2012年12月1日(土)、日蓮宗 常寂光寺に行ってきました。



 今日からいよいよ師走。本格的な冬がやってきました。

 京都の紅葉も見頃を過ぎ、落ち葉になっているところも多くなってきています。


 天気予報では、午前曇で午後は雨。

 近場か遠方か迷った末に、やはり紅葉の見納めは、はじめてのところに行こう・・・

 近場の洛北はほぼ去年行ってしまったので、今日は嵯峨は小倉山の常寂光寺へ。


 常寂光寺は、文禄4年(1595年)、究竟院日禎上人により開創されました。

 日禎上人は、宗学と歌道への造詣が深く、当時、歌人としても著名でした。


 苔衣きて住みそめし小倉山松にぞ老いの身を知られける (日禎)


 その日禎上人に、歌枕の名勝小倉山を隠棲処として提供したのは、角倉了以とその従兄弟の栄可でした。


 慶長11年(1606年)、了以の大堰川(桂川)浚削工事が行われると、

日禎上人は、備前伊部の妙国寺末檀家であった瀬戸内水軍の旗頭、来住一族に書状を送り、

熟達した舟夫の一団を招いて、了以の事業を支援されたとか。

 これが、今日の保津川下りのはじまりとなっています。



 午前9時開門の20分ほど前に到着して、まずは周囲の紅葉を満喫。


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 山門。


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 山門からの参道。


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 仁王門。

 日蓮宗本山の本国寺の南門が移築されたもの。

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 本堂。

 桃山城の客殿が移築されたもの。

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 本殿付近からの展望。

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 妙見宮。

 北極星又は北斗七星を象徴する菩薩が祀られているとか。




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 多宝塔。

 辻藤兵衛尉直進の京都町衆が大壇那として献じたものとか。


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 はるか彼方に比叡山。


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 歌仙祠

 藤原定家卿小祠だそうです。


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 開山堂。


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 元に戻って、本堂前の可愛い木の実。


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 鐘楼。


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 紅葉の数々。


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 再びの仁王門。


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  そして、紅葉・・・


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 わずか18歳で日蓮宗大本山本国寺の法灯を継がれ、

宗学と歌道への造詣が深く、保津川下りの起源も創られた多才な日禎上人。


 そんな日禎上人が隠棲処とされた名勝小倉山は、

多彩な紅葉で、晩秋の嵯峨を美しく染め上げているのでした。
































 


 2012年10月13日(土)、落柿舎に行ってきました。



 落柿舎は、元禄の俳人向井去来の草庵です。


 去来は、松尾芭蕉の門下の第一の俳士。芭蕉の最も信頼の高い高弟で、

師翁から「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」と称えられました。



 去来が落柿舎を営んだのは、貞享4年(1687年)の以前です。

 芭蕉がはじめて訪れたのは、元禄2年(1689年)で、併せて3度来庵されています。

 元禄4年(1691年)には、4月18日から5月4日まで滞留され、

その間に「嵯峨日記」を誌されています。



 今日は、見事な秋晴れ。


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 杉林の木漏れ日の奥にひっそりと佇む落柿舎。


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 生垣の向こうには、落柿舎が・・・


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 見えてきました。


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 門に到着。


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 門前の石碑。


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 落柿舎の入口にかけてある蓑と笠。

 本来は、庵主の在庵と不在を示すもので、蓑笠がかけてあったら在庵、なければ外出中というしるし陀そうです。

 今は、いつもかけてあるそうです。

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 本庵の土間。


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 玄関。


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 四帖半の間。


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 「柿主や梢はちかきあらし山」(去来)


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 樹齢400年の柿の木。

 

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 こちらは、紫式部の実。


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 洛中一古いとされている去来の句碑。

 荒廃していた落柿舎を再興した二世庵主 井上重厚が安永元年(1772年)に建立。

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 芭蕉句碑。

 「五月雨や色紙へぎたる壁の音」

 嵯峨日記の最尾の句です。


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 昭憲皇太后句碑

 「加茂川のはやせの波のうちこえしことばのしらべ世にひびきけり」


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 次庵。


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 晴れ渡った秋空の下、

落柿舎から田園風景の彼方に望む小倉山は、

きっとあの頃と同じ。


 この自然が織りなす風情と季節の演出の中でこそ、

去来は、芭蕉から伝えられた風雅の道を歩んだのでしょう。  




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 2012年9月29日(土)、真言律宗 浄瑠璃寺に行って来ました。



 永承2年(1047年)、義明上人が、薬師如来を本尊とし、

一日で屋根を葺けたというほどの小さなお堂を建てたのが始まりです。


 そして、嘉承2年(1107年)に九体阿弥陀堂が造られ、

久安6年(1157年)、興福寺権別当をつとめた興福寺一条院の門跡恵信が、

浄瑠璃寺を一条院の御祈所とし、坊舎などをまとめ、庭園を整備していきました。

 治承2年(1178年)、京都の一条大宮から現在の位置に三重塔を移され、

薬師如来が祀られました。


 浄瑠璃寺の寺名は、創建時のご本尊、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界から付けられました。

 薬師仏は、太陽が昇る東方にある浄瑠璃浄土の教主で、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遺送仏、

 一方、阿弥陀仏は、その太陽が進み沈んでいく西方にある極楽浄土の教主で、未来の理想郷である極楽浄土へ迎えてくれる来迎仏です。


 「薬師に違送されて出発し、この現世へ出て正しい生き方を教えてくれた釈迦仏の教えに従い、

煩悩の河を超えて彼岸にある未来を目指して精進する。

 やがて、阿弥陀仏に迎えられて西方浄土へ至ることができる。」

 

 梵字の阿字をかたどった池を中心にして、東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園は、

極楽世界をこの世に表わしたもので、

平安時代には京都を中心に30 以上こようなお寺があったそうですが、

当時のまま現存するのは、浄瑠璃寺だけです。



 とても落ち着きのある山門です。



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 鐘楼。


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 浄瑠璃寺では、まず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、

その前でふり返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝とか。

 で、まず東方の三重塔へ。


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 三重塔からふり向いて観た本堂。


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 本堂へ。


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 本堂内には、九体阿弥陀如来像が柱と柱の間に祀られ、

一体一体の如来が堂前に板扉を持ちます。

 これらは、元々、本堂の外からお参りすることを想定して、本堂が建てられたからだそうです。

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 本堂からの三重塔。

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 今は唯一のものとなった浄瑠璃寺の九体阿弥陀仏。

 未熟な私達を理想の未来へ迎えてくれる如来。


 東方浄土から西方浄土まで、浄瑠璃世界を巡らせていただいた後、

ふと気が付くと、周りですすきと数々の花が微笑んでいるようでした。


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