最後の更新からちょうど1ヶ月。
更新できなかったのには理由がありました。
我が家の看板猫 りぼんが
2月16日の夕刻、4~5時間 家を空けている間に、
忽然と姿を消してしまったのです。
去勢済のメスだから行動範囲はそう広くないはずで、
それでもまぁ、たまには遠出もあるのかな・・・
自然と胸をよぎる嫌な予感と
暗雲のようにたちこめる不安感に苛まれながらも、
人と猫 それぞれふたりずつで、
我が家そして村之湯のアイドルであるりぼんねえさんの朝帰りを待ちました。
日が沈み、日が昇りました。
翌朝になっても、りぼんは戻りませんでした。
インターネットや猫好きのお客様の情報によると、
・ 獣医に3日で戻ると予言され本当にそうなった
・ 1ヶ月や半年など諦めた頃に帰ってくることもある
・ 去勢や性別により行動範囲の広さが違う
・ 自らの意志で家出した場合帰ってこない
・ 新しい猫がくると家出率が高まる
・ 夜から翌明け方までが猫が最も活動する
・ 駐車場や空き地などが探すポイント
など 情報は様々で、
あてはまって不安になったり、あてはまらなくて安心したり、
見つかってもいないのに一喜一憂の時間が流れました。
お客様のなかには、
可愛い猫だから、さらわれたんじゃないか
そう言う方も多くいました。
そう言われてすぐには否定できないくらい、
実際 りぼんは お客様にとてもとても可愛がられていました。
推理小説やサスペンス好きの私は
無駄な知識やドラマ仕込みの推測をしたりなんかもして笑、
それからはもう本当に
頭の中が常に猫のことでいっぱいで
四代目も私も夢に見たほどでした。
色々考えた結果、
可能性が高いなと思った失踪原因として
1) お客様の軽トラの荷台に乗りうっかり運ばれてしまった
最初の交差点で飛び降り、
A) その周辺の家に保護されている
B) そのまま迷い猫
2) 失踪当日具合が悪そうだったので死に場所を探して家出
もし原因が1)だった場合は、
かなり遠くまで行ってしまっている可能性も考えられる。
2)ならせいぜい近所 空家どこかの家の軒下などだろう。
いなくなって3日ほどして、
心配のあまりチラシをつくってスーパーやコンビニめぐりを開始。
貼ってもらえませんか、と 外回り。
デザイナーとしてこれまで色んなタイプの紙面をつくってきましたが、
猫探しポスターは初体験。
これも作り方はネットで調べました。
「猫探してます」は大きく太字ではっきり、など初歩的なことはもちろん、
子供は視点が低く意外と大人より猫を見つけやすいので、
子供にもわかるように平仮名多めが良い
というアドバイスなんかは、目からうろこでした。
白黒の野良猫は多そうなので、
柄の出方や白黒の面積比がわかるように、
後ろ姿や全身のカットも足し、
とにかく写真中心の、文字の少ないレイアウトにしました。
とある獣医でもっと詳細に書かなきゃだめだとまさかのダメ出しを受けましたが笑、
自分のデザイン感覚とネット上のアドバイスにあくまでこだわりました。
外回りの結果としては、
あきらかに面倒くさそうにされたり、適当にあしらわれたり、
心配ですね、見つかりますように、と温かな言葉をもらったり、
人のあたたかさもつめたさもひしひしと感じました。
猫には天性のGPS機能みたいなものがあって、
太陽の動きや嗅覚でたいてい見事に家に帰りつく場合が多い
そう言って なぐさめてくれていた四代目も
それから2週間以上経って
さすがに明るさが減っていきました。
りぼんのことを口にすると悲しくなるので
りぼんの話が話題にのぼらなくなりました。
お客様方も、まだ帰らないんだねと悲しそうでした。
でもきっとどこかで元気だよと
皆さん励ましてくださいました。
ほんとうに有難く思いました。
そんなある日、
りぼんをよく知る人から連絡がありました。
車窓から似た猫を見た というものでした。
なんとなく、ほんとうになんとなくですが、
本当にそれがりぼんであるような直感がありました。
そこは我が家から700~800mほど離れた場所。
