※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません

現在、Ren が病気療養中のため、Musu Boreとしての活動は一定ではございません。

活動をご支援下さってる皆様には、誠に申し訳ございませんが、
公式 Musu Bore サイトの音源情報、及び、ライブ情報活動を ご参照頂ければ幸いに存じます。



  御観覧希望の方、お問い合わせにつきましては、
  Musu Bore ライブを見たい場合のお問い合わせ方法 を ご参照ください。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016-06-21 21:48:42

ロックに求められてるのは「反体制」ではなくて「超体制」である。

テーマ:徒然なるままに
まあ、それは、
ラッセル=アインシュタイン宣言で言ってたような内容というか、
人間性に立脚する話なんだよね。

その立場から見えた、人間社会に時折起こる矛盾を深く考察して、
どうメッセージに変えて行くかってことなんだと思う。

そして、それは、どこか特定の勢力に加担するってことではないと思う。
その人たちからも、一定の距離を置いてないといけないってことなんだと考えている。
あくまでも、最後の最後まで、一人のミュージシャンとして、
一人の人間として、そうしたことを言ってたと思うんだよね。

例えば、キリスト教徒とイスラム教徒の対決について、
The The や David Bowieが書いていたのは
「平和を希求するはずの宗教」が「理念の対決」によって戦争に陥っていく
そんな「矛盾」を歌ってたはずなんだよ。

下手すれば「両方の原理主義者」を敵に回しかねないことを平気で言ってるのだ。

それぞれの神が「敵を殺せ」だの命ずるわけではなくて、
それぞれが、神の御名を語り、その正義を実現すると勝手に言いあってるだけで、
いわば「自分に都合の良い正義の題目」をでっち上げてるようなもので、
その身勝手な正義によって引き起こされる残虐行為への矛盾について、
「おかしいんじゃねぇの、それ」と看破してるのであって、
安易な「平和」を希求するだけの言葉よりも、
よほど賢明で説得力があると思っているのだが。

人間の理性を思い出せって事。

それらが、ある特定の勢力に加担する段階で、
それは「音楽の政治利用」になってしまうと考えている。
あるいは「政治の音楽利用」という話だ。

そして、それらの社会矛盾を解決することを
ミュージシャンが求められるべきでもないし、
また、それを期待して求めるべきでもないと思う。

心あるミュージシャンならば、
特定勢力の一方的な代弁をすることはないはずだ。

仮に、ミュージシャンが「○○党に入れよう!」とか、
露骨な形で扇動してしまうことは、
ある意味「新興宗教の教祖様」の背景にある
「票田」を期待してるのと何が違うのだ。

結局、それは自分の意見の表明に見えて
「ポジショントーク」に陥ってるだけなんだもの。

仮にミュージシャンが政治や経済を語る時、
それはミュージシャンとしての「無頼」や「無縁」に基づく、
一人の人間に戻った発言であってほしいとは思う。

ロックなんて、昔から、ずっと、そういうものでしかなかったと思うけどね。

特定勢力の肩入れをすることは無かったからこそ、
両方に遠慮しない言い方ができるってことなんだし。

そういう意味では、お客さんの顔色すら
いちいち気にしちゃいないってことだったりする訳でね。

だから「お金にも頭は下げません」ってことでもあるし
「レコード会社の社長」だろうが「政治家」だろうが
「一人の人間」としては相対するけど、
お前らの利害関係は一切代弁しないぞ、ってことなんだもん。

あくまで、俺は変だと思った事を言ってるってだけだって、
それだけでしかない。

多分、政治とかのキーワードは入っていても、
政治の事以前の部分しか問題にしちゃいないってことなのが、
分かってないのかもなぁという気がする。

反抗ってのは「全てに向けての冷静な批評精神」だってことであって、
自分の派閥づくりを最初から目的にしてる訳じゃない。

それ以前に、自分たちが民主主義国家の一員として、
誰もが政治を担う責任と義務を、既に与えられてる訳で、
一人のカリスマやロックの波及力や影響力に頼って、
集団を操らなきゃならないとしたら、
それはもはや「近代国家の死」だろ、と思う。

大名統治や、シャーマニズムの原始時代に話が戻ってしまうよな。

そもそも「ロック」ってなんなのって事考えれば。
反抗してる人間が増えたら、それに反抗するのもロックだったりして。

ディストーション踏む連中ばかりの中、敢えてディストーション踏まないのが、
真のロックってのに気づかない人は、困るという事です。

"We appeal as human beings to human beings:
Remember your humanity, and forget the rest."

