穏やかで安らかに生きるための心の処方箋 ー意識の捉え方と実践法

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もうすぐゴールデンウイークです。

大切な家族と過ごす時間が

大切な思い出になるよう 親にできることを 

過去記事から選んで 再掲載することにました。

加筆修正していますので 以前お読みいただいた方にも

役立つかもしれません。

 

 

 

人は一人では生きていけません。

支えられること、見守られることで

人は 安心することができるのですが

子どもや人を

本当に支えるとは、見守るとは、

どのようなことをいうのでしょうか。

 

 

 

 

親子関係だけでなく

 

多くの場合
小さな子供達は
親の感情や価値観に併せて生きています。



少し大きくなると
初めて自分の中に生じる多くの種類の感情に戸惑います。



これが 子供が成長してるということ。



自分の中に これまでに感じたことがないような
ドロドロとした嫌な気持ち、
意地悪をしたくなる衝動、嫉妬、残酷さ、嘘をつく、憎悪。。。



思春期前期という
小学校高学年の子どもたちの多くが
誰にも見せたくない
汚いと思えるような 感情も沢山体験していきます。



どんな感情も 感じていい、
どんな感情を感じても変わらずに ずっと愛していてあげること、
子どもが安心して気持ちを言葉にして苦しみを感じていいのだと
子どもが 思えるように

支えたり見守ってあげることが 親にできること。



いつも
わが子と心を通い合っていたい
と思っている親御さんは多いと思います。




我が子に
良かれと思って かけている言葉によっては
子どもが自信を失ったり活力を奪われたり
子どもが「自分を信じられない」気持ちになったり
子どもに「親を信じられない」気持ちにさせることが
少なくありません。



親を安心させてくれる子どもが「いい子」で
子どもを苦しみから救うのが「いい親」と
思っていませんか?




どれだけ親しくても
個人的な話をするには

相手によったり、
自分自身のコンディションにもよるもの。



大人同士であっても

親子関係でも

例えどれほど
親しかったとしても
相手の了解もなく

好奇心や興味本位な欲求で

根掘り葉掘り

無理矢理に秘密を聞き出すように
「心の扉」をこじ開けられそうになったり
一方的に
決めつけられ「こうした方がいい」と
聞いてもいない解決方法を 押し付けられる、
あるいは
自分が苦しんでいることに対して
側にいる人が不安から

質問攻めにしたり

不安を感じながら側にいられたりすると

自分の心の境界内のことまでさらすことへの

恐れを感じたり

ネガティブな感情を感じて苦しむ自分がいけない気がしたり
側にいる人の不安を解消する必要を感じたり、
同じような不安を抱えたり、怒りを覚えて反発し
心を閉ざす事にもなります。



ある人が
子供が保育園で
たびたび同じ男の子に意地悪をされる、とお話をされ
「その時に 子供さんにどんな言葉をかけましたか?」と
お尋ねすると
[先生に言いなさい」と言いましたが
子供から「先生に言ったけど、それくらいいいじゃない!と言われた」] と
話されました。

この子供さんは
お母さんに「意地悪された」ことで「嫌だ!悔しい!悲しい!」という
気持ちを感じきるまでの間支えてほしかった、のですが
【意地悪されたときは先生に言う】という
親の解決法を押し付けました。

 

結果
子供の「意地悪された」ことが「嫌だった」という気持ちは
顧みられず、切り離され
置き去りにされ 助けてくれるはずの先生にも
助けてもらえず 意地悪されることに耐え続けることになりました。



これは
「(嫌な気持ち)先生に言いなさい=先生に解決(嫌な気持ち)してもらいなさい」
ということで

【自分の嫌な気持ちは誰かに解決してもらうもの】だ、

「自分の嫌な感情は誰かのせい!誰かが面倒を見るべき!」
「自分も誰かの感情の面倒を見るべき」という
被害者意識を子供が身につける可能性もあります。




出来事から「感情が切り離されるとき」
その出来事が「心が傷ついた体験」となり
心は本当の感情を覆うために「心の鎧=自己防衛」で 隠し
過剰に男の子と対立したり、
将来、男の人、パートナーを負かそうとしたり
ことさらに人に勝とうとしたり、

相手を傷つけても自分のほうが上だと認めさせたがったり
あるいは避けたりという
反応を生じさせてしまうことがあります。

これが「マイナー(複雑性)トラウマ」の仕組みです。




この子供は本当は お母さんにどのようにかかわって
ほしかったのでしょう?




