さて、また企画を中断してしまいますが、「守護神」です。


Perfumeのマネージメントスタッフ、といえば、まず誰よりも我らがもっさんこと、山本史郎さんが有名ですよね。


メンバーのブログ(というかかしゆかの(笑)にもたまに登場しますし、ライブトークでもよくネタにされていますし、なんと2月13日に行われたファンクラブ発足イベントではステージ上に現れ、クイズコーナーのMCを勤めるなど、その敏腕ぶりを遺憾なく?発揮してくれました。


あ~ちゃんには、disられ放題でしたけど…


そんなマネージャーもっさんの仕事ぶりってどうなんでしょう?


マネージャー、というのは担当するタレントのスケジュール管理だけでなく、売り込みや企画、宣伝、活動の方向性なども調整する現場監督のような仕事です。


アミューズのような大きな事務所の場合ですと、一人、一組のタレントだけを担当することは少なく、複数のタレントを担当したりするらしいので、もしかしたらもっさんもそうなのかもしれません。


もちろんもっさん一人だけが、Perfumeのスケジュール管理他の業務を行うわけではなく、チーム体制ということになります。
おそらく現在でも、もっさんの上にチーフマネージャーがいて(もしくはもっさんがチーフ?)、岩井くん、と呼ばれている若い方なんかが現場仕事、雑用とか移動の手配とかを担当しているんじゃないか、と思います。


活動の方向性を調整する、と書きましたが、Perfumeの場合でいうと上京してからはまずインディーズでデビューしています。
いきなりのメジャーデビューは難しい、というか無理、という判断があったわけですね。


インディーズとメジャーの違い、というのは流通の問題ですよね。
たとえば、Perfumeの全国インディーズデビュー、という場合、全国的に展開はするけれども、PerfumeのCDを置いてもらえる店がごく限られている、ということになります。


具体的に言うと、Perfumeの場合は全国のツタヤと、地元広島なんかではさらに新星堂とかにも置いてもらえたみたいです。


メジャーデビュー、という場合、きちんとした全国への流通ネットワークに加入してしているレコード会社との契約が必要となります。


Perfumeの場合は徳間ジャパンコミュニケーションズ。


Wikipediaでは、中堅のレコード会社、と解説されているレコード会社です。


基本的には演歌系の歌手が多いのですが、かつてはBoØWYなんかも所属していたようです。


個人的に「徳間ジャパン?あれ?どっかでなじみのある…?」

なんて、記憶の端っこにひっかかる名前だったのですが、思い出しました。
AV(もちろんあっちのAVです。アダルト…)メーカーでもあったんですね、ここ。
ありがとう、徳間ジャパン、いろいろな意味で。


その名前のとおり、かつては徳間書店の系列だったのですが、現在はカラオケで有名な第一興商が全株式を保有しています。


元々、BEE-HIVEの各グループ、BuzyやボイスタはIMPERIAL RECORDという、テイチクのレーベルからCDを発売していて、普通ならPerfumeもそうなるはずだったのでしょうが、実際にはなぜか徳間ジャパンコミュニケー…長いな、以下TJCと略します、からの発売になっています。


これは、Perfumeのメジャーデビューがいかに困難な状況下で行われたか、ということを表す一例だと思うのですが、この度、ある方のご好意によって、その経緯が明らかになるインタビュー記事を入手することが出来ました。


TJCの執行役員、制作宣伝本部長代理、篠木雅博さんのインタビューです。

そのまま載せると転載となってしまいますので、Perfumeに関連のある部分だけを引用します。

お読みください。


ORIGINAL CONFIDENCE」2008/2/18号 66~67P


○篠木雅博氏(TJC社 執行役員 制作宣伝本部長代理)インタビュー


ーPerfumeを担当することになった経緯は。


篠木:

Perfumeはアミューズの所属タレントさんで、私は今の会社の前にリワインドレコーディングスという、アミューズとビクターさんが共同出資して作った会社で制作部長をしていたんです。その当時からお付き合いがあったアミューズのスタッフ3人が「何とかして売り出したいユニットがある」ということで、私のところに相談にきてくれたというのが最初です。04年9月のことです。


ー既にインディーズで活動を?


