コーヒーと煙草。二人が向き合うと会話が始まる。

1ダースほどのエピソードすべてにコーヒーと煙草が出てくる。一話だけ紅茶だっけ?

白黒の映像。白と黒のチェックが画面のどこかに使われる。

一つ一つのエピソードが会話だけで成り立っている。友達、いとこ同士?、恋人?、店員とお客・・・。いろいろだ。

ケイト・ブランシェットがケイト・ブランシェットの役で出てくる。美しい。ケイト、素敵ですねえ!いとこが出てくる話だが爆笑ものだ。

もう一つの「いとこ?話」も面白い。売れている有名な俳優の元に、売れない冴えない役者がくる。その男は、調べたら自分はあなたの従兄だということがわかった、と言う。売れている俳優にしてみたらうんざりするような話。体よく追っ払おうとするが、意外な結末が・・・・。と思わせぶりに書く。

星新一のショートショートのパンチ・ラインも意表をつくものがある。スマートで洗練された結末。それが星新一の持ち味だ。

この「いとこ同士?」の結末には笑った。タカ・アンド・トシなら、「そこかよ!!」と突っ込む。予想通り、体よく追い払おうとした有名売れっ子俳優がしくじるわけだが、その理由となる人物の名前が渋いのだ。俺は大いに気に入った。その名前じゃないだろ、と言う名前に異様に食いつくのが可笑しい。「その名前」は有名なミュージシャンだ、とだけ言っておこう。

へんてこなコイルの話もいい。演じているのが本当の兄妹だというのがいい。

ビル・マーレイが、相変わらずのビル・マーレイで出てくるのも笑いました。

コーヒー、最近凝っているのは、カフェ・アメリカーノ。エスプレッソをいれて、お湯で割って飲む。実にソフトで胃に負担がかからない。イタリアン・ローストの豆が香ばしく飲みやすい。

映画のコーヒーはカフェインがたっぷり入っている感じ。煙草も胃に悪そう。でも格好いいな。コーヒーと煙草。最高の取り合わせ。

気が向いたらいつか俺もやってみよう。
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あの伴奏は日本の伝統音楽ではない。西洋和声の実に中途半端な「あてはめ」だ。音楽として愚劣。

「君が代」の旋律は、古代支那から伝来した律旋法に基づいている。日本雅楽の多くに用いられている。歌詞は日本の和歌。

なのに何?あのアレンジ。

「れー どー れー みー そー みー れー」 の冒頭と、「らー そ み れー」の結尾部になぜ和声が当てはめられない?

それには以下のようなへなちょこな経緯がある。以下をよく読んでみてください。面白いから。

1880(明治13)年、海軍省は宮内省にふさわしい軍楽曲を作ってほしいと要請。宮内省では、傭い教師ドイツ人エッケルトがいわゆる雅楽調をとり入れて新しく作曲、それが今の「君が代」である。
 しかし、これも歌詞の意味もよく分からない外国人の編曲なので、作曲家の中田喜直 氏は、「・・・・『さざれ石』が、さざれ、と石に割れてしまい、歌詞の長さとメロディー の長さがつり合わず、無理に引き伸ばしているのです・・・・」(1)と語っているし、

日本の伝統音楽も歌詞もわからないドイツ人が、コテコテの西洋和声を無理矢理当てはめたからあのへんてこな(キッチュな)伴奏ができた。

弾いてみるとはっきりわかるが、(俺はピアノで弾けるよw)旋律が「ちーよーにーーー やーちーよーにー」のところから急にハ長調の主和音が鳴り響き、実にぎょっとする。

西洋音楽の感じ方だと、旋律が「みーそーらーーー」って動けば、「どみそ」の和音だろう、という安心感が広がる。なので主語であるべき「君が代は」という歌詞が、意味不明の前奏のように聞こえる。

学校などで演奏されるとき、冒頭の「きーみーがーよーーはーーー」というところを前奏に使うので、前奏が二回あって主和音に入るということになる。

変なの!

しかも、律旋法の下降形の「れーしーらーそー」という旋律が、属和音(主和音 Cに対して五度上のG)に一致しているので、Gに入りやすくするため、すぐさま、属和音上の属和音(ドッペル・ドミナント)Dの和音が挟まれる。(左手の和声にれふぁ#らが入るということです)。

すわ!転調か?(古くさい言い回しですw)と思うと、何ごともなかったかのように、左手ベース音が「れれ#み」と動き、騙されたように主和音、Cにもどる。

このあたりで、和声を追うのに疲れる。騙されたようなつぎはぎ和声だから。西洋音楽としての意味を聞き取れなくなっちゃうからね☆

で、挙げ句の果て、最後はどうにも和声が付けられず「らーそみれーーー」と投げっぱなし。やっつけ仕事だな、エッケルト!!