母子の関係では 感情がシンクロし合う=共鳴 関係であるために
母親自身に 
切り離され放置してきた感情によるトラウマがたくさんある場合
いくら頭で考え自分を説得し冷静になろう、

何でもないことにしようと思っても
母親の不安や 母親の心の痛みは子供にダイレクトに伝わっているもの。




子供のこと、
大事な人のことを大事にする
助けたい、力になりたい と思うのは
大切なことなのですが
ただ
苦しい胸の内=気持ちを聞いてほしいだけ、の時
「そっか、そっか・・・」と黙って聞いてほしい時
「それは、悔しいかったね・・」
「それは、辛いね・・」とだけ言って、すっとするまで

 

寄り添っていてほしいだけなのに

「~しなさい」「~に違いない」と
感じているエネルギーを感じるのを中断され
苦しい胸の内を吐き出すのを中断され
手っ取り早く 親の解決方法を押し付けられてしまうことで
心は 閉じてしまうだけでなく

自分でネガティブな感情の問題を解決する方法を
試行錯誤することで身につく社会での生き方も

何よりも

全ての感情を感じきることで育まれる

心の器の柔軟性、自己価値、自尊心、が育まれる

生きる力をチャージする機会を得られなくなります。
 


大人になった時の子供が

どんな困難も乗り越えるよう自分を支える生きる力は

子どものころのあらゆる感情体験で チャージされているのです。

 

 

 

以前
親子関係で相談を受けていた お母さんから
このようなメールが届いていました。



・小学6年生の娘が学校から
ひどく落ち込んだ様子で帰ってきた時のこと。

 

私は

以前ならすぐに
胸のあたりがざわざわして

「どうしたの?何があったの?」と

声をかけ根掘り葉掘り聞いて

アドバイスをし、

「大丈夫!大丈夫!」と 元気づけていました。

 

 

自分が役に立たない、親失格と思われる のが不安だし
「子供が落ち込んでいる」のを見ると自分が不安で
早く止めさせたかった。

 

 

でも

カウンセリングを受けてからは

この自動的な反応は

 

まだ 私が
「感じることが怖い」
と感じる感情が残っているためで

子どもが
「落ち込んでるのを見るのが辛い」
「失敗するのを見るのが嫌」という

私の母が私によくやっていたことだと思い出しました。

 

そして 穏やかに

「お母さんに何かできることある?」とたずねました。

すると娘は
「うん、ある・・・向こうに行って!ほっといて!」

私は少しショックで
せっかく心配してあげてるのに!と一瞬カッとなり
腹が立ったり、
(役に立たない私、自分は必要とされないんだ)と
本当にがっかりして、不安にもなり、
寂しい気持ちになりましたが
これは「私自身の問題」 と 気を取り直して

寝室で一人で 

以前 カウンセリングの時に先生に教えていただいた親子のワーク

(セカンドバースワーク)をやりました。

 

すると

スーッと 一瞬で心が落ち着いて

「悲しい」「寂しい」「怖い」という感情が消えていきました。

 

 

次の日のこと、
娘は 晴れ晴れとした表情で学校から帰ってくると
初めて自分から私に
「昨日は友達と喧嘩をして落ち込んだけど、今日は仲直りできたんだよ!」と
友達と喧嘩をしたこと、
ずっと じっくりと考えていたこと
自分の気持ちを正直に伝え
どうしたら仲直りできるのかを
友達ととことん話し合ったという
仲直りするまでの経緯を 話してくれました。

 