私たちは、人類として、人類に向かって訴える
あなたがたの人間性を思い出せ。そして、それ以外の事は忘れろ。

それは、( Left / Neutral / Right ) なんてカッコの中の話じゃない。

その争いに加担しても真の解決にはならない。
あくまでカッコの外にいて、諍いや争いを誘引する人間の盲目や、
社会の矛盾をきたしている構図の中心核を崩していく。

それが「超体制」の役目だと思う。

カッコの外から
「君の人間性を思い出せ。金だの正義だの、
いちいち、くだらねぇ話で、みっともねぇ喧嘩ばっかしてんじゃねぇぞ。」って、
冷静に言い続ける事なのだと思うんだよな。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-06-02 10:29:02

死と再生の物語 - 新宿URGA閉店に寄せて

テーマ:徒然なるままに
歌詞が、単語レベルにまで戻って行った時。
それを一つの作品や意味として繋いでいたのは、 そこに存在していた想いであり、
その想いを元に生じた、ある思考の連鎖だったことに気づく。

単語レベルに戻れば、それは、誰もが、ありきたりに普段使う言葉に戻ってしまう。
それを「真似のできない作品」にしているのは、
その人独特の思考や、語り口調、或いは目の付け所といった、
個人の中にある独特なものが、「それを特別なモノ」たらしめていたんだよね。



単語を越え、文字まで行けば、
それは、もはや、何だったのか分からないほど解体される。

曲も、小節や、フレーズレベルに解体され、
一つの音レベルまで解体された時。
全ては、個性などといったものすら、
そこに存在したとは思えないほど、跡形もなくなってしまうが。

一度、作品となって、地上に降り立ったものは、
既に、どこかの誰かに、何かの想いとなって、伝達されていった訳で
もし、そこに、一つの「消滅」や「終局」があったとしても
かつて、そこにあった想いは消えはしない。

誰かの中に記憶が続く限り、
表面の形を変えても、「本質」は継承されていく。

その、誰かに継承された本質は、
ある時、原形をとどめなくなっていたところから、
ふと、何かを思い出したかのように、
再び、かつてと似たような形を取って、地上に再生されることがある。

そして、その不思議な再生は、
さまざまな局面でしばしば起こる現象だ。

歴史は繰り返す、とか、転生するという事の本質は、そこにある。

人間は、種として「文化」という、
個人の脳みその中の記憶とは別の「集団的な記憶」を持っている。

ある意味、その集団的な記憶は、「アカシック・レコード」として、
人類が経験として得た、ある種の感情、物事に対処するための叡智を、
その文化の中に、様々な形で内包し、時代の中に織り込んでいく。

だから、本質は、たった一人が、
それを継承するだけでもかまわないのだ。

下手すれば、その本質は、誰かが継承し続け、
ある時、突如、歴史の表舞台に登場していく事もある。

私は、自分の前世などという与太話を信じる気はないが、
そうした「感情や本質のリロード」は信じている。

人間という生物、そのものの人生は短い。
せいぜい100年っていうスパンでしか生きられないので、
ある段階を迎えれば、その生を終えるだけだが、
様々な形で、その想いは「集団的な記憶」の中に記録され、残されていく。

小さいところでは、家族の中の独特の味付けだったり、
大きくは、書物、写真、音楽といった形で。
その中の本質は、
いずれ、どこかで別な形で、別な時代に、リロードされていく。

