密陽(ミリャン)とは、韓国の地方の都市の名前。

主人公の女性が、亡くなった夫の故郷である密陽に向かう場面から映画が始まる。

この映画で扱われている問題は、旧約聖書の「ヨブ記」のテーマでもある。人はなぜ、理由もなく突然の不幸に襲われるのか。愛する家族、財産のすべてを取り去られても人は神に信頼を置くものだろうか。

ヨブの問いは切実だ。旧約の神は義しき人ヨブに対し、さらに峻厳だ。一切を奪い、ヨブをどん底に突き落とし、最後はヨブを屈服させる。ヨブは最後まで神に忠実だった。

この映画の主人公、イ・シネは夫を交通事故で失った未亡人。一人息子と一緒に夫の故郷に住むためにソウルから車で来たところだ。

この冒頭から、どこか旧約聖書に出てくる女性、例えばルツなどを連想させる。幸福だった時間や、言いがたい悲劇をはらんだまま知らない土地で暮らしていこうとする主人公。関心を持たずにはいられない。

韓国のキリスト教会の様子が興味深い。駅前の路傍伝道や、キャンプ・ミーティング(天幕集会)は、アメリカ人宣教師たちが持ち込んだスタイルだろう。国民の30%がキリスト教徒である韓国の日常風景だ。

主演の女優がすばらしい。ヨブの試練を受けたとき、人はどのように葛藤するか。ヨブのように義しくあることができるか。この女優は全身全霊でこの主人公の置かれた苦しみを表現する。

最後の髪を切る場面はおぞましくも美しい。四谷怪談の髪すきの場にも匹敵する。女性の髪には特別な意味を感じる。影がゆらゆら揺れて、この監督の繊細な描写が際立っている。

忘れることのできない映画だ。同じ監督の「オアシス」も一生忘れられない映画だ。また見たくなった。

この映画監督、イ・チャンドンは本当に凄い人だ。またすばらしい作品を見せてほしい。
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いや~面白かった。

荒唐無稽なアニメだが、全世界からアカウントが一億以上も集まって「家族を助けてください!!」とメッセージを送るところが最高に感動した。

見ていない人にとっては意味不明だと思うがそれでよい。

花札は懐かしい。昔、家族でよくやった。猪鹿蝶(いのしかちょう)とか、花見とか、青短、赤短、月見に雨煎り五光などなど。

この作品の中で重要なゲームの展開に出てくる言葉だ。このアナクロな感じが心地よい。

信州の上田の旧家という設定もいい。夏休み。甲子園長野県大会の中継。松商学園、佐久長聖、上田高校。

青空、入道雲。

今年の夏は雨ばかりで、ちっとも夏らしい空が見られない。今年はこの映画の中で初めて夏らしい空を見た。

明日も台風だし、本物の夏空は当分見られそうもない。この映画を見たことが記憶に残りそうな夏になった。

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「ストレイト・ストーリー」はデイヴィッド・リンチの他の作品同様に、画面の隅々、音楽の設定まで美意識が働いている。

アメリカの中西部の乾燥地帯を走り始めるトラクタ。仲間や娘のあきれ顔を無視して悠然と畑の真ん中をまっすぐ走っていく。

アコースティックギターの単純なアルペジオが聞こえてくる。シンプルで胸を突く美しさ。フィドル(カントリースタイルのヴァイオリン)によるメロディが重なってくる。

ブルースハープのメロディも似つかわしい。

最後の場面、いよいよライルに会う直前、聞き慣れたストリングの響きの中に、肺腑をえぐるようなチェロのソロが聞こえてくる。

今までチェロは聞こえてこなかったはずだ。

アルヴィンの心臓の鼓動が感じられるような音楽だ。

感心した。
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登場人物は老人が中心だ。

主役のアルヴィンを演じるリチャード・ファーンズワースが素晴らしい。娘のローズ訳のシシー・スペイセク(・・・あの、キャリーを演じた)の吃音が印象に残る。

初めて世界市場に受け入れられた日本人芸術家、村上隆のインタビューで、これからの日本および世界のテーマは長くなった寿命にアートはどう答えるかだ、と言っていた。

世界一二の経済大国であり、長寿国日本では、世界一老人の自殺が多い。最近の報道では、老人の犯罪者の数が激増しているという。

二十年もインドネシアに暮らしている知人が、なぜ、日本で高齢者の自殺がこんなに多いんだ、と不思議がっていた。インドネシア人には理解できないという。インドネシアでは40代、50代で死んでしまう人が多いので、高齢者が珍しく、高齢だと言うだけで人々の尊敬を受けるという。

