2007年11月26日

鉄砲の性能!

テーマ:鉄砲の性能

前回で!戦国時代の武器として

鉄砲を取り上げたが!



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(画像/火縄銃)


現在、日本においては織田信長の人気が絶大なため!

<おそらく日本史上!最大の英雄であろう!>
no

いわゆる3000丁の鉄砲伝説を根拠に!

戦国時代は鉄砲さえあれば必ず勝つ!的な風潮が

蔓延しているが!そのため今回は鉄砲が戦国時代に果した

役割がいったいどれほどのモノであり、

またその威力について考えてみたいと思う(^^)


まず当時使用されていた鉄砲の主流は

六匁筒(口径15.8ミリ)と十匁筒(口径18.7ミリ)といわれているが、

その射程はおおよそ100メートルといわれ、

有効射程距離においては50メートルであったとされている、


この50メートルという距離は命中率を高めるための

照準装備(スコープ)等が まだ無かった時代のため、

50メートル以内が命中精度を保つための

ギリギリの距離であったとされているからだが、


実際に35メートルの距離で十匁筒(口径18.7ミリ)が

戦国時代の鉄二枚胴具足を貫通したといわれていてるから、

鉄砲の破壊力は50メートル以内で最大の威力を発揮したと思われる、


また鉄砲は火薬の爆発力を利用して比重の思い鉛弾を

発射する点で、弓矢より硬度のある物に対して

貫通力があったはずであり、その命中精度も弓より

高かかったと思われる、


それは鉄砲が元々、弓の命中率を高め!

なおかつ、その威力を増大させるために造られた武器!

(元々中国の南方で発明された武器!世界に広まる)

の形を模して鳥銃(抱え筒タイプ)から

改良された武器である事からもまちがいないが、
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(画像/中世に使用された弩の復元モデル)


(もちろん命中率という点では練度という

 問題が加わってくる!弓矢を射る行事が

 行われる三十三間堂の飛距離は

 約60メートル!この距離でも射手はほとんど

 正確に的を射抜いているから、ある程度の練度を

 得ている弓の射手ならば、

 鉄砲と同等の命中率を保つことができたはずである


では鉄砲の射程距離内と云われる

100メートルの距離ではどれぐらいの

威力を発揮したかといえば!

これに関しては現在!ほとんどデーターがない!

(というよりも完全にありません!ムラーノが認識するかぎりでは)


鉄砲が普及し出した戦国時代中期より現在まで、

様々な団体、個人(昔なら武具商、現在ならマスコミ、銃愛好家団体)

火縄銃の威力を検証するべく、

実験を行なってきているが、それらは全てが50メートル以内の

距離で行われてきている、つまり、鉄砲の射程距離とされる

100メートルは人を殺傷するための武器としての

使用範囲外にあるといってよく、これを考える事じたい、

無意味だと思われる、ただし当時の鉄砲には、

ある程度の用途に関するバリエーションがあり、

鉄砲の銃身を極端に長くし、口径も当時使用されていた

六匁筒(口径15.8ミリ)を小さくし、

弾の空気抵抗を減らして遠くのモノを狙う

長距離火縄銃なるモノが存在したが、

これは主に鴨などを撃つ猟銃用であったと云われ、

戦場で使う武器としては鎧を着込んだ者に対して

効力がないので使用はされず(もちろん例外もあったろう)

その射程距離といわれた200メートルの距離では

実際には使われなかったと思われる!

(この距離では狙ったモノに当たらなかったはず、ほぼ完全に!)

こうしたことから、鉄砲の有効使用範囲は50メートル前後!


戦場でも おおよそこの距離内で使われ、長篠の合戦以来、

鉄砲の威力が認識されると弓に代わって、この鉄砲の配備を

推し進める戦国大名が増えたが、この鉄砲に関しては

長篠の合戦における戦いが後の江戸時代に脚色された、

織田信長伝てき読み物の中で過大喧伝されたため!

戦場における他の兵器と対比しても圧倒的に

優位性をもっていると思っている人が多い!

(鉄砲が即ち勝利の方程式であると思いこんでいる人がいる!)


しかし!果たしてそうなのだろうか?