これまでの私は
子どもの話を根掘り葉掘りほじくっては
自分の分析やアドバイスを押し付けてたり
大丈夫!大丈夫!と言って
子どもの負の感情を早く止めさせることが

正しいのだと思い
子どもを苦しみから救ってあげてると

思い違いをしていて
子どもがしっかりと苦しむ機会、痛みを抱える練習の機会を奪い
つまずいたり、立ち止まったり
失敗から学ぶこと、試行錯誤する機会を奪い
心の扉を閉じさせていた、
子供が自分で
生きる力を育てるのを
心が成長するのを邪魔をして

私の感情の面倒を見させていたのだと痛感しました。

 

 

子供が苦しい気持ちや
問題に直面した時に
親として
取り除いてあげたり 解決してあげることはできなかったけど、
子どもが
解決までの間の心の痛みを抱えながら
自分の力で問題を解決するために試行錯誤しているのを見て
この子がこんなに成長していたのかと本当にうれしかった。

娘と私にこんなに穏やかな日が来るなんて。。。。

 

本当に ありがとうございました。

 

子どもが
お母さんの顔を見るだけで「安心できる」関係ができていること、
そのうえで
健康や安全を確保するための
最低限の枠組みを設定しておいてあげる=しつけ、
どのように解決するか、何を手伝ってもらうかは
「子どもが自分で考え決めること」。




親だからといって、子どもの心や
親しいからと言って、誰かの心に
土足で踏み込むようなことも
親の不安を解消するために
実際に感じていることを感じていないようにさせたり
痛いと感じているのに痛くないと感じさせたり
自分が早く安心したいがために 子供に代わって
親のやり方で手っ取り早く問題解決することは
大事な子供に

親自身の問題を引き継がせることになるのです。




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例えばそれは
「お菓子がほしい」と言った時
「いきなり頭を叩かれた」り
幼い時の
「お遊戯会で」あまりの楽しさに熱中してる様を
面はゆく感じた親が「笑った」り
という
子供のころの ほんのささいなきっかけで
誰かの感情や役割を引き受けてしまうことが起こりえます。

 

そのために
幼い子供たちは自らに備わっている自分を幸せにするための
「望みを抱く」機能、
「楽しくはしゃぐ・喜びを表す」機能を
簡単に封印します。
 


 
お母さんがお父さんへの怒りを抑えているのを
日常的に感じ続けた子供は
お母さんが抑えていた
「お父さんへのお母さんの感情」を 
お母さんに代わって解消するために
自分の夫や恋人、子供や友人に対し、
ぶつけてしまうことがよくあります。
 
 
 
 
あるいは
実際には知らなくとも
祖父母や祖父母の両親
亡くなった親の兄弟や姉妹に似てる
と言われたことがきっかけで
その人が感じていたであろう感情を
自分のことのように感じ 表したり
その人の役割を生きてしまう(同一化)こともよくあります。
 
 
 
 
他の誰かと同一化してる人は
全く違う世界にいることになり
もはや「自分」で生きたり応えることができず
自分の本当の感覚も感情もわからなくなります。
 
 
 
美しいものを見た時
美しいものに触れた時
私達の心は
思わず震え 感動し涙が自然に溢れ出します。
 
 
 
 
けれども
自分で生きたり応えることができない
他の誰かの役割を担い 反応している人には
自分の気持ちがわかるはずもなく
ましてや人の気持ちなどわかることができません。
 
 
 
 
大切なパートナーも
かけがえのない子供も
ありのままには見ることができず
違う世界の人のように見えるという、
全てがゆがめられて見え ゆがめられて感じます。
 
 
 
 
本当には パートナーの気持ちに寄り添えない、
本当には 子供の気持ちがわからない、
 
何故なら
自分に「感じる」ことを禁じているため
愛を感じられない、というのが真実です。
 
 
 
