ヒューザーは、創価大学出身者の就職の面倒を見ていたという。

かつら野郎も池田大作カルト教団員だという。

ゲイよりも不愉快な池田大作教団。日本の与党だよ。北側「でーじん」も創価学会党員。

史上最悪政権のもと、起こるべくして起こった倒壊危険マンション事件。

被害者は題目でも唱えるしかないな。常識も法律も通用しない。誰も守ってくれない。

これが、いまの日本だ。よく見物しよう。

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板橋区にある「みその幼稚園」の園長と話した。


父兄からも、保育士からもなんの意見もないという。


教育現場が狂っている。「HG」を容認した理由は「流行っている話題の芸人だから、いいかな、と思って」。


園長の言葉だ。


「HG」は性の倒錯を売り物にしているあくどいキワモノ芸人だ。よりによって、卑猥な衣装のまま、幼稚園児と遊ばせる感覚は狂っている。そのことを異常だと感じない大部分の人々は狂っている。


おまえらが間違っている。文句あるなら言って見ろ!!!!!!!


園長は、俺の言葉に「仰るとおりです。反省しています」と言った。少しは目が覚めたようだ。そのとおり、保育士、父兄にも反省してもらうよう懇願した。親の狂った感覚を糺さなくては意味がない。


日テレのその番組の同様の企画では、神奈川県の小学校にも行っているようだ。スポンサーに電話してみよう。「HG」を未成年者の教育現場に行かせることを阻止したい。


ゲイは大嫌いだが、勝手に売れるのはかまわない。教育現場で汚らしいゲイが悪ふざけするのは見るに堪えない。許し難い。

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バンドや、珍走団(暴走族のことを嘲笑して呼ぶ言葉)の連中が、「うちのバンド」とか、「うちの珍走団(・・とは言いませんが)」のように使うことから、「うちら」と言うのだろう。


「うちの会社」「うちの業界」「うちのクラブ」「うちのチーム」「うちの学校」・・・。みんな同様な使い方だ。これらの用法は男女を問わず使われているはずだ。水が一番低いところに流れていくように、一人称に不自由をしている若年女子業界に採用されたのだ。需要があったところに流用しやすい形で「うちら」が入り、「うちら」の単数形「うち」が一人称化したと考えられる。


なんちゃって。興味ある方のご意見を伺いたい。


女子の高校生数十人に聞いてみた。100%が自分のことを「うち」と言う。東京都内にある、富裕階層、高偏差値の生徒が通う女子高校だ。数人は、親に「わたし、といいなさい」と直されるという。多くは、「わたし」とか「わたくし」は、なんかいや、絶対言わない、普通言わない、あり得ない、という感想を述べる。他に言い方がないから「うち」が一番いい。言いやすいし。「自分」と言っていたが、違和感があった。「うち」がいい。これが主な理由だ。


ここから先は確証のない与太話。


女子の一人称を何というかというのは結構面白い。若い女子でない俺が考えると、「わたし」「あたし」「わたくし」・・・。このくらいしかない。使われるているのを聞いたことがある一人称は「自分」「僕」「俺」「あてし(と聞こえる)」「あてくし(と聞こえる)」「うてくし(と聞こえる)」「あっし(と聞こえる)」など。


自分の名前を一人称に使うことも多いが、特に親しい間柄や家族の間でだけであろう。社会では使えない。使っている男や女は、場所をわきまえない甘ったれて未熟で馬鹿な人物という印象を与えてしまう。


これに対し、男子は「俺」「自分」「僕」。社会人語としての「わたし」「わたくし」。そのほか「拙者」「みども」「やつがれ」「我輩」「おら」「小生」など。


女子は、社会人に要求される丁寧とされる言葉使いしか一般に使うことが認められていない。そのため、自分を「わたし」と言うと、しっくりこない照れを感じるような気分があるのだろう。「社会語」ではない、自分のありのままを示す言葉が、通常容認されてきた言葉にはない。


親しい間柄で使える一人称が、「わたし」か、自分の名前だけというのは不便だ。そこで、おそらく関西弁経由か、ヤンキー言葉の「うちら」から自然に流用されて、「うち」が定着してきた理由だと思われる。


俺の独自調査にようると、「うち」の使用限界は23歳ぐらいにある感じがする。それより上の女子はあまり使わないのでは?今大学4年の女子より下から使う率が高いように感じる。単に社会人になると使わない、というだけかも知れないが。俺のガール・フレンドたちが調査対象だ。ごく狭い範囲での調査です(w


下は、4歳児も使っている。これには愕然とする。小学生も中学生も使っている。もう、東京圏で、あっという間に女子の一人称として定着するだろう。


言葉の経済原則にも合致している。同じ意味内容を示す頻繁に使われる語は、短いものの方がより使われる、ということだ。「わたし」「あたし」より「うち」のほうが短い。音の意味としても、内側の「内(うち)」、家庭を示す「家(うち」にも通じ、使っている気持ちにぴったりしているように思う。