「ストレイト・ストーリー」は「マルホランド ドライブ」のデイヴィッド・リンチの作品。

冒頭から非現実的な感じが面白い。ごく普通の風景を鮮明にとらえているだけなのだが、何ごとか起こりそうな不穏な空気に満ちている。

説明はごく短く、頑固でやっかいな老人であるアルヴィンが描かれる。

淡々としたエピソードの積み重ねすべてが心に染みてくる。押しつけがましい演出が一切ないのだが、画面の隅々に、見ればわかるアルヴィンを囲む人物たちの気持が描かれる。

アルヴィンが「老い」について若者に語る言葉がいい。

「若いときは自分が老人になるなんて思っても見なかった。」「目も足も悪くなっていいことなんかないが、経験だけは積む。いいものと悪いもの、実と殻の違いがわかるようになるのがいい。」

若者が尋ねる。「老人になって良くないことは?」

アルヴィンの答え。「最悪なのは、若いときのことをはっきり覚えていることさ。」

今朝、テレビでやっていたので見始めたら最後まで見てしまった。四回目かな?

普通に見える場面でも、デイヴィッド・リンチの狂ったような演出があって面白い。燃えさかる木造の納屋をバックに坂道を暴走するアルヴィンの乗ったトラクタ・・・とか。

戦争中の話しをする老人二人の場面は忘れられない印象を残す。

嫌でも人間はやがて高齢者と呼ばれる年代になっていく。人類がかつて経験したことのない高齢者社会がもうすでに始まっている。

日本でも100歳以上の人が何万人もいる。高齢になって何を楽しむか。かつての「老人ホーム」のお遊戯では満足できない高齢者が大量に存在してくる。

高齢者に共感を得られる娯楽や芸術、テレビ番組、商品、映画、アニメが必ずあるべきだ。

この「ストレイト・ストーリー」は意外に深いな。

リチャード・ファーンズワース/ストレイト・ストーリー

¥3,990


何ごとかが起こりそうで起こらない。期待と不安。

少女時代にだけある人生に対する様々な予感に満ちた作品だった。

あのハラハラドキドキは学校という狭い世界でのみ成立するときめきだ。

大人になり、学校という狭いところから飛び立てば、なにもかもがどうでもよくなってしまう。

危うさ、はかなさが絶妙のバランスの中で表現されていく。

同じ監督によるリメイク版「櫻の園」も見たい。

あの、しんとした感じをまた味わいたい。

櫻の園

¥28,000
Amazon.co.jp

知ったかぶりの自画自賛ですまないが、まあ、過去記事を読んでくれ。

「下妻物語」 ロリータ侍!

「下妻物語」 深田恭子賛江

「下妻物語」 土屋アンナ賛江

バベルの塔の事件以来、世界中の言語は混乱させられ、お互いに心を通じ合うことさえ困難なのがこの世界だ。

下妻にいて、マリー・アントワネットの時代のパリに思いを寄せるのも、片田舎にいてモーツァルトやベートーヴェンの音楽に魅了されウィーンやザルツブルクの繁栄に心躍らせるのも同じこと。

その美意識に殉じ、人生を賭していく覚悟があるかないかの違いだけだ。

国立音大かどこかにいる、マゴメとかいうファゴットの大先生の馬鹿は、ザルツブルクやウィーンに行かなければモーツァルトがわからない、と言い、若い高校生やアマチュアを騙しては、せっせとヨーロッパツアーの営業をしている。

その程度の人間が、クラシックのまわりににはいっぱいいる。

音楽評論家の志鳥栄八郎なんかもそうだ。とにかく、ロシアの音楽はロシア人の演奏家でなければ本当の演奏ができない、という馬鹿の一つ覚え。すべての演奏評はその一点張りだ。ドイツはドイツの、フランスはフランスの・・・。

馬鹿が。

マゴメも、志鳥栄八郎も、民族や地域を超えて鳴り響くバッハやモーツァルトやベートーヴェンの普遍性を意識できない。結果的に大作曲家を地域や民族の枠に閉じこめ、矮小化し、貶めていることに気付かない。

「下妻物語」の深田恭子さん演じる主人公を見ろ。あの志こそ、日本でクラシックをやる人間の覚悟と矜持なのに。

そんなこともわからない、馬鹿なクラッシック業界人、まとめて死ね!!!!!