篠木:

中田ヤスタカさんのサウンドプロデュースで、「BEE-HIVEレコード」というインディーズレーベルで既に3枚リリースしていました。テクノサウンドに乗せた近未来型アイドルというポジションで、秋葉原のコアな層を中心に展開していたようです。


ー聴いてみてどう感じましたか。


篠木:

正直、直感が働いたとか、確信がもてたというおこがましいものではなくて(笑)。世代も違いますし、正直、我々の年代からはわかりづらいことは確かですよね。だから、当社の編成会議ではいろいろな意見が出るであろうことは予測できました。とにかく音を聴いてみて、それから原宿や秋葉原などへ彼女たちのライブに何度も見に行ってみたわけです。


ーそこから決断に至ったポイントは。


篠木:

相談に来てくれたアミューズのスタッフの情熱ですね。これがすべてかもしれません。旧世代の価値観だけでPerfumeを評価してしまうと芯が見えてこない。最後は「おもしろいから、やってみましょう」と(笑)。そう社内会議で言ったのを覚えています。


篠木

~Perfumeは「アキバ」や「近未来」がキーワードのユニットですので、当時のつくばエクスプレス開通とタイアップして「リニアモーターガール」という展開はどうかとか、私もいくつか私見をまとめてスタッフに伝えた経過はありますが、総合プロデューサーというようなおこがましいものではなく、基本的には若い方に任せてきました。


篠木:

大事なのは、私のところへ話を持ってきてくれたということ。私がもし音に違和感を持ったとしても、気持ちの部分を分かってくれるはずだと、彼らが思ってくれたのであればそれがうれしい。根っこにあるのは、当時話を持ちかけてくれたアミューズの中村チーフ、石井、山本の三氏の情熱です。中村さんは、実は昨年他界していますがきっと喜んでくれていると思います。Perfumeはメンバーが小学生の頃からアミューズが発掘して育て、アミューズスクールの一期生としてトレーニングされ、8年目にしてようやく芽が出た。亡くなった彼はそのマネージャーでした。彼にもブレイクしたところを見せてあげたかった。それが今、非常に残念です。



この部分は、知らせてくれた方の抜粋をそのまま使わせてもらいました。
ありがとうございます、Aさん(仮名)。


長く引用したのには理由があります。


このインタビュー記事の載っている媒体が業界用のオリコン、という我々には入手しづらいものであるため、探して読んでください、といっても難しいんじゃないか、と思ったからで、もちろん僕個人の判断で(Aさんから紹介しても良い、という許可はいただいてあります)行いました。
文責は黒猫堂▽・w・▽にあります。


篠木さん、という方は椎名林檎さんのデビューにも関わった人らして、ベテランプロデューサのようです。


このインタビューの中には重要な情報が含まれています。


たとえば2004年9月という、日付。


メジャーデビューの一年前です。


この時にはすでにアミューズ、というか少なくとも現場レベルではPerfumeのメジャーデビューについてかなり本格的に検討されていた、ということになります。


ちょうど「ビタドロ」が発売された頃、です。


篠木さんへアプローチをかけてから、メジャーデビュー決定までにどのくらいの時間を要したのか、は書かれていませんが、まあ2004年中だ、とすると。


この年の12月16日に発表された「イミテ」「アトラクション」「ファンデ」「Perfume」の4曲は、本当にメジャーデビュー候補の楽曲だったのかもしれません。


或いは、こんな感じの曲で、といったプレゼンテーション提出用の曲だとか。


それから、「アキバ」や「近未来」という言葉が当時Perfumeのキーワードとして認識されていた、ということ。


『つくばエクスプレス開通とタイアップして「リニアモーターガール」という展開はどうか』


という発言が、言葉のとおり篠木さんからの提案だ、とするならば「三部作」の発案者は中田さんではなく(もちろん生みの親は中田さんなんですけど)、レコード会社側からの発案でもあった、ということになります。


