ロアルド・ダールが好きです

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小説は99%日本の作家のものを読みます。

日本の文学が纏う、もんやり感が好きだから。

日本語独特の行間を読め! 読むんだジョー! 的なところが馴染むんですよねぇ、しっくり。

 

しかしこと児童文学においては、海外物も好みます。

とくに、ロアルド・ダール。

 

毎週聴いている東京FMの「メロディアスライブラリー」。作家の小川洋子さんが毎週1冊本を紹介するラジオ番組がありまして、今日は、ロアルド・ダールのFantastick Mr. Foxでした。

これ、極めて好きなんです。

ラジオでも言っていましたが、家族のあり方、あるべく姿を、きつねに教えられる、そんなストーリー仕立てになっています。

お母さんきつねがお父さんきつねを褒めるんですよね、子どもたちの前で。そうなれば子どもたちは自然にお父さんを尊敬しますよね。

 

「お父さんのパンツとあたしの服は一緒に洗わないでよね!」

「うるさい! くさいんだよ、オヤジ!」

ってなるのは、家庭での母親の旦那に対する振る舞いにあるような気がします。

あ、結婚していないし、子どもいないけど。

わたしは、異常なほど父親が好きです。方言のきっつい田舎のじっさまだけど、いまでもかっこいいと思っています。

それはたぶん、母が何十年も「お父さんはいい男だ」「お父さんはやさしい」「お父さんみたいな人はいない」と褒めちぎってきたから。

わたしの思考に染み込んでいるんですね、うちの父親はいい男だ、と(笑)。洗脳じゃないか!

 

Fantastick Mr. Foxはいい物語です。

 

さて、ロアルド・ダールとわたしの出会いですが。

ニュージーランドにボランティアに行っていたときのことでした。

ろくに英語が話せないのに、小学校で子どもたちに日本語や日本文化を教えるというプログラムで9ヶ月教壇に立たせてもらいました。

本当に、ひどかった!

わたしの英語。

相手が子どもなのをいいことに、単語だけの会話とThis is a pen、そして猛烈ジェスチャー、得意技になってしまったボディランゲージ。

 

これではいかん! と、校長先生に相談したところ、子どもの本を読みなさいと。

そこで読みまくったのがロアルド・ダールなのでした。

小学校高学年でも、ニュージーランドでは先生が子どもたちに読み聞かせをします。

ちょうどわたしが赴任したときは、Charlie and the Chocolate Factoryを読み聞かせていました。子どもたちがゲラゲラ笑ったのも、意味がわからなかったくらいやばかった、英語。

 

 

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ハマりました。

面白くて。

児童文学の英語と、ついでに、児童文学の世界観が、わたしの精神年齢にど真ん中。

何冊か読むうちに、英語に対する抵抗感も去っていったような気がします。

ロアルド・ダールは、英語アレルギーを緩和させてくれた恩人でもあります。

 

帰国後、大学受験のとき以来の猛勉強をしました。

英語の。

留学経験がないわたしが今仕事で英語をつかっていると「どこで英語を習ったの? 」とよく質問されます。決まって答えるのが「独学です」。

話せるようになるまでに、たくさんの時間とお金を費やしました。

つまづいたときは、いつも、子どもたちがCharlie and the Chocolate Factoryで笑っているときに、ぽっかーんとしている自分を思い出し、やる気を出したりして(笑)。

 

ロアルド・ダールのおかげで英語が好きになって、英語のおかげでわたしの世界が広がりました。

今年で生誕100年。

すばらしい作家に、乾杯(書いているの朝です)。

 

そうだ、宮崎駿もロアルド・ダールのファンだそうです。

「紅の豚」とか「風立ちぬ」にオマージュを盛り込んでいるらしいですよ!

Fantastick Mr. Dahl!!!

 

 

 

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脳神経のどこかがすっ転んでいるので、いつもおちゃらけているわたしですが

真面目なことをたまには書きます。

手術するときに、説明で「これは治療であり検査でもあります」と説明があったので、終わってからもこの2週間近く、安心という文字はわたしの心にはありませんでした。

まだ、病理検査があるからなぁ、と。

この前の木曜、退院してから最初の診察でした。先生軍団に久しぶりに会って。

診察室入ったら「お久しぶりです!」といわれ、たった3日しかいなかった人間にもていねいで、相変わらずの素敵チーム(医龍の影響抜けてません)。

術後に、結果出るのに3週間といわれていましたが、この日、「病理の結果でました」というじゃありませんか! でも2週間で肝が座っていたので、白でも黒でも、しっかり聞こうと思っていたので大丈夫。

 

結論からいうと、わたしは白でした。

 

わたしが患ったのは、女性特有の病気で子宮頸部高度異形成というもの。

子宮頸がんの90%以上は高度異形成を経ているというデータもあって、このまま知らずにいたらわたしも子宮頸がんになっていたかもしれません。

 

この病気は、痛くもかゆくも、体の変化も何もなく、一見健康体そのものなのです。

だから、病気になっていることに気づくには、子宮頸がん検査しかないということに。

年に1度は必ず検査しているわたしは、2016年1月の会社の健康診断では、子宮頸がん検査に異常なし! よっしゃ。

そして、たまったま、本当にたまったま5月に、たまに行くクリニックでひげの先生に「検査してみたら? 」といわれて、保険きくからまいっか、と軽い気持ちで受けた検査で、ひっかかり。しぇー。