 
例えば
 
親よりも幸せになるのを禁じている人は
感謝を感じないように 
愛されてる事実に気づかないように、
 
あるいは
心から思わずあふれでる感謝を感じない人は
ありがとうを言わないですむように 
相手を批判し、相手に怒りを感じようとし
親切にされたり好意を示されたとき
怒っています。
 
 
 
 
これを
「酷い親だったから」や
「自分には価値がないから」
という解釈(頭で考え)では
既に受け取っているという事実と
ずれてしまい 感謝を感じる日はやってきません。
 
 
 
 
事実は
「見ようとする」「聞こうとする」「分かろうとする」
努力や頑張りで 変えることができる、と
考えているのかもしれませんが
物事の多くはその逆で
自分が何をするかしないかではなく
何をしてもしなくとも
それそのものとして理解されるもの。
 
 
 
信じられないかもしれませんが
それまで
私は
人の気持ちがわかりません、
共感の意味が分かりません、

と話していた人が

自分の居るべき居場所に戻ることができると
 
 
必死になって
わかろうとしなくとも
 
主人の気持ちが手に取るように分かり
「主人がものすごく優しくなり 感謝しかありません」
 
子供の気持ちが自分のことのように分かり
「子供がものすごく甘えてきて 愛おしさが増した」
 
人の喜びをわがことのように感じ
「周りの人が喜んでいるのを見るとこちらのほうが嬉しく感じた」
 
「よく感動し、誰かの支え合い、いたわりあう姿にも
感動し、涙が止まらない。。。」
 
 
「自分の気持ちの動き、身体からのシグナルに
気づきやすくなり 対処出来る様になったことで
身体が丈夫になりました」
 
 
等々
見えていたこと、聞こえていたこと
感じていたことに気づいた、
人が何をしようと、言おうと気にならなくなりました、
とお話しする人が多くいますが
こちらのほうが 本来のあなた。
 
 
 
 
それらは
これまでもそうだったけれど
真実を
「見ることができなかった」
「聞くことができなかった」
「感じることができなかった」にすぎません。
 
 
 
 
自分にとっての適切で自然な感情の場合
例えば
本当の「悲しさ」「怒り」「不安」であるのなら
そこには
善も悪もなく
正義や道徳を振りかざして
自分の言説をことさらに守る必要がありません。
 
 
 
 
ですが
誰かに代わって
誰かの感情を表現しようとする時
多くの場合
自分自身の心の傷が刺激され
心が傷ついた時に切り離された感情が投影され
ことさらに「正義や正しさ、知識」を振りかざし
周りを説得したり
切り離しことで傷ついた自分の正しさや不憫さの正しさを

分かってもらう必要を感じるために 
他者の同意や賛意を強く必要とし
過剰に「わかって」欲しがります。
 
 
 
 
もしも
自分がことさらに
自分をわかってほしい、と望んでいたり
ムキになって強く正しさを主張している時
 
もしかすると
恐れと向き合うことを避ける衝動に巻き込まれ
今の現実に相応しくない感情に囚われていたり
誰かの感情を肩代わりしていたり 
誰かに代わって表現してるかもしれない、
 
と 吟味する機会の中にこそ
本当の自分に戻る道が見つかるかもしれません。
 
 
 
多くの場合
人が人と争う時と言うのは
この様な 自覚のない
衝動を伴う恐れが
投影されていることが多いのです。
 
 
 
私たちは皆
何が自分を幸せにするのかを
本当の感情が教えてくれ 
確かめることができるのですが
その感情が本物か偽物かの
真実を知ることは とても恐ろしいような気がします。

 
 
とても恐ろしいのだとすると
あなたはまだ
自分の真実、本当の自分を知らないかもしれません。
 
 
 
けれども
たった一度の自分を生きる機会を
真に自分を幸せにする機会にするためには
自分の真実を知り 
偽物の自分という海から 本物の自分を助ける必要があるのです。

 

たった一度の
あなたの大切な人生を救うのはあなたしかいません。


 
 

