衆議院議員会館へ

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未来の子どもたちのために!!!
チャンスクを継続していくために!!!

今日は福島大学奥本教授(おっくん)と
衆議院議員会館に行って来ました。

今回、ご紹介して頂いた、
衆議院議員亀岡よしたみ様の
秘書であります。
亀岡まなみさんのご紹介で、
日本スポーツ振興センターの方とお会いし、
チャンスクの取り組みと、
日本スポーツ勉強会になりました。
そしてご指導も受けさせていただきました。

夢、目標ある子どもたちが、
活躍できる場をチャンスクから
作れたらと思っております。

ここから、
これから、
もっと作れるような取り組みを
行動して行きたいと思っております。

CHANNEL SQUARE(チャンスク)とは。
福島の子供たちが、“室内で”“無料で”“
健康的に”遊べるパークランド。
それがチャンネルスクエアです。
東日本大震災を経て、福島では子供たちが、
室内で安全に遊べる場所が必要となりました。
幼児のための施設は整ってきましたが、
小・中学生が本気で体を動かせる場所は、
なかなか誕生しませんでした。
そんな中、生まれたのがチャンネルスクエア。
スケートボード・ボルダリングといった室内スポーツを通じて、
小・中学生が本気で遊び、 健康的に笑顔になるチャンスクです。

さらに、2020年の東京五輪種目になった、
この2競技での選手育成を通じて、
福島に新しい希望を生み出したいと考えています。

もちろん五輪を目指す子供だけではありません。
彼らが生涯にわたってスポーツを楽しむために、
世代を超えた交流を生むために、
18歳以上の大人の利用も可能にしています。

大人の利用者には、施設運営のサ ポート費をいただき、
子供たちの無料利用につなげていけたらと思っております。

今尚、チャンスクに通う、
福島のこどもたちに
(最高の遊び)をプレゼントして、
FREEな遊び場の継続に向けて、
これからも活動していきます。

応援サポートサイト、
寄付サイトになります。
http://japangiving.jp/p/3560

応援よろしくお願いします。
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観点脳

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自分の人生の中で、

様々なイメージがあり、

やり方ができる。

 

この時代。

 

自分が見た人生とは。

そこにある環境であり、

そして活動があり、

そこにしかない観光があり、

ここでしか作れない産業があった。

 

それには(人)との

出会いがあるからこそ見れた。

 

人との繋がりがあり、

人が生み出す力と、

伝える魅力だと感じます。

 

遊び心から編み出された発想が、

形となり、楽しさに変わるもの。

変革であり、進化でもあるります。

 

それが田舎であろうが、

地方であろうが、

都会であろうが、

住む人の街の価値だと思う。

 

バカ儲けだけが成長ではなく。

やりたい事ができる時代。

だから、

発想は形に進化していくもの。

 

それを継続してきた環境と形が、

SHREDDERであり、

BRAVE projectであり、

YES.NOW BOARDであり、

CHANNEL SQUAREとなりました。

 

人との繋がりが一つの地域の進化した形。

だから出会えたみなさんに感謝したいです。

 

でも理想と現実は違うものです。

壁にぶち当たりながら、

向き合いながら、

乗り越えて行かなきゃダメだし、

諦めてもダメ。

それが自分のメンタルとの戦い。

だから人生は面白い、けど。

 

見極めも大事。

理想的なことやっていても、

いいことやっていても、

四苦八苦してたらもっと大変になる。

だから見極めて次にいく勇気が必要だと思う。

 

それは諦めるのではなく、

逃げるのではなく、

ブレるのでもない。

次のアクションに進むだけ。

それが変革であり進化だと思います。

 

それに気付かされた3.11です。

良くも悪くも自分がどう動くか?

決めるのは自分。

自分の熱い思いと情熱で仲間に助けられてます。

 

そして今の福島は見た目は普通に暮らす福島の人だけど、

本当は不安を抱えてるんですよ。

一番わかるのはお母さんたちです。

お母さんたちを守らなければ、

子どもたちも守れません。

放射能に麻痺してはダメなんです。

 

今の福島をどう向き合い、どう考え、

自分の答えを合わせられるかです。

 

自分の答えを知らないと、

次の世代にバトンを渡せません。

見て見ぬ振りにはできません。

 

3.11があり、

家族と離れた5年の時間は戻すにも戻せない。

自主避難で離れてたけど、

今は一緒に暮らせてる幸せが最高にいい。

やっぱ家族とは一緒にいるのが当たり前。

子どもたちと離れてた5年の時間。

これからの時間をもっと大切にしたい。

 

自分が動いて見て来た観点脳と、

出会えた人たちとのオリジナルってものを

もっと表現して形にして行きたいと思ってます。

 