あれー? っとなって再検査。そしたら、1回目の検査より悪い結果。ひげの先生も「この前より悪くなっちゃった」というし。医者が悪いという言葉を使うのもびっくりしましたけど、正直にありがとうです。

次の段階として8月にコルポ診という強そうな名前のちょっと痛い精密検査を受けたところ、中度か高度の異形成と判明し「手術したほうがいいかもしれないから設備の整った大きい病院紹介しますね」という結果に。

 

健康診断を信用しているわけではありませんが。ただ、検査には偶然悪くない細胞を取ったかもしれないということも考えられます。それか、そこから4ヶ月で急に細胞に異変が現れ進んでいった可能性もあります。

気持ち的に焦って、この時代、なんでもわかってしまうインターネットで調べたところ、わたしと同じ結果でも、経過観察として数ヶ月様子を見続ける病院も多いとか。

それでもわたしは、でかい病院に送り込まれたのだから、すっごく悪いんだろうか、、、と心配をしました。

 

それから、9月に例の巨大ロボット兵の病院で、星野源みたいな主治医の先生に会ってすぐに、「手術いつにします?」状態だし。経過観察などという状況がないまま10月に手術に至ったわけです。

 

結果的に、このトントン拍子に、大げさにいえば、がんから救われたのかもしれません。

観察している間にがんになって、子宮を全摘出したという人の話も聞きました。

わたしの場合は、検査してみる? という提案をくれたひげの先生と(あと、1月に受けて異常なかったんですけどねぇといわなかったほめたい自分と)、初診でスケジュール表開いてすぐに手術を入れてくれた星野先生のおかげで、がんになる前に悪いところをわたしの体と切り離していただけたことが、強運だったと思っています。

 

ちなみに高度異形成は、精密検査をすると上皮内がんという子宮頸がんの0期や1期を含んでいたという結果が出ることが珍しくないそうです。

もしかしたら、次の健康診断(2017年1月予定)まで待っていたら、そのような結果になっていたかもしれません。

星野先生には「黒川さんの場合は、ギリギリのところでしたね」といわれただ、そういえば。

 

精密検査の結果が白だったということで、ひげの先生のクリニックがfollow up先となり、わたしは巨大ロボット兵病院から、お払い箱になりました。

診察室に入る前に、用意周到な星野先生は、ひげ用にレターを書いて用意してあるにもかかわらず、「今後どうします? この病院続けます? 前の先生のところに戻ります? 」って聞くし、意地悪。

先生軍団とはお別れです。軍団好きだったから、ちょっと寂しい気持ちになってしまいました。

でも、ここに戻ってくるのはよくないときだから、本当に決別しないといけないですね。

 

なぜ、恥を惜しんで、病名まで書いてブログにしたためたのかというと、ラジオやらなにやらで「子宮頸がんの検査を受けましょう」運動がありますが、あれは、本当だ! と身をもって体験したからです。

子宮頸がんの場合、症状が出てしまったら、もうだいぶ進行している状況だといいます。亡くなってしまう方の場合、検査を受けずにほとんどがそのケースとのこと。

なーんにもなくて、スキップして、るんるんるん、ほーら、わたし健康そのものよん♪ なんて人が検査を受けて、予備軍であることがわかるというものです。

がんにもいろいろあって、女性特有のものも多々ありますが、「検査」することが「予防」になり、「がんになる前になりそうなのがわかる」という特徴があるのが、子宮頸がんだと思います。

 

わたしは、子宮頸がん予防啓発をしていこう、と決めました。

女性のみなさん、検査は、すごいですよ。わたしのように悪い結果が出たら、治るために早くわかってラッキー、だし。なにもなかったら、それも安心この上ないし。

マイナスなことはひとつもないと思います。

 

検査信者になってしまってる黒川豆でした。

肩の荷が下りたのだからいたしかたなし。

 

 

 

 

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図説が止まらない

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入院したとき、空腹や邪念や点滴で邪魔されて読むのを中断していた、冲方丁「はなとゆめ」の続きをはじめた。

中断中に、松浦弥太郎「いつもていねいに。」でゆるぎないていねいへの決断をし、小川糸「にじいろガーデン」で自分たちで作る家族のあたたかさにじんわりしたりして、相当な中断だったのだけれど。

 

「はなとゆめ」は歴史小説で、舞台は平安時代、ときの関白は藤原道隆。一条天皇の中宮定子、それに使えた清少納言が語っている物語。

清少納言といえば、春はあけぼのだけども、何より、この時代の家系のこんがらがりお半端ない。

叔父だの甥だの、娘だの、息子の嫁だの、年の離れた兄弟だの、年が逆転している叔母だの、わけがわからん。

 

ということで、てってれー。

にほんししりょうしゅうー。

 

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こういうときは、これが無敵。

この家系図と適切な時代背景説明と年表。

 

 

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おかげで登場人物のつながりがはっきりするってもんだ。

 

