矢沢永吉の10枚 「FLASH IN JAPAN」 2 bridge vol.36 2002/9 | 矢沢永吉激論ブログ

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矢沢永吉の10枚 「FLASH IN JAPAN」 1 bridge vol.36 2002/9

 

-でまあ、申し訳ないんですけれども、このあと私があまり得意としない打ち込み時代がかなり長く続くわけで。ここではもう矢沢さん的には、この音じゃないと気持ち悪かったんでしょうね、きっと。

 「そうですねえ。やっぱり……自分はあん時、もう入ってるんですね。入って入って、もがいてんですよ。もがいてもがいて、入ってもがいてる。うん。でまあ、ここへ来てるのかな」

-あのシンセ独特のファーンて音と、打ち込みのビートっていう作品がずーっと続いていく。

 

 
でもメロディーはやっぱり黄金の矢沢メロディーだから、それこそこれをアナログでやったらさぞや面白くなるだろうにって(笑)、あの時も言ってましたけど、そういう楽曲がいっぱいある。
 
あの当時の矢沢さんのプロデュース方法っていうのは、それこそアンドリューやジョージが、「こういうふうにやるよ、矢沢」って持ってきたもんじゃないんですよね。

「一緒ですよ。こういう感じでいきたいってやったの、やっぱ矢沢ですね」

-あの時、矢沢さんの中で一番生理感覚がフィットしたのは、あのテイストだったと。
 
「そうですね。あのテイストだったんですね」

-どうハマったんですかねえ?そのへん謎といえば謎だし、永ちゃんらしいっていえば永ちゃんらしいんですけど。

 「うん……」

-だから、あすこらへんまではすごくわかるんですよ。洋楽があって、『P.M.9』があって『E'』で外人プロデューサーとのタッグが作られてからの強固な世界観は。
 
まあデビュー当時ほどではないにしろ、私みたいなわけのわかんない評論家やファンが、「永ちゃ~ん、これもいいけど、なんか違うのも欲しいなあ」って言っていた(笑)。
 
きっとスタッフも内心思ってたんじゃないかなと思うんですけど(笑)。

「ふふふふふ」

-だけど、頑として変わらなかったこの世界観というのは、僕は勝手に頭の中で5~6枚かなあと思ってたんですが、10枚以上続くんですよね。

「なるほどね」         

これは長いなあという(笑)。 

「そうだねえ」         

この長さはなんなのかっていうのが、ちょっと今回のインタヴューで一番訊きたいことの1つなんですけどね。

やっぱりあれじゃないすか、自分がそれをやりたくて出したいと思ってるんじゃないすか……うん、やっぱりそれしかないね。
 
その時、自分にとって一番心地いいってのが、自分が思ってるサウンドなんでしょうね」

-ほぉー………

そうなんだね。思ってるサウンドだったんですよ」

-で、当然のこと、周りでよくゴチャゴチャ言ってるような連中は、まあブツブツ言ってる奴はしようがねえって感じだったんですか。

 「うん、だからそういった意昧じゃあ、矢沢ってのは全然流されないんじゃないですか」

-そうですよねえ。

 「逆に渋谷さん訊くけどね、あの10年ってのが渋谷さんの価値観から見ると、日本の当時のマーケティング?いわゆるリスナーのマーケットとは、ちょっと違うって感じを受けたわけでしょ」

-はい。

「それはどうして?渋谷さんは音楽家じゃないけど、キャッチする側で商売してるから?」

そうですね。あとやっぱり矢沢永吉の魅力は、元来持ってるある種のロックンロールとバラードの、アナログなグルーヴだと思うんですね。そのグルーヴが僕は失われていたような気がして。

 「なるほどね」

-言わば「もうシンセの音はいいからぁ、生楽器、生楽器」みたいな(笑)、そういう感じをずーっと持ってましたね。
「なるほどね、言ってたもんね」   

-そのたんびに「黙れ」と言われてましたけどね(笑)。

「だけどさ、もしあの時、『ねえ渋谷さん、ちょっとメシでも食いながらそのへん具体的に教えてくんない?』ってことやるような矢沢だったら、今いなかったかもわかんない」

かもしれないですね。

うん。俺はそんな気する。やっぱ渋谷さんみたいな仕事やってる人は、どっちかって言ったら評論家であったり、どっちかっつったらミュージシャンじゃない。
 
だから売ったか売れないか、若者をキャッチしたとかしないとか。極端に言えば文化なんてさ、売れたら文化であって、売れなかったら文化じゃないでしょ。
 
今日本で、ビートルズからの世代の人たちは、今のダンス・ミュージックって、何も感じないと思うよ」

-うんうん。

「感じてないと思うけど、売れたっていうことは正道になっちゃうじゃない。もしそれにみんなが乗っかっちゃったら、音楽文化って潰れない?僕はそんな気するんだけど」

-ほんとそう思いますね。

「だから、やっぱり信じてたんじゃないですか。これをしたいと思ってたんじゃないですか」

ーなるほどね。

「じゃあ渋谷さんに訊くよ?渋谷さんから見て嫌いなあの10年間、俺がもしあの時のアルバム、200万枚ずつずーっと売れてたらどうする?
 
いや、仮によ。あなたから見てあの音が嫌だっつうよね。でも、100万枚200万枚ずつ売れてたらどうする?」

-僕が間違ってると思うでしょうね。きっと自分の判断基準がおかしいんだと思いますね。

 「だからそこよ。だけど世の中なんてさ、例えば今売れてるものが全部、『おお、さすがだねと思えますか?』」

-思わないけど、わりと売れてるものには肯定的です。すべてが好きなものではないにせよ、売れてるって事実は、やっぱり考えなきゃとは思ってます。

 「そこよ!だから渋谷さん、やっぱり鋭いわけですよ。ほんとあなたは鋭いの。
 
『これじゃないんだよ、もっとこれでさあ』って渋谷さんが言う時、僕がそれをわかってさ、俺は何をしたいのかってこともピッとわかってたら。
 
でもどうかなあ。あの当時やっぱり、とにかくこれだ!と思ってたのよ」

-あはははは。だから真面目なんですって、ほんっとに。

 「やっぱり自分の真面目さと売上をいつもピッタリリンクさせられたら、そんな嬉しいことはないよ。けど俺はすごくあの時期、自分ではあの感じを信じてたんですよね」