筆子 その愛 ―天使のピアノ― (06・日) | no movie no life

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・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

「娘が白痴だと知らされた日、自分は娘と一緒に死のうと思った。」


時は明治。富裕な家に生まれた筆子(常盤貴子)はフランス留学から帰国後、結婚、生まれた娘幸子は知的障がい児だった・・・。夫を早くに亡くし、娘を育てる傍ら、津田塾大学の創始者・津田梅子らとともに同じ時代に女子教育に携わった筆子は、やがて知的障がい児の施設を経営する石井亮一(市川笑也)と出会う。彼らは夫婦となり、共同で施設運営し、偏見に満ちた社会にありながら、無償の愛を子どもたちに与え続ける。・・・


「白痴」と言う言葉が私の中で酷くショッキングに響いた。


「何故、自分の子どもが?」筆子は夫の前で嘆く。
夫は優しく言う。「幸子が自分たちの子どもであることに変わりはない。自分はそれを恥じることはないし、変わらずに愛する」と。


親ならば、誰もが直面する大きな壁。
でも、筆子の以降の生き様は、障がいを持つ子どもの親であるからこそ、なしえたのではないか。
「何故、自分の子どもが?」
逆に言えば、「この母」だからこそ、幸子は生まれてきたのではなかろうか。


筆子自身は、夫に先立たれ、3人の娘も知的障がい児で若くして亡くなるなど、自らの家庭においては決して恵まれたとは言えない。
さらには、施設の火災で子どもを数人亡くし、また戦争という困難な時代のなかにあって、石井にも先立たれ、教え子が戦死してゆく・・・


何故、そこまで無償の愛を子どもたちに与え続けることができたのだろうか。
・・・子どもたちから、それ以上の愛を受け止めることに喜びを感じる、「心」があったからではなかろうか。
母親と言うだけではなく、教育者としての「心」。


私は、教育に携わったことは無いので、教育者と言うよりも、「自分の生んだ子どもが障がいをもっていたら・・・」と言う「母親」の目線で観てしまっていた。
自分はちゃんと育てられるのだろうか?
率直に言って、自信はない。


でも、筆子たちによって築かれた障がい児教育や福祉の基礎をさらに拡充し、もっと安心して子どもを産み育てることのできる社会を作ることが出来たなら・・・と、真に願う。


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