「アメリカン・ジョークの世界<カテゴリーでさぐる笑いの世界」(杉田敏 著 ジャパン タイムズ 1990年)という本を見つけた。どこで見つけたかというと、自分の部屋の中でだ。つい最近引っ越しをしたので散乱する本を整理していて見つけた。

杉田敏氏は、NHKのラジオの「ビジネス英語」で講師をしていた人で、俺の中では杉田先生、という感じがする。

「シャギー・ドッグ・ストーリー」について書かれた章がある。カテゴリーとしては、Silly jokes (ばかげたジョーク)に分類されている。杉田先生のシャギー・ドッグ・ストーリーについての説明はあまり熱が入っていない。その項目を読むと、シャギー・ドッグ・ストーリーは退屈な長話なのか、と誤解してしまう。杉田先生は、正常すぎるほど正常、というカテゴリーの方なんだと思う。

それはともかく、いくつか先生の解説の中から有用な言葉を拾っておこう。

定義:オチの、pointlessness(無意味さ)、irrelevance(無関係さ)が、おかしさを生む humorous story(ユーモア・ストーリー)。

「最初のシャギー・ドッグ・ストーリー」が英文と翻訳で書かれている。俺が書いたものとだいぶ違う設定になっているが、ロンドンまで、もじゃもじゃのむく犬を届けるのは同じ。裕福な貴族の最後の台詞は、「I don't think he's so shaggy」。世界中から選りすぐった「もじゃもじゃ犬」を持って行ったのに、「それほどもじゃもじゃではないなあ」と言いました、というのがオチになっている。

俺の書いた「そんなに、もじゃじゃない」というオチは逆の状況になる。探している犬は、そんなにも、もじゃもじゃではない、といってドアを閉めてしまう。その反応の異常さが強調されている。アンチ・クライマックス型だ。

杉田先生の紹介されたオチの「I don't think he's so shaggy」。この英語の台詞を、そこに至るまでの盛り上がった状況を想像しながら口にしてみるとそのとぼけたおかしさがわかってくる。

「I don't think he's so shaggy」。

この言葉がシャギー・ドッグ・ストーリーの雰囲気を代表する言葉だ。味わいたい。
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最近、テレビや新聞で報道されたニュースでシャギーな話があった。

N0.5 アメリカからの牛肉輸入再開にともない一日だけ牛丼を復活させた吉野家。と書けば、オチがわかるでしょう。野暮を承知で。待ちかねた牛丼の復活に吉野家の各店舗は早朝から長蛇の列。二時間三時間待つのはあたりまえ。延々待ったあげく、カウンターで一言。「豚丼、大盛り」。

以上です。俺は吉野家の牛丼に何の興味もない。アメリカの牛肉はできるだけ食べないように心がけているし。

食べ物関連で以下の例が面白いかも。アメリカ人の話の引用なので、固有名詞がこなれていないがそのまま書く。

No.6 ソーダ・ファウンテンで、刻みクルミ抜きのバナナ・スプリットを注文したら「申し訳ありません。刻みクルミはいま品切れなので、刻みピーナッツ抜きのバナナ・スプリットしかありません。」と断られた。

これを他のミスタードーナッツのメニューや、そこらのクレープ屋、お好み焼き屋、ラーメン屋など、トッピングを注文できる系の店の話にすれば、今日にでも使えるシャギー・ドッグ・ストーリーになるというわけだ。もっとも、今風に手直ししても受けるかどうか、俺は与り知らないことだが。
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アンチ・クライマックスという形式で思い出した話がある。どこで聞いたか見たかまったく記憶にないのだが、落語に出てくるシャギーなくすぐりだ。

No.3 金に困った夫婦者。どうしても借金の返済ができない。金策も尽き果てた。「どうしよう、おまえさん。」「そうだな。こうなりゃ生きてても仕方がない。首くくって死のう。でなきゃうどん食って寝ちまおう」。

ここにも深刻な問題に追いつめられた状況と、それとはアン・マッチな日常の紋切り型の台詞で受け答える、という特徴がある。「聞いた風な台詞」というテーマで次の例はどうだろう。