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多くの人が
「あなたが私にしたことを見て!どうしてくれるのよ! 」
という誰かへの偽りの怒りで
(たいていは子供のころの両親)
偽物の笑顔に 悲しみや怒りを隠しながら 
「自分が悪い」という罪悪感を感じることがないよう
被害者、あるいは
親と同じ様に生きる仲間でい続けるための理由や説明を
証明するための人生を生き続ける限り
安心していられている、と
信じていることに
自分で気が付くことのできる人はいません。

 

 

 

「見てよ!私はあなたと同じで何者にもなれなかったわ!」や
「私は何にもなれない!あなたの言った通りだ!」などのように
「あんなに怒ってばかりの父親でなかったら」
「○○が生きていたら」
「あの時、いじめられていなかったら」
「母親が○○でなかったら」
「姉と・・、妹と・・、兄と・・、弟と・・・比べられていなかったら」

・・・・

あなたと同じ
「こんなにかわいそうな私でなかったのに!」

・・・・・


 

誰かの被害者でいることに専念してる限り
人生に
自分の憤りを正当化するために、
自分がダメな存在だと
証明するような結果を引き出します。

 

 

「私のほうが被害者なのだ」という信条は
あらゆる落胆や
あらゆる人間関係の破綻や 
経済的な破綻に向かうよう

無意識に
親の人生のシナリオへの貢献を裏付けるような言動で

自分の解釈した親の信条、シナリオと同じになるような
それを証明するようなまわりからの反応を引き出し 
そのような結果へと人生を導きます。

 


 

親のシナリオと同じように生きる、という 
人生のストーリーを保つために
無意識に
幸福へと向かう 気づきや行動や反応を
妨害し続け
悲惨な状況に居続け
自分が恨み続けているのは当然だ、ということにし 
そんな

自分が正しくて
相手がひどいことをしたのだ ということにして

心の奥で親のシナリオに貢献してる気になるために

人生や 時に

命をかけても証明しようとします。

 

 

 

 

ある時
「私は拒絶されて成長したんです」
という人が
「子供の引きこもり」を何とかしたい、と相談にきました。


いくつかのセカンドバースワークを受け

心の境界線が引きなおされ

生きることの罪悪感が解消し

死への恐れがなくなり

生きる力が回復し始めると

自らの心が本当に感じていることがわかりやすくなり

思考がクリアになることで

明らかに周りも自分にも変化が起こり
子どもの状況が変わり始めるため

表面化する自分自身の隠してきた本当問題に気づき

でも・・・、 ~ですが ・・・・と言いながら
拒絶や怒りを表し
子どもの引きこもりを継続させるために
慌てて相談を中断することが時折あります。
 

 

子どもという存在は無意識に

親の隠れた望みをかなえるためには

自分の命を投げ出すことも厭いません。

 

 

 

「問題を抱え苦しんでいる」
「自分を幸福にしないでいる」ことで
無意識に誰かを罰しているつもりで

貢献している気になりほっと安心しています。

 

 

自分を喜ばせず
自分を労わらず
自分を粗末にし続け

周りに 
あの人のせいで私はこんなひどい目にあったのだという
説明をし 証明するためには 
「より辛くて惨めな困っている私」
「かわいそうな私」という生き方をやめるわけにいかない!!

 


「お金がない」
「時間がない」
「夫の理解がない」
「ずぼらだから」
「経験がない」
「子供が思い通りにならない」
「幸せにしてくれる相手が必要」

・・・・

豊かにならない自分、
幸せな自分ではない、
「かわいそうな私」を説明するためのあなたの「言い訳」は
どんなものですか?

 

 

誰かを悪者にするとき
必ず
あなたの方が大変だね、と同情されたい
あなたが正しい、と言ってほしい
あなたの方が凄いね、と称賛されたい!
褒められたい
認められたい
感謝されたい


という動機をせっかく隠して「やりたくない」ことを

してあげたのに。。。

やってあげたのに。。。

損しちゃった!
あ~腹立たしい!、あ~悲しい!・・・と
思っているのですが
あなたはそれを

本当は
誰に向かって言いたいですか?

