木曜日に入院したわけですが、目的は金曜に手術をするから。

坂口憲二が手の甲を見せながらす術室に入ってくるアレです(医龍熱再燃)。

 

手術当日、目が覚めたのは朝の5:30。

緊張していたからではなく、消灯が21時だったから。そりゃ目覚めますわよ。わたしでも。

はぁ〜、喉かわくー、お腹減るー。なんでこんな早く起きちまったんだー。

目覚めたからもう終わり。あんなに二度寝がしたい二度寝がしたいと文句たれながら毎朝起きているにもかかわらず、いくらでも寝ていいといわれたら目がさめるこの体を恨みます、呪います。

 

そうだ、昨日看護師さんがかわいい顔をしていっていたんだ、本日、絶食絶飲なのでございましょう?

よし! 切ってくれ。スパッとやってくれ。もう今すぐやってくれ。

とはいかないらしい。患者には順番というものがあって、わたしの順番が回ってくるのは夕方とのこと。

ってことは......

夕方まで絶食絶飲、いや、それから手術して、麻酔が切れて、それが遅かったら夕ご飯もなしとか? ちーん(うちは仏教じゃなかったけど、おりんが鳴った)。

朝5:30から、空腹との戦いが始まったのだ。わたしが戦ったのは、手術に対する恐怖ではなく、空腹と喉の渇きというツワモノ。

 

11時くらいに、左腕に、軍団の中で一番若い女医さんにずぶっと点滴を入れられて、これが水分と栄養ってわけね。

こちとら口から入れるものしか、栄養とみなしません! と心の中で抵抗しても、完全なる無駄な抵抗。

「手術まで、ゆっくりしていてくださいね」と、今日の担当は少しベテランの看護師さん、頼もしい。

 

サイン本だからお守りの、角幡さんの「探検家、40歳の事情」を読んでもどうも気が散り、冲方丁「はなとゆめ」を読んでも、どうも宮中だの公卿だのに馴染めない。こっちは苦行が待っているというのに。

知らず知らず緊張していたようです、わたくし。

周りのベッドに、朝ごはんが運ばれ、昼ごはんが運ばれ、お腹が鳴り、ふて寝。

トイレに行くのも、点滴の棒をガラガラ引きずって、つっぱっては、針を刺した皮膚が、ひーといい、ふて寝。

 

 

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先週の「逃げるは恥だが役に立つ」を見て、「地味にスゴイ、校閲ガール 河野悦子」を見ては、ふて寝。

本にも動画にもふて寝にも飽きて、お腹の方も、どうせ鳴ってもどうにもならないとわかったらしい頃、看護師さん♡

 

「15:50に手術室の予約入りましたので、それまでに準備してください」と言われた15:35。はははははははいっ! キター!

っていうかあと15分だ、はぁはぁ。いきなり息が上がる。手術を告げられてから1ヶ月、のほほんとしてきたけれど、ここで初めて緊張。

これが金曜ドラマなら、この瞬間最高視聴率をはじきだしただろう。現に、この時測られたわたしの血圧が、自己最高の、上130にまで跳ね上がり。ぐはぁ、低血圧なわたしが......

「まず男性ストッキング履いてください」

・・・・・・。男のすね毛が渦を巻いたストッキング姿を連想。あまりの緊張に「弾性ストッキング」も、そう聞こえ。

手術後血栓ができないよう、メディキュットのような医療用ストッキングを履くのだ。

これがきつくて、左手のテッン的の針が飛んでいってしまいそうになり。

「あ、点滴はずしましょうね」って、看護師さん、先にいってほしかったです。

 

この焦りのタイミングで駆けつけた妹に手を振って、看護師さんと一緒に手術室へ。

歩いて。そう、歩いて入るのです。ガラガラ運ばれるのは、緊急の人だけですよ。

 

手術室のドア(ドアの上に「手術中」のランプがあるあのドアですよ)を開けると、オペ看さんに迎えられ。水川あさみではなく、以前お世話になった編集部のOさんそっくりな看護師さんで、和む。

医龍マニアとしては、気になる手術室。「何部屋あるのですか?」と聞くと「13あります」とオペ看さん。さすがにすごい。地味ではなくすごい。ここは救急指定病院でひっきりなしに救急車が到着している。さすがにこれくらい手術室が必要なのだろう。

わたしが案内されたのは、くねくね歩いて一番奥の部屋。

 

ウィーン。

ドアが開くと、あの光景。

医龍のあの光景。ベッド、でかいライト、いろんな機会。そして、手術着の先生たち。

先生たちが、にこにこ迎えてくれて、泣きそうになった。

怖いのではなくて、わたしのカラダではなく、わたしという精神をともなう人間の体にメスを入れる準備が整っているとわかったから。

 

えい、ままよ。

ここからは、流れで。おそらく血圧も100までは急降下したことと思う。

さぁ、やりたまえ! 

