アホなblogタイトルで我ながら情けないが、とにかくキーラ・ナイトレイがひたすらきれい!

原作の小説もモームが「大した事件が起こるわけでもないのに、ページをめくる手が止まらなくなる」と評価したそうだが、この映画も同じように、見始めたら止められなくなった。

美しいイギリス湖沼地帯を背景に、俺の知るよしもない英国貴族社会の様子を描き、好奇心をそそられる。

この作品の面白いところは(原作の面白さだと思うが・・)登場人物がみんな、物語の初めと終わりで評価が180度変わってくる、ということだ。いい奴だと思ったら・・うさんくさいと思ったら・・・嫌な人物だと思ったら・・・・愚か者だと思ったら・・・・・それぞれが心地よく裏切られていく。

主人公のキーラ・ナイトレイ(ナイトリーというのが正しいそうです)ですら、自分が間違っていたと悔い改めて新しい人生を始める、というのが締めくくりだ。

尻軽女の妹や、俗物牧師コリンズさんですら、この映画の中では愛しく見えてくる。いけ好かない、馬鹿な金持ち、ピングリーの最後の行動で涙しない人がいるだろうか・・・・。ここでピングリーを心から応援している自分自身に驚きを感じたほどだ。

すべてにわたって、実は・・・というダーシーが一番かっこいい役どころだ。

キーラ・ナイトリーの魅力が(・・・・ああ紋切り型の表現で恥ずかしい)いかんなく発揮されている。「きれい」だけでは言い尽くせない「魅力」にすっかり俺は魅せられた。

愛すべき作品だ。


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どちらもドキュメンタリ・タッチでハンディカムで撮ったかのような映像が多用され、酔ってしまった。


久々の休日、映画三昧と思ってこの二本立てを企てた。

「プレシャス」は、宝物と名づけられた少女の自立物語。父親からの性的虐待により15歳で子供がいる。母親からも虐待を受け続け、逃避的な妄想に浸ることでかろうじて生き延びている。長女はダウン症。本当のダウン症の子供が出てきて可愛らしい。

主人公や周りの環境があまりにすさまじいのでうっかり笑えない雰囲気の館内だったが、コミカルなやり取りや、傑作なギャクがちりばめられていて結構笑った。面白かった。母親の投げつけるひどい言葉が、どう聞いてもラップになっていたのが最高だった。拍手したくなった。罵詈雑言、汚い言葉の連射砲だ。

救いのない展開だが、プレシャスが自分自身をプレシャスだと思えるところまで成長する内容がよかった。

ここに描かれている貧困と悲惨は現在の日本の社会にもたくさんある。友人のケースワーカーは、130件のケースを抱え、どんな状況を聞かされても、ああそうですか、としか思えないと言っている。すさまじい現実は俺たちのすぐ隣りにある。

「第九地区」も面白かった。ぐるぐる画面と、汚らしい描写に吐きそうになったが、なんとかこらえて最後まで見た。この映画の主人公の不快さを体感したような感じだ。

平凡なボンクラ主人公が、事件に巻き込まれ、英雄的な行動までするようになっていく成長物語。事件と言うのが、不可解なエイリアンたちとの関わり、というのがうまい着想だ。

テーマとしては、南アフリカで行われてきたアパルトヘイトが連想される。差別されるのは、「エビ」とあざけられるエイリアンたちだ。人間から見れば、醜く、ぶざまな容姿のエイリアンが執拗に差別される。

そこに関わっていく善意の(つもりの)白人の主人公がどれほどの目に遭い、どのような希望を持ち、差別される側になっていくのか、サスペンスとしてひきつけられた。

それにしても二本とも、爽やかな終わりではないので疲れたぜ。頭痛くなるし、吐き気はするし。

さっぱりした鶏のスープ麺が食べたくなって、中華料理屋に行き、青菜と鶏の湯麺をたべて落ち着いた。
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これも見たい。

スカーレット・ヨハンソンと、ナタリー・ポートマンが出る映画なら見るしかない。

戦略にそのままはまる。

内容は知らないし、興味もない。とにかく見に行くことだ。

「私がクマにキレた理由(わけ)」も、ポスターを見て、見に行きたいと思いつつ、見ていない。

このくらいかな?

