「音楽を続けることがあたりまえのことではないこと・・・」。

竹中直人扮するミルヒがつぶやく言葉。この言葉を噛みしめる。

テレビ版のだめがさっき終わってしまった。。。 放心状態である。

幸福な時間が過ぎ去ってしまった。楽しかったなあ、のだめ。

上野樹里最高だった。玉木宏も良かった。

玉木宏の指揮ぶりは相当さまになっていた。あの指揮で、オケが演奏できるレベルだ。実際は音に合わせた振り付けなのだろうが、実に指揮をしているように見えた。

音楽大学の声楽科を出た友人が話しているのを聞いた。「玉木宏の指揮はちっともうまくない。あんな指揮で音楽が変わるなんて思えない。」

俺はその人がオーケストラをやったことがなく、指揮を学んだことがないことがわかった。

巨匠のもやもやした自己陶酔のような指揮ばかり見ていると、千秋の指揮は物足りないだろう。だが、千秋の指揮ぶりは、基礎をきちんと練習した「見える」指揮だ。派手なパフォーマンスはない。すっきりとテンポとメリハリを示す、ハッタリのない指揮だ。好感が持てる。

先週はアフリカに旅立つ友の送別会があり「のだめ」を見逃した。俺のまわりの女子が何人か、録画したものを貸してくれる、と言ってくれたのだが、今日に至るまで手元に届かない。とほほ・・・。

師匠には「なに?見てないの?だめじゃない!」と怒られるし・・・・。しかも師匠は「シューベルトって大嫌い。暗くて最悪。なにあの曲?」と俺の好きなシューベルトをこき下ろされるし。さんざんだ。

今週ののだめは千秋先輩の白目がめまぐるしく、笑ったなあ。のだめに抱きつくシーンでは不覚にも涙が流れた。いい奴だな、千秋。

ベートーヴェンの七番。俺にとっても青春の記念碑のような音楽だ。血が騒ぐ。冷静でいられない。

一楽章と四楽章しかテレビでは出てこないが、二楽章の美しさは例えようもない。主題も美しいのだが、展開部のフーガの切実さが素晴らしい。ある演奏会で、フーガ部分で、舞台と客席がシーンと水を打ったようになったことがある。もちろん演奏は続いているのだが、静寂が空間を満たした。そのような演奏は何度もできるものではない。

俺は音楽に触れ続けることができた。そのことがどれほど幸福なことであるか、思い続けながらテレビ版の最終回を惜しみつつ見終えた。
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のだめの幼年期の嫌な思い出が語られた。


ピアノ科の学生には音楽が好きではない人がいる。物心付いた時からピアノをやっていて、親に言われるまま音大に進んではみたものの、ピアニストになりたいわけでもなく、そう簡単にコンサート・ピアニストとして食っていけるわけもなく。第一、音楽はそんなに好きではない。


バッハなんて試験に必ずあるから弾くけど、初見じゃ絶対弾けないし、退屈。・・・・暗くてつまらない。古いし。ショパンとか結構好きかも。エチュード弾かされた。ベートーヴェンの交響曲?・・・運命とか?田園とか?・・・・あ、第九もね。それ以外聞いたことない。


オケってなんかとっつきにくいし、よく知らない。管楽器の子がマーラーとかブルックナーとか言ってるけどなんかうるさいだけ。伴奏もつまんないし。


え?仕事?・・・幼稚園の先生にでもなろうかな。子供可愛いし。なんか楽しそう。


音大行ってるって言うと合コンでもてるし、適当に遊んで、あと田舎に帰ってピアノ教室でもしようかな。


・・・・・・・・・。


俺の幼なじみで職業で音楽をやっている女子がいる。その人はつい最近「私は音楽が好きでやってきたわけじゃないから。親が教育ママで言われるままにやってきただけ。最近、ちょっと音楽も楽しいかな、と思う」と語った。俺はその女子と同じクラスで小学生時代を過ごした。もちろん一緒に「合奏」したり、俺が指揮してその女子がピアノ伴奏する「合唱」で「音楽会」に出たりしたものだ。俺は子供の頃から音楽が大好きだ。その女子がその頃からそのように感じて今も音楽を職業にしていることに少し驚きを感じた。


