長崎県五島市の北西約85キロの東シナ海で、長崎市の水産会社「山田水産」(山田浩一朗社長)所属の底引き網漁船「第2山田丸」(113トン、股張(またはり)保船長ら10人乗り組み)が行方不明になった事故で、第7管区海上保安本部(北九州)は12日、巡視船3隻を出し、水産庁の漁業取締船3隻とともに付近の海を捜索した。

 しかし、現場海域では強い風が吹き、12日夜も波高4~5メートルと荒れており、捜索は難航している。一方、運輸安全委員会の船舶事故調査官2人が12日夜、山田水産に到着。山田社長から当時の状況を聞いた。ともに出漁していた第1山田丸が帰港し次第、乗組員から聞き取りする。

 事故の報を受け、行方不明になっている日本人乗組員4人の家族らは続々と長崎市の山田水産本社に詰めかけ、無事を願った。機関長満尾幸人さん(60)の姉(68)は午後4時頃、兄2人と一緒に長崎県島原市から駆けつけた。

 午前9時頃、テレビのニュースで幸人さんが行方不明と知り、言葉を失った。幸人さんは6人きょうだいの末っ子。漁師の父の背を見て育ち、男4人は全員漁師に。しかし兄の一人は20年ほど前、漁の途中で船が転覆し亡くなった。

 幸人さんには娘2人と息子1人がいる。「万分の一の確率でもいい。無事でいて」。姉は声を振り絞った。

 股張保さん(49)は11人きょうだいの末っ子で、長崎市の中学校を卒業後、漁業の道を選んだ。20歳代で別の水産会社の漁労長を務め、30歳で船長となるほどの力量だった。

 「若くして船長になった弟は家族の自慢」と横浜市に住む長兄の次男(つぎお)さん(68)。「長崎に帰省した時は一緒に飲んだ。漁が好きで、まじめな男。早く長崎に行って安否を確かめたい」と話し、13日朝にも飛行機で長崎市へ向かう。

 この事故では、第2山田丸に乗り組んでいた中国人6人も不明になっている。6人は北京の人材派遣会社から山田水産に派遣されていた。外国人も船員手帳を取得できる「マルシップ制度」を利用していたという。

 水産庁や国土交通省によると、船員手帳は日本国内で本人が申請しなければ発行されないが、マルシップ制度を利用すると、船主の代理申請で取得でき、外国人も日本に上陸できる。

 同制度は船員の担い手不足解消などのため1998年に設けられた。水産庁によると、昨年7月現在、約3500人がこの制度に基づき船員手帳を取得している。

 山田水産によると、同社と関連会社で計約60人の中国人が働いている。漁船10隻の船員の半数に当たり、網の手入れや魚の仕分けを担当。賃金は日本人の半分程度という。

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