確かに鉄砲は凄まじい威力を持っていたとムラーノも認める、

そしてムラーノがもし戦国時代の どこぞの戦国大名家の

跡取り(嫡子)息子にでも生まれてきていたと

仮定するならば(笑)おそらく、鉄砲を自家の武器として

購入して その配備を推し進めたかもしれない、


<いや!ムラーノって以外に保守派だから、鉄砲?

 そんなもん!要らーん!となっていたかもネ!/(^0^)笑!>


しかしムラーノが考える限り!戦国時代に

行われた合戦の勝敗が鉄砲という武器だけで

左右され、鉄砲があれば必ず勝つ事ができたのか?

となれば話しは別になってくる、


ゆえにここで、長篠の合戦の前後の戦を追う事により、

鉄砲という武器の戦場における総合的な優位性

認識してみたいと思うが、以下、四つの戦国時代における

合戦から話しを進めてみよう!


1 三方原の戦い (1572年)


2 長篠の戦い   (1575年)


3 関ヶ原の戦い  (1600年)


4 大阪の陣、道明寺口の戦い (1615年)


まず長篠の合戦以前の武田家と徳川家による戦い、

三方原の合戦、この戦は一説に武田信玄が信長の

傀儡政権となっていた足利幕府 第15代 征夷大将軍

足利義昭の上洛要請にしたがい起こった

戦であると云われているが、


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(画像/武田信玄銅像)


戦に動員された兵力は

徳川軍が1万1千人

(三千人は織田家からの援軍)

武田軍は2万5000千人

(二千人は北条家からの援軍)であったとされている、


この戦は浜松城の郊外、現在の静岡県

浜松市北区三方原町近辺で起った合戦であり、
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(画像/江戸期の浜松城の縮尺模型)


武田信玄の巧みな誘導戦術に浜松城から

誘い出された徳川家康と武田信玄による

三方原台地でおこなわれた野戦であるが、

この戦は長篠の合戦の前の合戦という事もあり、

鉄砲は大して使用されていないんじゃないの?

と思う人達もいるだろうが、確かに、この戦に関して

鉄砲(隊)が目立った活躍をしたという話しは伝わってはいない、


しかし、ここで面白いのが、

この戦が武田家と徳川家によって

行われた戦であるという事である!

歴史好きの人ならばご承知と思うが、

武田信玄は鉄砲という武器を日本本島で最初に

使用した戦国大名であり、鉄砲の部隊への配備を

信長出現以前から推し進めた人物である、


そのため武田家はこの三方原合戦当時には、

日本全国においても有数の鉄砲保有国となっており、

対する徳川家も三年後に起こる長篠の合戦において、

同盟者である信長の影響からか、その国力に見合わない

鉄砲を保有していた事実が歴史書からもうかがえるから、

この三方原の戦いは正に、戦国時代中期における

有数の鉄砲保有国同士の合戦だったともいえる、


そして古今東西、日本であろうとヨーロッパで あろうと、

戦闘の常識としてその始まりは遠距離用の

武器の応酬によって その最初の戦端が開くのが普通であったが、


そうした事を考慮しても当時の鉄砲大国!

武田と徳川との合戦ともなれば、弓矢でなく、

鉄砲の撃ち合いでその最初の戦闘の火蓋が切って

落とされてもいいはずであった!


しかし!この三方原の合戦では

なんと!武田家の投石隊による

遠距離攻撃によって、その最初の戦闘が

開始されているのである、..........( ̄□ ̄;)エェ!


投石というと!何と原始的な!と思う人も多いだろうが、

ここで武田軍の投石隊について少し説明しておこう、

武田軍には二百人ほどの投石を専門とする部隊が存在し、

この部隊は武田信虎時代に一門衆に加わった、

小山田家の直轄部隊であった、


小山田氏はその後、領国を広げ続けた武田家と共に

その領地も広げ、最終的には武田家の家臣でありながら

自前の兵力だけで三千人以上を動員できたといわれ、

合戦においても単独で関東の北条勢を破るなどの

活躍から、武田家臣団の中でも最強といわれた

存在であった、この小山田氏の強さの原動力が

上記した投石隊の存在だったといえる、


三方原の合戦が何故、有数の鉄砲保有国同士の

合戦であるのにもかかわらず、当時の最先端の

兵器である鉄砲の撃ち合いで戦闘が開始されず、

投石というどう見ても原始的な攻撃で始まったかといえば、


(後の代表的な合戦をみてみると、ほとんどの場合、

 鉄砲の撃ち合いから戦闘が始まっている       )


この投石攻撃が鉄砲とはまた別な破壊力をもっていて、

その優位性が三方原の合戦当時でも

鉄砲に対して通用したからにほかならない、


投石攻撃というと、普通の人なら子どもが石を投げつける

ようなイメージしか浮かばないだろうが!