と、読み進めると、和歌、和歌、和歌、ときどき漢詩、そして、和歌。

 

おーい、国語の資料集も、もってこーい。

 

一生勉強。

黒川豆

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久々の10のものシリーズ。いつから書き始めたか忘れちゃったけど、やっと8まで来ました。

このテーマで書くよー、と気合入れてからの脇道の逸れ方半端なかった、ぐほほ。

 

わたしには、宝物の寄せ書きがあります。

大学を卒業して最初に勤めた会社を退職するときに、企画部のメンバー全員(+声のでかい本部長)が書いてくださったもの。

そこは化粧品のメーカーで、わたしは商品企画のチームにいました。

今から考えれば、たった3年の勤務でした。

たかが3年、されど3年。

寄せ書きが宝物なのはそうなのだけど、本当はこの3年が宝物なんだと思います。

 

その会社を辞めてから、ニュージーランドにボランティアに行って、帰国してから、特許事務所に勤めて、編集の学校行ってライターになって、フリーランスで働いて、ブラック企業の編集部で働いて、2年半派遣やって、そしてたどり着いた現在のNGOの仕事。

ハタから見れば転職まみれのわたしの社会人生なのですが、自分の中ではただの一本の道。

それがまっすぐでなかっただけで、くねくねしたり、トンネルだったり、壊れそうな橋を渡ったり、工事中で足止め食らったり、藪の中だったり、のぼったりくだったり。

でも、ただの一本でした。

 

あの3年は、思い出すと、胸がじんわり暖かくなり、企画部のメンバーの顔が全部思い浮かびます、それも明るい漫画のように。

ドラマでもドキュメンタリーでもなく、漫画。

 

その漫画の登場人物がちが、色紙(しきし)にびっしりメッセージを書いてくれている寄せ書きを、ときどき読みます。

その頻度は、この10年で50回くらい。

 

半分くらいの先輩たちの、書いてくれたときの年齢を追い越した今、その先に、いろいろな人生が待ち受けていることを知っていて、送り出してくれたような、そんなメッセージに見えます。

この宝物は、いつ読んでも、わたしを勇気付けてくれるし、なんらかの迷いが生じたとき、これを読むと解決してしまう魔法が詰まっています。

 

たかが3年、されど3年。

あの3年は無駄がなく、向上心もあり、笑いがたっぷり詰まっていて、毎日廊下をスキップしていたようなそんな日々でした。

仕事はそれなりに厳しく、会議室で涙してしまったこともありますが、そのあと円陣を組むように集まって激励してくれた先輩たちの顔は今でも覚えています。

漫画化されていますが。

 

会社にいることが楽しくてしょうがなかった。

その分、次の夢にチャレンジしようと思ったのかもしれません、安心しきっていたから。

将来の不安とか、そんなこと考える余裕がないくらい、みんなで応援をしてくれました。

漫画化されていますが。

 

大人になってどこかに起き忘れてしまったり、自分で捨ててしまったことが、このときのわたしには、まだちゃんとありました。

そのことを思い出させてくれるのも、この寄せ書きです。

 

ひとつひとつは、吹き出してしまう言葉ばかりですが、みんなの文章は、ライターを名乗っているわたしより、断然面白い、秀逸なものばかり。

奇跡のように、すごい才能のメンバーが集まっていたのではないかと、思ったりしています。

 

転職したメンバーも多くバラバラになってしまいましたが、また、あの漫画のようなメンバーに会いたくてしょうがなくなっています。

 

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あのころは言葉で、いまは文章で人にいろんなことを与えてくれるみんなに、愛を込めて。

 

 

 

 

前略、退院してきました

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木曜の入院金曜の手術、そして土曜に退院。

これまでの面白おかしい人生の中でも内容の濃い、濃密な3日間でした。

土曜は、ほぼ無事に退院できました。

 

紹介状を携えて妙に大きくて妙にきれいなラピュタのロボット兵のような病院に行った瞬間から、ベルトコンベアに乗せられるように、この状態になったわけで。

あれよあれよといわれるがままされるがままに過ごしたので、退院してから、やっと、思考回路が正常に動き出しています。

 

恐怖やら喪失感やら、そういった負の感情が湧き起ったのは、正直、その後からです。

退院した日はとにかく家でふて寝。(入院中からふて寝ばかり)

日曜日はひとりでいたくなくて、それから寒い日だったので、温かい図書館に終日逃げ込みました。

 

手術にはいろいろあると思いますが、わたしが入院していた病棟では、体内にできてしまった余計なものを取り除く手術や、正常な働きができなくなったところを正常にするために切ったり貼ったりする手術をする方々が入院していました。

わたしの場合は、自分の体の一部を切り取るという手術でした。

実際、「切り取られて、もう自分の体には属さなくなってしまったものモノ」も自分の目で確認しました。

見た瞬間は、感じなかった喪失感を、いま感じています。

死ぬまでわたしの体であっただろう、その一部が、こんな形で切り取られてしまって、ごめんなさい。

健康診断はずっとオールAだったのに、突然こんなことになってしまって、ごめんなさい、と。

 

しかし、生理食塩水に漬け込まれたそれは、わたしにいろいろなことを教えてくれました。

 

これまで考えもしなかったこと、自分にとって大事なものは何か、大事な人は誰か、本当に好きなものは何か。

ほんの一瞬でも、健康を損なうことは、誰にとってもつらいことだけど、そこを乗り越えることで得られることってたくさんあるのだと、実感しました(ありきたりな言葉しか出ませんが)。

 

だから、生理食塩水に漬け込まれたそれを、わたしは一生忘れません。

もう会えない大事な仲間として。

 

先生に切ってもらった直後のわたしの心は、多方面への感謝の気持ちで満たされて忘れていましたが、切り取られた部分は、ぽっかり空洞になっているの?

