事だった。

こんな「私の趣味の世界」からスタートしたはずなのに、
何故か、この音に惹かれる人がじわじわと増えてきたのは
不思議な事だった。

かといって、相変わらず、
大多数には理解されるようなものではないのもわかっちゃいますが、ね。

不思議な事だと未だに思う。

人から遠ざかれば遠ざかるほど、
返って、その音が、聞く人を寄せてしまうってことがあるんだね。

この不思議。

だから、Musu Boreの音の根幹には、
音楽でさえ感情や思想を共有もできない、という、常に絶望的な孤独がある。

そんな矛盾の中で、
なぜか、この音を深く愛してくれて、これでなければ聞けないという人がいて、
それを、ひたすら好いてくれている人の想いにだけ
誠実に向かっている、ということに、凄く奇妙な感覚がある。

人に向かうというよりも、音に無心で誠実に向かわざるを得ない。
それが、結局、その音を期待してる人への誠実になるという事なのだけど。

Musu BoreがMusu Boreらしくあるってことしかできないんだよ。結局。

音楽でさえも、一切の世界観を共有できず、
なのにこの音を好いて聞いてくれる人の共感にだけ、
一心不乱に応えてるっていう、この異様な状況の中。

Wave-A-Raidは、今尚、私を裏切らないよ。

当たり前だ。

DTMなどさっぱりできなかった男が、
ひたすら夢心地の中、寝ずに1年かけて、
ずうっと学び続けながらこさえた、
私の一番大好きだった音に無心に触ってた瞬間が、
そのまま煮こごりのように塊になってるようなものだ。

この曲に、本当にいろんなことを教えてもらったのだ。
自分が作った曲なのに、自分に何かを未だに教えてくれるのだ。

だから、今尚、この曲は楽しい。
自分で触れているだけで楽しいのだ。

だから16年たっても、瑞々しく色褪せない。
私はこの曲を超えていきたいと思い続ける何かを秘めている。
多分、私は、死ぬまで、この曲と共にいる。
いつだって、初心に帰れるのだ。

自分の中から生み出した初心こそが、自分の行く先を間違いなく示してる。
そのことを教えてくれた、唯一無二の先生で・・・そしてこの16年間を支えてくれたのだ。

君が嫌いと言っても、私は、この曲だけが必要で、
いや、この曲を作ってた、あの無心に音に向かっていた瞬間に帰りたいと思う。

ここが私の、懐かしくて、常に戻る場所。
そして、まっしぐらに未来を見つめてたあの頃に繋がっている、不思議な過去なのだ。

・・・望めば、心の底から望めば、
音だけは、決して、自分を裏切らない。

その事を、存在として証明してくれた音なのだ。
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