(亀山先生の翻訳の話しは事項へ続く・・・・)


人気歌手のファン・クラブ会長ハン・ダヘが、歌手本人を殺す。ハ・ジウォン 演じる高校生ダヘは、私が殺した、と自首してくる。取り調べにあたるチョ検事はダヘが嘘をついていると感じ、真相を究明しようと躍起になる。

取調室のダヘは、チョ検事を翻弄する。なぜ、歌手を殺したのか?強姦されたから。証拠からはその事実が確認できない。何を隠しているのか?
ブロードウェイ
真実ゲーム
タイトルの「真実ゲーム」とは、韓国で流行った言葉遊びで、質問には真実しか答えなくてはいけないが、一つだけ嘘をついていい、というルールがある。ダヘとチョ検事は「真実ゲーム」に熱中していく。何が真実で何が嘘なのか?

歌手の関係者やファン・クラブの仲間たち、高校の同級生たちの人間関係が明らかになる。ダヘの母親も、看守や検事に金を渡して、手心を加えてもらおうとする。徐々に手がかりは見つかり、真相が見えてくる。韓国の女子高校生のいがみ合いや、歌手の追っかけの様子が面白い。

主演のハ・ジウォンは、「ヴォイス」の主演 で有名になった。俺は「ヴォイス」で、すっかり、ハ・ジウォンのファンになった。この「真実ゲーム」は、「ヴォイス」より前の作品で地味なサスペンスだが、ハ・ジウォンの魅力がよく出ている。

強い眼差し。きりっとした顔立ち。捨て身の迫力ある演技。見ている俺も、取り調べのチョ検事と同じように、この少女に幻惑され翻弄される。

サスペンスとしてもきちんと出来ている。最後に真相も明らかにされる。どうにでも取れるような思わせぶりの演出はしていない。良くできたテレビの二時間サスペンス、というところだ。

内容はあまり気分のいいものではない。芸能界の裏の姿と、ファンクラブの女の子たちの悪夢と言ったところか。

ハ・ジウォンに興味のある人には、ぜひ、とすすめる。見所がたくさんあって得した気持ちになれます。アン・ソンギのハンサムぶりも素晴らしい。中年のかっこいい検事を渋く演じている。

面白かった。
ディスガスティング・ムーヴィーの代表作「テキサス・チェインソウ」 で、サイコパス一家の虐殺から一人生き残ったジェシカ・ビール嬢 。その迫力ある肢体に目は釘付け。顎の強そうな整った容貌も俺の好みだ。アメリカ映画をたくさん見ているうちに、ニホンジンの、まるまっちい幼児顔が鬱陶しくなってきた。やっぱり、マッチョはジェシカ・ビールだぜ!
 
俺のジェシカの今回の任務は、U.S.Navy Air Force が誇る、精鋭ステルス戦闘機のエリート・パイロット。真っ白の制服姿も決まってるぜ、ジェシカ!おっと!髪がアップだと老けて見えるな、ジェシカ!おばさんに見えるぜ。

怒るなって!ジェシカ。

おばさんと言っても、俺の本当のおばさんのことだ。俺のおばさんの若い頃にそっくりだ。高校の頃、俺はおばさんと買い物に行くのが好きだった。なに?おふくろ?そのへんに寝てたんだろ、きっと。そのおばさんが、ジェシカのような顔だったんだよ。背もすらりと高くジェシカのような美貌だった。自慢のおばだ。
       JB
   (このストライプきれいですね☆70年代調のデザイン?)