数えるほどしか家がなく、
各種店舗が軒を連ねる、交通量の多い車道沿いで、
これまで捜索範囲に入れていなかったエリア。
完全に盲点でした。
チラシを数部印刷して、翌日ふたりで向かいました。
目撃者が言うには、
きれいなおうちの敷地内に入って行った
ということでした。
その「きれいなおうち」がどの家かわからないので、
とりあえず周辺できれいっぽい家をあたってみる。
「見かけませんでしたか」の問いに
プラスの反応はありませんでしたが、
とりあえずチラシを渡していきました。
それから周辺を歩きました。
猫のいる家には猫えさがあるから来るかもしれない。
それで猫を探すのですが、
野良猫も飼い猫も ことごとく居ない。
どちらかというと、犬を飼っている家が多い様子。
近くにあった新興住宅地は、
いわゆる新しいデザイナーズホーム中心なので、
猫が隠れそうな軒下や駐車場もなく
あきらかに猫の気配はありませんでした。
しかもその日は雨降りで、雨上がりを歩きましたが、
キレイ好きで女王様気質のりぼんが、
仮に野良の身に落ちぶれていたとしても、
そんなぐちゃぐちゃ道をべちゃべちゃ歩くとは到底思えず、
「晴れた日に出直そう」
そう言って私たちは一旦その場を去りました。
翌日、 3月8日
鼻歌をうたいたくなるような、快晴の日曜日。
冬の名残の冷たく澄んだ空気を、
春めいた明るい陽射しが幾線も貫いていました。
昼まで色々な作業をして、
四代目がつくってくれた美味しいトマトカレーを食べ、
ご先祖様に祈り、
猫かごを持ち、
チラシを一枚だけ持って、再び捜索に向かいました。
こんなポカポカした日、
りぼんは決まって、陽だまりに身を投じ、
なでろとせがみながら、
その美しい白と黒の毛並みをつややかに整え
うとうとしていたものでした。
きょうも、
きっと、あのエリアのどこかで そうしているはず。
捜索散歩の道すがら、
仲良く畑仕事に勤しむ老夫婦
スナップエンドウを丁寧に剪定するおじさん
色とりどりの花の植え込み
終わりかけた菜の花の眩しいレモンイエロー
立派なソラマメ畑の一面の緑
庭に並ぶ、貝殻や珊瑚のかけら
のどかな風景と鮮やかな色たちが目に映ります。
どこかで喧嘩する子供の声が聞こえました。
でも猫の姿 猫の声はありませんでした。
「夜、また出直そう」
そう言って、一時間歩いたのち、一旦帰宅しました。
猫かごは車に乗せたまま車を降り、
私はお風呂番を
四代目は祖父の残した小屋の片付けを
始めました。
それからどのくらい経った頃か、
急に私の携帯電話が鳴りました。
携帯電話からでした。
知らない番号。
いつものように無視しようとして、
そして、ハッとしました。
予感めいたものがありました。
りぼん捜索のチラシには私の携帯番号を載せていたのです。
その電話は、
案の定、目撃情報でした。
それどころか、「保護して閉じ込めてあるよ~」とのこと。
「あのチラシの猫に、そっくりな猫がいたもんだから・・・違うかもしれないけど」
その、そっくりな猫、という言い回しに、
りぼんなんじゃないか ほぼ確信に近いものがありました。
なにより、チラシを気にかけていてくれたことが嬉しかった。
お宅にうかがうと、家の横にちいさな小屋があり、
その入口のあたりで、おじさんがおばさんと私たちを待っていました。
「その小屋のなかに閉じ込めてある」
小屋に近づくと、中から鳴き声が聞こえていました。
その声は、聞き慣れたりぼんの声ではありませんでした。
ま ぁ、そうだよね
りぼんのわけない か
だめでもともと はずれでも、仕方ない
情報だけでも 気持ちだけでも 有難い
半分諦めて、ドアを開けると、
中には、小さな屋外用のキッチンセットのようなものと
植木鉢や道具が並んでいたように思います。
でもそんな色々モノがあったにもかからわず、
目が、迷わず、キッチンセットの下にうずくまっている猫をとらえました。
他のものは、不思議と目に入りませんでした。
そしてその猫は、
まぎれもなく、りぼんでした。