見に行く時間が取れないのが悔しい。
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ささいなことから怨みを買い、破滅させられるピアニストの話。
復讐するのが、ピアニストの「譜めくり」というところが面白いので見に行った。俺は時々ピアニストの「譜めくり」をする。自分の演奏の「譜めくり」をしてもらう。「譜めくり」に恨まれて破滅させられるなんて実に嫌だ。人前で恥をかかされるに違いない。

この映画で一番こたえるのは本番前の緊張の描き方だ。怨みをかう高名なピアニストが、本番前に動揺し、舞台の上で弦楽器のチューニングのAを出すのにぶるぶる震えている、なんていうのはリアルすぎて見ている俺も身体が硬くなる。

ピアニストがどんなひどいことをしたのか。映画を動かすポイントとなるこのエピソードが微妙だ。確かに彼女のとった行動は好もしくない。だが、そのことに傷ついた少女が、ピアノを弾くことすべてを放棄し復讐にのみ意欲を燃やす、というのが歪んでいる。「譜めくりの女」の異常性が強く、共感しにくい。試験に失敗したあとの衝動的な行動に少女の本性が描写されているのだが。
成長して魅力的になった少女は巧妙にピアニストに近づく。家庭に入り込み、ピアニストの子供を支配し、「譜めくり」をしてピアニスト自身の内面に入り込む。静かで美しい映像が息詰まるサスペンスを生む。
ピアニストとヴァイオリン、チェロのアンサンブルで、大手の音楽事務所のオーディションを受ける場面がある。楽屋の様子や演奏者の行動にリアリティがある。この映画の監督は優秀なヴィオラ奏者で、音楽大学でも指導している人物だそうだ。だから演奏家の細かい心理状態や日常の描写がうまい。もちろん映画だから、見て面白い場面がたくさんある。悪どいセクハラをどうかわすか、具体例が示される。すけべなチェロ奏者はご注意を。
どうやって「譜めくりの女」は復讐を果たすのか。後半の興味はそこにかかる。演奏家にとってもっとも痛いことは、演奏で大恥をかくことだ。人前仕事というのは大変だ。舞台の上では逃げようがない。演奏するのは自分自身であって、失敗は失敗。「譜めくり」のせいになんかできない。これは恐ろしい。想像するだけで眠れなくなる。俺も人前で演奏することがあって、失敗する悪夢にうなされることがある。はっと目覚めて、ああ、夢で良かった、と思う。胸がどきどきする。すごくリアルな夢だ。
演奏の面だけでなく、ピアニストは「譜めくりの女」に籠絡されていく。若い美貌の少女の誘惑に、戸惑いつつ落ちていく。そしてすっかり「譜めくりの女」に身も心も依存状態になる。
罠は整った。あとはじっくりピアニストの破滅を見るだけ。陰湿な心理サスペンス。適度にエロティックで見て損はない。

以下は蛇足。

俺は学生の頃、声楽家の演奏会でドイツ人のピアニストの譜めくりを頼まれた。終わったあと、うまい中華料理をご馳走になりながらそのピアニストは俺に言った。「この間頼んだ譜めくりは作曲科の学生だった。ヤツは本番中に楽譜を最後までじっと見るんだよ。だからとってもやりにくかった。今日はやりやすかったよ」。ジョークだ。

ピアニストのリサイタルに譜めくりはいらない。暗譜する。アンサンブルや伴奏するとき譜めくりがいる。自分の生徒に頼んだり、気心の知れた仲間に頼むのがいい。まさか先輩や師匠に頼むわけにいかない。めくるタイミングというのがある。まためくる方法もある。次のページの頭を見えるように折り返しておいて、前のページの最後の段の後半の小節にさしかかった頃、様子を見ながらサッとめくる。たいがいピアニストは大まかな流れを確認するために譜面を見ているだけだ。細部まで見なくては弾けないというのは練習の段階だ。なるべく少ない動きで、めくるとき以外は気配を消して座っている。そんな細かいところがこの映画でもよく描写されていて、音楽をやるひとは面白いんじゃないかな。
日本の芸能界で多くの在日朝鮮人が活躍している。テレビだけぼんやり見ている人々は知らなくても、すこし世間のことがわかってくるとその事実を知るようになる。