叔母と一緒に修学旅行の買い物に行ったら同級生に出くわした。翌日、あの女の人は誰か?とみんなに問いつめられた。嘘のような本当の話だ。ジェシカの鼻の形、顎のライン、眉、目。俺の記憶にあるおばさんの顔だ。今は歳もとったが、すらりとした姿、美貌は変わらない。今まで忘れていたが、今日はっきり思い出した。ジェシカは俺のおばさんだ!ジェシカおばさん☆萌え~♪

映画は・・・・。

ツービート時代のたけしのネタに、「どう見てもウンコが落ちている。どこからどう見てもウンコだ。拾って確かめてもウンコだ。匂いを嗅いだらやっぱりウンコだ。ちょっとなめてみたら間違いなくウンコだ。・・・・・・・・・ああ、よかった!踏まなくて!!」というのがあった。「ステルス」は正真正銘の糞映画だ。しかも俺はそれを踏んでしまった!!

人工知能搭載の無人ステルス機が、なんと落雷を受けただけでバグってしまい暴走するという話。ゆるゆるです。登場人物たちの知性のかけらも感じられない愚鈍な会話・・・。

ジェシカ嬢の最初に印象に残る台詞は「Don't think ! Drink !!」「I must to go pee-pee !」だよ。「考えるな!飲め」と「おしっこ行ってくる!」だもの。この映画の質が分かる。
       ST
いっぱい書いてみたいあほらしさがあるのだが、ジェシカ嬢に絞って書く。

狂った無人ステルスを追尾中、事故で脱出することになるジェシカ嬢。間一髪、パラシュートで地上に降り立つが、そこは北朝鮮。当然、朝鮮人の兵士が追いかけてくる。それをなんの知恵も使わずただ走って逃げる。

捕まりそうになると、持っている強力な銃で殺しまくる。そうこうしているうちに、ジェシカ一人を助けるために、ものすごい税金を使ってステルスが超低空飛行で北朝鮮に侵入する。国境警備隊を爆撃し、韓国へジェシカたちを逃がす。なんの罪もない朝鮮人が何百の単位で殺される。朝鮮人蔑視だ。

そのほかにも、タジキスタンの犯罪者たちを殺すのはまあよしとしよう。その結果民間人が1,000人規模で放射能に汚染されるけどかまわないんだな?ロシアの領空を侵犯しそうになって、ロシアの戦闘機が追尾してくると、ロシア機も爆破する。ロシア人は殺してもいいんだな?

アメリカ人でただ一人死んだ男の葬儀は盛大に行われる。狂ってるよね。ジェシカ、泣いたりして。バカだねぇ。

知性を麻痺させなくては見ていられない映画なのだ。しかもこの映画は、英語がしゃべれるというだけで(書けないかも)知性ゼロの人間に、空軍に入るように促す国威発揚映画になっている。怖いね、さすがにアメリカは。考えるな!とにかく空軍に来い!だもん。

ジェシカのようなゴージャスな美女もいるしさあ。偉くなったらタイにだって行けちゃうよ!アジアのかわいこちゃんなんてすぐ口説けちゃう。ジェレミー・フォックスが、タイのグラマーな女の子をナンパする場面には怒りがこみ上げる。(まあまあ。アホ映画だから・・・・)。

タイで休暇を過ごすジェシカたち。意味もなくジェシカは半裸になる。ごっつい水着姿がすさまじい。アメリカのマッチョはやっぱ違うなあ!あれがセクシー・ナンバーワン なんだから。ものすごい腕と背中の筋肉ですよ。顔は俺のおばさんだし。ひくわーーー。

航空自衛隊のパイロットに知人がいた。訓練中、海に落ちて死んだ。そいつが言っていたが、マッハの世界では思考できないのだそうだ。考えて逡巡すると、恐ろしい距離が飛び去っていく。マシンになって反射で行動するしかない。日本列島を10分ぐらいで北から南まで飛べるんだもんね。「Dont't Think !」という言葉はリアルな言葉だ。そうやってイラクでもどこでもアメリカ人は飛んでいくのだ。考えていたら原爆なんか落とせない。判断なんかしてはいけないのだ。兵士というものは、人間性を削り取って機械になるしかない。そのような恐ろしさを、このとことん非知性映画から感じた。

