キャロル初期は 質屋の大のお得意さま
人気が不動のものになるまでは
とにかく金がなく、
腹をすかせる毎日だった。
そのとき活躍したのが質屋。
ラジカセが数千円に化け、飢えをしのいだ。
もっとも当時の永ちゃんにとってラジカセは
曲作りのうえで欠かせない宝物。
毎回ハラハラものだったとか。
だが、そうした事情を察知した質屋の主人は、
けっして流さず待ってくれていた。
自慢のリーゼントは銭湯で洗っていた!
キャロルの人気がピークだったころも
神奈川県川崎市の
風呂ナシ、家賃一万7干円の
アパートに住んでいた。
ステージではリ-ゼントでキメてた
永ちゃんが子供を背負い、
妻とお風呂セットの入ったカゴをぶら下げて、
毎晩銭湯に通ったという。
当時、近所には
ファンがゴロゴロ住んでいたが、
カランコロンと下駄を鳴らして
銭湯に通う一家の主が
永ちゃんだとは、
誰一人気づかなかった。
・・・続く