この作品でも描写されるように、芸能事務所の方針で在日であることをを徹底して隠す俳優、歌手が多い。ラサール石井が演じる豚のような「大物プロデューサ」が言うとおり「面倒なこと」は嫌なのだ。在日であるが故に味わうむごい差別を映画は執拗に描く。

前作の「パッチギ!」は、痛快なアクションと、笑い、涙の娯楽作だった。在日朝鮮人の美少女と、寺の息子の「ロミオとジュリエット」を軸に、音楽もよく、爽やかな青春映画だった。今回の作品は娯楽作ではない。前回作の大成功をうけて井筒監督がやりたかった、日本の「アメリカン・ニューシネマ」だ。



映画業界に関してまったく無知の俺だが、ビジネスとして考えたら、今回のような「社会問題」に対してネガティヴなメッセージを含んだ映画を一発目から作れるはずがないと感じる。だれもお金を出さない。だから、第一作目の興行的な大成功は重要なことだ。

多くの在日朝鮮人が芸能界やスポーツの分野で活躍していることを映画という大きなメディアに乗せたことが大きい。戦争のむごたらしい描写もいままでの日本映画にはなかった。ボロボロになりながらぶざまに逃げて逃げて逃げまくり生き延びてきた一人一人の人間でこの世界は成り立っていることに感銘を覚えた。

傲慢石原慎太郎のちゃちな特攻隊カス映画を大がかりに茶化しているのが痛快だ。

キョンジャ役の中村ゆりが良かった。子役もうまくて泣かされた。あの「今、会いに行きます」に出てきたむかつくガキとは大違い。

もっといろいろ書きたいが、とりあえず。。。






ジャン=パティスト・グルヌイユ。主人公の名前だ。魚の臓物の腐敗臭にまみれてこの世に産み落とされる。五歳まで言葉を発せず、特別に鋭敏な嗅覚を持つ。

この男がいかにして残忍な殺人者となり、どのように処刑されるのかがサスペンスとなる。香水にまつわるぞっとして蠱惑的なホラ話だ。

この主人公の造形が「アスペルガー」ではないか、と俺に意見を求めた人物がいる。そう。俺の若き美貌の師匠!さすが師匠。俺の理解者、よき助言者、まさに師匠。またまた惚れるぜ、師匠。

主人公は生まれ落ちてすぐ魚の臓物の掃き溜めに捨てられ、ほとんど仮死状態になった。言葉が遅い。感覚の異常な鋭敏さ。他者への共感のなさ、執拗なある特定の香りへの執着、笑わないところ、生真面目に言われた通りを試す硬直した態度、思い通りに行かないと錯乱に近い行動をとる・・・。

いわゆる自閉症、広汎性発達障害の状態に似ている。アスペルガーとも言えるが、高機能自閉と言われる感じだろう。このような脳の器質的障害を前提にこの主人公の行動を見ると理解しやすい。

この主人公は自己の目的=究極の香水作りを果たすためには、殺人もなんら躊躇しない。物語を見ている者も、香水の妖しい魅力に興味をそそられ、あのように身の毛もよだつ製法で作られた至高の香水とはどのようなものだろう、と考えてしまう。

その香水の魔力はすさまじい。香りを嗅いだ者の理性を狂わせ、全世界の人々よ、抱擁せよ、接吻せよ、とシラーの詩を合唱で歌い上げた、これもアスペルガーが強く疑われるBeethovenの世界が現実化してしまう事態が起こる。

ジャン=パティスト は、パプテスマのヨハネ、と言う名前だ。聖書の福音書の始めに登場し、キリストの来る道を備えよ、と言った人物だ。ジャンが十字架で処刑されようと引き出されたとき、香水の魔力で群衆たちが「この人に罪はない!」と叫ぶ。これはキリスト処刑の場面だ。