だが、まわりを見回してみるとそのような音大卒の「主婦」は結構いるものだ。音大を卒業してしばらくはピアノ教室で仕事をしたりするが結婚して子供が生まれ、まったくピアノを弾かなくなった、というような人。


のだめがいま千秋先輩から学んでいるのは、「音楽の喜び」なのだろう。千秋自身も、音楽が好きなのだ、ということを改めて確認して先に進もうとしている。ピアノが弾けても、音大を卒業しても音楽が好きではない人というのは結構いるものだ。


もしかしたら、演奏家のなかにも「音楽嫌い」はいるかも知れない。職業になり、リハーサルに追われ、ストレスが募ってくると、プライベートな時間ぐらい音楽なしでいたい、と思うようになるかも知れない。音楽を職業にするとはそのようなことだ。音楽を楽しみで演奏しているわけではないのだから。職業になると苦しみが多くなる。音楽なんか聞きたくもないという気持ちがよくわかる。


シューベルトのことが書けなくなった。この続きは改めて。



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千秋の見る悪夢の核心でかぶってくる音楽!J.S.Bach「マタイ受難曲」の終曲だ。この音楽は俺を打ちのめす。衝撃を受けるほど素晴らしい音楽だなあ。。。

BeethovenやMozart は聞きたくないときがある。Beethovenは特にうるさくて嫌だ。押しつけがましい。こけおどしが多くて威張っている。一種異様な表現に疲れてしまう。裏返せばすべてBeethovenの素晴らしさでもあるのだが。流れてくると聞き流せないので聞きたくない、と言うことになる。

Mozart もなにか頽廃を感じて鬱陶しいときがある。どこか病んでいるに違いない暗さを秘めた音楽に悪魔の囁きを感じ取る。予期せず流れてくるMozart はそれほど嫌ではないが、颯爽としたアレグロでも聞きたくない朝がある。

Bachは違う。いついかなる時も思わず聞き入ってしまう。朝でも夜でも。疲れていても元気でも。押しつけてこない。ひたすら誠実な職人仕事が迫ってくる。

Bachはいいねえ!

特に寝ぼけた気分の朝。聞いているだけで頭脳が明晰になる。疲れを癒し、精神を高揚させ、秩序の美しさを思い出す。

何が違うのかわからない。音楽の目指しているところが違うのだろうか?Beethoven、Mozartに代表される古典の「大作曲家」とは際立った違いを感じる。

実は同じ感じをシューベルトにも感じる。シューベルトの音楽もどこか別の世界(もっとはっきり言うと死後の世界=天国)を見ている感じがする。

のだめがこれから譜読みをしてさらっていくシューベルトのピアノ・ソナタは恐ろしい虚無の音楽だ。ピアニストの友人によると「夢遊病者のうわごと」のような音楽。やたらに長く繰り返しばかり。そのもやもやした音の連なりに、ものすごく切ない人間の生と死を思うのだ。シューベルト、いいよ。聞いてみ。ピアノ・ソナタ。

シューベルトの最高傑作は「美しき水車屋の乙女」「冬の旅」「白鳥の歌」などの歌曲の数々。永遠の青春の挽歌だ。いましも季節は冬。シューベルトの冬はなまぬるい寒さではない。凍えきった死の世界。その切なさはこの世のものではない。冥界からの音楽をおののきつつ聞いてくれ。

シューベルトはすごいよ。

今週も岩佐真悠子がちゃんと数カット入っていて満足。三木清良もすてきですね。水川あさみさんは本当のヴァイオリニストっぽい。髪が長く手足が長く、クールな顔立ち。ああいう人いますね。芸大や桐朋っぽい。異論もあるでしょうが。。。

この番組の楽器演奏の演技指導は気合いが入っている。オーボエの黒木君は本当に吹いているみたい。フィンガリングの感じが実にうまい。彼はたしかNHKでもピアノを弾いていたらしいね。その演奏っぷりが俳優本人が弾いている感じ、とピアニストの友人が言っていた。みなさんはどう思いますか?俺はそのドラマを一度も見たことがないのでわからない。

千秋の指揮。

ブラームスの四楽書の最後、四分の四拍子を四つ振りで進んできて、アッチェルランドがかかる手前、二つ振りに切り替える。フィナーレの終結部分の二分の二拍子に入りやすいように手前で二つにするのだ。その切り替えるタイミングが、まさにオケを指揮をしていた。

ブラボー、玉木宏!!ブラボー!スタッフ!!


