三遊亭円弥師匠死去

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幻の噺家、というフレーズを自称していた。最近どうしているかな?と考えていた。


asahi.com:落語家の三遊亭円弥さん死去�-�おくやみ .


銀座の東芝ホールで円弥師の噺を聞いた。演目は「三十石」。船のなかで暇をもてあます旅人のたちのたわいのない風景を描いたもの。そのなかの、紀伊国屋文左衛門のみかん船「沖がくらいのに白帆が見える」という謎かけが馬鹿におかしくていまだに忘れられない。


生真面目で端正な芸風。派手なところがない。風貌もまさに「幻(まぼろし)」のごとくはっきりしない目鼻立ちだった。でもよく見ると渋い二枚目。玄人好みのするいい噺家だった。


あの「三十石」。夏時分で白のすっきりした着流し姿。


その後一度もあの「三十石」は聞いたことがない。


爆笑の思い出、円弥師匠。

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コンビニの闇

セブン・イレブンでは、廃棄が多ければ優良店とされるそうだ。4月25日の産経新聞が取り上げている。「廃棄」の下限目標があるそうだ。なるべく少なく捨てろ、と言うのではなく、なるべくたくさん捨てろ、という意味だ。


食べ物を大量に廃棄することで本部は利益を上げる。


こんな馬鹿な商売が平然と続いていることに驚愕する。


食品廃棄の「下限目標」。よく文字を見て欲しい。多く捨てろ、と言っているんだよ。


「廃棄」は鮮度を保つためにやむを得ずするのではなく、コンビニ本部が一定の利益確保の目的で意図されて出されている。


こんな詐欺がいまだにまかり通っているのは屈辱だ。コンビニ・オーナーたちはアルバイトの確保ができず、連日の徹夜で死にそうな顔色をしている。見たことがあるだろう。


これは大手メディアが絶対に取り上げない社会の恥部だ。


徹底して観察したい。

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コンビニが始まって二十年。店舗展開も飽和状態になり、売り上げも前年割れを続けている。オーナーの高齢化で廃業する店も増えているという。


それだけならまだいい。オーナーの自殺、自己破産が恐ろしい数になっている。そのうち社会問題になるだろう。


コンビニの本部の不正利得問題が噴出しそうだ。大手マスコミに大量に広告を出しているのでどこも批判記事を載せないが、コンビニ業界は相当狂っているようだ。


早い話、大量の廃棄食品も売り上げに加え、ロイヤリティを取り上げているとのこと。いくら大量の廃棄が出ても本部は痛くも痒くもない。店のオーナーが売れなかった分も負担するからだ。


こんな詐欺がまかり通っているとは。アメリカのセブンイレブンは同様の不正経理が暴かれ、数年前に倒産している。その会社をセブンイレブンジャパンが買い取って、日本で暴利を貪っている。


このほかにもドンキホーテで64円で買えるカップ麺を、オーナーは100円で仕入れさせられるそうだ。差額36円は本部がピンハネしていると言うことだ。


以下、細かい話だがよく読んで義憤に震えてくれ。


外国特派員協会でコンビニ問題追及の記者会見 (平成17年9月26日)
差出人: 匿名
1日に全国で600万食が消費期限切れで捨てられているといわれるコンビニ弁当。
「モッタイナイ」 の最たるものだが、この捨てられるコンビニ弁当で儲けているのが、セブンイレブンやローソン、ファミリーマートなど、当のコンビニチェーン本部である。
 ふつう、商品が廃棄されればその分は損失になる。 各コンビニ店舗を経営しているFC加盟店ではたしかに損になるのだが、セブンイレブン本社などFC本部は、加盟店が弁当を廃棄処分すればするほど、また万引きなどで商品の品減りが出れば出るほど、利益があがるカラクリがある。
 このカラクリは東京高裁判決 (2月24日) でも認定されているが、マスコミではほとんど報じられていない。 大スポンサーで、しかも週刊誌の流通をおさえているコンビニは、マスコミにとって一つの聖域となっている。
 そこでコンビニ問題を追及している学識者が、9月27日 (火)、日本外国特派員協会 (東京・有楽町の電気ビル20階) で記者会見を開き、日本の腰抜けマスコミではなく海外のメディアに、コンビニ問題の現実を報告するという。
 コンビニ問題はいずれ大きな社会問題になる。

