記憶の砂粒


「詩人は一粒の砂粒からでも、世界を想うことができる」という。

詩人は、じぶんに与えられた

ちいさな砂粒のような手がかりから、

見知らぬ世界や、遠くで起きている出来事に

意識の焦点を絞り込み、

いま自らが生きている世界について

想うことができる、と。


詩人とは、もちろん職業のことではなく、

人があるべき原型のようなもの。

そして一粒の砂とは、じぶん固有のちいさな経験、

しかしそれだけが唯一まぼろしではない確かな経験のことなのだ。

僕たちはあたえられたちいさな場所や経験を通じて、

この世界を想い、大きな精神に触れる。

そのことの大切さが語られていた。


音楽という砂粒。手触りという砂粒。

そして家族という砂粒。

サラサラと降り落ちる記憶の砂粒のなか、

その向こうにはさまざまな世界が見える。


海の向こうの国々、生きものたちの暮らし、

水平線に横たわる月、遠い森のこと。


そして星霜夜の浜辺にひとり佇む人間という存在もまた、

広大な宇宙のなかに投げ出されて孤独に震える、

砂浜のなかのたった一粒の、砂なのである。



「僕のいるところ」 三谷龍二



三谷龍二さんは工芸家で木工デザイナーです。

これはこの方の初めての絵本です。

自分の作品を写真に撮って、それぞれに文をつけた構成になっています。


一粒の砂粒、本当にそうだなと思います。

日常の何でもないことを通して世界を感じる。

それは花でもいいし、雨粒や石ころでもいい。

最近ではそういったものを通して感じることの方が、

新聞やテレビを通じて得る知識より大切な気がします。

世界はあらゆるものの内に存在しているのです。


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月下独酌   李白


花間 一壷の酒
独り酌みて 相い親しむもの無し
杯を挙げて 明月を邀え
影に対して三人と成る
月 既に 飲むを解せず
影 徒らに 我身に随う
暫く月と影とを伴って
行楽 須らく春に及ぶべし
我歌えば 月 徘徊し
我舞えば 影 凌乱す
醒むる時 同に交歓し
酔いて後 各々分散す
永く無情の遊を結び
相い期す 遥かなる雲漢に



花咲く中に一壷の酒を置き
一人で酒を酌み 話し相手もいない
盃を掲げて満月を迎え入れれば
影法師と向かい合って三人となった
月は元より飲むことは出来ないし
自分の影はただ私の身体に従って動くばかり
でもまあ暫くは月と影と一緒に
こころゆくまで春を楽しもう
私が歌えば月は天上を舞い
私が踊れば影がゆらゆらと動く
酒を飲んでいる間は 三人で楽しみ
酔ったあとはそれぞれに別れてゆく
いつまでもこのような しがらみの無い交友を続け
そしてまた あの遥かな天の河で再会しよう




まだ春は少し先ですが、何故だか李白の月下独酌が浮かびました。

人によってはこういう飲み方は寂しいと思われるかもしれませんが、

私にはとても贅沢に思えます。

桜の咲く頃に静かにお月見をしながらお酒を飲みたいものです。



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あらゆる思想は、損なわれた感情から生まれる。


                「生誕の災厄」 E.M.シオラン



随分昔に読んだ新井満さんの「ヴェクサシオン」という本に、

この一文が引用されており、そこから派生して読んだ本。

本が本を呼ぶという連鎖はとても楽しい。

眠れぬ夜の一冊。


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さんざんな目に遭ったと打ちのめされて、元気もカラゲンキも木っ端みじんに吹き飛んで