 

 

自分が
命を自分の良いことに使わせない、
命を使って自分を喜ばせない、よう
自分を幸せにしないと決めた
幸せになるのをあきらめた
自分から自分への
悲しみ は

周りのせい、周りに対する
正しい怒りや悲しみなのだ 
という錯覚、解釈しがちなのです。

 

 

これまでの間 、どれほど
「○○のせいで自分はこうなった!!」
というストーリーの中に
生きてきたとしても

すでに自分の人生を歩き始めているのなら
自分が幸せかどうかは
幸せになるために選んだ行動の全てには
今どうなっているのかの結果の全てには
「自分に責任がある!」のだと
頭でなく しっかりと腹に落ちたとき
気づくとき
はじめて
それをやめるか
別のやり方を手に入れられます。




使い古しの
昔の地位やキャリアという鎧を捨てられない。。。

ちっともうまく行ってないけど
これまでのやり方を改められない。。。

違う道を歩くのが怖い。。。。

だって、そのうち、いずれ 気づいて

謝って。。。
褒めて。。。
許可してくれる。。。はず。。。だから
 

【お母さん!安心して!
あなたより自分を幸せにしたりしませんから!
あなたが「もういいよ」と言って許してくれるまで
頑張って、苦しんでいること】を
証明し続け説明し続けますから!】

という隠れた目的を果たそうとし続ける人は

傲慢で
言い訳がましく説明が多く
(わかってほしいから、と自分では思いこんでいますが) 
正しいことをしてる気がし
そんな自分に誇りすら感じるようですが
 

「自分を幸せにしませんから!」という
従順なこどもでいるための
あきらめている風を装った
すねた
「居心地のいい可哀相な私」という生き方で
自分の人生という自分の命の価値を貶め
大切な時間を粗末にすることは
誰の役にも
何の役にも立ってはいないのです。

 

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小さな子供であれば
新しい体験をするたびに
思い通りにできるまでの間
不快な感情が沸き上がりその不快な感情を
言葉にしてもらいながら、
体験が難しい物事なのだ 
ということを伝えてもらえるだけで
うまくいったり、うまくいかなかったり
試行錯誤することを
恐れることなく体験を継続したり、
再チャレンジしながら
能力に組みこまれていきます。



このように
幼いころの未知との体験で生じる不快感を抱えるのを
安全に支えられた子供たち

成長し発達すると共に増える
未知の体験や未知の物事に対する
困難、失敗、挫折に対して
どれほど多くの不快感情が生じたとしても 
恐れることも絶望することもなく
問題を解決するのに必要な知識やスキルを
自然に増やしていくことができるようになります。

 



このようにして育まれる心の耐性=能力を

【心の知性=EQ】といいます。




「頑張る人が好き!」
「頑張る人を応援しています!」という人がいます。



「頑張らなくては成し遂げられない」物事
 「頑張ってる」物事は
何故頑張るのか、
誰のため、何のために頑張っているのかは
一度 調べる必要があります。

 

 

自分の真の役割
=正しい命の目的の実現に向かうための
「成るべき、為されるべき」物事というのは
頑張らなくても 自分自身の立場で正しく行動が生じ
おさまるべき形、あるべき姿に物事が調和し

必要なものがちょうどよく満たされていくものなのですが
自己中心的な目的の場合
頑張る生き方しかできず
自分が頑張って苦しんでいるのだということにも
自覚がなく

「頑張り続ける」事が やまず
苦しみや問題が解消しない状態が長期間続いている場合

あるいは

「頑張って自分に鞭を奮っている間はうまくいくけれど

止めたとたんに物事がうまくいかなくなる」場合

 

たいていは

幼児期の心の傷による

痛み=欠乏感からくる自己中心的な意図、目的にこだわり

 

自分ではない誰かの役割を担っていたり
苦しみや問題が 解決するよう行動するよりも
問題が解決されず苦しみが続いてる方が
楽だったり、安心できているのかもしれません。
 



この場合
「頑張る」のを止めることができません。

 