だから、想いを紡ぐのだ。

それは、今の自分を救う金にならないかもしれない。
自分も無名のままで生を終えるかもしれない。
ただ、別に、そんなのに関係はないのですよ。

未来のどこかで、その本質がリロードされ、
それが、その時に生きていた人のヒントの一つになるだろう。

競馬のインブリードという言葉がある。
要は、3代前と4代前に、同じ先祖がいる時に、
その子は、その祖先の形質を強く受け継ぐのだそうだ。

バンドも不思議な事だが、3代前と4代前に「同じバンド」から影響を受けていると
本人たちが、そのバンドの事を大して知ってる訳でもないのに、
その祖先の音と、時折、非常に良く似た音になっていることに気づくだろう。

それは、人間が綺麗だと思った所の落とし所が似ているとか、
特徴的なものが、不思議と旨くブレンドされた奇跡、みたいなもののように思う。

京都って、東京のシーンと違う、不思議な音が残ってたりする。
私は、それを見て、ああ、こういうことなんだねと思った。
昔から、東京のやかましいだけのシーンと違う、
独特の「継承」が為されてきた地域ってのは、こういう音になるのかと。

だから、自分が無名のまま成した行為だろうと、
何一つ、無駄ではないんだよ。
君を見ていた人が、君を真似、
自分の知らない所で君の思いを継承しているかもしれないのだ。

この地上に、無駄なものなど、何一つ存在してはいない。

必ず、全てが、そんな風に再生の時を得る。
たまたま、それが今でないからと言って、何も嘆く必要はない。

現世の「あの場所」は役割を終えたが、
再生の時を待っている段階に入っているとも言える。

これほどの人が愛してくれた場所だもの。
暫く地上に留まるよ。

その面影を忘れない限り。

その想いも夢も、暫くの間、地上に留まるだろう。
あそこに関わった人たちの全ての中に記録され、
それを見た人たちが、それを継承する限り。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-05-15 02:39:42

告知: Emotional Infectious Scene.09 - 2016/05/28

テーマ:ライブ告知
Musu Bore + URGA 最後の組み合わせ。
見ておいていただきたい。敢えて、それしか言いません。



Saravah!URGA - Emotional Infectious Scene.09 At Shinjuku URGA

・日時:2016年5月28日(土)18:00 / 18:30
・会場:新宿ウルガ
    住所:東京都新宿区歌舞伎町2丁目42-16
    電話:03-5287-3390
・料金:2.500yen / 3000yen(税込/ドリンク代別)

・出演:Musu Bore
    Sredni Vashtar
    japanese Babies
    DESTRUCT SYSTEM
    DJ.NEU! (NEUROTIC DOLL/Labyrinth Records/ex.Shinjuku URGA店長)

・発券:店頭 / 各バンド受付 / e+ 専用ページ

 Musu Boreは こちら からご予約ください。

・オフィシャルページ:https://www.facebook.com/SaravahURGA
(こちらからのメッセージでも予約受付ます)
・制作:ウルガ/bOOsterstOre



かつてのMusu Boreがどうだったか、なぜ今のMusu Boreがあるのか。
全ての歴史を知る場所で、最後の演奏になるのだから。

ここが無くなったら、
Musu Boreの歴史を知る場所は、あとは京都の夜想だけになる。

そのくらいに、大切な場所だったからこそ、
この最後のライブを見逃したことを、後悔するくらいのものにしたいよね。
今のMusu Boreが生まれた場所ですから。

本当は、URGAの終焉と共に、もうMusu Bore解体してもいいな、とか、
俺自身もう人前で演奏しなくてもいいかな、くらいの事は、
一瞬、頭をよぎったんだよ。正味の話。

でも、ま、今のメンバー・スタッフは、
この時代を知ってるからこそ、今を共にできてる訳で。

そのメンバーとスタッフのいる場所が、URGAを継承してるとすれば、
そのメンバーと最後のステージに臨むこと、続けていくことが、
「あの場所」を思い出すよすがになると思うんだよね。

さあ、最後の瞬間を焼きつけといてくださいませ。
ああ、これが、あの頃のMusu Boreだったよな、ってことを思い出せる
最後の日ですから。

他の場所で共演した方々も、見た方々も、
URGAでのMusu Boreを見ておいて頂かなければ、
何故これがこうなのか、語るにはいささか足りないかも。

皆様のお越しをお待ちしております。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。