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ヴァイオリニストに多いが、特にオケをやりたくてやっているのではない演奏者がいる。今週ののだめに出てきたようなコンクールで入賞し、海外に留学しソリストになる、またはヨーロッパやアメリカのメジャー・オケに入ろうという野心満々の人たち。

オーケストラの仕組みとして、指揮者、コンサートマスター以外はなかなか自己主張できない面がある。弦楽器は二人で一つの譜面台を使う。二人一組で「プルト」という単位で数える。プルトとはドイツ語で譜面台の意味だ。前から1プルト、2プルトと数え、後ろのプルトほどギャラが安い。峰君が一番後ろに座っているのが、席次というのは能力をも表しているためだ。

弓順と言って、弦楽器を弾く時の弓の使い方を決定するのはコンマスの重要な仕事。この弓の付け方にもさまざまな考えがあり、いい弓もあればおかしな弓順というのもある。コンマスと意見が違う場合も当然あるだろうがオケの仕組みではコンマスが絶対だ。多数決で決めたりしない。そのような仕組みに息苦しさを感じる弦楽器奏者は実に多い。野心があればあるほど「オケなんて」と思っているものだ。

管楽器奏者は一般にオーケストラが好きだ。オケがやりたくて楽器を始める人が多い。小学校や中学校のブラスバンドで楽器を始めたりする。良い意味のディレッタントが多い。弦楽器やピアノは物心付いた頃には習っていた、という生い立ちが多い。音楽が好きではないが楽器しかできないから音大に行く、なんていう人もけっこういる。

管楽器はオケの中ではソリスト待遇だ。ブラスバンドのように同じ音を何人もで吹くなんていうことはない。それぞれのパートが容赦なくソロだ。ギャラの比較でも、弦楽器の後ろのプルトの人より管楽器の方が高い。

一般にオケにそれほど興味を持たない弦楽器奏者は結構いる。人が50人も集まればさまざまな考えが生まれてくる。ほんの通りすがりに面白そうだから千秋のオケに入ってくる人もいるわけだ。それでもなんでもオケをやる。それがいいんだよな。やってみればわかることが一杯ある。

このばらばらなオケを千秋はどうやってまとめ上げるのか?

それにしてもフルートの女はドラマの中でもいけ好かない。俺もしつこいですね。。。フルートの女が嫌いです。

俺のもう一つのお楽しみは岩佐真悠子。のだめの友達役で毎回出てくる。出てきた頃はなんかテンション低いやる気なさそうな感じがとても良かった。最近はやる気出てきたみたい。毎週、岩佐真悠子が見られるのが楽しみ!
いま、TBSラジオで「竹中直人、ハードボイルド・ソ-セージ」に玉木宏が出ている。竹中直人も「チア~キ!!」とか言ってはしゃいでいる。

玉木宏は姿形が美しいが、それ以上に声がいい。ラジオでこうやって聞いてみると女子にはたまらないだろうな、と思う。低い響きのある声。映画館で聞いたらもっとしびれるだろう。声のいい男に憧れる。

俺の師匠(美貌)も玉木宏の声の良さを言っていた。師匠は「楽譜は読めないが聞いた音は弾ける問題」にも意見をくれた。曰く「耳コピで弾く人って大人になれなかった子供って感じ♪」。もちろん師匠はピアノが弾ける。プロのピアニストではないがプロのソリストの伴奏をするくらいの腕前だ。だから言うことにも説得力がある。

もう一つ。

師匠の見解。玉木宏の指揮はなかなかさまになっている。本物の指揮を習っている指揮ぶりだ、と。竹中直人の指揮は、素人が指揮マネをするとああなるという典型だ、と。なかなか卓見だと思う。俺の師匠だけのことはある。

のだめをめぐってこのように師匠や恋人たちとさまざまなやりとりするのがすごく楽しい!

のだめ、永遠に!!
真澄が演奏したジョリベはどうしたんだ(怒!!!

あんな馬鹿みたいなゲーセンで真澄が千秋に認められるなんてありえない。テレビ版の限界だな。クラシックについてこられない衆愚に媚びて原作をないがしろにして!!