まずは背中を丸めて、背中に麻酔。わたしは下半身麻酔なのです。

「もっと、もっと丸めて、丸めて〜」と星野先生。

オッケー。丸められるだけ丸めるよ、わたしはダンゴムシ。

腰の真ん中くらいに、チクリと針が刺され、じゅわーっと暖かさが下半身に広がっていく。麻酔って怖いと思っていたけれど、開放感を与えられるものかもしれない。もうまな板の鯉。鯉こくにでも、鯉のあらいにでもしてくれぃ。

 

感覚が全くなくなった下半身。足を持ち上げられ、何やら始まる気配。

上半身は、パッキリ覚醒しているわたしに、これから何をするのは、いま何をしているのか、これから何をするのか、編集部のOさんが全部教えてくれた。

 

不謹慎といわれるかもしれないけれど、手術中、わたしは感激していた。

 

ボサノバのような癒される音楽がかかり。

「よーし、やるよーっ!」と拳を上げて(←ここは盛っています)星野先生が気合を入れる。

それから、これからほにゃらら手術を開始する、執刀誰、助手誰、器械だし誰、外回り誰、って声を出しているのが、医龍のチームドラゴンと同じ。

生で聴いているわたし。と、なぜか高揚してきた。

スタートしてから、終わりましたと告げられるまで、わずか30分ほど。先生たちの声に耳を傾けていたら、あっという間だった。

 

不謹慎といわれるかもしれないけれど、手術中、先生たちが楽しそうだった。

 

ナイスチームワークというか。とても仲がいい。

だから全面的に信頼して、動かない下半身を預けることができた。

こうして、わたしは横たわってされるがままだったのだけれど、星野先生に「ご苦労さん! 」っていわれた。

何度「ありがとうございます」といっただろうか。上半身覚醒しているからこそいえることで。わたしのような部分麻酔の患者にしかできないことなのだけれど。

 

病棟の看護師さんが迎えに来てくれて、ベッドごと自分の部屋に運ばれた。

執刀してくれた先生(星野先生の弟子みたいな人、手術中執刀医に星野先生がいろいろ指導していたから、わたしは試験台だったのかもしれない、いいよいいよ、そんなの全然いいよ)に、切り取ったものを見せられて、丁寧な説明を受けた。

 

麻酔が切れるまで、ベッドに寝るだけ。

はぁ、お腹すいた〜。もうそればかり。「何か質問はありますか?」と聞かれ、思わず「ご飯は食べられますか?」と、、、。食いしん坊万歳!

下半身の麻酔が切れるまで食べられないが、2時間もすれば切れるだろう。夕食は7時くらいまで置いてあるから、と先生。

ただいま5:15、おーーーーい! 急いで切れろ、わたしの麻酔。

 

動かない足をむずむずしてみたり。かろうじて動く腰をゆらゆらしてみたり、動きすぎて、また点滴の針が、ひーってなったりして、それでも夕食への執着は続く。

廊下に出ていた妹が、「外で、黒川さんの夕食、夕食、って先生と看護師さんたちが話してたよ」と......。手術直後に、他の心配あるだろうに、全く、わたしって、、。恥ずかしい。

 

むずむず動いたことが奏功したのか、19時には麻酔がほぼ切れた。

看護師さんが夕食を運んで来てくれたときは、完全に欠食児童丸出しだった。25時間ぶりの食事と水のうまさったら、筆舌に尽くしがたい。

米一粒一粒が、もう、有難い! 昨日は「ふりかけがないと食べられないぜ、どんぶり飯」なんていっていたのにペロリと。200gの白米を完食。

ご飯が食べられるって、何より。健康のありがたみが、もりもり湧き出てきて、涙が出そうだった。

 

 

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術後は特に痛みもなく、あれだけ昼間ふて寝しまくったのに、ちゃんと眠くなって、21時の消灯前にすでに昼寝(昼じゃないけど)。

目が覚めるととんでもない汗をかいていて、看護師さんが、あたたかいおしぼりで体を拭いてくれた。なんということでしょう!?

申し訳ないような、でも心からうれしかった。白衣の天使です。天使の中の天使です。

 

点滴で水分を入れられ続けているので、夜中に何度か看護師さんが点滴の交換にきてくれた。そしてトイレに行くのも、点滴の棒をガラガラ引きずって、つっぱっては、針を刺した皮膚が、ひーといい、眠り、ひーといい、眠り。手術の金曜日は幕を閉じたのだ。

 

ご苦労さん。

 

思い起こせば、この1日を表すのは、この一言だった。

ご苦労さん。

 

いろいろ振り返って、いろいろ考えたのは、退院となる翌日から。この日は生まれて初めての体験に、心をつっぱらせて、点滴の針をさした皮膚をひっぱらせて、過ごした1日だった。

 

明日は、退院。