私は、博士課程を中途退学(以下、中退)し、
大学院を飛び出して、社会に出るとき、
「アカデミックでだめだったのだから、
ビジネス界で、その失敗分を取り返してやる。」
と思って、退学届を笑顔で提出した・・・。
今から思えば、すごく肩に力が入っていたかな。
しかも、修士課程や学部時代の友人たちが、
入社した大手企業ではなく、ベンチャー企業を
目指した。
「今、社員が3人のベンチャー企業なら、将来は
(成功すれば)、一部上場企業の重役だ。」
そう思っていた。
「学術界でだめだったのではない、
経済界で望まれていたのだ。」
そう思おうとしてきた・・・・。
そうして、何とかやっていけそうなベンチャー企業
を探したが、
自分でベンチャーを興そうというのならまだしも、
最初からベンチャーと言うのは、そこに集まる人たち
も何かしら、「傷」を持っている。
・学部のときに単位が足りなくて、3月に卒業できなかった人
・大学院に不合格で研究生を続けたが、またまた不合格に
なった人
・高卒から社会に出たが、ホワイトカラーになりたくて、
無名のアメリカの大学を卒業して、技術者となった人
・博士号を取得したが、アカポスをGETできずに、就職してきた人
など・・・・・。
経歴に「傷」ができた自分にはお似合いの世界だった・・・。
そして居心地も良かった。
しかし、僕がいた場所には、
旧帝大で博士号をGETし、就職してきたIさんがいた。
(上記の理由で)
入社して、2か月経ち、正式に社員となった頃に、
歓迎会をしてくれた。
開始時間からお酒が入り、打ち解けたころに、
博士号を取得していたIさんが、僕に近づいてきた。
僕は中退してきたことの後ろめたさもあり、
「Iさん、博士号を取得したんですね、
すごいですね。」
と、半ば羨望のまなざしで話しかけた。
すると、彼は、
「それほどでもないよ。」
と、照れながら頭を掻いていた・・。
が、気が緩んでいたのか、はたまた、謙遜のつもりだったのだろう、
「博士号なんて、
自分の好きなことして遊んでいれば、
誰でも簡単に取れるよ。へ、へ、へ・・・」
と言い放った。
Iさんに悪気はなかったのかもしれない。
しかし、
悩みに、悩みぬいて、
頑張りに頑張って、
そして、中退をした人間の前で言う言葉ではなかった。
それを泣く泣く諦めていた自分の前で言うとは・・・。
その時、
「プッツン」
と何かが切れる音が聞こえた。
畳の上で正座していた僕は、膝の上で、両手の拳を
ギュッと握りしめ、ニコッとしていたが、宴会の帰り道、
誰もいない電車の車両で、急に涙がこぼれてきた。
悔しかった。
ただ、ただ、悔しかった。
こんなに悔しいなら、もっと頑張れたはず・・・。
「もう一度やり直したい」
そう思った。
・・・・・・。
それから、一週間、悩みに悩みぬいた自分は、
教授に電話をかけ、
次の週の土曜日に時間を頂くことにした。
そして、恥も外部もなく、
教授にお願いをして、
再入学の許可をもらった。
さらに一カ月後、
「社長、すいません。
もう一度大学に戻りますので、
辞めさせて下さい。」
と、辞意を表明した。
自分のようなキズものを正社員として雇おうと
してくれた社長である。
皆から、ワンマンと呼ばれ、たばこのマナーも
悪かったが、僕にとっては恩人だった。
「なんだ、てめぇ~、恩を忘れやがって!!」
と、殴られても文句は言えなかったが、
一言。
「分かった。」
と言って、辞めさせてくれた。
そして、会社から支給された品お返し、
正門で一礼して、家路に就いた。
・・・・・。
あれから、3年後。
僕は、論文を書き、博士(工学)を取得した。
もし、あの会社に入社していなかったら、
もし、あの何気ない一言がなかったら、
もし、あの時の悔しさがなかったら、
もし、あの時教授がいそがしかったら、
もし、教授が再入学を許可しなかったら、
もし、会社を辞めさせてもらえなかったら、
一つの「もし」もなかったら、今の自分は
存在していなかった。
自分は博士課程にすら戻ることはなく、
博士号を諦めながらも、
世間を斜めに見ながら生きるしかなかった。
・・・・・。
あのときは、悔しさでいっぱいであったが、
今は、感謝の気持ちでいっぱいだ。
Iさん、ありがとうございました。
あなたのおかげで、博士号を取得できました。