俺は原作を出ている分一気に読んだ。今回先入観なくドラマを見るために敢えて読み返していない。ゲーセンのくだりはコメディとして可笑しかったが、俺の恋人のピアニストは「ジョリベ聞きたかったのにぃ(T-T)」とメイルをよこした。そういえばそうだった。真澄ちゃんの実力があんな馬鹿げたおもちゃで測られてたまるもんか!!嫌な気がしてきた。俺の恋人を泣かすんじゃない!!(なんだ、そこか・・・・)

それと、音大のオケがあんな素人臭い打ち上げしやがって!そこらのアマチュアの大学オケや生意気な高校オケの乗りじゃないか!!半年に一回定期演奏会をする大学オケはあんな感じだね~。青春だね~。プリクラ撮るしね☆

でもさ、仮にもプロを目指そうという連中があんな打ち上げするもんか!それとも近頃の音大はあんな幼稚園のような打ち上げするのかな?幼稚園児は酒飲まないか・・・。

昨日の「譜面を読めないけど聴いた曲が弾ける問題」も恋人から賛同意見を得た。ラフマニノフを聞いただけで弾ける人もいるだろうが、そのような人はソルフェージュが完璧にできる楽譜の達人に決まってる。恋人の文章を引用すると「ピアニストというのはオーケストラを自分の中に抱えているわけだから、一番『楽譜なし』が難しい楽器だと思う。」歌だったらあり得るけどね、という前置きがあるのだが。

ま、これもお遊びです。のだめを楽しむお遊び。読み飛ばしてください。

このような屑記事をここまで読んで頂いた方々に感謝します。
ああいう子いるね~。着てるもの、顔立ち、髪型、体格、性格。すべて完璧にうた科の子だわ。

声楽は自分自身が楽器というか身体で勝負だ。こんなにすごい種目(?)はない。これにかなうのは天皇の前でも、ふんどし一丁(限りなく裸に近い)でいられるおすもうさんぐらいだ。

声楽では身体そのものが重要なので、うた科の女子はちょっと色っぽい。(そんな理屈あるか????)ピアノ科にあんな感じの子はいない(・・・ような気がする)。まぶしいような女王様は声楽科かヴァイオリン弾きにいる(・・・ような気がする)。ピアノ科は意外にも(?)のだめっぽいのが標準だったりして。男子は千秋みたいのいるよね。

ま、勝手な思いこみだけで書いています。読み飛ばしてください。

多賀谷さんの壊れっぷりも実にうた科の子。あんなこと言われたらあのくらいグレたくなるよな。ああいうディテイルがとても面白かった。

俺の嫌いなもの。下手なソプラノ。女のフルート奏者。偏見です。特に女のフルート奏者のどこが悪い、と思うだろうが、いやなのだ。

バッハの無伴奏フルート・ソナタを悶々と演奏する女を見たことがあるか?黒でも赤でも緑でも、とにかくてれんとしたドレスを着て舞台の上でくねくねフルートを吹く姿が見ていられない。見ていて、うるさい。

フルートの音そのものもそんなに好きではない。高音域がいやなのかと言うとそうではない。ヴァイオリンは好きだ。(うまいヴァイオリンに限りですが・・・)。男のフルートでも品のいいうるさくないフルートがいいなあ。

以上、思いこみと偏見です。

女性の声も低い声が好き。アルトの声にしびれる。バッハのパッションでもアルトのアリアが好き。バッハはいつもアルトにとっておきのソロを書く。

あともうひとつ。

のだめのキャラ設定の中に「楽譜は読めないが、聞いた音は記憶してすぐ弾ける」というのがある。俺はこの設定が気にくわない。鈴木メッソード(英才教育)崩れの楽器演奏者によくそういう人がいるんだ。楽譜が読めない。お手本を弾いてあげないと演奏できない。それは大きな欠陥ではないか。音楽家としては歪んだ教育を受けてしまった、と言わざるを得ない。

美空ひばりがそうだったと言われる。だから、楽譜が読めることより、本当の音楽がわかることが重要だ、というような俗流音楽教育論がバックに流れているような気がして気にくわない。音楽、特にクラシックの分野では正統的な音楽教育を受けることが重要だ。楽譜を読む力は欠かせない。読めなくても弾ける、なんて言うのは一種の「都市伝説」だ。

