転合庵茶会 春雨に人集う | 俳茶居

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       防人に木の芽の路の地雷かな (呑亀〉

転合庵茶会 春雨に人集う


転合庵への道

茶人張茹涵 さんの新たなスタートが始まる。台湾から留学中の彼女の一区切りに、東京国立博物館茶室「転合庵 」で茶会「無時 卒業茶会」)開かれ、その客となった。日々の勉学やブログで拝見する動きの中に、将来『茶』の道で生きる覚悟が伝わる。茶会の様子は、彼女の日本における中国茶の先生、ちょしさんのブログ に丁寧に再現されている。



           転合庵

 

 お茶とは何か。彼女は人生のテーマを20代の若さで見つけた様である。ある時彼女に聞く機会があった。お茶と出会うきっかけは何であったのか。台北の茶藝館「紫藤蘆 」でアルバイトを一年したことと返答があった。「紫藤蘆」は、1920年日本の台湾総督府付高級官僚の官舎として建てられた日本式家屋。戦後は台湾の役人の官舎となった。紫藤蘆の主人周渝は、公務に就いた父親の代から紫藤蘆に住み、1981年に茶藝館に再生する。周渝は、台湾を代表する高名な文人、茶人である。お店の水は、台北近郊の温泉地「烏来(ウーライ)」より運ぶ徹底ぶりだ。彼女が周渝からどんな影響を受けたかはわからないが、お茶との出会いとしては恵まれたと言える。



ルハンさんの福寿山冬片のお点前
 

 お茶の国から日本に来てお茶の勉強をする。一見不思議な図式だが、外からだから見える物は多い。アジアの東の端の島国日本には、大陸や半島、南北の島々から、長い時間をかけ伝わったものが撹拌され、やがて日本文化に収斂される。茶道もしかり、日本人が昇華した文化のひとつである。是非日本から見える世界も大切に願いたい(その辺は、ちょしさんの青春と重なりそうである)。

やがて彼女は、アジアの多様な茶文化の俯瞰と往還の中から、現代の「茶論」を纏めることとなるであろう。その長き途に就かれた記念の茶会に招かれたことは幸せである。又、笑顔の母上にお会い出来たのも嬉しいことであった。   2016年3月吉日 俳茶居


        ちょしさんの茶席 白豪銀針抹茶仕立て


紫藤蘆主人周渝は「茶」について記している。

「茶葉の奥深さとは、『吸収』することである。〈中略〉つまり、山や丘に育ったお茶の木は、周囲の息吹、そして山水の気質を思いっきり茶葉の中に吸収するのである。あるいは、それこそがお茶の独特な魅力の根源かも知れない。そのことを知っている多くの東洋人は、茶葉一枚を通じて山水の風景と大自然の精神を体得するだろう。」  ―『中国茶と茶館の旅』〈新潮社〉より―