3日目部屋の中でごろごろした

ごろごろ転がりながら

どうしてこんな目に、と思ったり

どこでなにを間違ったんだろう、と思ったり

いつまでこんなことが続くんだろう、と思ったり

いっそぜんぶ清算しちゃおうか、と思ったり

清算なんてできるわけないじゃん、と思ったり

ああほんとうにさんざんな目に遭った、と思った

同じところをごろごろ転がっているだけなので

考えることも同じところをごろごろ転がっているだけだった

4日目に、友だちに会いにいった

友だちに、さんざんな目に遭っているよ、とぶちまけて、泣いたりもして、

家に帰って寝た

少しお酒を飲んで、たくさん泣いたので、頭が痛くなったのだ

5日目に、いつものように朝起きて、

ああほんとうにさんざんな目に遭った、と思った

それだけ

6日目に、ごろごろ転がり続けて散らかった部屋を片付けて

棚の上のホコリを拭いて、玄関をよく掃いて、ドアを開けて外に出て

車に乗って出かけた

夕日が沈みかけた海岸線を何も考えずに車で走っていたら

空っぽの頭がふいに「人生はいとしい」と言った

どうして急にそんなことを思ったのかわからない

夕日がきれいだったから

海岸沿いに並ぶ松の木がたくましかったから

ひとりの車の中で大きな声で歌ったから

理由はいくつか考えられるけど、そのどれとも関係なく

言葉が勝手に降りてきた感じだった

勝手に降りてきた言葉にはひどく説得力があって

有無を言わせずあたしにわからせた

涙が出そうな気持ちで眩しい光の中をぐんぐん走った

さんざんなこともあるけれど、人生はいとしいのだ

神様は6日間かけ天地を創造し、7日目に休んだ

あたしは6日間かけて、人生がいとしいことを知った

明日1日休んで、このことはもう終わりにしよう

また新しいさんざんなことはあるだろうけど、でもこのことは終わりにしよう

それが、あたしのこの1週間


「神様は7日目に休んだ」 村椿菜文



偶然、行った展覧会のショップで見つけた詩集です。

この詩集はタイトルと装丁に惹かれて手に取り、今、私の手元にあります。
これもひとつの縁なのでしょうね。



神様は7日目に休んだ―The first collection of poems/村椿 菜文
¥1,050
Amazon.co.jp

パン屋の犬が坂道をのぼっていく

その後ろ姿を見たことがある

犬はいろいろ用事があるらしい


   急な坂道がある

   ところどころ うねっている

   その途中のがくんと大きく曲がる角に

   いま住んでいる

   細長いだけの風がまっすぐに抜ける部屋

   ベランダのむこうには

   別の坂道がとぎれとぎれに小さく見える

   そしてその周辺に

   建物や緑によって隠されてはいるけれど

   無数の坂道が連なっていることを

   わたしは知っている


   ここは

   いたるところからのびた坂道に囲まれている

   


   ここにいると

   じぶんが傾いているような気がしてならない

   どことなく不安定なのだ


   もちろん わたしは

   ほぼ垂直に建つ建物のなかにいる

   それなのに

   わたしの頭のなかで組み立てられている

   ここの周辺の地図や

   ひとつひとつの位置関係は

   ずいぶんめちゃくちゃな立体をなしてしまっている

   だから わたしは傾く


   (後略)



「世界によってみられた夢

  DREAMS1990 」  内藤礼




綺麗なブルーのグラデーションの装丁が美しい本。

今ではほぼ絶版に近く入手困難な本です。

17年前、アーティスト内藤礼さんの世界に触れたのはこの本が始まりでした。

そして昨年の暮れに、彼女の作品がある場所で鑑賞できることを知りました。

実はここは私が以前から行きたかった場所のひとつなのです。

今、直島で彼女の作品を鑑賞することができます。

最近はあちこちの雑誌で直島が取り上げられているので、ご存知の方も多いかもしれませんね。

本の中でしか見たことのない彼女の作品を、できれば年内に実際にこの目で見てみたいと思います。


内藤 礼
世界によってみられた夢

p.s. 私が持っている本は角川文庫の初版ですが、そのイメージはなかったのでちくま文庫のものです。

かなしみ


あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい


透明な過去の駅で

遺失物係の前に立ったら

僕は余計に悲しくなってしまった



「二十億光年の孤独」 谷川俊太郎



谷川俊太郎さんの詩です。

この詩は随分前に友達が好きな詩だと言って教えてくれたものです。

それ以来、私にとっても好きな詩となりました。

夏になると何故かこの詩を思い出します。


詩:別れ

テーマ:

人生離別 無くんば

  誰か 恩愛の重きを知らん


蘇東坡



何年か前の年賀状に、こう書いた友人がいました。

これは詩選からの引用らししいです。

その時哀しみに沈んでいた私は、この言葉に幾分か慰められました。

3月は別れの季節でもあります。

別れを哀しむすべての人に、今度は私からこの言葉を贈ります


天の使者、光の使者は、雲の隙間から射し込む陽の光に乗って地上に舞い降りてくると言う。太陽と雲が絡みあった時、よく見てみると天使が顔を出しているそうだ。童話のような話を、もう70歳にもなる宗教学者のおばあちゃんから聞いた。ザクレブから150キロ東にある谷あいの小さな村、シュマリエの山の上に建つ教会を訪ねた時だ。夕焼けが地上から沸上がる靄と空に浮かぶ雲を茜色に染めていた。

田原桂一「天使の廻廊―les Anges des Confins」


クリスマスということで天使に関連した写真集の紹介です。

この写真集の表紙には、このタイトルと同じ名前の香水が織り込まれたオリジナル芳香紙が使用されています。 本を開くたび、ほのかに香水が香り、何故か非常に懐かしい感じを受けます。

写真家がクロアチアの教会で出逢った天使たち。 それはイタリアやドイツ、フランスのバロック様式とはまったく異なるけれど、非常に魅力を感じます。
けれども、このうちの幾つかの教会はユーゴスラビア内戦で崩壊してしまっているそうです。
私も旧ユーゴスラビアのザグレブを訪れたことがあるのでこのことを哀しく思います。
そういう意味でもこの写真集は大切な1冊です。
天使好きな人にはおすすめです★
ただ、オリジナル芳香紙は初版限定のようです。

田原 桂一
天使の廻廊―les Anges des Confins

建築や彫刻のなかに卵型を多く採り入れるバロックは、装飾において何よりも、自由な曲線、蛇行する曲線、渦巻曲線を偏愛する。バロックは変化するもの、運動するもの、持続するものを好む。ところで螺旋は、一方では中心に向って無限に収縮し、他方では外縁に向って無限に拡張する、二つの無限のあいだで永遠に動している持続そのもの、終わりなき運動そのものなのだ。いわばピラネージの囚人の永遠の歩行である。

(中文略)

螺旋の道によって象徴された深淵への降下は、おそらく中心の探求であろう。それは自己の探求、あるいは宇宙感覚の探求と言い換えても差し支えあるまい。この探求は、ほとんどつねに死を含み、この死は、ほとんどつねに再生を伴うのである。だから螺旋は、死と再生を実現しながら、たえず更新される人間精神の活力の表現である、ともいえるのだ。


「胡桃の中の世界」 澁澤龍彦



またまた、非常に長い引用文でごめんなさい。

今回は少し硬いかもしれません。

私が高校生のころから傾倒している澁澤龍彦さんのエッセイです。

これは螺旋をテーマにしたエッセイで、ダンテから始まって、様々な作家、画家、学者たちの言が取り上げられています。

何故か螺旋に心惹かれる私としては、これは外せません。

螺旋に興味のある方は、ご一読ください。お勧めです★



澁澤 龍彦
胡桃の中の世界

このマユゲ犬は他のバリ犬とは一線を画して人々から常に笑顔を投げかけられつつ成育したわけだ。彼の顔が面白いがゆえにたいがいのニンゲンは彼の顔を見て笑う。

かくして赤子が母親の笑顔に反応して笑顔を返すように、マユゲ犬と人間の笑顔の交流がここにはじまった。わたしはそう思う。

むかし人格は他者によって作られると言った人がいたが、犬格もまたこのように他者によって形成されることが、このマユゲ犬によって証明されたと言える。そこにマユゲがあるというたったそれだけのことで人と犬とはめでたく和解し、心を温め合い、この世界の一隅を平和のオーラで染め上げる。私はこれを”天使のマユゲ”と呼びたい。


君、天使のマユゲを消したもうことなかれ。

君、天使の心のマユゲを失うことなかれ。


「藤原悪魔」 藤原新也



非常に長い引用文でごめんなさい。

私の好きな藤原新也さんの写真エッセイ集です。

疲れたときには、この「マユゲ犬の伝説」をどうぞ。

マユゲ犬の写真と犬と仲良く眠る子豚の写真に癒されます★

そのほかにも「天空の音楽」、「哀愁のブレックファースト」、「人猫丸航海日誌」などお勧めのエッセイがあります。



著者: 藤原 新也
タイトル: 藤原悪魔