ラストシーン間際、生まれた街に帰った主人公、究極の香水を頭からしたたり落ちるように浴びる。この行為自体が「バプテスマ」のようにも見えるし、「油注がれた者」、つまりユダヤ人の王=キリストを意味する姿だ。

このように、この「香水」の物語は隠喩を用いた壮大なホラ話だ。どこかシニカルな笑いが常に付け加えられ、映画として楽しんだ。

師匠の最後のひとこと。「汚いところで生まれるのもキリストと一緒ね。」

そうです、それでこそ師匠。俺と師匠、完璧にシンクロして楽しい映画談義のひとときだ。師匠にさっぱりとした素敵な香水をプレゼントしよう。愛してる、師匠!!
久々に美貌の女子(師匠)と映画を見に行った。スカーレット・ヨハンソンを見るためだ。師匠も俺もスカーレットがお気に入り。

師匠
<俺の師匠>

映画はブライアン・デ・パルマ様式。終わり近くにあの名作「キャリー」同様の手法が見られてぎょっとした(笑)

俺はエルロイの小説が好きだ。ホプキンスものと呼ばれる警官小説が好きだが、「ホワイト・ジャズ」「LAコンフィデンシャル」「ブラックダリア」などのLAものも好きだ。

エルロイの文体は重く暗い。錯綜する出来事に流されつつ懸命に踏みとどまる主人公の一人称独白体が印象に残る。起こる事件はどこにも救いがなく、登場人物すべてが嫌な奴だ。現実世界の醜さに苛立ち自分自身の傲慢さに嫌気がさし、疲れ果てている者にとって、このような汚らしい人間しか出てこない小説は慰撫となる。やかましい説教を聞かされなくてすむからだ。

映画「ブラック・ダリア」もエルロイの文体そのままに重苦しい。デ・パルマのショッカー・ホラー描写が凄惨さを加える。何度も戦慄した。

「シン・シティ」のショシュ・ハートネットが美しい。俺がうっかり、スカーレットもあまりぱっとしないし、出てくるのはみんな嫌な奴だし、花がない映画だな、と口を滑らせたところ連れの女子は美しい眉をキッと上げ「ジョシュが花でしょ!」と一喝した。格好いい!師匠!!ジョシュ・ハートネットはいいです(心から・・)。

ヒラリー・スワンク演じる悪徳宅地造成成金の娘が最高に(?)嫌な女だ。ヒラリー・スワンクがあまりにうまいので、映画を見ているとヒラリーをどうしても殺したくなる。期待に応えてくれるかどうか、映画を見て確かめて欲しい。

スカーレットは正直柄にあっていない。可愛らしさがあまり出てこない。俺が好きなのは「アイランド」のカマトト・スカーレット。あれは可愛い。「ロスト・トランスレイション」の不安げなスカーレットもいい。この作品では過去のある重苦しい役(エルロイの登場人物全員がそのような役柄なのだが・・・)。背伸びしているようで痛々しい。

もっと痛々しいのは、現在、この映画の相手役ジョシュ・ハートネットとつき合っていると言うことだ。師匠によると「お似合いじゃない?」とのことだが、俺には、なんだかなあ、と感じる。スカーレットが偉くなりすぎている。貫禄つきすぎ。もっと消え入りそうで儚げなところが良かったのになあ。。。。。なんて言ってみても仕方のないこと。



「ブラック・ダリア」事件の本物の現場写真もネットすぐ見られる。俺が最初にこの事件に関連する写真を見て思ったのは殺された女が美しいこと。映画でも殺される女が出てくる最初の場面でハッとする。徐々にその女の人となりが明らかになるのだが、悲しい女だ。無惨に殺されるその女に感情移入はできないが。

厚みのある物語が映画を見る満足感を与えてくれた。俺にとって美貌の女子と見る映画はどんな作品であれ最高のひとときだ。(嫌味な締めで失礼。露悪趣味のエルロイに影響されたようだ。)
侮辱され暴行を働き退場。衝撃だ。

ジダンは何を言われたのか?