 

 

だけでなく 自分の役割で生きていない場合
消耗や疲弊は大きく、

不適切に
負の感情に囚われ
どれほど自分が
【頑張っているのか】
【酷い目に遭っているのか】
【酷い状態にあるのか】を語りたがり
【頑張る人や頑張る自分が好き】な人たちとともに

頑張り続けることを励まし合ったりします。

 

 

 


ですがそもそも
頑張らなくても上手くいく自分になる

(大人になる・EQが育つ)と都合が悪いため
負の感情をなかったことにし、否定し、大丈夫なことすることで
根本的な解決の道から外れ
苦しみを終わらせるのに ほとんど役に立たないだけでなく
解決に結びつかない、問題を長引かせる、
頑張り続けざるをえない被害者的な
物事のとらえ方、感じ方、対処の仕方が止まらず、
心の傷を覆う硬い自己防衛というやり方を
強化することになり得ます。



もしも
語る内容が

自分の命という生きる機会として

尊いものとして真に大切にしているという

真実を描写しているのであれば
あるべき姿へと 解決方法は
自然に導き出され 行動は自然に生まれ
「頑張らなくとも」
問題は解決し今 頑張って(苦しんで)はいないはず。
 



誰かが「頑張る」のを
良いことだと感じたり、評価をするのは
このように「評価する人自身」が
苦しむことを正しいと感じ
自分と同じような生き方

「同じ脚本の持ち主」を見て安心していることが
多くあります。

 

 

 

自分や人の
【苦しみが続く不幸な生き方】を継続させ、
【不幸な人生】の実現を後押しをすることになり
不適切な行動をいたずらに肯定し強化することになりかねない
ということをわかっていましょう。



例えば
数年、数か月、あるいは
数週間ものすごく頑張っているのに

それまでの
経済的な問題
仕事の問題
家族、人間関係の問題
健康に関する問題など
解決や解消が必要だと思える状況が
少しもよくなっていかないと感じているのだとしたら、

 

例えば
スケジュールをいっぱいにしていないと、
落ち着かない。

 

あるいは

気合で走り続け、

頑張るのを止めたとたんに

安心できる状況が破たんするのだとしたら
問題の質や量よりも

満たされず不足が続き、

ずっと「頑張ってる自分」「苦しみ続けている自分」の【状態】の方が
「幸せな自分」でいるよりも
楽で落ち着く、気がしているかもしれません。



この場合「頑張っている、苦しんでいる」

という事実の方が
重要な目的になっている、かもしれない

=役割を果たしているかもしれない、
安心なのかもしれない、

忠義だてしてるかもしれない、

償ってるかもしれない

自分に確認する必要があります。



もしかすると

あなたは 心の深いところで
幸福になり豊かになってしまい、

自分という生きる機会を喜こぶよりも
苦しみや問題の中にいる方が
「簡単、楽、安心できる、ほっとする」と
心のどこかで 思っているのではありませんか?



今でも
母親が自分を気にかけてくれ、
小さな子供にかけるような

「よく頑張ってるね」
「偉いね」などと 言葉をかけられることで
自分の「何処か」、「何か」が
【報われた】気分になっていませんか?



あなたは心の深いところで 幸福になり豊かになってしまうことで
「親から不安を取り上げる」気分にさせ
あなたに悪いことをしている気にさせるのではありませんか?



あるいは
親が抱える「不安という持ち物」を共有することが

ずっと親の子供でいられる、

親とのきずなの証明のように感じているのではありませんか?



あなたが 簡単にいきなり幸せで楽になる と
あなたは、誰に 悪いことをしてる気になりますか?