 参考までに上記カラクリをごくごく簡単に説明すると、こういうことだ。
コンビニ本部は、加盟店が得る 「粗利」 の約半分 (チェーンによってチャージ率は異なる) をロイヤリティとして徴収する。

「粗利」 とはいうまでもなく

 粗利 = 売上高 - 商品原価

のことである。
ところが、コンビニでいうところの粗利は次のように算出される。

 コンビニ粗利 = 売上高 - コンビニ商品原価   A式

そして、 「コンビニ商品原価」 とは何かというと、

 コンビニ商品原価 = 一般の商品原価 - (廃棄ロス原価 + 棚卸ロス原価)  B式

で表される。 ちなみに 「廃棄ロス原価」 とは廃棄処分された弁当などの商品の原価のことで、 「棚卸ロス原価」 とは万引きなどで品減りした分の商品原価のこと。 いずれも加盟店にとっては 「損失要因」 である。

で、A式とB式を総合すると次のようになる。

 コンビニ粗利 = 売上高 - {商品原価 - (廃棄ロス原価 + 棚卸ロス原価)}

カッコを外してみると、

 コンビニ粗利 = 売上高 - 商品原価 + 廃棄ロス原価 + 棚卸ロス原価

つまりコンビニ粗利は、廃棄ロスと棚卸ロスが多いほど増えるということが分かる。 当然、コンビニ粗利が増えれば増えるほど本部が徴収できるロイヤリティも増えるという寸法だ。
 で、加盟店はというと、実態以上に粗利を上げたことにされたあと、廃棄ロス、棚卸ロスを全額、営業経費として負担させられている。
 このカラクリに気づいた加盟店が、本部を相手に訴訟を起こすケースがこのところ急増しているわけだ。
 上記の東京高裁判決は、セブンイレブン本部がこのカラクリ (契約書を精読してもふつうの人は気づかない) をきちんと加盟店に理解させる努力をしていないとして、この捨てられた弁当と万引きされた商品原価でかさ上げされた粗利分にかかったロイヤリティをセブンイレブンの不当利得とみなし、総額2200万円を加盟店に返還せよという命令を下した (セブンイレブンは上告)。 
 加盟店を食いものにしてきたコンビニFC商法のビジネスモデルに司法がようやう異議を唱えたともいえる。
特派員協会での会見では、こうしたカラクリについて詳述されると思われる。

参考HP
日本外国特派員協会    http://www.fccj.or.jp/
東京高裁判決文       http://www2.ocn.ne.jp/~combini/hanketu.pdf
セブンイレブン元加盟店   http://litigation711.ameblo.jp/
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0509/050926-10.html

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「自閉症」という言葉を、文字の見た目で「引き籠もり」や「NEET」の意味で捉えている人が多い。


「日本の若者が自閉症に陥っている」 などと平気で書いている厚顔無恥な物書きも後を絶たない。この件についてもじっくり書きたいが、別の機会に譲る。


「自閉症」という言葉自体を改称しようという運動もある。脳の機能障害である「自閉症」を一時の心を閉ざした状態を表す言葉として誤解を与えやすいからだ。


で、「音楽療法」だ。


断っておくが俺は「音楽療法」に関してまったくの素人、門外漢だ。最近、音楽療法の本の広告などを見ると「音楽が心を開く」というようなたわけた甘言がうたわれているので頭に来ているのだ。


自閉症の子供を抱えた親はつい期待を抱く。


「音楽療法」。なんとエレガントな解決だろう。音楽が心を開く。自閉症が治るようなものではないことを一番知っている親までも幾ばくかの期待を抱かせるイメージだ。


こんなものは詐欺だ。


音楽療法士になるコースなどが民間団体であるが、その資格を取っても仕事なんかない。あるとしたら、いま有名な「音楽療法士」と言われている人たちのメソードや本を売る仕事ぐらいだろう。


