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NHK「その時 歴史が動いた」にて廃藩置県を取り上げてました。

教科書ではたった4文字でした表されず、先生の説明もサラッとしたものになりがちですが、なかなかどーしてドラマティックな場面だったので心に染みました。


「藩」に代表される武士階級の封建制度(領主が土地・人民・租税・軍事などを直接支配する仕組み 中央政権からもほぼ独立した自治区的制度)ですが、古くは鎌倉幕府の時代から日本の社会を形作ってきた伝統的な制度です。
明治維新に至るまでの実に700年間、日本のDNAとして当たり前の世界観として受け入れられて来ました。
ですが、列強の帝国主義政策(弱い国を軍事力・経済力をもって植民地化していく)華やかりし時代、鎖国から目覚めたばかりの貧乏国日本が自主独立を保つためには、弱い力を更に細分化するような藩に代表される封建制度は百害あって一理なしという状況でした。(当時の朝廷の税収入は、日本の40%程度を占めるのみ)
「廃藩置県は日本の夜明けぜよ」っと言ったかどうかはわかりませんが、ある意味、終戦直後の農地改革に匹敵するような革命的出来事だったのかと思います。
弱い力を一つに結集させる「中央集権化政策」・・・そのために廃藩置県は是が非でも断行しなければならない近代化の一里塚でもあったわけです。事実、廃藩置県後、地租改正や徴兵制度など、富国強兵・殖産興業のための改革案が次々断行されていきます。

しかし、明治政府を取り仕切る維新の志士たちは、元々はその藩主たちの臣下・・・
また、維新に貢献した武士階級自体をぶちこわすドラスティックな政策は、日本に内乱を引き起こす危険すらはらんでいました・・・
まさに八方塞り。


でも、そんな時、ある藩主が「廃藩置県を断行すべき!」っと声を上げます。この人の名はもう後世まできちんと記録すべきですね。


隠れた日本の恩人です。


鳥取藩主 池田慶徳候です。


この方は、明治維新後、多大な借金に苦しんでいた鳥取藩をドラスティックな藩政改革(俸禄1/10制とか)で乗り切ろうと努力しました。しかし、維新後の各藩の借金問題などは一藩の問題としては処理しきれない・・・また、欧米列強に対抗するためには藩ごとバラバラの政策、軍事力ではどうしようもないということで、自らの領主の特権を放棄してでも廃藩置県を進めるべきと考えられたようです。
この声に呼応するように、数々の諸侯が廃藩置県を訴えるという、明治政府には想像もできなかった事態に発展していきました。
そんな動きを後ろ盾にしつつ、廃藩置県に頑強な抵抗をしめしていた薩摩藩などの思惑を押し切り、明治4年7月14日、電撃的な天皇勅召により廃藩置県が成立しました。

先祖代々引き継いできた領主としての地位。儒教的には命に代えても守らなければならないものを、日本の将来と言う大儀のために捨て去った覚悟はどこから沸いてきたのでしょう。
今流行の言葉で言うと、パラダイムシフトが起こったわけですね。すごいっす。

また、これだけにとどまらず、廃藩置県に賛同した旧領主達は後に、私財を投じて日本鉄道株式会社を設立し、新橋-横浜間の鉄道建設・・・日本の近代化に欠くべからざる貢献もされました。


なんとなく、トム・クルーズ主演のラストサムライのクライマックスで、新政府軍の兵士たちが死んでいった侍たちに頭を垂れているシーンを思い出してしまいました。

殿様たちの決断のお陰で、今の日本が形作られたわけですね。ありがとうございます。


とかく私的な価値観が優先される現代ですが、明治の人達のような公の心を持ちえるのかなあっと思いました。
歴史の授業は、もっと近代の面白さを伝えるべきですな。(もちろん暗さも伴う歴史ですが)


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