あなたのやるべきことが、
あなたの立場で正しいことを為される時、
ホッと肩の力が抜けた 楽で穏やかな状態です。


 

自らの心で感じ

自らの頭で考え

その場にいて
必要なことは自然に導き出され
外側の物事の状態に関係なく
共に取り組む仲間にとっても
最も自然で楽に物事は成されていきます。



「頑張る」という自己満足・・・・



「親よりも幸せにならない親孝行な娘(息子)の人生」というタイトルの
あなたの脚本で幸せになる人は誰もいません。



もしもあなたが
「頑張る自分や頑張る人が好き!」
「頑張る人を応援したい!」のだとしたら

あなたに一番 酷いことをし
周りに一番 酷いことをしているのは あなたかもしれません。

 

 

あなたがあなたを許してあげられますように。

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相談には
家庭で、社会で

いい子
いい人
いい友人
いい妻
いい親
いい社員 でないといられない人が沢山きます。

 


「いい・・・」というのは 一見

周りにとって
周囲にとって
世間にとって。。「いい」と思い込んでいるということ。

 

 


誰かの感情をわかってるつもりになって

誰かの期待にどんな時も応えてあげようとし
誰かの必要を満たしてあげようとし
誰かの望む通りの自分になってあげようとし
誰かの問題を何とかしてあげようとし


「あの人はきっとこう感じてる」と思い込んで

「この人はこうしてほしいんだ」と良かれと思い

(自分本位の)行動「してあげたのに」

「あの人は絶対~するべき(感謝や称賛)なのになんでそうしないんだ!」と

 

自分が相手を利用してることがわからず

 

自分の求めた結果が得られなかった、と
相手に怒りを感じたり、

やっぱり自分はダメなのだ、と 自己嫌悪する。。。

という
独り相撲を止められない。

 

 

このようにふるまっている限り

受け入れてもらえる気がし
必要とされてる気がし
優しくしてもらえる気がし
大切な人だと思ってもらえる気がし
愛してもらえる気がし。。。。と

 

自分の欲しいものが得られるような気がして


本当は
子供のころに満たされなかった欠乏感を
埋めようとする衝動であることに気づかずに
相手の気持ちを察して誰かを助けるために
自分が頑張ってあげてる気がします。

 

 

 

そうしてる間中

自分は

全てをわかってるように思え
自分を正しく思え

自分が優しい人に思え
自分は役に立ってる気がし
愛される人間になれた・・・気がし


ついには
本当の問題が心の奥深くしまわれ
本当の自分がわからなくなり、疲れ果て燃え尽き
子供の頃に心の傷を受けたあの時のシンボリックなシーンが
再現され、双方が傷つくまでゲームが再現されます。

 

 


けれども、どれだけこの不毛なゲームを繰り返したところで

本当の自分の心の未完了な問題を完了させなければ

欠乏欲求という幼児的欲求が作り出すゲーム化した反応は

状況や相手を変えながら延々と生涯 繰り返されます。

 

 


このような心の在り方や心の習慣を
「共依存」といいます。

 

 


心理ワークが進むにつれ
このゲームを戦っていた相手が 自分自身だったと気づいていき
自分と他人との心の境界
自分と他者との責任が 適切に分けられるようになり

自分の心で感じ、自分の頭で考えられるようになり

これまでと違う本当の反応を取り戻すことで

自分らしくなれたと安心するのですが
生まれた時から
この仕組みの中でしか生きたことがなかったために
同じ仕組みの中の親子関係とイメージが重なる

親のように親しみを感じる「共依存」の習性を持つ人に対して

よく知らないうちから 本物に思え 立派に見え 

大好きになり いい人だと信じ込み
優しく感じ、魅力的に思え、ものすごく自分に合う(相性がいい)気がするという

体に染みついたこの習性、反応=転移・逆転移のパターンは
ちょっとしたきっかけですぐに顔を出し
積極的に親しくなりたい衝動に圧倒され、

自分を客観的に評価し続けなければ

簡単に 再び共依存の仕組みの中に「後戻り」しやすいのです。

 

 

 

正しく自分自身を取り戻し、

自己価値、健全な自己愛、自己肯定感、自信を回復し
感情の育て方を学び自分で心を育てられるようになり 

一旦個人セッションを卒業した方々に対しても
時々調整に来るようお伝えするのには
このような理由があります。

 

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