No.4 小さな港町にその町の歴史にまつわる小さな公園がある。外国の軍艦が攻めてきた来たとき、町の人々が協力して小高い丘に大砲を据えそこから発砲して町を守った。その丘を公園にしてその大砲をそのまま据えてある。町の住人はお金を出し合い大砲を使える状態に維持するため一人の男を雇った。その男はもうかれこれ40年、実に勤勉に大砲を維持してきた。ある日突然その男は辞めたいと言い出した。慰留する町の住人。理由を聞いてみると「そろそろ小金も貯まったし、自分で大砲を買って独立しようと思いまして・・・・」

この話が好きなんだ。味わい深い。
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この種の話が「シャギー・ドッグ・ストーリー」と呼ばれることになった話がある。文字通りもじゃもじゃ犬の話だ。

No.1 アメリカの片田舎に住む男、新聞の広告を見かけた。ロンドンに住む裕福な老婦人が出した広告だ。内容は、見失ったむく犬(シャギー・ドッグ)を探してほしい、というもの。細かく特徴が書いてあって、見つけてくれた人には1000ドルが支払われる。この広告を読んだ男はその特徴にぴったりの犬を見かけたことがあった。あちこち苦労して探し回ったあげく、やっとその犬を見つけ出した。喜び勇んでロンドンまでその犬を届けに行く。老婦人の家の玄関のベルを鳴らし、出てきた老婦人に「お探しの犬はこの犬ですね?」と差し出すと、その婦人、「そんなに、もじゃもじゃじゃない!」と言ってピシャリとドアを閉めた。

以上である。どうだろう。面白いと思うだろうか。これが「シャギー・ドッグ・ストーリー」である。

グルジアのラズベリー・パイの話と並べてみるとどこかしら共通点を感じることができる。

No.2 世界一うまいラズベリー・パイを出す店がグルジア共和国にあると聞いた貧乏なアメリカ人。どうしてもそのパイが食べたい。さまざまな職業を転々としながら お金を貯めたあげく、やっとの思いでグルジアの店にたどり着いた。期待に胸をふくらませて「ラズベリー・パイ!」と注文すると、店主が「売り切れです」と いう。その男、すかさず「じゃ、俺、アップルパイ」。

努力の大きさと、最後の結果のアンバランスがおかしい。アンチ・クライマックス・スタイルというか。肩すかしをされる感じ。異常な努力と、得られる結果のあまりの些細な感じ。これがこの「シャギー・ドッグ・ストーリー」のキモではないだろうか?

まだまだ実例があるのでゆっくり味わってほしい。
なぜか「シャギー・ドッグ・ジョーク」と記憶していた。「エレファント・ジョーク」と間違って一緒になってしまっていた。

シャギー・ドッグ(Shaggy dog)とは、もじゃもじゃ犬(むく犬)のことだ。女性の髪型で「シャギー」というのが流行ったとき、ああ、シャギー・ドッグ・ストーリーのシャギーか、と思ったのは俺だけ?(そうでもないか。。。)

いつの間にか記憶していた言葉だが、いくつか出典がある。

まず、松田道弘氏の「ジョークの楽しみ」
(筑摩書房[ちくまぶっくす56]1984年12月【元版】四六判角背並製 カバカバーとさし絵:南伸坊)

すでに絶版で古書価が3,600円もしている。販売時は1,200円ぐらいだったと思う。俺はこの本で「シャギー・ドッグ・ストーリー」と「エレファント・ジョーク」を印象深く記憶した。いま手許にない。残念ながら古書店に売り払ってしまった。惜しい。

もう一つ。やはり絶版だが、「浅倉久志 編・訳 ユーモア・スケッチ傑作展 1~3」(早川書房 1983年)。これは英語圏のさまざまな滑稽文が多数収録されている傑作シリーズ。俺は全三巻持っている。目次を眺めるだけで実に楽しい。死ぬまで持っていたい3冊の本だ。

この中にその名もずばり「Shaggy dog stories by J.C.Furnas」。シャギー・ドッグ・ストーリーの研究のようなエッセイが載っている。

このエッセイの第一行を引用して、今日は終わりにする。明日、いくつかの実例をお目にかけよう。有閑マダムさん、あなたもわたしも以下のようなある種の範疇に入りそうですよ。

「どんな人びとの集団をとっても、おそらくその大多数は正気すぎるほど正気である。だれがそうではないかを見分ける一つの有効な方法は、シャギー・ドッグ・ストーリーでテストすることだ。・・・」