書き忘れたが、ジェシカさあ、もっと仕事選べよな!出たらまた見るからな!期待してるぜ!!
<なぜかマッチョ口調になっちゃう(笑)>

オーランド・ブルームのエリザベスタウンに出ていますね。キルスティンが出るので見ようかな、と思ったけどジェシカも出てるなら見るの決定。
この上なくエロティックで魅力ある売春婦たちは、自分たちの商売の街「Old town」を、ギャングや無法者から自力で守る。武装し、用心棒を雇い平和は保たれる。警察は自衛する売春婦たちを見逃すかわりに、さんざんいい思いをさせてもらえる。それがお互いの間の「約束」だ。

売春婦、チンピラ、裏切り者、異常者、巨悪の政治家、悪徳刑事、冤罪に陥れられる刑事、犯罪被害者の可憐な少女、モンスターたちが、頽廃の街「BASIN CITY」を舞台にうごめく。

イギリスのイスラム社会も、ロンドン・テロが起こるまでは、英国政府と「約束」が成立していた。政府は、パキスタンなどから来る、移民イスラム教徒の町、リーズなどでモスリムの文化を謳歌することを容認する。そのかわりイスラム教徒たちは英国に対し、テロや反社会活動を決してしない、という不文律があったのだ。

日本にだっておおっぴらにそのような取引関係があるのをおまえら知ってるか?パチンコ業界と警察官僚のバーターだよ。日本では賭博は犯罪だ。麻雀や賭けゴルフで直接金をやりとりすると逮捕されるんだぜ。だからパチンコやパチスロは、パチンコ屋で交換した景品を買い取るという形で、出た玉を金に換える。これは脱法行為だ。昔は警察がこれを取り締まっていた。これを警察はあることの見返りに見逃すことに決めた。

パッキー・カードとか言う玉交換カードを使って玉を買う仕組みになってから、景品と金の交換は合法になった。パッキー・カードは、パチンコ屋が、売り上げをごまかさないために導入されたものだ。それを入れろ、そうしたら、景品買い取り=出玉を金と交換することを見逃すから、ということだ。で、そのパッキー・カードの運営会社に警察官僚が天下るんだよ。パチンコ利権だよ。警察は今現在、パチンコの上がりで甘い汁を吸っている。

漫画の世界だろ?これが人間の社会の実像だ。警察官僚だった自民党の衆議院議員・平沢勝栄にパチンコ業界から5,000万円のヤミ献金があった、と噂されただろう。あれはこのような背景からあり得る話なのだ。平沢勝栄がこのバーターを積極的に推し進めたのだから。

モノクロに鮮やかな色が施される。ぞくぞくする映像美にしびれっぱなしだ。古いアメリカのテレビシリーズのようでもある。「アンタッチャブル」とか。「グラフィック・ノヴェル」の映像化だ。アメリカの「劇画」ということころか。スタイリッシュな映像は、劇画の世界を忠実に再現しているとのこと。

モノクロ映像はコクがある。映画というものが光と影だけでできていることを思う。雨の場面。夜の街の場面。迫る黒い人影。白く光る眼鏡。フィルム・ノワールだ。映像を見るだけで胸がときめく。女たちの白い肌も際立って美しい。

渋い俳優がたくさん出てくる。俺の好きなマイケル・マドセン。汚い裏切り者を渋く演じる。ブルース・ウィリス。「パルプ・フィクション」のブルースだ。もともと汚い顔をこれでもかと汚く不細工に演じるミッキー・ローク。不死身の化け物ぶりが面白かった。「エターナル・サンシャイン」で異常なストーカーを演じたイライジャ・ウッド。今回も強烈な変態ぶりだ。こんな役ばっかりで可哀相。可愛い顔してるのに。クライヴ・オーウェンも渋かった。

デヴォン・アオキを知っているだろうか。日系人でアメリカのティーンのカリスマ・ファッション・モデル。そばかすがチャーミング。独特の雰囲気を持っている。「KillBill」の、GoGo夕張の役どころ。もっとクールで、そう言えば一言も台詞がなかったな。出てくる女優たちはそれぞれに美しくセクシー。売春婦の役だが、腹の据わった演技をする。そして、ジェシカ・アルバ!なんと可憐で美しいことか。ジェシカを見るためだけにもこの映画は見る価値がある。重要な役を演じる。

ベニチオ・デル・トロが演じる実に嫌な男。殺したくなる。そしてぶざまに殺される。ところがこの男、死んでからがすごく面白い。だんだん好きになってくる。何度かこの男のせいで爆笑した。この男がやっかいの元なのだ。