ムラーノは以前にTVで武田軍の投石隊の使用した石を

見たことがある、武田軍が使用した石は大小様々な

モノがあったが、これは距離や用途によって使い分けて

いたようで、石というより、ほとんど真円球に削りだした

石球といっていい、またどういう投石方法を使ったか

ムラーノ自身は認識していないが、


TVでは当時使用されていた投石用具らしきモノとして、

動物の革を通してある綱を撮していた、

おそらくこの革の部分に石球を包み込むようにして、

綱の両サイドを握り、現代におけるハンマー投げのように

綱ごと投石していたのであろうとムラーノは考えている、

touseki

また現在文献などにより投石隊の飛距離は

200メートルもあったとされているが、

これは鉄砲の射程距離が名目上は100メートルあった

とされるのに対し、


実際には50メートル前後が

その有効射程距離であるのと一緒で、

おそらくはその半分の100メートルが

投石隊の基本射程であったと思われる、

これは現在のハンマー投げの世界記録(約90メートル)

ともだいたい符合するからまちがいないであろうが、

現在のハンマー投げはスポーツ競技として、

約2メートルの白線の円から出ないでの

投てきルールが定められている、


そのため

世界のトップアスリートはその2メートルの

円の中を多くても少しづつ前進しながら4回転で

ハンマーを投げているが(なんとも窮屈なことです)

これに対し戦国時代の

投石隊にはそんな制約はない、つまり大袈裟な話し、

10回転でも20回転でもして投石してもよく!

また回転しながら5メートルでも10メートルでも

前進して投石してもよいのだ、また合戦というのは

スポーツ競技のフィールドとちがって様々な

起伏にとんだ地形で争われるから、時には更に

投石の飛距離を出すために小高い丘に投石隊が

布陣する事もあったろう、そしてそうした場合には

実際に200メートル近く投石できたかもしれない!


どちらにしろこうした事を踏まえても、

平場であった三方原の合戦のときでも、

武田の投石隊はおそらく120メートル近くの

投石をしていたにちがいないとムラーノは考える、


これは鉄砲隊の有効射程距離50メートル前後を上まわる

飛距離であり、鉄砲が100メートル近くになると

威力が衰え、フルメタルジャッケトではなかった

当時の鉛弾では変形したりして、当世具足

(対弾性を考慮して湾曲面を多用し鉄板を重ねた鎧)

や竹束(対鉄砲用の盾)には威力を発揮しなかったと

推測されるのに対し、投石隊が放つ石球の通常弾は

重さが5キロ以上もあり、それが100メートルの

飛距離を放物線をえがいて飛んでくるのであるから、

その着弾地点での威力は直撃なら例え鎧を着ていても

重傷を負い、腕や足に当たれば骨が砕かれたはずである!



こうした点でおそらく、武田の投石隊は鉄砲の

有効射程距離を上まわったうえで尚かつ、

その破壊力から鉄砲や弓をさしおいて遠距離攻撃で

活躍するといった武勲を挙げる事になったのだろう、


この三方原の合戦の推移については

投石隊の直接攻撃を受けた徳川方の家老

石川数正隊が怒って部隊を前進させ!


(おそらくこの時点で始めて武田徳川両陣営の

 鉄砲が火を噴いたはずである!ムラーノはそう考える)