まあ、そこまでのだめにのめり込むこともないんですが。。ひとこと言っておきたかった。

思いこみと偏見で書き飛ばしています。読み飛ばしてください(笑

こんな駄文をここまで読んでくださった方々に感謝します。
「鍵盤ハーモニカ」。小学校の低学年でやるつまらない教育おもちゃと思っていないだろうか?嫌味なクラシック・オタクはそう信じているに違いない。(妙に挑発的ですね・・・喧嘩blogですから・・笑)実は俺も今年の三月末までそう信じていた。四月以降、この楽器に関して認識を改めた。素晴らしい楽器、鍵盤ハーモニカ!!俺、吹けるよ。

ハーモニカと同じ仕組みのリードが付いていて呼気で音をコントロールする。ヴィブラートもかけられるし、さっきのだめが演奏して見せたように、グリッサンドだってできる。演奏者が優れた技術と音楽能力をもっていれば、ブルースだってかっこよく吹ける。

ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」の冒頭はクラリネットのグリッサンドを含むソロから始まる。クラシックの分野ではクラリネットのグリッサンドはほとんど用いられない。ガーシュウィンの楽器用法は革新的なものだ。曲想も「ジャズ」を取り入れて(小うるさいジャズ・オヤジは、あれはジャズではないとか言う。どうでもいいや)ポピュラーとクラシックのコラボレイションのような曲だ。ピアノとオーケストラで演奏する、ある意味ピアノコンチェルトのような曲でもある。楽式から見るとなかなか興味深い曲だなあ、そういえば。。

それはともかく、この曲を「鍵盤ハーモニカ」=ピアニカで始めるとは慧眼だ。Sオケ、やるなー。聞いてわかるとおり、鍵盤ハーモニカの音はこの曲にぴったりマッチする。ジャズ・ハーモニカのテイストだ。コミックではわからない「のだめ」の実現の収穫だ。

もう一つ。

ラフマニノフを弾きながら千秋さまがつぶやいた一言。「つまらない。もう終わってしまう。もっともっとこうしていたいのに」。この言葉は俺の胸にズキンと届いた。幸せな音楽の時間もいつか終わる。胸がいっぱいになり涙が溢れた。(このドラマに関して特に涙もろい俺です。)

このまま時間が止まったらどんなにいいだろう、と思ったことはないだろうか。俺にはある。

幸せで喜びでいっぱいな瞬間。急に切なくなる。この幸福な時はいずれ終わるのだ。この瞬間は二度と訪れない。これは人生のアナロジーでもある。人の一生もいずれ終わるときが来る。音楽の美しさ切なさは、人間の一生の美しさと切なさに匹敵する。

音楽の喜びの中には常にその悲しさが含まれている。良い演奏ならなおさらだ。今この瞬間この場所で音楽が実現している。そう感じる瞬間ほど幸せな時はない。千秋の嘆きは俺の嘆きでもある。

そして、最後。

のだめが「ピ・・ピ・・ピアノ弾かなくちゃ~~~!!!!!」と叫ぶ。いいねえ。人生にはそういう瞬間があるねえ。駆り立てられそうしなくてはいられない、そんな課題を見つける幸福。のだめ、ピアノ、さらえよ!楽譜読めるようになれよ!!いましかできないんだぞ!!!

今週も淡々としつつも地味に感動のテレビ版「のだめ」であった。
Sオケがうまくいかず悩んでいる千秋さまに弾いて聞かせるのだめのピアノ。俺はあの演奏を聞いて胸がいっぱいになった。そしてSオケの恥ずかしいパフォーマンスに涙でいっぱいののだめと同じ気持ちで演奏を見守った。

すごいぜ、のだめ!!のだめ、ブラボーーーー!!