映画「ベッカムに恋をして」。インド系イギリス人のジェスは裕福な家庭に生まれ育った活発な女の子だ。ベッカムに憧れてサッカーをはじめる。父親に内緒で女子サッカーチームで活躍するようになる・・・。素敵に楽しい青春映画。

この映画で主人公のインド人少女ジェスが侮辱されて暴行を働き退場になる場面がある。シャツをつかんだ相手に食ってかかったら「パキ!!」と罵られた、と言うのだ。誇り高いインド人なのに、パキスタン人呼ばわりされるとは!!許し難い!!そのことをぶちまけると、白人の恋人は、「俺もなれているよ、アイルランド人だから」と言う。

ことほど左様に人種国籍に関する偏見差別は複雑だ。

日本人も海外で朝鮮人に間違えられた、と言っては怒っているだろう。白人と見れば「アメリカ人?」というフツーの日本人たちにうんざりさせられているカナダ人の友達がいる。

イタリア人は泥棒、というあからさまな侮蔑のステレオタイプがある。にんにく野郎!とか。アメリカのアングロサクソンはイタリア系を「ガーリック!」と言って罵る。これもひどい言い草だ。イギリスでも、ウェールズ人は泥棒、という歌詞の童謡すらある。

人間の本性には差別する心がある。

ああやって罵りあいをすることが戦争を引き起こす人間の本性なのだ、と感じる。
何の特徴もない平凡なイギリス人ジョー。銀行の窓口で10年真面目に勤め上げ金庫の鍵も預けられるようになった。申し分のない人物なのだが結婚しないまま来てしまった。ロシア人の花嫁を紹介するWEBサイトで一人のロシア女をオーダーするところからこの映画は始まる。

ジェネオン エンタテインメント
バースデイ・ガール

空港で迎えに行くと来たのはなんとニコール・キッドマン!!!!!俺だったら腰を抜かす。背が高くエキゾチックなメイクとあの顔立ち。ニコールはロシア語もさらったらしく実にそれらしい。本物のロシア人に見える。ナディアと名乗る。


ナディアは英語が話せない。紹介サイトでは英語が話せるってことだったのに!!ジョーは不満で「返品」したくて仕方がない。俺だったら全然かまわないのにね。だってニコールだよ!!


そのニコール、いやナディア、ジョーを徐々に誘惑しすっかり虜にさせてしまう。ジョーもナディアに惚れ込んで(そりゃそうだ、ニコールだもん)ロシア語の手紙を書くほどになる。


ここまでが発端。ここまではなんだかつまらない。ニコールが初々しくて綺麗なんですが。エロティックな場面もたっぷりある。全裸に近いニコールが見られる。ファンは必見!


映画が始まって30分ぐらい。ナディアが今日は誕生日だと言う。パーティをしよう、と答えるジョー。和やかな団欒に突如現れる男二人。ロシアから来たナディアの従兄と名乗る二人組だ。ここから意外な方向に物語は動いていく。サスペンス・タッチになる。ラブコメだと思っていたら犯罪物語なのだ。


主人公ジョーの味わう失望。ナディアの味わう荒廃。どちらも見ている者に共感を与える。この等身大の共感が後半の展開に大きく関わってくる。シナリオのうまさだ。


終盤は愛情の物語。最悪の状況に置かれるジョーとナディア。どう見ても接点のない二人がどのようにお互いを赦し受け入れていくか?ゴールは決まっている。脚本の腕の見せ所だ。シナリオはその難題をクリアしている。


それ以上にこの映画が成立するために重要なのはニコールの演技だ。常に美しく毅然としていながら、その場面にふさわしい最高の演技を見せる。俺はニコールの容姿が好きだが、それ以上に女優として演技の力が遺憾なく発揮されている。


むしろこの映画では容姿のハンディも見える。背が高く、エキゾチックで親しみを感じにくいきつい顔立ち。ニコールが両親から授かっただけの容姿に頼っていたらとっくに仕事を失っていただろう。ニコールの頭の良さ、女優としての根性が今の地位を保たせているのだ、と思った。


ニコール万歳!!


(映画はいまいち)