ついに武田軍と徳川軍は直接戦闘に入り、結果的に

数で勝る武田軍の圧勝で三方原の合戦は終るが、

この一戦は鉄砲や弓以外の遠距離攻撃において

最も原始的と思われる投石という方法が活躍した戦いであり、

この三方原の戦いをとってみただけでも、

武器には様々な利点があり、鉄砲さえ装備していれば

合戦が優位に進むかといった固定概念を腐食する

よい一例といえるだろう、


(ちなみに重さが5キロ以上の弾を飛ばそうと思うと

 鉄砲では不可能であり、国崩しといわれた

 大砲が必要になるが、これには莫大な

 費用がかかることは言うまでもないし、数キロ先へ

 鉄球を飛ばす大砲と威力は比較にならないが、

 投石隊の連射性は大砲とは比べるまでもなく早かったろう、

 また西洋の様に戦闘における個人用の盾が発達しなかった

 日本においては、密集隊形にある兵にとって頭上から

 落ちてくる石球弾はかなりの驚異であったはずだ、

 また鉄砲に対する防御に関しては対弾用の竹束などを

 前に押し立てて、ある程度は防ぐ事もできたものの、

 頭上からの攻撃はいかんともしがたかったはずである!  


で次は長篠の合戦についてである!
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(画像/馬防柵)

この合戦については織田信長の戦術による

鉄砲隊と馬防柵の併用作戦が有名であり、

多くの歴史書においても、鉄砲が大きな

役割を果したとされているが、近年の研究書

などでは様々な解釈があり、果たして後世の

人が思うほどの鮮やかな織田信長の勝利であったとは

考えにくいが(ムラーノ流の考えです、あくまでも!)


それはさておき!

この長篠の合戦は鉄砲という当時の最新兵器が

大活躍した事だけはまちがいなく、日本の戦国史に

大なる影響を与えた事だけは確かである!

そのため今回のブログの主旨である鉄砲と

いう題材から、鉄砲隊が大活躍したという、

この長篠の合戦については詳細な考察を加えてみたいので、

三っ目の関ヶ原の合戦の次に記したいと思う!


で!次回に続きます(^^)

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コメント

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1 ■すごい

お詳しいですね。
勉強になります!

2 ■おはようございます^^

ムラーノ男爵閣下へ

自分が思いますに、鉄砲=音が鳴る=つまり敵に察知されやすい(隠密行動作戦などにおいてですが)これはデメリットでしょうね。しかしながら投石&弓攻撃=上記理由においてはメリットありそうですね^^

3 ■ペタありがとうございます♪

一回撃ちたいなぁ(笑)

4 ■無題

一気読みしましたよ。毎度勉強されてますね。

5 ■無題

読者登録ありがとうございます☆
よろしくお願いします(^人^)
鉄砲=勝利
ではないんですね・・・フムフム

6 ■わっ!

すごい詳しいのですね!

そこらへんの本を買うより

細かく分析されていて理解しやすいかも。

7 ■ごきげんよう、ムラーノ男爵様!

今回も段を踏むように、すこしずつ着実に核心にいたる論運びに感心の万葉樹です。
ひとつの事象を検証するにあたって類例のものを引き合いに出すというのは、常套なアプローチですけれど。今回の鉄砲の威力をかんがみるにあたって、飛び道具というくくりで、弓矢や投石具(これは私も想定外)と比較考察がなされた点が驚きでした。また以前の考察にもあったように、文献学のみにおちいらず、スポーツ競技などにも資料をもとめて関連付けられているあたり。歴史でありながら現代性がもちこまれる、そして武器の威力を具体的な数値として正確さ。きわめて刺激的な論考でありました。
しかし、「戦の火蓋を切る」という言い方がありますが、私は鉄砲は最終兵器につかわれたものだと思い込んでましたので、まさか開戦でしようされたとは思いもよりませんでしたね。もちろん、投石機械がそうだったという事実も。
それにしても、父親に叛き子にも離反された信玄。鉄砲保有国であるのに鉄砲によって滅ぼされた武田家。なにかとても因果を感じますね。歴史とは、ときに非情な巡り合わせをさせるものですね。
ちなみに、関ヶ原で鉄砲といいますと、いわずもがな、あのエピソードでしょうか。たしかに高みの見物気分だった彼をけしかけたという意味では勝敗を決したといえそうですが、なにかそれもただしい使用ではないような気もしますね。次回も楽しみです。では。

8 ■鉄砲はイヤなん

こぉんにちわ~ぁ

お優しい〔コメント〕うれしいです♪ありがとぉございます~ぅ
(*^冂^*)


耳鳴り大丈夫ですかぁ?アタシも一時期なったことあるけど、なんでなるんでしょうねぇ。
早く治りますよ~に
(。σ人σ。)゙


∵・∴・★


アタシ実は鉄砲キライなんですよぉ。

新選組とか三国志好きなんで、なんか鉄砲ってズルイ気がするんですよぉ
阿呆コメントですいません。

9 ■初めまして!

