2007年元旦

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いよいよ、2007年に突入した。

新年明けましておめでとうございます。病気の母が居ながら、新年を皆で楽しく迎えられたことを喜ばしく思う。


去年の正月までは信じられなかったが、10月に母のガンが発覚して以降、少し暗いMurphyの実家であったが、そんな中常に明るい雰囲気を作ってくれる甥っ子のS太に感謝したい。S太は若干1歳9ヶ月のため、母の病気も知らないし、母がばあちゃんであることを知っているが、ばあちゃんがどういう存在かは分かっていない。しかし、少なくとも、彼は母が相当近い親類であり、守ってくれる人であることは認識しているようである。


正月に遊びに来た甥っ子は母に向かって、

「ばあちゃん。」

と言って喜んでいた。それを聞いた母も

「は~い、S太君」

と受け答えしていた。微笑ましい風景である。


11月以降の母はと言うと、親父が懸命にガン関係の書物を読んだ結果、抗がん剤による治療に対する懸念を感じ、方向を転換した。当初は、外科的手術を強く勧めたが、進行度合いから考えて、外科的処置は現状無理であるとの見解を医者から得た。それに加えて、抗がん剤による治療を勧められた訳だが、3回打った抗がん剤の効果は殆ど分からなかったが、副作用の激しさだけが痛々しかった。白血球が著しく減少し、抵抗力が低下していく訳である。この冬の寒い時期は、風邪が流行りやすい時期である にも拘わらず、白血球が低下しては元も子もない。


そこで、抗がん剤治療を一切取り止めて、一旦退院し、自宅で食事療法、漢方薬、気孔による治療へ切り替えた。現在もこの方法は継続されているが、病院に居たときと比べてQOLが向上したこともあり、見た目には元気である。食事療法の考え方は、玄米、野菜を中心とした食事にし、動物性たんぱく質、糖分を一切取らないと言うものである。何でも、がん細胞を活性化させない方法のようで、抗がん剤と比較したら、理論的には真っ当な方法であるようである。この説を訴えている先生も結構居るようである。


以下、数冊紹介しておくが、抗がん剤によって完治した患者はあまり聞かない。ガンを治す方法としては、外科的手術か骨髄移植(白血病の場合)しかないのである。それに加え、昨今は東洋医学による(漢方薬、食事療法、気孔等)方法も脚光を浴びてきているようである。


本田美奈子.の場合も早すぎる死は抗がん剤の副作用によるものもあったのではないであろうか?


母の体調が悪化しないのは何よりのMurphy家の慶びである。これがずっと続いて欲しいと思っている。


矢山 利彦
気の人間学
代替医療問題取材チーム
検証 免疫信仰は危ない!―「がんビジネス」の実態に迫る
帯津 良一
がんは心で癒せる―自然治癒力を高める「ホリスティック」の方法
帯津 良一, 上野 圭一
がんを治す食事療法レシピ―代替食事療法と現代栄養学が1冊に

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外泊許可

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親父から電話があって、明日は外泊許可が出たから、お袋が帰宅するらしい。

一ヶ月ぶりの再会で嬉しい。何かマザコンかな?俺。


今日は友人とその奥さんと新橋の串焼きやで少し飲んで、吉祥寺で2時間半ほどカラオケした。

何か、涙もろくなっている。先週『涙そうそう』観たせいかしら。


明日、午後に両親に会えると思うとまた、涙が。。。。

お袋には感謝の言葉しか思い浮かばない。


昨日、親父が言ってくれた。

父「担当医に聞いたんだよ。『因みに、こんなになるまでどれ位掛かっているのか?』と。で、医者は『10年位でジワリジワリ来たんじゃないか』と言ってたよ。」

M「そうっか。」


親父は泣いてたね。あの、気丈な親父が涙ながらに電話していたのを聴いて、言った。

M「お父さんは大丈夫?」

父「お父さんは大丈夫だよ。」


親父は人生の厳しさ、仕事の大変さ、やりがいを伝えてくれた。その一方で心優しいお袋は優しさを教えてくれた。

お袋は今では存在しない、古き良き時代の女性だ。九州男児よろしくの親父について来て、36年くらいかな。


親父は3月に定年退職となり、色々なことを考えていた。それは勤続中に家を支えてくれた妻であり、兄と僕の母であるお袋に対する感謝の気持ちとして。年1回は海外旅行行くんだよ。2週間前にイタリア旅行から帰国したばかりだった。


来年はカナダ、その翌年は飛鳥で世界一周豪華客船の旅だと意気込んでいた矢先の「がん告知」に親父も動転していたことだtろう。


でも、Murphyも責任を感じないではいない。自分自身苦労した大学受験から会計士試験受験の間で何度なく投げ出したくなる気持ちを持ちながら、支えてくれ、誰よりも心から応援してくれたお袋には迷惑を掛けてしまったと思っている。アメリカに単身赴任していた親父が居らず、一人暮らしをした兄貴が居たせいで、実家でお袋と10年以上2人っきりで過ごした気がする。今に思えば、非常に心地よく至福の数年間だった。


親父がアメリカから帰国して、30過ぎで実家にいるのも変だと実家を出て、一人暮らしをしたものの実家に帰宅すると、お袋の料理、洗濯してくれる洋服、帰りに持たせてくれる料理をもらうと、その心地良さは筆舌に尽くしがたいものだった。


リリーフランキーの東京タワーではないが、お袋をこれから限られた時間の中で心行くまで応援したい。きっと、まだまだこれから良いことあると思うし、孫(甥っ子)がせめておばあちゃんの記憶が残るまでは生き続けてもらいたい。お袋がどんなにMurphyの家を36年間に渡って支え続けたか、伝えたいから。


そして、僕はお袋が生きている間に自分を今後支えてくれる伴侶を紹介して、安心してもらいたい。Murphyが大丈夫であり、親父もこのお嫁さんなら仲良くできると思ってもらえる人を見つけたい。


タイムマシーンがあるなら、10年前に戻ってお袋の膵臓がんを処置してもらいたい。


ねえ、神様、居るなら教えて欲しい。これだけ、健康に気を遣い、みんなにも感謝され尊敬されるお袋(S子)がなぜ若くしてガンにならないといけないの。何とか助ける方法はないの?


朝起きると、親父の電話は夢だったんではないかと思うんだよね。

少なくとも亡くなる前にフィアンセを連れて実家へ帰りたい。お袋には安心してもらいたいから。


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膵臓がん

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昨日、親父から久々に電話が掛かってきた。

自宅から電話が掛かることはあるが、だいたい親父が出ることは珍しい。


「お母さんが肩が痛いからと言って、病院に行ったが、少し具合が悪い。

元気なんだけど。どうも、膵臓が。。。。明日、検査をして結果が出るからまた知らせるね。」


という内容だった。


で、昨日から気が気でなかった。それで、さっき電話がまた掛かった。


「お母さん、やっぱり病気が結構進行しているみたいだ。膵臓は癌が蔓延していて、

リンパ節が腫れたようだ。」


今週末には病院に行くが。


思い出すだけで、泣けてくる。おふくろとの色々な思い出が走馬灯のように思い出されてくる。

まだ、62歳であれだけ健康に気を使い、僕らのことを心配してくれたおふくろが居なくなるなんて、

到底信じがたい。


でも、これから闘病なんだから、前向きに頑張ってもらいたい。


本当に悔いが残らない親孝行をしないといかんな。

独身の私は当然、子供も居ないから孫の居ないことを考えると、何とかせんとな。

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