二流三流の音楽家崩れが商売のために「音楽療法」を宣伝する。「療法」と名乗ることが詐欺だ。


俺は音楽が大好きだ。真剣に音楽に取り組む人々を尊敬し、自らもそうありたいと願って日夜生きている。

だから音楽を何かの道具にしようとする人々を嫌う。駅のホームで否応なしに聞かされるクラシックの愚劣なこと。あれほど音楽をないがしろにする行為はない。


音楽芸術をなにかの役に立てよう、という心根が嫌いだ。


ベートーヴェンは誰かを「癒す」ために音楽を書いたか?自らの芸術に対する信念に従って書いたに過ぎない。あるいは依頼を受けて金のために。誠実な職人として最大限の努力を惜しまずに。


音楽を二次利用して金にしようと言うすべての行為が嫌なのだ。音楽作品には芸術音楽としての意味しかない。なにかを勝手に読み込んで、手あかまみれにするのはいい加減にしろ。


ワインにモーツァルトなんか聞かせるな。それをごたいそうなことのように喜ぶな。

下品なサイト からの引用ですが・・・・


●サイバーエージェントから三木谷と宇野が逃げだした??!
 サイバーエージェントから三木谷と宇野が逃げだしたぞ。
サイバーエージェントの取締役をしていた楽天の三木谷と
USENの宇野が辞めた。
 揃って同じ日にやめるというのは、いよいよかねw 堀江
くんは、拘置所でしぶとく頑張ってますよ。お陰でそれなら
こいつも逮捕しちゃえと検察は動くわな。
 熊谷、宮内から取り調べの様子を三木谷も宇野も聞いている
はずだから「本業が多忙になった」という理由を信じている奴
はいないよ。元々、社外取締役だったんだから、理由になって
ない。
 さあ、東証が終了する3時以降が要注意ですよ!!

何の特徴もない平凡なイギリス人ジョー。銀行の窓口で10年真面目に勤め上げ金庫の鍵も預けられるようになった。申し分のない人物なのだが結婚しないまま来てしまった。ロシア人の花嫁を紹介するWEBサイトで一人のロシア女をオーダーするところからこの映画は始まる。

ジェネオン エンタテインメント
バースデイ・ガール

空港で迎えに行くと来たのはなんとニコール・キッドマン!!!!!俺だったら腰を抜かす。背が高くエキゾチックなメイクとあの顔立ち。ニコールはロシア語もさらったらしく実にそれらしい。本物のロシア人に見える。ナディアと名乗る。


ナディアは英語が話せない。紹介サイトでは英語が話せるってことだったのに!!ジョーは不満で「返品」したくて仕方がない。俺だったら全然かまわないのにね。だってニコールだよ!!


そのニコール、いやナディア、ジョーを徐々に誘惑しすっかり虜にさせてしまう。ジョーもナディアに惚れ込んで(そりゃそうだ、ニコールだもん)ロシア語の手紙を書くほどになる。


ここまでが発端。ここまではなんだかつまらない。ニコールが初々しくて綺麗なんですが。エロティックな場面もたっぷりある。全裸に近いニコールが見られる。ファンは必見!


映画が始まって30分ぐらい。ナディアが今日は誕生日だと言う。パーティをしよう、と答えるジョー。和やかな団欒に突如現れる男二人。ロシアから来たナディアの従兄と名乗る二人組だ。ここから意外な方向に物語は動いていく。サスペンス・タッチになる。ラブコメだと思っていたら犯罪物語なのだ。


主人公ジョーの味わう失望。ナディアの味わう荒廃。どちらも見ている者に共感を与える。この等身大の共感が後半の展開に大きく関わってくる。シナリオのうまさだ。


終盤は愛情の物語。最悪の状況に置かれるジョーとナディア。どう見ても接点のない二人がどのようにお互いを赦し受け入れていくか?ゴールは決まっている。脚本の腕の見せ所だ。シナリオはその難題をクリアしている。


