ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009/8 vol.1
「『本物のロック? あ、そう、またくすぐるね。だったら見せようか』みたいな(笑)。いや、マジにあったよ。で、僕はすぐ『いや、こんな俺でよかったら渋谷さんお願いしますわ』って出ました。
そしたら『俺、何してたんだろう』 って。『もっともっと夏フェス出させてもらえばよかったな』と思った。それでなんかニューアルバム出したいと思わなくなっちゃったのね」
●そうなんですか?(笑)。
「うん。『今、中途半端な気持ちでニューアルバム作ってる場合じゃねえだろ』と思った。リスナーって誰々が弾いたとか叩いたとかっていう前に『まず楽曲で泣かせてよ、直球で俺たちビビらせてよ』 って言ってるんじゃない?と思って。
それなのに作り手というのは、誰々がプレイしたからすげえだろとか、もうレールが違うんだよ。
でも渋谷さん、僕はこだわってたことに対して問違ってたとは思わない。あのこだわった何十年間があったからこそこういうことも今、言えるんじゃないかって思うのね。
だから今は、過去やってきたことを否定してるんじゃないの。あれがあったからこそグルッと回って謎が解けはじめたよね、4年ぐらい前から。
だからこのアルバムは、最初からストライクソーン狙ってましたから。こういうアルバムを作ってやろうと思いましたよ。
これ面白いのは、最初、プリプロも何も東京でやってたの。で、東京でやり続けた結論がやっぱりアメリカ行かなきやダメだと。
これ全部、向こうのミュージシャンでやってるんですよ。問題はここです。
これ今、矢沢が言わなかったらたぶんみなさん、日本で日本のミュージシャン使って日本のエンジニアで上げたと思うんですよ。
これ全部、アメリカのトップミュージシャンでやってるんですよ。でもミックスダウンは日本人がやってるんです。
それでもうひとつ大きなポイント、僕は最初アメリカで作る気なかったの。
日本で全部やろうと思ったんだけどプリプロダクションやって、デモテープ作ってる時にどうしてもグルーヴは向こうじゃないと納得できなかったの。
こればっかりは、全部謎は解けてると言えども、グルーヴはやっぱり僕が知ってる奴らじゃなきゃー出せないとは言いません。
日本のプレイヤーで出せないことはないと思う。だけど向こうのLAのすごい奴らとやったほうが手っ取り早いと思った。
ただし条件があった。だってもともと向こうでやる気なかったんだから、どうやって洋楽にならないようにしようかと思った。
これはもうプロデュースの部分ですよね。それで僕、アメリカに行って、かっちり東京で作ったデモテープのガイドを持っていって、向こうでやる時に懇々と説明しましたよ。
きみらの『かっちょいいだろ?』ってのは欲しくないんだと。ただひたすらにグルーヴが欲しいだけ。どうにもあのグルーヴは、アメリカが世界一だからね。
あれが欲しいって言ったわけ。だから余計なことするな。ちょっとリフなんかパッカーンってやると『いらないいらない!』(笑)。
そのうちあんまり「リフが多すぎる」とか『フィルはいらない』って言うから『矢沢ちゃん、なんでアメリカ来て作るんだ?』って言われたよ」
●(笑)。
・・・続く
ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 08月号 [雑誌]