俺の大好きなタランティーノが特別監督とかいう訳のわからない役割でクレジットされている。この作品全体は、まさにタランティーノ好み。大傑作「パルプ・フィクション」に「Kill Blill」のキッチュなところを混ぜたような作品。

この作品こそ、文字通りの「パルプ・フィクション」なのだが。取るに足らない三文小説。読んだらゴミ箱に投げ捨てる通俗スリラー。誇張された人物像に、あり得ない、と言う映画評論家多数。バカだね。この映画の楽しみが解ってない。漫画だもん。読んでその場だけ面白くてあとは捨てればいいんだ。車のぶっ飛び方とか、爆発シーンで人のぶっ飛び方とか、コミックそのもの。わくわくしますよ。

女性の描写がいい。モノクロにごく一部微妙に色を乗せる手法が素晴らしい。目が青かったり、薄く緑だったり、真っ赤な口紅、シーツ。美しく効果満点だった。愛着を感じるマニアックな作品。人間ドラマがお好みならまったく「お呼びでない」作品です。

俺は大満足。心の底から楽しんだ。長いのも気に入った。師匠も、短い映画見ると損した気分!と言っています。たっぷり、映像と、クールな売春婦、チンピラたちの心意気に酔った。
ラッセル・クロウは汚れない。試合後のボクサーの顔を見たことがあるだろうか?当日より翌日がすごい。ボクサーを目指していた友人がいる。デビュー戦を見 にいった。生身の人間の殴り合いは恐ろしい。結果は1ラウンドの途中で友人が相手のサミングで瞼の上を切り、血が止まらずドロー。

なあんだ、と思った翌 日。あれしか戦っていないのに友達の顔は、目が塞がり顔は腫れ上がる。顔中ひどい青あざができている。それを見て、初めてその男が取り組んでいるものの感 触を得た。

ラッセル・クロウのブラドックは体形、雰囲気ともにタフなアイリッシュのボクサーだ。惜しいのはボクシングに対する狂おしい情熱を発散していないことだ。

実在した偉大なボクサー、ジム・ブラドックの物語。初めて知った。素晴らしいボクサーだ。尊敬に値する。しかしこの作品は実話を越えていない。実話を美化した「プロジェクトX」だ。

成り上がりの不動産業者が「地あげ」で財を成し、自社ビルを持つにいたる。苦労の末たどりついた成功を涙ながらに語る。ゴースト・ライターが手際よく纏め、豪勢な自費出版の本を出す。タイトルは「我が半生」。

バブルの頃そんな本を買わされた。売ってくれ、と何冊も持たされた。立派なハードカバーの本を1ページも開かず駅のゴミ箱に捨てたのはその時だけだ。

実際のブラドック氏がそのような人物であるわけはない。事実がどうかではなく作品の話だ。

どこが綺麗事か?

主演のラッセル・クロウ自身が持っているはずの「狂気」が作品から感じられない。ボクシングをやるなんて普通のことではない。この狂気は敵役、マックス・ベアにうまく表現されていた。俺はマックスに魅力を感じ、最後の試合もマックスを応援してしまった。汚いロウ・ブロウを放ち、なめた態度の狂犬。死んだ方がましな嫌な奴だ。こいつこそリアルなボクサーだ。

ラッセル・クロウはクレバーでスマートな良い家庭人を演じる。僅かな稼ぎをギネスに費やすろくでなしではない。それはそれでいいのだが、そこが不満だ。 辛い苦役を紛らわせるために酒でも飲んで暴れるのが人間だろ?唯一、怒りを爆発させるのが、子供をよそに預けたとき。泣かせますね。

監督は、人の「心の魔」を避けているから嘘臭い綺麗事になる。前作の「ビューティフル・マインド」にも同じ印象を持った。特に幻覚の人物たちが陳腐だっ た。後半、コントのタイミングで登場する彼らに失笑を誘われた。あの映画も実在の人物の方に、より強烈な存在感を感じてしまう。作品が事実に負けている。

これは映画として良いことなのだろうか?実話に材を取っていても実話の美化で終わる作品はつまらない。この作品を見て新しい何かを得た気がしない。見たこ とのない視野も拓かれなかった。俺が映画で見たいのは「いい話」ではない。目が見開かれるような熱意が見たい。俺の日常のくだらなさが打ち砕かれる「何か」 を見たい。馬鹿な話を大まじめに作っているとんでもない馬鹿を見たい!

