矢沢永吉の10枚 「FLASH IN JAPAN」 1 bridge vol.36 2002/9 | 矢沢永吉激論ブログ

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矢沢永吉の10枚 「FLASH IN JAPAN(1987)」 bridge vol.36 2002/9

-で、『FLASH IN JAPAN』っていう、これもすごく特別なアルバムで。アメリカと向き合うという矢沢さんの姿勢を、一つ集大成にした作品で、矢沢さんの中でも相当特別な意味合いを持った作品だと思うんですけど。


「こうぃうこと言ったら怒られちゃうけど、日本、無視してましたね」

-ははははは。

「うん。日本のマーケットとか考えてなかったよねえ、このアルバムを作った時は。世界へのドアを開けたいなという思いを込めてやってますからね。だから重いですよね。
 
だって考えてごらんなさいよ。いいか悪いかったらそりゃあもう、マーケット、売れ線とか、今の軽さとか、どういうところでやるかってこと、考えてませんもん。
 
ほんとにいいクオリティで、世界のマーケットのドア開けられるんだろうかというようなことばっかり考えてた。まあでもこのアルバムのみならず、基本的にそういうきらいって矢沢ってあるじゃないですか」

-(笑)ありますね。

「よく言われるよ、『矢沢さん、3年早いです、やってることがいつも』って。3年早い3年早いって言われても、それを楽しいと思ってやってる自分は間違いなくそこにいるわけですから、『あ、これもまあ俺の生き方なのかなあ』と思ったりもするのね。
 
だからつまりは、『矢沢さんのアルバムって、2年ぐらい先になって聴くといいですねえ』ってのも言われるわけ。発売されて2~3年経って聴いたら、意味が全部わかるって。
 
嬉しいし救われるけど、やっぱり『俺はこうするんだ!』ってのは固いし重いんだよ。それを超えられたら、矢沢はもっといいのになってのが最近わかってきたわけ。
 
だから僕何度も言うように、グルッと回ったものは無駄じゃないっていう」

-わかります。

「その証拠に、矢沢消えてないじゃない?チケット10万枚売れちゃうんだから、東京だけで。そうでしょう?矢沢の音楽は、ほんとにいいメロディーだって言ってもらえるんだもん。
 
だったら、あとは楽しむしかないよ。そうぃう気持ちだから、去年、『YOU,TOO COOL』を作ったりできたんです」

-そう思います。どのア々バムもほんとに真面目に作ってるもんねえ。

 「そうねえ」

-肩にカが入ってるっていやあ全部入ってる(笑)。

 「そうなのよ(笑)』

-で、その究極が『FLASH IN JAPAN』というか、ある種使命感で作られた作品ですよねえ、これは。

 「ああ、そうかもしんない。うん。使命感って、いい表現だねえ」

-「俺がやんなきゃ誰がやるんだ」みたいな。ポップ・ミュージックって面白いことに、それこそ初期のビートルズみたく、そのへんの便所の横で書いちゃったのが。
 
オール・マイラヴィングだったり、ある種のいい加減さがエネルギーに繋がるって、あるじゃないですか。

 「あるねえ」

-今聴くと本当にすげえクオリティなんだけど、やっぱ使命感に、聴くほうが圧倒されちゃうってところがありましたよね、楽しむ以前に。

「全くその通りよ。だから俺ね、これ、ちょっと狡さの気持ちを一つ加えればねえ?(笑)。
 
もしタイムマシーンかなんかあってさあ、『矢沢さん、20年前に戻っていいからもう一回作り直しますか?』って言われたらさあ、俺ね、も~まかせてくれよ!(笑)」

-ははははは!

 「クオリテイはちゃーんと保ちつつも、みんながチューインガム噛みやすいようにアレンジして、『どうだいここは?』ってとこもばっちり残してさ(笑)」

-ははははは!

 「だけどそれも今わかるのよ。つくづくぶきっちょな男なんですよ」

-そうなんですよね。だから三十何枚ってオリジナルアルバムの数を聞くと、「うわ、大量生産マシーンだなあ」と思うんだけど、そんなこたあないんですよね。
 
やっぱハンパじゃないって、矢沢永吉が持ってるエネルギーは(笑)。

 「はっはっは」

-こうして1時間話してるだけで疲れるもんね(笑)。インタヴュー終わると「質問してるのにエネルギー取られた」みたいな、そういう感じがある。

 「あーっはっはっは」
 
 
・・・続く