みなさんも旋律とベースだけの簡単楽譜がある から弾いてみてよ。弾けばわかる違和感。誰でもその気になれば絶対に弾ける。その気になるかならないかだけ。

思想信条の問題ではなく、純粋に日本の伝統音楽の問題だ。こんな和洋折衷のグロテスク伴奏ではなく、日本の伝統に基づく律旋法、雅楽様式の伴奏を付けるべきだ。

なぜ日本の右翼や、君が代を強制する馬鹿都議会議員や、都知事石原税金乞食はそう主張しない?おまえらの言う「伝統」がどれだけ薄っぺらで無教養なのか、明白だ。

東京都の狂った都知事の腰巾着、土屋なんとかという都議会議員のせいで、北朝鮮のような国家崇拝を強要されている都立校の教員たち。可哀相に。職務命令書という現代の赤紙が配られるんだぜ。アホか!

馬鹿の論法を根底からひっくり返せばいい。日本の伝統に従った雅楽様式で伴奏して、都の処分を受け最高裁まで戦いたいなあ!
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ジャン=パティスト・グルヌイユ。主人公の名前だ。魚の臓物の腐敗臭にまみれてこの世に産み落とされる。五歳まで言葉を発せず、特別に鋭敏な嗅覚を持つ。

この男がいかにして残忍な殺人者となり、どのように処刑されるのかがサスペンスとなる。香水にまつわるぞっとして蠱惑的なホラ話だ。

この主人公の造形が「アスペルガー」ではないか、と俺に意見を求めた人物がいる。そう。俺の若き美貌の師匠!さすが師匠。俺の理解者、よき助言者、まさに師匠。またまた惚れるぜ、師匠。

主人公は生まれ落ちてすぐ魚の臓物の掃き溜めに捨てられ、ほとんど仮死状態になった。言葉が遅い。感覚の異常な鋭敏さ。他者への共感のなさ、執拗なある特定の香りへの執着、笑わないところ、生真面目に言われた通りを試す硬直した態度、思い通りに行かないと錯乱に近い行動をとる・・・。

いわゆる自閉症、広汎性発達障害の状態に似ている。アスペルガーとも言えるが、高機能自閉と言われる感じだろう。このような脳の器質的障害を前提にこの主人公の行動を見ると理解しやすい。

この主人公は自己の目的=究極の香水作りを果たすためには、殺人もなんら躊躇しない。物語を見ている者も、香水の妖しい魅力に興味をそそられ、あのように身の毛もよだつ製法で作られた至高の香水とはどのようなものだろう、と考えてしまう。

その香水の魔力はすさまじい。香りを嗅いだ者の理性を狂わせ、全世界の人々よ、抱擁せよ、接吻せよ、とシラーの詩を合唱で歌い上げた、これもアスペルガーが強く疑われるBeethovenの世界が現実化してしまう事態が起こる。

ジャン=パティスト は、パプテスマのヨハネ、と言う名前だ。聖書の福音書の始めに登場し、キリストの来る道を備えよ、と言った人物だ。ジャンが十字架で処刑されようと引き出されたとき、香水の魔力で群衆たちが「この人に罪はない!」と叫ぶ。これはキリスト処刑の場面だ。

ラストシーン間際、生まれた街に帰った主人公、究極の香水を頭からしたたり落ちるように浴びる。この行為自体が「バプテスマ」のようにも見えるし、「油注がれた者」、つまりユダヤ人の王=キリストを意味する姿だ。

このように、この「香水」の物語は隠喩を用いた壮大なホラ話だ。どこかシニカルな笑いが常に付け加えられ、映画として楽しんだ。

師匠の最後のひとこと。「汚いところで生まれるのもキリストと一緒ね。」

そうです、それでこそ師匠。俺と師匠、完璧にシンクロして楽しい映画談義のひとときだ。師匠にさっぱりとした素敵な香水をプレゼントしよう。愛してる、師匠!!
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エスパー伊東という馬鹿芸人界には、ビッグなセコ芸人がいるが、こいつら、ハイキング・ウォーキングもそうとう馬鹿(賞賛)だ。

http://www.youtube.com/watch?v=H8QsYtZOA1U

見てもらうほかない馬鹿芸人。面白い。

なぜこいつらが面白いのか考えてそのうち屁理屈を書いてみたい。
無伴奏で「ムード歌謡」を熱唱するだけのピン芸人です。その出で立ち、風貌が可笑しくていま気に入っています。

歌詞 もほとんど即興のような感じ、節回しは大体いつも同じ。にこりともせずに歌い上げる感じが「昭和」のムード歌謡風で面白いと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=mAQO_C9RkGU

適当に「受け流し」 というところにムーディ藤木、と書いていたのは間違いで、ムーディ勝山という芸名でした。

たぶん、そんなに売れない芸人だともいますが、そのうち「いいと も!」に出たりして一時期ブレークして消えていくでしょう。

見守りたいと思います。

asahi.com:都知事の政治資金巡り告発状 石原氏は全面否定�-�社会 .


