初期大和政権の大王墓とみられ、国内最多の81面分の銅鏡が発見された桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市)の調査成果が、考古学界に思わぬ波紋を広げている。これまで“最高級の鏡”として君臨してきた三角縁神獣鏡が実はBクラス向けで、逆に注目度の低かった国産の大型内行花文鏡に脚光を当てる説が浮上したからだ。出土枚数や技術面がその根拠となっているが、果たして三角縁神獣鏡は、主役の座を明け渡すのか-。

(小畑三秋、川西健士郎)

 ■権威の象徴にあらず?

 「古墳研究は、三角縁神獣鏡をピラミッドの頂点として進んできたが、最も重要な鏡は国産の大型内行花文鏡。発掘成果は、学界を二分する議論を起こすだろう」。調査を行った奈良県立橿原考古学研究所の菅谷文則所長はそう言い切る。

 古代の鏡は姿見用ではなく、権力者の権威の象徴だった。故に鏡は「古墳研究の華」ととらえられ、中でも、不老不死を願う中国の思想をモチーフに、神を精巧に表現した三角縁神獣鏡は最高峰に君臨してきた。

 各地で出土した三角縁神獣鏡には、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国の王朝・魏に朝貢した「正始元年」(西暦240年)と記されたものが含まれる。学界では魏志倭人伝の記述をもとに、三角縁神獣鏡こそ卑弥呼が魏の皇帝から下賜された「銅鏡百枚」で、国内を統治するため各地の勢力に配った-というのが、50年来の定説となっていた。

 これに対し、菅谷所長は、三角縁神獣鏡が東日本以西の全国の古墳で出土している点を踏まえ「最も容易に入手できた鏡で、中央政権の中でもワンランク下や地方の勢力向けのものだった」と主張。大王墓の桜井茶臼山古墳で出土した鏡81面分のうち、三角縁神獣鏡が約3分の1の26面分にとどまった点もその根拠としている。

 ■「大型」に着目

 内行花文鏡は半円を組み合わせた単調な文様で、これまで研究者の間であまり重視されなかった。しかし菅谷所長は、大型で高い製造技術を要するが、10面文が一度に発見されたことなどから、「初期大和政権では、国産の大型内行花文鏡こそが権威の象徴だった」と推測する。

 対して、福永伸哉・大阪大大学院教授(考古学)は「三角縁神獣鏡の重要性は揺るがない」と主張。魏志倭人伝の「銅鏡を国中に示せ」との記述に着目し、「三角縁神獣鏡は26面しかないというが、権威の象徴として地方に配るものであり、中央で抱え込んでいても意味がない」と指摘する。

 ■大陸情勢で価値変化か

 一方、小山田宏一・大阪府教委文化財保護課主査は内行花文鏡の価値を大陸の情勢と関連づけて考える。

 卑弥呼が朝貢した3世紀前半の中国は「三国志」で知られる魏・呉・蜀(しょく)の時代だったが、桜井茶臼山古墳が築造された4世紀前後は西晋(せいしん)王朝に代わり、内乱が絶えなかった。

 小山田主査は「卑弥呼の時代は強大な中国の権威を国内統治に利用できたが、中国の内政悪化で影響力が低下すると、倭国王は独自に権威の象徴を創出する必要があった」とし、「その象徴が国産の内行花文鏡。鏡の国産化政策を推し進めた人物こそ桜井茶臼山古墳の被葬者だ」と指摘。この段階で国産の内行花文鏡が主役となり、新時代の幕が開けたという考え方だ。

 果たして、大和政権は国内をいかに統治したのか。2種類の鏡には、国家誕生の謎が秘められている。

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 桜井茶臼山古墳の出土品は31日まで、奈良県橿原市の橿原考古学研究所付属博物館で展示されている。

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 【用語解説】「三角縁神獣鏡」と「大型内行花文鏡」

 三角縁神獣鏡は直径20センチほどで、外側の縁が三角形であることから名づけられた。国内で400面以上見つかっているが、中国ではほとんど確認されておらず、卑弥呼が中国から下賜されたものではなく、日本製との説もある。内行花文鏡は、花びらを表す半円を内向きに配置した文様が特徴。中国製は直径15~20センチが多いが、日本製の大型は直径35~45センチ。

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