だからCHANNEL SQUAREが生まれたのです。

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mooへ

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ムー、渡邉宗史。

月曜日のあさ昇平から電話あって急いでムーの家まで会いに行ったよ、だけどお母さんとお兄さんにまだ帰って来てないと言われ、次の日、またムーに会いに行ったけど、またムーがいない。おまえ逃げてるだろう?俺に怒られるから逃げてるのかな?なんてお母さん、奥さんに言われて来た。そうだよな、ムーと出会ってもう23年だからな、俺のピザ食べてめっちゃ美味いって23年前言ってたなムー。

スケートバカで、カメラ好きで、人思いで、頑張り屋。
言わずと知れた親バカで子ども達を一番に考えてこの人生38年まっすぐに生きてきたムー、みんな分かってるよ。知ってるよ。

ムーが高校生のときシュレダーのライダーになって社会人になって本宮に大きな倉庫を貸してもらえる仲間がいてそこにスケートボードのスケートパークを作りたい。って俺に言ってきたとき、まぁ〜ようするに金を出せって言ってきたムーを思いだすよ。俺そうゆうヤツ大好きだから即答でスケートパーク作るべぇ〜なんてコロニーができたね。サムライの雑誌の撮影でスケートプロライダー軍がコロニーに来たときすげぇー興奮してるムー見てちょっぴりキモかったよ、ウソウソそれみて俺も嬉しかったよ。

ムーのパーク、コロニーで大会開催したとき沢山の参加者集まったね。その時もムーが練習時間のとき、また興奮してRで転けて足の骨折っちゃったね。みんな見てたよ。自分の足よりメガネを直すムーみて、やっぱこの人メガネだぁ!ってみんな思ってたと思う。

なんかそこからメガネくんとかムーくんとか言われるようになったかもね。

ムーと昇平とライダー達といろんな事を話して、もっと福島にスケートパークがいろんな場所にあったらいいよね。なんて言うとムーが署名活動に使う文章まとめてみんなで集めたね。あれ3千人くらい集めたかなぁ?でもなかなか出来なくてね、それまでショップの前でパーク作って遊んでたね。それもそれで楽しかったけど、俺は夢中になってスケートするムーが好きだったなぁ〜。

そこから数年が経ち、署名活動で集めらた署名が活かさたよね。それが十六沼公園にあるスケートパークだね。ムー俺たち役に立ったね。

それぐらいからシュレダーから昇平が独立して街中にスケートショップDIが誕生してムーが昇平のこと心配して相談に乗ったことあったね。そんなこともあってシュレダーから移籍したけど変わらずの付き合い。一緒に酒を飲んだり、祭に行ったり、イベントをしたり、パーティーしたり、よろずやで飲んで語ったり相変わらずの付き合いでいたね。

それから震災、原発事故が起こり放射能のことで考えることが多く、お互い子を持つ親として福島で暮らして行くために、いろいろ話したよね。そして福島の子ども達のことも考え、楽しく過ごして行けるよう。ムーがNPO法人オンザロード事務局長になって子ども達と千葉の海に行ったり、種子島の海、久米さんのところに行ったり、EXILEのウサくんと子ども達とダンスしたり、作家、自由人の高橋歩と1日100人10日間の除染元気祭りしたり、ムーが居たから復興につながる子ども達の役名になってたね。特にムーは復興イベントF-WORLDで知り合った四星球のバンドのライブにハマって家族でもライブ見に行ったりして四星球と仲良くしてたよね。俺に会うたび早く四星球呼んでライブしましょう〜ってニコニコして話してたね。ムー必ず呼ぶから待ってて。そんな人の為に活動してきたムーの魂でもあるCHANNEL SQUAREもその一つの形だからね。一番大変だった初期メンバーの事務局長渡邉宗史のバトンを受け継いでこれからもやり続けていくからね。

だけどムー。まだ受け入れられない。みんなそう思ってる。
けど一番はムーだよな。なんで、なんでって言ってるムーがわかる。一番困ってるムーもわかる。だって世界で一番大切な家族を置いて行ってしまったんだから。ムーの家に行ったときムーが家族のそばに居たのもわかる。子ども達のそばに、家族のそばに寄り添ってるムーがわかる。ムー辛いよな。残された家族も辛いのわかるよな。がんばって、がんばって、家族で楽しくがんばって来たムー。やり残したことたくさんあるよな。この前息子エムと奥さんと話してきたよ。ムーが楽しみにしてた写真展12月必ずやろうって約束してきた。渡邉宗史の写真展(メガネの視線)必ずCHANNEL SQUAREやるから。四星球ライブも家族みんな呼んで。それまで、さよならはなしだからねムー。






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