どうなるかと聞けば、、、再生するのだそうです。

人間の体ってすごすぎる。そう思ったらすごいパワーが湧いてきました。

 

だから、月曜から日常の仕事だって、へっちゃら。

(2日仕事休んだ分の仕事量は半端なかった、寒いのに汗かいた、デスクワークなのに)

 

さて、土曜日の退院は、当初の予定では、朝、診察で術後の経過を診ていただいて、問題なければ、10時に退院ということになっていました。

妹には、「まるでホテルのチェックアウトだね」といわれながら。

しかし、前日から、夜中から朝まで数回看護師さんが取り換えてくれていた点滴が、終わらないのですよ。

液体が入っていかないの。夜中も看護師さんが、何度も首を傾げたり、チューブを点検したり、そして、私の皮膚が、ひーってなるくらい引っ張られたり触られたりしたけれど、漏れてもいないし。

スローなんですね、受け入れ態勢が。何らかの液体の受け入れ態勢が。

やっぱり、口から入るもの以外栄養と認めません! 状態なのか、どうなのか。

それで、晴れての退院は、うざったいチューブと針と戦った挙句、12時半とあいなりました。

 

その日も5:30には目が覚め、朝食のおいしかったこと。何せ、味噌汁がでたのですよぉ。

具もほとんどない、薄味の味噌汁でしたけど、あ~、味噌汁。味噌汁は幸せの味だー。この先もし外国に住むことになったら(ないと思うけど)、おらぁ、そしたら、味噌を自分で仕込むどー! そこまで思考が回り。超絶味噌汁偏愛者となっておったのです。だって、夕ご飯は番茶なんだもん。

 

 

入院三部作はこれにておしまい。

 

これからは、こんなトピックのブログを書かなくていいように、日々笑い、よく食べ、よく眠り、よく働き、元気に過ごしてまいりたいと思います。

(でも、入院するとき、あ、ネタ満載と思ってしまった自分がいるのも事実です)

 

今日は、です、ます調な気分でした。

 

退院から4日後、奥の方から湧き出る愛を飲み込みながら。

黒川豆

 

 

 

 

 

 

前略、手術してきました

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木曜日に入院したわけですが、目的は金曜に手術をするから。

坂口憲二が手の甲を見せながらす術室に入ってくるアレです(医龍熱再燃)。

 

手術当日、目が覚めたのは朝の5:30。

緊張していたからではなく、消灯が21時だったから。そりゃ目覚めますわよ。わたしでも。

はぁ〜、喉かわくー、お腹減るー。なんでこんな早く起きちまったんだー。

目覚めたからもう終わり。あんなに二度寝がしたい二度寝がしたいと文句たれながら毎朝起きているにもかかわらず、いくらでも寝ていいといわれたら目がさめるこの体を恨みます、呪います。

 

そうだ、昨日看護師さんがかわいい顔をしていっていたんだ、本日、絶食絶飲なのでございましょう?

よし! 切ってくれ。スパッとやってくれ。もう今すぐやってくれ。

とはいかないらしい。患者には順番というものがあって、わたしの順番が回ってくるのは夕方とのこと。

ってことは......

夕方まで絶食絶飲、いや、それから手術して、麻酔が切れて、それが遅かったら夕ご飯もなしとか? ちーん(うちは仏教じゃなかったけど、おりんが鳴った)。

朝5:30から、空腹との戦いが始まったのだ。わたしが戦ったのは、手術に対する恐怖ではなく、空腹と喉の渇きというツワモノ。

 

11時くらいに、左腕に、軍団の中で一番若い女医さんにずぶっと点滴を入れられて、これが水分と栄養ってわけね。

こちとら口から入れるものしか、栄養とみなしません! と心の中で抵抗しても、完全なる無駄な抵抗。

「手術まで、ゆっくりしていてくださいね」と、今日の担当は少しベテランの看護師さん、頼もしい。

 

サイン本だからお守りの、角幡さんの「探検家、40歳の事情」を読んでもどうも気が散り、冲方丁「はなとゆめ」を読んでも、どうも宮中だの公卿だのに馴染めない。こっちは苦行が待っているというのに。

知らず知らず緊張していたようです、わたくし。

周りのベッドに、朝ごはんが運ばれ、昼ごはんが運ばれ、お腹が鳴り、ふて寝。

トイレに行くのも、点滴の棒をガラガラ引きずって、つっぱっては、針を刺した皮膚が、ひーといい、ふて寝。

 

 

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先週の「逃げるは恥だが役に立つ」を見て、「地味にスゴイ、校閲ガール 河野悦子」を見ては、ふて寝。

本にも動画にもふて寝にも飽きて、お腹の方も、どうせ鳴ってもどうにもならないとわかったらしい頃、看護師さん♡

 

「15:50に手術室の予約入りましたので、それまでに準備してください」と言われた15:35。はははははははいっ! キター!