関西弁の東京弁への流入をことさら言挙げして非難する一部の人々もいるが、俺はそのようなことを言いたいわけではない。俺、拙者、みども、我輩、小生、やつがれとしては、自覚して使おうと思う。だから関西弁起源の「ど真ん中」はつかわない。東京言葉の「まん真ん中」という言葉の方が柔らかくて好きだから、意識して愛用する。そういうことだ。

偶然や、計算ミスで建築基準法に充たない建築物がつくられると危険だから、建築確認制度があるんだろ?

確認がいい加減だ、と言う前提で数々の不正が行われてきたに違いない。卑近な例では、個人の住宅を作るとき、建築確認が下りてから、設計変更で増築し、建坪率を違反した建物なんか山ほどある。家の近所のあの家も、この家もそうだ。俺の家はきっちり建坪率を守っている。増築する資金がないことが主な理由だ。

つまり、役所の「建築確認」は、数十年にわたり何の仕事もしてこなかったということだ。来た書類の書式だけ見てはんこを押すだけだったら、時給800円で、アルバイトにやらせればいい。その間公務員に支払われた膨大な給与を全額返還しろ!!!税金を返せ!!!!!

少なくとも今回のかつら野郎の仕事を3年間も見逃してきた。全国規模で。官民問わず。

どこも発見できないと言うことは、全員が仕事をしていなかった、ということだろ?昨日も今日も、何もしていないと言うことだ。即刻、建築確認の検査関係は廃止しろ。日本中の建築物は信頼できない。

まったくふざけている。

山崎バニラ!

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山崎バニラ はいい!頭がいい。しゃべりがいい。アニメ声だが俺は気に入った。

中山秀のぬるい番組にも実は収穫があった。

山崎バニラ(公式HPはこちら) が、テレビ番組の視聴率のネタで「語る」のだが、講談や落語の言い立てのように、滑舌よく淀みなく語る。プラチナ・ブロンドのかつらをかぶり、レトロで(大正ロマン??)キッチュな格好もなかなかいい。
    
美貌なので、芸人に見えないが、「語り」の技術がある。一発で、山崎バニラのファンになった。昔だったら、女義太夫の花形、といったところだ。

どらえもんの「じゃいこ」をやっている声優でもある。「活弁士」というのにやや嫌な予感がするが。。。というのも無声映画をあのアニメ声でやられたらたまったもんじゃないと思うので・・・。「活動弁士」については見聞きしていないので保留。

テレビ・タレントとして、見かけだけで判断して期待したい。


板橋区に電話。

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「みその幼稚園」のことを、教育委員会の担当者に話した。先に書いたこと全部を伝えた。

ただし、芸人の名前もどんな種類の芸人なのかも担当者の女性は知らなかった。だから今一つ食いつきが悪いい。上に伝える、と言うことなので、行政からも対応してもらうことを期待する。幼稚園の不見識を叱って欲しいぜ、まったく!!

ただ、問題を感じない親が大部分のような気もする。それが衆愚の現実だ。テレビに出られて良かった、ぐらいの認識しかないだろう。流行っている芸人が来たことで大喜び。そのような馬鹿な大衆がいるからゲイにも迎合するのだ。

幼稚園は、文部科学省管轄で、それぞれ地方自治体の教育委員会の学校課の指導監督下にある。立派な教育機関だ。保育所とは違う。当然、幼児教育への配慮が期待される。ゲイの芸人をよんでテレビではしゃぐことにどのような教育理念があるのか、よく園長に聞いてみたいと思う。
「HG」という、汚らしいゲイの芸人が板橋区の「みその幼稚園」に行って、園児に触れている!!

「みその幼稚園」は、園庭が芝生で、裸足でその上を走らせる、子供の健康に配慮した幼稚園だそうだが、園児の情操にはまったく配慮しないようだ。これ以上ここに「ゲイ」が幼稚園児と遊ぶことの不適切さを書くことをしない。

うっかりテレビを見たりするとろくでもないものばかり見てしまう。

夕方の日本テレビの自局礼賛番組 。中山秀が司会している番組だから、見かけ通りのぬるい空気が漂っている。

テレビは興味を引く企画を立てて、馬鹿騒ぎできればいい。それにうかうか乗ってしまう幼稚園の教育方針を断固糾弾する。不見識も甚だしい。

「みその幼稚園」に電話をかけた。園長がいなかったので、出た保育士に意見を述べた。俺は嫌がらせをするつもりではないので、丁寧に相手に同意を求めながら趣旨を話す。明日、園長と話すことも約束した。もちろん実名を告げ、自分の責任、立場をはっきりさせる。このような電話はなかったか、と聞くと、俺が初めてだとの答え。ゲイや、幼児教育に考えを持っている人がほとんどいないんだな。