ペタ有難うございました。
すごいです!中身の濃い記事、勉強になりました。
私も最近は出かけてばかりでブログが疎かになっています。
反省しなくては・・・

10 ■はじめまして!

ペタありがとうございました(*^▽^*)

とっても詳しいですねっ!
歴史はニガテなんですが
勉強になりました(≡^∇^≡)

11 ■ペタぁりがと★

メッチャ嬉しぃです♪

鉄砲詳しぃね(★/∀`o)ノ

また遊びにきます(^ω^)

12 ■こんにちわ

すごいですね。
どうしてあんなに書けるのですか?私の場合は書いている途中で電源ボタンを押してしまって,消えることが多いんです・・・

13 ■どうも初めましてっ!

 先程は足跡有難う御座いましたっ!

 一通り拝見させて頂きましたが、色々手広く書かれているんですね<ブログ

 という事で、またお暇があれば来て頂けると幸いです。

14 ■はじめまして

大変勉強になりました。
すごいです!

15 ■はじめまして。

ペタありがとうございました。

投石についてのご意見、なるほど、なるほど。
石ってすごい武器だったんですねぇ。。
勉強になりました。

次回、楽しみにしています!

16 ■おはようございます

男爵は銃器にもお詳しいのですね。
日々記事の内容が濃くなってておののきます。
日本史苦手なのでこちらでお勉強させて下さいね^^
ランキングみたら9位に!おめでとうございます!

17 ■無題

お邪魔します。

携帯から参戦です。

本日も応援シテマスヨ~ お正月に食べる定番なんてありますか 我が家は最近おせちにあきたら カレーです。

18 ■有り難うございます!

ペタ有り難うございます!楽しく拝読しました!自分は特に昔の戦史には詳しくないので勉強になりました。
しかし、必ずしも最先端の兵器が強いとは限らないという事は現代にも通ずる兵器の運用理論ですね?装備品の値段が高ければ良い、新しければ良いという固定観念にとらわれ、運用について思考停止しがちな我々日本人にとってそういう着眼点は非常に重要であると考えます。
またおじゃまします!楽しみにしてます!

19 ■深い

んー特に考えていなかったが、銃は奥が深いんですね。実弾ハワイで撃って来ました…何年か前に(^O^)でも、当たらなかったんだなぁ~ターゲットに…先輩は44口径を軽く見ていて、手首を痛めてました。ペタありがとうございます。また遊びにきまぁす。

20 ■無題

ペタありがとうございます!

読ませてもらいましたが勉強なります☆

よかったらまた遊びにきてください(*u_u)

21 ■ペタありがとうでした!

ろくに勉強してませんが、日本史だけは大好きです!次回も楽しみにしてます☆ちなみに俺は明智一派です(`∀´)

22 ■はじめまして!

何と勉強になる!

余りにも深い内容に感激です。

歴史好きにはたまりません♪

23 ■ぺたありがとうございました☆

銃のこととても詳しいんですね歴史が混ざってて勉強になりました。
戦国時代の話実はあまり好きじゃなかったりするのですが…
歴史上の人物で好きなのは織田信長ですね!
中学の頃からこの事実は、変わっていなかったり(笑)

24 ■すすすごいっ

歴史を人物相関ではなく武器から見るというのは痛快、そして不可侵領域の信長に切り込むのもさらに痛快です!
当方腐女子ですが歴史系の腐女子にうんざりしてるんでなんかスッキリしました。同じく新撰組や安倍晴明に切り込んではくれませんか?
もう戦国無双とかばかじゃないのとか思ってるんで。

25 ■最高です!

ベタ有難うございます!
男心をくすぐる最高のぶろぐですね!
また遊びにきます!です

26 ■ペタありがとうございます

ムラーノさんの愛唱歌『銀河鉄道999』は英語のところもバッチリですか(^O^)
掲示板に書けず、こちらにまいりましたm(_ _)m

27 ■男爵サンぇ

ペタぁリガトぅござぃました(*^^*)
とても興味深ぃブログでした!
またぉ邪魔させてぃただきマス(^-^)/
またゼヒ遊びに来てくださぃ(*^o^)/\(^-^*)

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