それ以上にこの映画が成立するために重要なのはニコールの演技だ。常に美しく毅然としていながら、その場面にふさわしい最高の演技を見せる。俺はニコールの容姿が好きだが、それ以上に女優として演技の力が遺憾なく発揮されている。


むしろこの映画では容姿のハンディも見える。背が高く、エキゾチックで親しみを感じにくいきつい顔立ち。ニコールが両親から授かっただけの容姿に頼っていたらとっくに仕事を失っていただろう。ニコールの頭の良さ、女優としての根性が今の地位を保たせているのだ、と思った。


ニコール万歳!!


(映画はいまいち)

後半1時間に及ぶ拷問と十字架刑の描写に疑問を感じた。この映画一番の宣伝箇所だ。メル・ギブソンがイエス・キリストの受難をリアルに再現しようとした結果だ。

東宝
パッション

聖書を題材にした映画はたいてい面白い。古くは「天地創造」。ノアの箱船やモーセが紅海を渡る場面など最高のスペクタルだ。ハリウッドでは、ネタに詰まると聖書映画をゴージャスに作ると当たる、というジンクスがあったらしい。


映画「ベン・ハー」も、キリスト時代を背景にベン・ハーと言う男を描いている。イエスを手助けして一緒に十字架を担ぐ男がベン・ハーだ、と言う設定になっている。聖書の記述に十字架を担がされたクレネ人シモンの話が出ているのだ。そこからその時代を生きた男の数奇な運命をダイナミックに描いた痛快史劇が「ベン・ハー」だ。


このメル・ギブソンの「受難物語」は聖書の福音書を忠実に描いていこうという意図がある。カットバックで描かれる様々なエピソードもすべて四つの福音書によっている。


姦淫の女の場面は秀逸だ。イエスが地面に文字を書く場面。石を放り投げ帰って行く男たち。足許に伏せている女の視線で描かれる。


姦淫の現場を捕らえられた女が律法に従い石打ちの刑になる。その場に立ち会ったナザレ人イエスが「あなたがたのなかで自分は一度も罪を犯したことのない者はこの女に石を投げなさい」と言う。そして地面に文字を書く。


男たちは我に返り持っていた石ころを放り出し年長者から去っていく。イエスは女に聞く。「誰か石を投げる者があるか?」「いいえ」「それなら私もあなたを罪に定めない。家に帰りなさい。これからは罪を犯してはならない」。


聖書を知っている者には隅々まで興味深く見ることができるだろう。そうではない者にとって様々な細部は意味を持たない。そのような作品だ。


会話の一つ一つ、大祭司カヤパやヘロデ王、ローマ総督ピラト、ユダヤ人たち、ローマ兵たち、それぞれの心理描写や会話はすべて聖書にあるとおりだ。ユダヤ人が衆愚と化し、イエスを憎むあまり、恐ろしい人殺しバラバを釈放せよ、とわめく場面。ナザレ人イエスを十字架につけろ!と叫ぶ場面。


2000年も前のことだが、今のテレビで見る衆愚の姿とまったくかわらない。ナザレ人イエスが十字架にかかる5日前には、歓呼の声で迎えたエルサレムの住民が、同じ口でイエスを十字架で殺せ!と叫ぶのだ。


バッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」にもこのユダヤ人たちの恐ろしい声が描写されている。興奮を表す常軌を逸した音型の反復と高揚でこの場面が描かれる。


「衆愚」の恐ろしさだ。2000年前から聖書には、はっきり描かれている。


むち打ちの場面、十字架刑の描写は長くて執拗だ。暴力の非情さは「マッド・マックス」と同質のものだ。明らかにやりすぎ。不快だ。こんな場面は見たくない。


サタンの表現はよかった。聖書にはもちろん出てこないがゲッセマネの園で祈るイエスの場面から現れる。男でも女でもない恐ろしい魅力ある人物。それがサタンだ。鬼や、ばい菌のような姿をしているのは幼稚な悪魔像だ。悪魔は最高に魅力ある人物として現れる。