いくら、日本でただ一人だとしても、俺は絶対に幼稚園に「HG」が行って悪ふざけをすることを容認できない。それを、何の配慮もせず、預かっている幼児にそのような環境を与えた幼稚園関係者を容認し得ない。幼稚園は都の教育委員会の管轄なのかな?役所にも言ってみるつもりだ。やることはやる。

みその幼稚園の保育士たちは、テレビに出るためなのか、新しくあつらえたかのような真っ赤なおそろいのトレーナを着ていた。見苦しい。そのことも不愉快だ。調子に乗るんじゃねぇ!!

倒壊危険マンションを売りまくった会社の社長がテレビに出ていた。いかにも強引な営業でのし上がってきた感じの人物だ。かつらはつけていない。


俺はかつらは見逃さない。フジテレビ、朝の小倉のかつらも鬱陶しい。あの番組はチャンネルを変えるときにちらっとしか見ないが、偽造建築士かつら野郎の映像はあまり使っていないはずだ(?)。


だから大メディアの伝えることなんかあてにならない。司会者がかつら野郎だと、馬鹿な偽造かつら野郎を糾弾するのも及び腰になってしまう。


それはともかく、販売会社社長にくっついいてくる幹部社員がまた不愉快だ。眉が薄く、目つきが悪い。コメディアン、マイケルに似ている。または、八波一起(八波むとしの息子だが、知らないだろうな)。美空ひばりの弟の実子、加藤和也にも似ている。見るからにチンピラ然として気持ち悪い。あんな奴が幹部社員でいる会社というだけで、お里が知れる。

八波 かとう マイケル

人を見かけであれこれ言うのは、はしたない行為だ。だが俺はほとんど見かけだけで人を判断する。テレビに出てくる人なんか、見かけしかわからない。ワイド・ショウのわずかなやりとりだけでその人たちの人となりなんかわかるもんか。


俺も人を見かけで判断する以上、見かけで判断されてかまわない。俺はジュウド・ロウにそっくりなのだが、ジュウド・ロウのような人間に間違えられても仕方がないことだ、と容認している。


そのことを明言したのがポップ・アートの天才、アンディ・ウォーホルだ。病人のような外見、ひ弱で虚弱な肉体、暴漢に襲われ傷跡のある顔。スキャンダラスな芸術家の内面を探り出そうとするインタビューアにうんざりして「私は見かけ通りの人間だ」と言い放った。俺はこの言葉が大好きだ。

         アンディ
逆に、「私って、意外と、本当は、こう見えて、○○な人なの」(古!)などの、「本来の自分は見かけと違う」という言葉使いや考え方が大嫌いだ。お前は見かけ通りの人間なんだよ!!!!と突っ込みを入れたくなる。従って「自分探し」も大嫌い!馬鹿じゃねぇの??・・・なんて本題と違うところで怒ったりして・・・・・。

施工主、建築主、設計監理と三権が分立して間違ったことが起こらないことになっているそうだ。設計事務所の意匠設計、構造設計の図面では、建設現場では作業が出来ないので、施工図というものを必ず作る。施工図を作って見れば、鉄筋が少ないことなど一目瞭然。


建築確認が見逃していることが一番悪いのだが、漫然と偽の構造計算に従って施工図を作り、その通り作業して恥じない業者とは何なんだろう。誰も責任をとらずに、言われたことだけをまわりに合わせてやる。腐った奴らばかりだ。


いくつもの検査やチェックが機能せず、三年間もこのような建造物が造り続けてこられた建設業界は狂っている。行政にも大きな責任があるに決まっている。


国が面倒を見なくてどうするんだ?地震が来ないのに、地震があったかのように、住民の避難勧告が出される国。文明国の出来事とは思われない。アルゼンチンやペルーのような無法国家じゃないか。


人心が廃っている。同じものを誠実に作り続けている職人が年々単価を下げられて、仕事に誇りが持てるだろうか?同じ量を作っていたら、飯が食えなくなる。それは競争原理、市場経済の話ではなく、誠実な職人なんかいらない、という社会なのだ。


誇りも動機も失った職人が、いい加減な仕事をするようになると、その業界は根底から腐っていく。目の前にその実例が展開されている。日本中に、あのかつら野郎のように精神がすさんだ下請けが山ほどいるに違いない。日本社会の基幹部分が腐っているんだよ。


史上最悪の時代。コイズミの他人事のような顔。相撲見てる場合か!!政府はこの事件にケツをまくろうとしている。池田大作のケツなめ「でーじん」北側に責任をとらせろ!!!!