バキバキのテクノポップである「リニア」が、なんでメジャーデビューという重要な場面でリード曲に使われたのか、「コンドラ」という人気の曲も、「イミテ」というキュートな曲もあったのに、とずっと不思議に思っていた疑問がこれで解けました。


メジャーデビューをお願いするプロデューサーの発案なら、そりゃすんなり決まるでしょうとも。


それから、3人のマネージャーが直接篠木さんへ話を持ちかけた、ということ。


「なんとかして売り出したいユニットがある」


という言葉は、そのまま使われたわけではなく、おそらく、篠木さんを頼ってきた3人の様子を現すものなんだろう、とは思うのですが


「なんとかして」


という部分に、3人のマネージャーの必死な様子がうかがわれますよね。


この時期のPerfumeは、商業的には何の実績もありません。


以前「CDが1000枚も売れない」と書いたのは誇張したわけではなく、文字通りの意味ですから。


先輩グループの契約先であるIMPERIAL RECORDからのデビューとならなかったのは、普通に考えるなら契約を断られた、ということなんだろうと思います。

そのPerfumeを無理をしてメジャーデビューさせたからといって、急激にCDが売れるようになるわけではないし、もちろんサラリーマンとして社内での評価が高まるわけでもありません。


それでも彼らは、「なんとかして」Perfumeを売り出そう、と努力を続けていたことになります。


この記事を紹介してくれた方の情報によると、中村チーフ、はこれより前『FLOW』のマネージャーもしていたことがある人なんだそうです。


石井、というのは、QJ75号の『Perfumeを生み出す力2 かしゆか×もっさん』という対談の中にも出てきた、Perfumeの(おそらく)初代担当マネージャー。


もっさんがアミューズに入ったのは割りと最近、「ビタドロ」発売の頃だったそうで、担当が石井さんではなくなる、と聞いた時には


「三人で大号泣したんですよ。もっさんには悪いんだけど、すごく嫌だったんです(黒笑)」


ということですから、石井さんという方はよほど慕われていたのでしょうね。


「石井さんは上京したての何も知らないPerfumeに、自由にしていいよって教えてくれた。自分たちが楽しむことが大事で、完璧にやる必要はないって。失敗が生きることもあるからって。」


「で、もっさんは無口だけど、自由になったPerfumeから意見を引き出してくれた」


かしゆかの目からみたマネージャー像です。

前任者と現在の担当マネージャーの違いを鋭く分析しています。

小動物のような外見からは想像もつかない優秀な頭脳が、彼女の中には存在しているようですね。


そして、このかしゆかの言葉は、そのままPerfumeの魅力になります。


自由で、まず何よりも自分たちが楽しんで、会場に来てくれた人たちにも楽しんでもらう。


Perfumeが、そういうユニットだからこそ、僕たちはこんなにも夢中になってしまうわけです。


担当マネージャーの仕事、特に新人タレントを担当するマネージャーの何よりも大切な仕事は、その才能の方向性を見極めて伸ばしていくこと、なんだそうです。


Perfumeをメジャーデビューという形で世に送り出し、ブレイクを目にすることなく亡くなられた中村チーフ、Perfumeに自由を与えた石井前担当マネージャーからもっさんが受け継いだもの。


それは、あるがままの、僕たちの大好きなPerfume。


もっさんには、これからもPerfumeとともに歩んでもらって、僕たちファンを、「女神」の望む場所、武道館や紅白の舞台へと導いてもらいたい、と思います。


また、ファンクラブイベントでもよろしく▽・w・▽ノ

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