蛇はサタンの象徴。キリストはサタンの頭をかかとで踏みつぶす。イザヤ書にあるとおり。そのような細かい隠喩がちりばめられた聖書マニアには興味深い映画だ。


マニア以外には勧めない。見ても得るものはないだろう。それより聖書読んだ方がいいよ。少なくとも四つの福音書を全部読んでから見れば面白いということです。

冤罪が明白な死刑囚。クリント演じるたたき上げの新聞記者には冤罪だとわかる。大事な手がかりを発見したのだが、あと数十分後に迫った死刑執行を止めることが出来るか?


サスペンスフルな展開に手に汗を握る。

ワーナー・ホーム・ビデオ
トゥルー・クライム 特別版

俺はどちらかというとクリント贔屓だ。よっぽどのことがないとクリント側に立とうとする。だがこの映画は無理だ。脚本、構成ともに優れている。映画として見事にできている。

アルカトラズ刑務所の海側から迫っていく冒頭のショット。無駄なくすべてを説明する。健康診断を受ける黒人の若い男。この男が味わう「特別なこと」を丹念に描いていくことで、この男が死刑囚で、近く死刑が執行されることがわかる。その語り口のうまさ。

アイザイア・ワシントンが映画の最後の最後まで素晴らしい演技を見せる。娘との別れの場面は涙なくしては見られない。慟哭の演技だ。


主人公は酒と女で身を持ち崩した昔気質の新聞記者。平気で部下の女房を寝取ったり、若い部下の女の子を口説く。家庭には若い妻とまだ4歳ぐらいの子供がいる。


たばこは吸うわ、セクハラ発言し放題、規律なんか糞食らえ。自分の直観のみが頼りで大スクープもものしてきた。その点だけは編集長に信頼があるらしい。人格は最悪。


古くさい造形だ。20年以上前はこのようなキャラが全盛だった。刑事コロンボも言ってみればこの類型だ。コロンボの造形は、ドストエフスキーの「罪と罰」で、インテリの青二才の殺人犯ラスコーリニコフを追い詰める予審判事ポルフィーリだが、冴えないどうしようもない人格の刑事なり記者が真相に迫っていく、というタイプのミステリは多い。イギリスではおなじみ「刑事フロスト」がその代表だ。

そこまではいい。この主人公を当時69歳のクリントが演じるのだ。冒頭、孫のような若い子をバーのカウンターで口説く場面から嫌な予感がする。なにこれ?クリント、すっかりその気なのだ。女たらしキャラを69歳の老人が演じる。痛々しい。


実際のベッドシーンもある。クリントの首の下の弛み具合がまさしく老人のものでうんざりする。


家庭を仕事のために当然おろそかにするクリント。可愛い4歳の女の子が出てくるが、これがクリントの本当の子供だから始末に負えない。フランセスカ・ルース・イーストウッドという。この映画にも出てくる女優でありクリントの妻のフランセスカ・イーストウッドとの間に生まれた実子なのだ。

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この映画はクリントのホームヴィデオかよ!!!


69歳で4歳ぐらいの娘のいる、ばりばりの女たらし新聞記者。そんな奴いねえよ!


ひとえにクリントが主演したために最悪の映画になっている。クリント以外、シナリオも演技も最高!!最後まで目が離せないサスペンス。張られた伏線は映画の中で綺麗に解決する。いつもながらクリントの映画は清潔だ。状況を説明していく語り口も最高にいい。クリントの才能に脱帽だ。


だが、この映画で主演したクリントは見るに堪えない。上手の手から水が・・というか、このくらい自惚れがないと素晴らしい作品を作ることはできないのかもね。


クリントは何度結婚して何人子供がいるんだっけ?本当はそういう奴なんだけどね、クリントは。