ファン、というのはその言葉の意味のごとく、何か、誰か、ある現象などを楽しむ存在であればいいのであって、たとえばPerfumeファンなら
「あ~ちゃん可愛い」「かしゆか可愛い」「おれ、ショートがいい」
でも、
「ダンス最高」
でも、
「ライブに行った。感動した」
でも、
「新曲楽しみ!」
でも、
そうした素朴で真っ直ぐな反応で充分、充分という言い方は少し傲慢ですね、そういったストレートな反応こそが本来ファンのあるべき姿、態度や姿勢なのだろう、と思います。
何かのファンになる、なった、ということは取りも直さず何かしらの活動に対する肯定的な態度の表明なのであって、何も小難しい理屈をひねくりだして「語る」必要なんてなく、上記の反応が基本であり、本質であるべきなのだ、と思っています。
Perfumeのブレイクというのは現場から始まっていたわけですが、その現象が広がりを見せるには、ネットという情報ツールが非常に有効に作用しました。
彼女たちの所属事務所がまったく関知しないところで、過去の動画を含めて彼女たちの音楽、パフォーマンスがネットを通じて多くの人間の目に留まり、まったく費用の掛からない告知活動となったのですから。
何よりも有効であったのは、そうした彼女たちの音楽だけではなく、そこに、彼女たちの活動に対する評価が加わっていたことです。
「感動」という評価が。
その「感動」の伝道は、まず、ネット上に書き込まれる掲示板から起こり、掲示板で許容される短い書き込みだけでは満足出来なくなった層による「ブログ上の記述」に広まります。
Perfumeの魅力は、実際に彼女たちのステージを観たことの無い層へ、「感動」を「語る」人達によって伝えられ、再生産されていきました。
さらにその現象を推し進めたのは、Perfumeのステージパフォーマンスが、事前に仕入れた情報による期待を裏切らないどころか、なお凌駕するほどのクオリティを有していたことです。
ただ、Perfumeというユニットはその成り立ちがあまりにも独特であり、彼女たちのステージを観た感動は、感動した人物の中の、どの場所に収められるべきものであるか、を迷わせます。
Perfumeのステージには、音楽ファンが求めるべきものが無く、CD音源をグレードアップさせたBGMと、それに合わせて踊る三人の少女の姿しか無いように見えます。
そこにあるのは、本来音楽ファンによって忌避されるべき、否定されるべきパフォーマンスばかりです。
リップシンク=「口パク」、流行に合わない風変わりなダンス、大して可愛くも無いメンバーと、現実感に乏しい歌詞の内容と、音楽性とはあまりにも無関係で冗長なMC。
ステージを観た感動は、感動を受けた人物の中のリアルであり、確かな手触りのするものであり、まっすぐに心の奥深くに達するものなのに、それをそのまま言葉にすることが出来ない、伝わらない「気がする」。
Perfumeを「語る」人にとって、Perfumeを「語る」ことというのは、翻訳作業のようなものなのかもしれません。
Perfumeの魅力を分かりやすくみんなに知らせなきゃ、という。
そうして、Perfumeがメジャーになり、多くの人の目に触れるようになればなるほど「語る」ファンも増え、まるでPerfumeのファンというのは、Perfumeの魅力を積極的に語る人のことである、とでも言うべき誤解が形成されていきます。
Perfumeの魅力を知るのには、Perfumeについて「勉強」しなきゃいけない、「学習」しなければいけない、とでも言うような。
ファンのヴァーチャルな古参化、「コア化」です。
ここで、ファンという言葉の解釈は、冒頭の部分に戻ります。
本来Perfumeファンというのは、Perfume大好き!な人であればよく、Perfumeを好きであるのに「勉強」も「学習」も必要ありません。
もちろん、「プロデューサー」目線も。
それらがあってもいいのですが、必須ではない。
Perfumeの魅力を「語る」ことをせずとも、「布教活動」をしなくても、Perfume以外に大好きなミュージシャンがたくさんいても、PTAに入らなくても、ライブに行かずとも、フリコピやコスプレをしなくても、その人がPerfumeファンであることは可能であり、すでに現在、いや、もうずっと前からPerfumeファンの大部分はそうした「サイレントマジョリティ」によって占められてきたのではないか、という気がします。
僕が「Perfumeはメジャーを目指し、その場所に留まるべきだ」と、書いたのは、これからもPerfumeは、そうした「サイレントマジョリティ」をより多く獲得していくべきだ、ということであり、それは、音楽的傾向を変えろとか、活動指針を変更しろ、といったこととは直接の関係を持ちません。
Perfumeは、どのような音楽的傾向を持ち、どのような孤高、独特なスタイルのステージパフォーマンスを進化させて行こうとも、常に。
メジャーな市場で勝負出来る方向性を保ち、その気になればスマッシュヒットを意図的に作り出し、武道館だろうが代々木第一体育館だろうが横浜アリーナだろうがフルハウスにできるだけの、位置、場所に留まるべきである、と僕は信じるし、また、望みます。
これもまた、口うるさい「語る」ファンの言い種に過ぎないのかもしれませんが。
次回では、「次回では」と書いて、自分で自分の首を締めてしまうことを学習いたしましたので、またその時に考えます、てへ ▽・w・▽)