っていうかあと15分だ、はぁはぁ。いきなり息が上がる。手術を告げられてから1ヶ月、のほほんとしてきたけれど、ここで初めて緊張。

これが金曜ドラマなら、この瞬間最高視聴率をはじきだしただろう。現に、この時測られたわたしの血圧が、自己最高の、上130にまで跳ね上がり。ぐはぁ、低血圧なわたしが......

「まず男性ストッキング履いてください」

・・・・・・。男のすね毛が渦を巻いたストッキング姿を連想。あまりの緊張に「弾性ストッキング」も、そう聞こえ。

手術後血栓ができないよう、メディキュットのような医療用ストッキングを履くのだ。

これがきつくて、左手のテッン的の針が飛んでいってしまいそうになり。

「あ、点滴はずしましょうね」って、看護師さん、先にいってほしかったです。

 

この焦りのタイミングで駆けつけた妹に手を振って、看護師さんと一緒に手術室へ。

歩いて。そう、歩いて入るのです。ガラガラ運ばれるのは、緊急の人だけですよ。

 

手術室のドア(ドアの上に「手術中」のランプがあるあのドアですよ)を開けると、オペ看さんに迎えられ。水川あさみではなく、以前お世話になった編集部のOさんそっくりな看護師さんで、和む。

医龍マニアとしては、気になる手術室。「何部屋あるのですか?」と聞くと「13あります」とオペ看さん。さすがにすごい。地味ではなくすごい。ここは救急指定病院でひっきりなしに救急車が到着している。さすがにこれくらい手術室が必要なのだろう。

わたしが案内されたのは、くねくね歩いて一番奥の部屋。

 

ウィーン。

ドアが開くと、あの光景。

医龍のあの光景。ベッド、でかいライト、いろんな機会。そして、手術着の先生たち。

先生たちが、にこにこ迎えてくれて、泣きそうになった。

怖いのではなくて、わたしのカラダではなく、わたしという精神をともなう人間の体にメスを入れる準備が整っているとわかったから。

 

えい、ままよ。

ここからは、流れで。おそらく血圧も100までは急降下したことと思う。

さぁ、やりたまえ!

まずは背中を丸めて、背中に麻酔。わたしは下半身麻酔なのです。

「もっと、もっと丸めて、丸めて〜」と星野先生。

オッケー。丸められるだけ丸めるよ、わたしはダンゴムシ。

腰の真ん中くらいに、チクリと針が刺され、じゅわーっと暖かさが下半身に広がっていく。麻酔って怖いと思っていたけれど、開放感を与えられるものかもしれない。もうまな板の鯉。鯉こくにでも、鯉のあらいにでもしてくれぃ。

 

感覚が全くなくなった下半身。足を持ち上げられ、何やら始まる気配。

上半身は、パッキリ覚醒しているわたしに、これから何をするのは、いま何をしているのか、これから何をするのか、編集部のOさんが全部教えてくれた。

 

不謹慎といわれるかもしれないけれど、手術中、わたしは感激していた。

 

ボサノバのような癒される音楽がかかり。

「よーし、やるよーっ!」と拳を上げて(←ここは盛っています)星野先生が気合を入れる。

それから、これからほにゃらら手術を開始する、執刀誰、助手誰、器械だし誰、外回り誰、って声を出しているのが、医龍のチームドラゴンと同じ。

生で聴いているわたし。と、なぜか高揚してきた。

スタートしてから、終わりましたと告げられるまで、わずか30分ほど。先生たちの声に耳を傾けていたら、あっという間だった。

 

不謹慎といわれるかもしれないけれど、手術中、先生たちが楽しそうだった。

 

ナイスチームワークというか。とても仲がいい。

だから全面的に信頼して、動かない下半身を預けることができた。

こうして、わたしは横たわってされるがままだったのだけれど、星野先生に「ご苦労さん! 」っていわれた。

何度「ありがとうございます」といっただろうか。上半身覚醒しているからこそいえることで。わたしのような部分麻酔の患者にしかできないことなのだけれど。

 

病棟の看護師さんが迎えに来てくれて、ベッドごと自分の部屋に運ばれた。

執刀してくれた先生(星野先生の弟子みたいな人、手術中執刀医に星野先生がいろいろ指導していたから、わたしは試験台だったのかもしれない、いいよいいよ、そんなの全然いいよ)に、切り取ったものを見せられて、丁寧な説明を受けた。

 

麻酔が切れるまで、ベッドに寝るだけ。

はぁ、お腹すいた〜。もうそればかり。「何か質問はありますか?」と聞かれ、思わず「ご飯は食べられますか?」と、、、。食いしん坊万歳!

