講習会おわり、一晩だっての所感 | 母体武道 合気道 無元塾

母体武道 合気道 無元塾

成田伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。


先日は多くの方が、また遠路北海道や、四国からも来ていただいた方もいらっしゃり、とてもいい感じで終わることができたのではないかと思います。

ありがとうございました。

合気道自体初めての方や、バリバリの現役のかたや、打撃系の方、今度高校生になる若者、女性合気道家など、様々な方がいらっしゃいました。

ここの合気道でやろうとすることは、
この様々な背景の人達にも平等に、同様に現れる。

合気道の技を広く、深く知っているから、
早く理解できるというものでもない。

ただ、合気道という名称で表現しているので、
共通言語を持っている分、合気道を知っている人はちょっとだけ馴染みやすいというくらいなものではないかと、最近思う。

合気道と名乗る分、合気道らしい立ち居振る舞いを習い、修得するようにはしている。

成田先生は講習会の流れをあたたかく見守りつつ
、要所要所でアドバイスをいただきつつ、
最後の質問時間では、下記のようなを話をされました。


参加者から、成田先生の本にある" 遊"について質問があった。

".遊 "とは 身体的、精神的余裕のこと。

身体的が余裕が持てないと、、
ただ脱力しただけでは、
押し込まれてしまうと、、

先生の話は、こうだった、、

(要約して)

身体の前段に精神がある。

身体の余裕が無いのは、
いわゆる心の問題である。

物事を比較し優劣を考えることが問題である。
優劣とは、分別すること、競争すること。

対立することである。

(私は聞き逃したのですが、参加者の感想の中に
  教育ですら対立だということをおっしゃっていたということ。)

つまり、

余裕をもつには "無対立" であることが必要である。

違う表現でいうなら、

相手と一体であること。

一体感を、もつこと。


そこで、成田先生は質問者に、

あなた自体は、いま、余裕があるじゃないですか、、、




その話に我々は聴き入ってました。

わたしは時間になったので、

話を遮り、居心地のいい講習会を終わらせた。


先生が元気なら、またやりたいと思った。




そう思わしめる講習会でした。



、、、、