そして、拡大路線について。

Perfumeは、2007~2008年またぎのカウントダウンライブでZeppTokyoを会場として使用し、収容人数としてはPerfumeのメンバー自身が「憧れのステージ」と呼んでいた渋谷AXを超えてしまった。

2008年の2月に念願の渋谷AXでのライブを敢行、ライブハウスツアーとしてのGAMEツアーを成功させた後、同年の11月には日本武道館での2Daysライブを、翌2009年の5月には代々木第一体育館2Daysを大成功のうちに終えている。
さらに同年のうちに行われた⊿ツアーでは、全国主要都市を中心としたホール・アリーナツアーを、これも大成功のうちに収めている。

Perfumeは拡大路線を歩んできたのか。

もちろん歩んできたのだが、それは日本武道館からでも、代々木第一体育館からでもなく、GAMEツアーにおいて、であり、その後の会場の規模については拡大路線ではない。

Perfumeはただ、アミューズに所属する「成功したミュージシャン」にとっての「既定路線」を進んできたのに過ぎないのである。

マスメディアでの露出を増やすことによって強引にグループのメンバーの顔と名前を売り込んでいく、という拡大路線も、本人たちが望まなかったこともあって(Perfumeはテレビタレントとして売れたかったわけでなないので)採択することができなかった。

ドームコンサートの初回は、記念碑的なイベントとしての大会場の選択、であって、活動の規模を拡大したわけではなく、さらに海外進出においては国内のイベントと比べて大きく収容人数を抑えた会場の選択を行っている。

GAMEツアー以降に拡大路線が採択されなかった理由として考えられるのは、当時アミューズには社を挙げて売り込みたい別のグループがあって、Perfumeに全力を注ぐわけにはいかなかった、ということ、それから上記したようにメンバーたち自身がPerfumeの「売れ方」みたいなものに対するこだわりを持っていて、Perfume以降にブレイクを果たした他のガールズグループたちのようなメディア展開を望まなかったこと、さらに所属事務所アミューズの著作権ビジネスの枠組みが、展開を限られたものだったこと、などが考えられるのではないかと思う。

もう一つ、興行の異種交配のような「仕掛け」を伴わなくとも、根強い固定ファンと、ライブそのものへの評価の高さが喧伝されることで誘引される浮動層によって、ライブチケットの売り上げが確保できていたこと、もある。

チームPerfumeは、ユニットPerfumeの活動の枠組みを、自分たちにコントロールできる範囲に設定することで、Perfumeのイメージの純度みたいなものを保ってきた。
ドームコンサートでは危うくライゾマティクスチーム真鍋大度までが排除される可能性さえあったほどに、強固に、そして驢馬のように頑固に。

Perfumeは、渋谷AXの頃に比べたら、スタッフの顔ぶれも入れ替わり、数も増え、会場の規模は大きくなった。
ただし、チームの主要スタッフの顔ぶれは、実は今でもメジャーデビュー前後から変わらず、友愛と純潔の結社としてのチームPerfumeの核は今でも小さなままだ。

そういう意味合いにおいてはチームPerfumeは、魏の武帝のような時代の覇者とは言えず、先主の時代における蜀のようである ▽・w・▽