焼酎はもらったが、現金はもらっていない・・・。


重箱の底に小判を仕込んで、菓子はもらったが小判はもらっていない。


安い時代劇そのものだ。大江戸線とかいう地下鉄のネーミング・センスにふさわしい政治感覚だ。石原プロでさんざん使いまわしたシナリオだろw


浅野も、後ろ暗いところがたくさんあるようだが、石原に比べたら小物小物。より悪い方を落選させるべきだ。


浅野は石原を落とすのが仕事。それさえ果たしてくれるなら俺は満足。


石原時代は都の暗黒史に残る悪政だ。

アスペルガーについて、出来るだけ正確に理解して頂きたいので下記のサイトを紹介しておく。

http://www.autism.jp/asp/

知的障碍者が犯罪を起こす、と誤解されることが一番心外だ。

知的障碍者の犯罪件数はこの世に起きている犯罪件数に比べ圧倒的に少ない。

知的障碍のない人の犯罪がこの世の犯罪件数の大部分を占めているのは簡単に理解できるだろう。

ただ、理解不能だったり、出来事の衝撃が大きい場合がこのところ見受けられる。そのような事件を見る視点として、知的障碍者の理解が不可欠だ、と強く感じるようになった。

もと民主党議員の山本譲司氏の「累犯障害者」という本もぜひ読んで欲しい。軽度発達障害の人々がこの日本の社会でどれほど生きにくく、なんの支援も受けていないか驚くことばかり。社会の見方が変わる。犯罪を犯し、牢獄に入れられた山本譲司氏にしか書けないルポルタージュだ。今後の山本氏の仕事に大いに期待している。

累犯障害者/山本 譲司

¥1,470
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俺は浅野に投票する。傲慢石原は顔も見たくない。声も聞きたくない。

浅野が宮城県でやった県政の情報公開を見ろ。薄汚い税金乞食石原が身内で飲み食いしたり、広告代理店とあわびステーキかなんか食っていたのに比べ、潔いではないか。

東京都の腐った体質を変えられるのは、浅野しかいない。この一点だけでよい。傲慢石原を追い出す。それだけで充分。

東京都民、浅野に投票せよ!!!俺は絶対浅野に投票する。

リンク: asahi.com:宇治学習塾女児殺害事件、被告に懲役18年 京都地裁�-�社会 .

犯人はアスペルガーだった。このことに俺は少なからず衝撃を受けた。この世の中で起こる意味不明、理解不能の犯罪に知的障碍者が関わっていることがある。


歩道橋から幼児を投げ落とした知的障碍者の事件があった。この塾講師の犯罪も、広汎性発達障害と呼ばれる知的障碍者による犯行だった。


広汎性発達障害とは、通称「自閉症」と呼ばれる。そのなかでもアスペルガー症候群と呼ばれる自閉だったのだ。


自閉症の中でも、学力や言語能力に問題のないタイプがある。障碍と気付かれないまま、大学に入り、社会生活を営む人も多い。有名な例ではビル・ゲイツがアスペルガーだ。


大学の研究者にもアスペルガーが多いそうだ。IQが異常に高いけれど、社会性がまったくない「マッド・サイエンティスト」と呼ばれる人々はアスペルガーなんじゃないかな、と感じる。


アスペルガーの特徴に、他者への共感のなさ、と言うのがある。基本的に他人の感情を理解することができない。他人の言動や表情から、言外の感情や気分を読み取ることができない。


なぜそうなのかと言われても、それがアスペルガーの特性なのだ。犯罪被害にあった側から見れば、謝罪する様子も見えないし、反省しているようにとうてい見えないだろう。


殺人のような極端な事件では、障害の特性を理解してもらおうにも被害者の側に受け入れる余地がない。


悲しいことだ。


このような破滅的な犯罪を起こす前にアスペルガーであることをまわりも本人も認識していれば良かったのに。


知人にアスペルガーであることをまわりに知らせて、毎日の暮らしが大幅に改善した人がいる。今度の4月から、某有名私立大学に通う。


彼は親と一緒に、つき合っている彼女のところに行き、自分の障害のことを話し、アスペルガーにとってわかりやすい話し方をしてくれるように頼んだという。


アスペルガーの人は、曖昧な言い方をされると、強い不安を感じてしまう。単純な例で言うと、「僕のこと好き?」と聞いて「う~ん。好きかも?」と言われると混乱に陥って、疑心暗鬼になり、悩み苦しんでしまう。


「かも?」という雰囲気が理解しにくい。曖昧にすることで、直接言う照れくささを緩和しようという配慮が困ってしまう。「好き」か「嫌い」のどちらかにして欲しい、と強く思う。「嫌い」と言われても傷つくことはむしろ少ない。曖昧にされることが一番辛いことなのだそうだ。


彼が彼女に頼んだのは、言葉を最後まで言い切って欲しい、ということなんだって。お母さんと一緒に言ってそう頼む知人を想像するだけで微笑ましい。彼女はもちろんよくわかってくれて、いまでも仲良くしている。