のだめのピアノはうまかった。

Beethovenの七番には古臭いとも言える長大な序奏部がついている。交響曲五番六番で序奏なしの「いきなり主題形式」を確立したBeethovenが改めて挑む古典形式の祝祭だ。分散和音とスケールで構成された展開は次ぎに始まる軽快な八分の六拍子のソナタ形式の主部をまったく予想させない。Beethovenの凄さは「木に竹を接ぐ巧妙さ」と教えてくれた人がいる。この曲もそれだ。

堂々たるトゥッティの進行がいつの間にか、細いフルートの響きに収斂していく。同じ音程、同じリズムのエコーがあって、魔法のように八分の六拍子、E-dur(ホ長調)の世界に入っていく。一瞬のスフォルツァンドの直後、スビト・ピアノでフルートが第一主題を歌い出す。ここが、まさにBeethovenの「木に竹を接ぐ巧妙さ」だ。

メルヘンのようなフルート・ソロに低弦セクション・ユニゾンで、エコーが入る。スフォルツァンドでことさら強いアクセントをつけて。エコーの方がより強調されているところにBeethovenの特異さが際立つ。その箇所に「いかづち!!」と、のだめは歌詞を付ける。ブラボー、のだめ!!そうだよ、いかづちだよ。俺は感心した。

のだめのピアノは序奏部から主部にはいるところの呼吸が素晴らしいと思った。スビト・ピアノの表現がオケでやるとなかなかあそこまでうまくいかない。ピアノは一人でできる分、音楽の隅々まできちんとコントロールができる。ピアニスト出身の指揮者は(エッシェンバッハとかアシュケナージとか・・・)とかくそのような部分に神経質になりすぎておおらかさが出てこないことがある。千秋様もいまのところ、ピアニスト出身の典型だ。

のだめが「いかづち!」と歌詞を付けたように低音セクションがいきなり語り出す瞬間がBeethovenの作品によく出てくる。俺は、あのような箇所を、Beethoven自身の「声」だと思っている。「英雄」で冒頭の和音連打のあと突如歌い出すのは誰??第五番の2楽章の始めに歌うのは誰?「田園」の五楽章で感極まってユニゾンで歌い出すチェロは誰の声?第九ではついに歌詞を付けて自分で歌うかわりに歌手に演説をさせている。

その声は、怒鳴り声だったり、朗々とした演説だったり、優しい慰めだったり・・・。やることが常に過剰で、徹底的で実にBeethovenらしい。

こたつの考察は最高だった。千秋さまの部屋があっというまに「のだめ化」していくリアリティ!爆笑だ。
相変わらずツボだ。息を呑んでテレビの画面に釘付けになっている。

Beethovenの七番。

俺が子供の頃ウィーン・フィルがベームと来てNHKホールで演奏した。FMで生中継もした。ステレオの前でドキドキしながらその生放送を聞いた。高価だった音楽用のカセット・テープを用意し録音した。曲間でテープを裏返すとき手が震えた。そのテープをどれだけ聞いたことか。いまも手元にある。

ブラームスの交響曲第1番。シューベルトの未完成交響曲。モーツァルトのジュピター。そして、ベートーヴェンの交響曲第四番と七番。いまでも胸躍る白熱の演奏だ。俺のその後の人生にも大きく影響を与えた演奏だ。

そんな青臭い思い出までよみがえってきた。

前回のスプリング・ソナタのヴァイオリンの下手さ加減がとてもいい感じだったが、今回のオケの下手さには笑った。オーボエやホルンの誇張された下手さはいかにも、なのだが、チューニングのAを合わせる管楽器の合っていなさ加減が実にリアル。あれはうまい人が下手にやった音ではない。普通の下手な学生オケが普通に吹いた下手さだった。マニアックな下手さ、とも言える(言えるか???)。

ベートーヴェンの冒頭の音の合わない感じ、トランペットの音程がぶら下がった感じ、弦楽器のアンサンブルの乱れ方、どれをとってもアマチュア・オーケストラのリアルな下手さだ。音大のオケもあの程度なのかな?そうでないことを期待したいが・・・。

下手な演奏はやっぱり不快なので、あまりドラマや映画に出てくることはない。以前、高校のオーケストラのドラマがあって、下手なオケの場面が出てきたが、そのドラマの下手さは、プロが少し下手っぽく弾いた感じのうまい演奏だった。俺はあまり面白くなかった。アメリカ映画「陽の当たる教室」のオーケストラもそんなに下手ではなかった。

今回、のだめオケの下手な演奏は実に下手だ!!!これは褒め言葉である。漫画そのもののドラマなのだが、細部にリアリティがあってとても満足だ。

このドラマに携わったスタッフに嫉妬を感じる。楽しいだろうなあ。

今週も実に楽しんだ。