下半身の麻酔が切れるまで食べられないが、2時間もすれば切れるだろう。夕食は7時くらいまで置いてあるから、と先生。

ただいま5:15、おーーーーい! 急いで切れろ、わたしの麻酔。

 

動かない足をむずむずしてみたり。かろうじて動く腰をゆらゆらしてみたり、動きすぎて、また点滴の針が、ひーってなったりして、それでも夕食への執着は続く。

廊下に出ていた妹が、「外で、黒川さんの夕食、夕食、って先生と看護師さんたちが話してたよ」と......。手術直後に、他の心配あるだろうに、全く、わたしって、、。恥ずかしい。

 

むずむず動いたことが奏功したのか、19時には麻酔がほぼ切れた。

看護師さんが夕食を運んで来てくれたときは、完全に欠食児童丸出しだった。25時間ぶりの食事と水のうまさったら、筆舌に尽くしがたい。

米一粒一粒が、もう、有難い! 昨日は「ふりかけがないと食べられないぜ、どんぶり飯」なんていっていたのにペロリと。200gの白米を完食。

ご飯が食べられるって、何より。健康のありがたみが、もりもり湧き出てきて、涙が出そうだった。

 

 

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術後は特に痛みもなく、あれだけ昼間ふて寝しまくったのに、ちゃんと眠くなって、21時の消灯前にすでに昼寝(昼じゃないけど)。

目が覚めるととんでもない汗をかいていて、看護師さんが、あたたかいおしぼりで体を拭いてくれた。なんということでしょう!?

申し訳ないような、でも心からうれしかった。白衣の天使です。天使の中の天使です。

 

点滴で水分を入れられ続けているので、夜中に何度か看護師さんが点滴の交換にきてくれた。そしてトイレに行くのも、点滴の棒をガラガラ引きずって、つっぱっては、針を刺した皮膚が、ひーといい、眠り、ひーといい、眠り。手術の金曜日は幕を閉じたのだ。

 

ご苦労さん。

 

思い起こせば、この1日を表すのは、この一言だった。

ご苦労さん。

 

いろいろ振り返って、いろいろ考えたのは、退院となる翌日から。この日は生まれて初めての体験に、心をつっぱらせて、点滴の針をさした皮膚をひっぱらせて、過ごした1日だった。

 

明日は、退院。

 

 

 

 

 

 

 

前略、入院してきました

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「しゅじゅつですね、いつにしますか? 」

淡々と言われたけど、特に嫌な気持ちにならなかった1月ほど前のこと。

たまたま検査したら、再検査になり、精密検査になり、紹介状を書かれ、2時間くらい待って診察していただいたら、すぐ、これ。自分はただ、医者や検査の診断というベルトコンベアにのっていただけで。

 

「shujutstu しゅじゅつ シュジュツ...... あ、手術?」

手術といったら、あなた、手袋をして手の甲を見せながら現れた坂口憲二が、メス! とかいうあれでしょ。

手術ランプが消えて、家族が駆け寄り、思わせぶりな表情の坂口憲二が「成功です!」っていうあれでしょ。

頭の中を、かつてわたしをとりこにしたフジテレビの「医龍」のテーマソングが流れまくりで。その曲を割る先生の声「今日術前検査までしちゃいます?」。

 

淡々の先生がとても素敵だったので(イケメンとかキラキラしている感じではなく、まとっている雰囲気がとても素敵、星野源的な)、一瞬で「この人に従えばいいや」と思って、過ごすこと1ヶ月。

今週木曜に無事に入院するにいたった。予定は2泊3日。手術するのにそんな短いのかい? 大丈夫なのか、自分。と、ちょっと不安になったけれど、これが今の医術の進化ってやつでしょうか。

 

やっちゃう? の術前検査で、ものすごい貧血が見つかってしまい(例のレバ刺し消滅以来のね)、週一レバニラ生活を送りながらの手術準備。

 

さてさての木曜日、入院のその日がやってきた。

ボストンバッグに着替えや、身の回りの道具を詰めて、まるで旅行にでも行くかのように、新宿区の某国立病院へ。威風堂々たる病院の構えは、人を寄せ付けない大きい建物では決してなく、ラピュタのロボット兵のようなそんなイメージ(わたしにはね)それでもまだ嫌な気持ちにはならなかった、不思議。あの先生がまとった雰囲気が病院にも漂っていたからだろうか。


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旅先のゲストハウスを訪ねるときのような気持ちで、病棟の受付へ。

背筋を伸ばした、井上真央みたいな笑わないお姉さんが、わたしのベットまでご案内くださった。先にいうけど、病院でお世話になった方は、先生軍団、看護師さんたち、売店のおばさん、同室のみなさん、みんな穏やかで和やかで、角がなくてとっつきやすいタイプの方々だったけど、井上真央だけ避雷針のようにとんがっていた。(受付のプロって感じで、好ましいのだが)。

 

手術は明日。今日は何をするかは、家族を交えての手術の説明と、ちょっと診察、あとはのんびり。で、いいらしい。

はい、出た家族問題。しゅじゅついつにしますかのときに、誰かいるかと聞かれて、5秒つまり、「妹でもいいですか? 」と聞くと「どなたでも、いなければひとりでもいいんですけどね」ってことだったので、この度は妹にお世話になりました。病気になったときの家族問題は独身問題。いつも痛くもかゆくもない(ちょっとかゆいかも)傷ですが、手術の前に、サクッとメスを入れられた気分。あ、痛っ!