ミリオン・ダラー・ベイビーの原作が入ったF.X.トゥールの作品集「ミリオンダラー・ベイビー」。その中の短編「魔法の世界の一員」に、アイリッシュのボクサーの物語が書かれている。この作品集は、ボクシングにまつわる人々を鮮やかに切り取って心に迫る小説ばかりだ。止血をするカットマンの話など、ディテイルがよくわかって、この映画を見ているときも止血の手順を興味深く見た。

親父は熱烈なボクシングファンだった。(略)ミックやパディと呼ばれて軽蔑されたアイルランド人たち---彼らは船に詰めこまれ、その三十パーセントは途中で死んで海に投げ捨てられたと考えられる年季奴隷としてこの国に渡ってきた多くのアイルランド人の中の偉大なアイルランド人ボクサーたちに、彼は心を奪われたのだ。(ハヤカワ文庫<NV1082>ミリオンダラー・ベイビー F.X.トゥール 東 理夫訳)

ボクサーになるのは、アイリッシユか黒人かユダヤ人たちだ。アイリッシュがつける仕事は、港湾労働などの肉体労働、警官や消防士など、人の嫌がる仕事ばかり。それしか仕事がないから。そのような苦痛と貧困の中に煮えたぎる情念を燃やし続けているのがアイリッシュだ。

この作品に感動する人は多いと思う。泣くタイミングが音楽と映像で解りやすく指示されている。うまいと思う。だがエンドロールが流れるのを見ながら心の底から湧いてくる感情が希薄なことに気付いた。

同じボクシングを扱っていながら全くボクシング映画ではない「ミリオン・ダラー・ベイビー」の衝撃と悲しみを改めて思い起こした。ボクシングの痛みが伝わってきた。

ラッセル・クロウ!つまらないことで怒り狂って大騒ぎする本来のお前のほうがかっこいいぞ!それこそアイリッシュの血だ!お行儀良すぎてこの映画のお前はつまんない!アカデミー賞なんか気にするな!もっとぶち切れた演技ができるはずだ。そんな事を思いました。

素直に見れば普通にいい映画だと思う。なんの根拠もないのにジムに賭けるマネージャーのジョー。「噛ませ犬」とわかっていて試合を金のために引き受けるジム。パーティで侮辱されたら、侮辱した相手に酒をぶっかけるジョーの妻メイ。いつぶっかけるか、タイミングを学んだ。そうしたかったが出来なかったことをいろいろ思い出したりして。

ステーキを子供のために持ち帰る場面は、実話なのかも知れないがあざといな。試合に勝って家に帰ってきて、落胆した素振りから「勝ったよ!」とやるサプライズ。ボクシングの凶暴さが、やけにダウン・サイズされてないか?ホーム・ドラマじゃないんだから。あ、ホーム・ドラマか。。。そこが俺の間違っているところだ。

冒頭に、金持ちになったジョー一家を映し、画面がスクロールして暗転、貧乏な時代に戻る手法も意味を感じない。このような話は、美化しないで、凝った作りにしないでまっすぐ作ったらいいのに。「ロッキー」の方が泣けるし盛り上がるぜ。ボクシングをやっている友人は「ロッキー」見てボクシング始めたんだよ。この映画見てボクシングやりたくなる人はいないだろう。ボクシングの映画じゃないからだ。身体に訴えるボクシングの狂おしさと魅力が描かれていない。「毒」がないんだよね。

蛇足の上に靴下だが、ボクサーの声。一流のボクサーは声が高いんだって。F.X.トゥールの本に書いてあって、むやみにおかしかった。ラッセル・クロウ、声低すぎ。言いがかりだね、こんなの。。。。

すげー悪口ばかり書いた。自分の人格が嫌だ。でも今日見て思ったことを丁寧に掘り起こして書いたんだから怒らないでね。絶賛しているブログは多いから、敢えて違う視点から書いてみました。ご意見ください。

ついでにおやすみなさい。また夜更かしだ。

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