見慣れた、大きなふたつの黄色の目
その中に丸々と光る、意思の強そうな黒い瞳。
抱きかかえると、
かつて「まんまる」と形容されていたぷりぷりのおしりも
自慢のつやつやの毛並みも失い、
見る影もなくやせ細って、骨格が絵に描けるように透けて
まるで子猫のようになっていました。
いなくなって約3週間、
おそらくそのプライドの高さと元来の大人しさが災いして
ほとんどえさをもらうようなこともなく、
ほぼ何も食べずにしのいでいたのだと
その姿が如実に物語っていました。
どんな思いで この3週間を乗り越えたのか
再会の喜びも相俟って
涙腺がゆるみ 頬を熱いものが伝いました。
生きていてくれたことが、本当に、本当にうれしかった。
そして今朝は病院に行きました。
あきらかに4kg近くあったと思われる体重は2.6kgに
耳はおそらくダニにやられ、ウィルス性の猫風邪を発症中
と、
とても元気いっぱいとは言えない状況ですが、
食欲も無くはないし、
私たちに甘えたり 毛づくろいをする余裕がでてきて、
私たちも そして本人も ほっとしています。
もともと好きではなかった他の2匹とは接触できる余裕はまだ無いし、
風邪がうつるのも困るため、
これからしばらくの間、隔離してケアをしていきます。
ちょっとでも私たちが離れるとにゃーにゃー鳴き、
ふとんにもクッションにも椅子にも乗らずに常に膝抱っこを求め、
子猫のような甘えっぷり
内弁慶でツンデレの あの女王様な彼女が 別人のよう(笑)
このまま 他の猫をいじめない 優しい猫に改心してくれないかな、
と 実はちょっと願っています。
というのも、いつもいじめられていたアカは
りぼんが居なくなってから別人のように羽を伸ばし、
どんどん甘えん坊になり、
はっきりいって、りぼんのいない生活を「満喫」していたから(笑)
りぼんが帰ってきて嬉しいけど、
そんなアカがちょっと可哀想だったりもするのです。
ちゃたろうは愛するりぼんねえさんが戻り、
遊びたくて遊びたくて仕方がないのに
接触させてもらえないわ 近寄るとシャーシャー言われるわで
こちらもこちらで可哀想。
今回の猫失踪事件は、
色々な意味で、実に良い経験になりました。
あって当たり前 が 唐突になくなる
その悲しみ 動揺 恐怖 不安 後悔
必死な人の 懸命な訴えに対する 世間のリアルな反応
普段歩く町を 普段は見ない視点で見る
普段行かない町を 特別な思いで巡る
という行為
色んな気づき 発見 感動 が ありました。
そして何より
諦めないことの大切さ
念じれば叶うということ
これは もう ほんとうに そのとおりだと痛感しました。
特に今回、
帰ってこない 見つからない猫を想い、
日々暗い思いと闘っている方が多いことを
ネットで調べるうちに知りました。
上記のことは、
猫探しだけでなく 色んなことに通じますが、
とくに今回の私たちのように
飼い猫の失踪に直面している全国の悩める飼い主さんたちには
どうかどうか 諦めずに
いつか再会できると信じ続けてほしい
そして再会を果たしてほしい
そう 心の底から 思います。
そして
たかが猫 かもしれません。
でも その たかが猫 の ちいさな命ひとつが
どれだけ尊いものであるか
死にたいと思っているどこかの誰かの 命ひとつが
その誰か自身にとって
そしてその周囲の別の誰かにとって
どれだけ尊いものであるか
この記事に出会ってくださった どこかの誰かが
命の大切さ
自分自身の まわりの誰かの命が
いかに尊いものであるかということを
改めて感じ
その感覚を
これからの日々に活かしてほしいと思います。
りぼんちゃん、
本当に、おかえりなさい。
ずっと ずっと 待ってたよ。
これからも いっしょに 寝よう。
遊ぼう。
元気になったら、
また、いっしょに お風呂掃除 しようね。
番台で 看板娘ぶりを 発揮してね。
いつか必ず訪れるその日まで
りぼんも わたしも 丁寧に
日々を生き直していきたい。
そう 思っています。
それでは、また