この後数日、婚活サイトを開いたり閉じたりしたのは、事実です。

 

呼びに来てくれた妙に目がぱっちりでかわいい看護師さんと、夕方来てくれた妹と一緒に面談室に促されると、先生軍団!

この病院は、医龍の明真大学病院(架空です)より規模が大きく、指針としてチーム医療と書いてありましたが、まさに軍団だった。確かにわたしのベットの枕元には、主治医星野、担当医、あれ、これ、それ、どれ、こいつ、そいつと5人もDrの名前。多すぎてフォント乱れ。

星野源先生以下、5人の若人先生たち。それがびっくりするくらい、美男美女。君たち、このまま医療ドラマの撮影現場に行きたまえ、オーディションなしで即採用だ。この美男美女が、星野(勝手に命名、素敵なお名前なんだけど、本当は)のチームドラゴンだな! また頭の中に医龍のテーマソング。

あとで軍団のfull nameを拝見すると、美男美女たちの名前が、ヨシオとかサチコとかではなく、キラキラした漢字名なので、推定20代(ひとり30代かも)の精鋭ぞろい。

 

わたしが半分白目で医龍に浸っていた頃、妹は、先生の手描きイラストをみながら真剣に話を聞いていた。偉いな、妹よ! あとでほめると「わたしが将来なるかもしれない病気だからさー、シミュレーションしてたんだー」と。さすが肉親。この人を連れてきて正解。うちの両親(とくに母)は異常な心配性なので、打ち明けていません、まだ。ブログを読んだらわかってくれるかね(笑)

 

ところで、手術前日の入院は、のんびりしよう! こんな時間はこれまであまりなかったのだから、とベッドにでーんと寝転がってみても、「検温です」「採血します」「血圧測ります」「食事です」「シャワーどうぞ」「先生の回診です」「この時間から交代します看護師のほにゃららです」とナースコールなどせずとも看護師さんがいらっしゃって、持参した冲方丁「花とゆめ」は50ページも進まず状態。

そんな中、幼馴染のTがお見舞いに来てくれた。田中角栄の格言本持参で。ベット周りのカーテンを閉めて、こそこそと馬鹿話、和んだー。ありがとうT! あなたはエロだけど本当にやさしい女性です。

 

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「固形物は21時まで、水分は0時まで、あとは飲食禁止です」のあと、21時に消灯。

は、早い。こんな時間に寝たことがない。そうだ、動画を見よう、Tverを見よう、とiPhoneを手にして、すぐに寝落ち。

 

入院当日はこんな風に、のんびりをエンジョイすることもなく、すぐに幕を閉じたのでした。さぁ、明日は、手術!

 

じつは当日手術よりつらいことがあったのだけれど、それはまた別のお話しで。


<おまけ>

採血で、貧血がイキナリ治っていたことが判明。うはー! 神様仏様レバニラ様! 週一レバニラ続行決定。

 

 

ボーダーをそんなに攻めるな。

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昨日美容院に参りまして、目の前に置いてある雑誌を手にしたのです。

導かれるように。

それは、anan2023号。

江原啓之が表紙にどーんの、ええ、普段あまり気にしないそっち系特集です。

 

しかしまぁ、金銭的とか男性的とか、いろいろご縁が薄いですからね、中身をチェックしました。

月の満ち欠けに応じてお掃除しなさいとか、なんか、すごくいいと思ってしまいました。

掃除はいいことです。

トイレには神様もいるしね。

 

で、ゲッターズ飯田のページを見たところ、おっと。

おっと。そして、がーん。

こんな記述が、大々的に。

 

「ボーダーを着ている女性は恋愛運が来ません。今すぐ、燃やしてしまいなさい」

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燃やしてしまいなさいと。。。

黒川豆、またの名をボーダー女、前世はおそらくアメリカあたりで囚人。

とにかく子供のころから、しましま着せておけば落ち着くような、そんな存在。

クローゼットはしましま、洗濯干せばベランダはしましま。

写真写りはしましま。

でも、心はよこしまではない!


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だから、燃やしてしまったら、どうなるかって?

着るものがなくなるのだよ、おっかさん。

 

なので、ここはひとつ、恋愛運はおいておいて、掃除に励んだりして、ほかの運気をあげようと思っています。はぁ。

 

ハロウィンといって、思いつくのが、ウォーリーを探せ! って時点でもう終わってたけど。

 

さて一夜明けた今日。

クローゼットを開けて、手を止めてしまった。

今日はやめよう、しましまは・・・。

何を求めてか、わたし。本日はボーダーじゃないデー。

 

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愛していると言ってくれ。

 

 

 

コジマスの東海道五十三次?

