母体武道 静中心合気道 無元塾(クラニオアイキ)

平井伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。


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荒巻さんと最近、

差異と同一性ということでよく話をする。


全てを理解しているわけではないが、

こういうことなんだと思い始めている。


武道的に、合気道的に、ここでいつも言葉として取り上げている中心帰納とは、

言葉や概念などの同一性のことを言っている。


でも、しかし実際やっていること、稽古で求められることは、差異を感じることなのだ。


おそらく人によってその中心帰納は頭で理解しながらも、内部で感じている質感はそれぞれ違う。


荒巻さんは例えでこう言っていた。

犬は名前で呼ばれて自分の名前だと認識して

呼んだ人を見るのではなく、

声質の差異で自分の主人だと認識して見るのだと。

そういう差異を犬や動物はは敏感に感じているという。

逆に人間はいくつかの違うものの中から同一のものを抽出し、言語化し、概念化し、それを元に比較、分析する。

つまり人間の思考とは同一性を認識することなのだ。

だとすると、以前書いたことだが、
武道は考えないで感じることが重要だということだから、

中心帰納という概念化は極意を伝える手段としては矛盾していることになる。

でも、よくよく考えると、
そもそも中心帰納という概念自体
一般的ではないし、実際戦いの中で中心帰納を思考している暇などない。

だから質感としてとらえるようにする。

かと言って必ず正しく反射的に質感としての中心帰納が出来るとは限らない。(いや、出来ない。)

だからプロセスとしてのこういう稽古が絶対必要なのだ。


中心帰納という概念としての理解、

人それぞれ、もしくは毎瞬変化する差異を感じる感性の獲得、

正しく質感が起こるように抽象度の高い観念の確立とその反復練習。

最終的に思考なしに正しく反射できる境地。
(反射的行動が起こらない境地)


つまりは、

動物的本能である差異のところだけを求めても
武道はダメであって、中心帰納の正しい理解の元、上記プロセスは不可欠であり、その結果として、境地というセカンドネイチャーを獲得できるのだと理解しなければならない、、、

ということなのだ。


おそらく間違いない。


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