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日本橋に立ちました。

なぜかって?
ビコウズ、東海道五十三次なるものを、歩いてみようかと思ったから。ちょっとだけよ〜、じゃなくて、ちょっとずつよ。
時は平成二十と八年。体育の日がらみの三連休。
連休だから、何かやらねばねぇ、とは、コジマの言。
ならば、歩こうか、と、マスコが応じ。
かくして思い立ったが、東海道五十三次を歩く。弥次喜多よろしくコジマス、旅してみようじゃないか。
 
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ところがどっこいしょ。旅のスタート10月9日は朝から雨。急ぐ旅でもないし、雨が止んだら歩こうということで。
結局日本橋に立ったのが13:00、はて、旅の初日はどこまで歩けるだろうか……。
 
サラリーマンを長いこと続けていると、「結論から言え!」と言われまくるもんで。社会の一筋に従って結論から言いますと。
 
日本橋から一つ目の宿。品川宿までしか行けませんでした。
たったの2里でげすよ。
 
言いわけすると、(っていきなり言いわけから?)前述の雨のでスタート遅れ。初日だからペースつかめず。都会だから歩道が赤信号まみれ。おしゃべりし過ぎて史跡名所を通り過ぎて戻る。昼飯抜いたマスコが空腹のあまりコンビニで完全に乾ききったアメリカンドッグを食べる。昼を食べてきたコジマもつられて食べる、完全に乾ききったアメリカンドッグを。
 
など、前途を多難にする要因満載。
 
「こんなちんたら歩いていたら行くわけないよねぇ」と確認した万歩計は、2万歩ほどいっていましたが。
 
では、初日のハイライト。
 
まさか品川宿までしか行けないとは思っていなかった、スタートラインに立つコジマス。
 
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休日のしゃれおつなザギン。風呂敷しょって、ワラーチはいて、堂々とホコ天通過。
 
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東京タワーが見えたのでちょっとだけ道を逸れて増上寺の方へ。ここの近くのファミリーマートのアメリカンドッグが完全に乾ききっていた。
 
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江戸城無血開城を果たした、勝海舟と西郷どん会見の場所。江戸時代の地図を見ると、この先は海。現在の田町駅は、海の中。
 
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何かを問答したところ。
 
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結局の初日の到達点、2里の表示。これしか進んでいないけど満足げなコジマ。
 
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この後? もちろん、存分のビールと笑いとつぎの目標を語り合い、解散と相成りました。次はいつ歩けるかわかりませんが、次回は神奈川県を突っ切るぞ。
 

お久しぶりの角幡唯介さん

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先週の木曜日、東京FMの某番組に、角幡唯介さんがゲストで出演した。

いつもなら仕事で聴けない時間帯の番組なんだけど、その日は、たまたま某企業(バリバリの営業系、わたしは浮く)の朝礼に参加して、ちょっと宣伝告知させていただくという仕事で、ぶーたれながらいつもより早く仕事に向かった日。

朝礼は朝の9時に終わり、わたしの始業時間の10時まで1時間ほど時間ができた。

朝ごはん食べていなかったので、大学時代よく行った懐かしの喫茶店(カフェではない)でモーニングを食べながら、ゆるゆる電車で移動しながら、ずっとラジオを聴くことができた。

 

こんなたまたまがあっていいのか。神様、角幡様。

「漂流」という新刊が出た。すぐ買ったけど、まだ読んでいない。もったいぶってる自分。

角幡さんのブログで本当に長い間取材をして書いた力作だと知っていたし、軽い気持ちで読めないので。はぁー、そうしている間に続いてエッセイが発売されるのだけれども。

 

そもそも角幡唯介さんを知ったのは、4年前、なんと同番組だった。

この日はたまたま有給かなにかだった気がする。

でた、たまたま! 神様、角幡様。

ラジオのインタビューを聴いて、何かが撃ち抜かれて、いてもたってもいられずすぐに書店に行った。

どの本だったかに、角幡さんは、町田康さんの本が、悔しくて読めないと書いていた。文章が上手すぎて、悔しくなると。

わたしは、角幡さんの文章が上手すぎて、何かが撃ち抜かれた。それが何なのかは不明だけど。

ライターの端くれの端っこ、映画館でいうところの一番後ろの一番右の席あたり、で仕事をしているわたしでも、日々、思っている「こんな文章が書きたい」というのの権化が、角幡さんの文章だった。

それから、わたしの角幡唯介コレクションもここまで。

 

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トークショーやサイン会も何度か参戦。県くらいはまたぐ。

文章が卓越しているけど、ご本人も素敵。遠慮がちに話すんだけど、ちょっとだけ笑いをとるところも好感度ヒマラヤ登る。

角幡さんに出会って、文章を書くことの楽しさとか苦痛とか、でもやっぱり面白さを改めて考えたりすることができている。神様、角幡様。

 

探検家40歳のエッセイ。すぐに買いたいのだけど、再来週のサイン会は、その書店で本を買うことが条件でサインということなので、我慢しといてる。

じゃあ漂流をまず読めばいいじゃないか? うん。万全を期した状態じゃないと向き合ってはいけない気がして、気楽な小説を読んでごまかしておる。

 

もうすぐ恒例の北極探検に出かけて、また半年は帰ってこないようなので、日本にいる間に立て続けに上梓したようで。

 

こんなに素晴らしい探検家でノンフィクション作家と同じ時代に生まれてとても嬉しく思っている、NGOワーカーでライターの黒川豆でした。名刺に肩書きが2つ入ってもいいのだ。