カルメン!!

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スペイン映画、カルメン!!

見たことあるやついないだろう。俺もまだ途中までしか見てない。

くだらねーぞ。

カルメンの筋自体がめちゃくちゃ。フランス人メリメが見たスペイン人のステレオタイプ。

舞台はスペインだが、ジプシーのバカ女カルメン(魔女、悪女でもない。ただのバカ)と、バスク人の兵隊だったホセ(これも極めつきのバカ)の愚行録。

救いようのない愚劣な行為のみで物語が進む。ここに情熱を見る人は善良な人々なのだ。情熱のやっかいさ、たちの悪さを味わった人間なら、この愚かな話になんの憧れも抱かないだろう。

途中までしか見てないで書き飛ばすシリーズ、第一弾ね。
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Shall We Dance?

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見ずに語るシリーズ。

オリジナルは秀作で、かなりのインパクトをうけた。

まったく個人的なことだが、オリジナルを見て心に大きな動揺がおこった。魅惑されるものを見つけたときの、ときめきや陶酔を思い、胸が張り裂けそうだった。

そのときの動揺が、しばらくして分不相応に若い女と激しく付き合うきっかけとなる。自分の欲望を直視させられたからだ。

映画の中で、原日出子演じる主婦の姿が哀れだ。自分も同じことをするなと思い、実に後味が悪かった。オリジナルは夫婦で見られない映画になってしまっている。実に気まずい。

アメリカの主婦は黙っているはずがない。オリジナルの危ういところを、どのように処理しているのだろう。

ある映画紹介の文章を読んだ。彼の国では、ダンス教師と主人公が恋愛関係にならない、という結末が、Twist と感じられて、うけているとのこと。

さもありなん。そこをはっきりさせないと、彼の国では受け入れ難い映画になってしまう。

そのような訳で、この映画は見たいような見たくないような複雑な心境だ。

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良くできた舞台劇(Well made play)だ。

舞台となる倉庫に重傷を負った男が倒れ、犯罪仲間の登場人物が次々に現れる。空の舞台に近い倉庫の内部の簡単なセット。

フラッシュバックでそれぞれの過去が語られ、舞台上の会話や状況が緊迫していく。大がかりなアクションもロケもない。倉庫の中ですべてが進む。最後の場面でたくさん駆けつけてくる「自動車」も、映像ではなく音の切迫感だけでうまく表現される。

パルプ フィクションで、あまりの面白さに衝撃を受け、タランティーノを見ている。Kill Bill Vol.1 Vol.2 True Romance に続いて見た。それぞれ、贅沢な造りで最高に面白い。キッチュで訳がわからない人も多いと思うが、美しい映像、美貌の男女、たまらなく可笑しい会話、構成の巧みさ、なによりも音楽。映画の楽しみ醍醐味がたっぷり詰まっている。

レザボア・ドッグスを見ると、タランティーノの才能が純粋にわかる。予算がたくさん使えるようになった今の作品でも失われない才気。無邪気な映画好き。

憧れる。

タランティーノの顔が面白い。本人が役者で出ていて、ドジなチンピラでかっこ悪く死ぬ。タランティーノ自身が一番おもしろがっているだろうな。

キル・ビル、パルプフィクション に比べたら地味に感じるが、最高にクールな傑作。

てめーら、見やがれ!!!!!


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ピエトロ・ジェルミ監督の傑作、鉄道員を見たくなった。

職人肌の機関士が自殺者をはねてしまい、そのことが気がかりで赤信号を見落とす。危うく衝突を免れたが、過労だったことを認められず、閑職にまわされる。

家庭では娘との諍い。息子とも折り合いが悪い。仕事に対する誇りも熱意も失い、酒におぼれる頑固な父親。日本の労働者の家庭で、いまも全く同じ風景が繰り返されているに違いない。

1956年前の伊太利映画より、日本の労働者は搾り取られ、追いつめられ、破滅の道を突き進んでいる。

なんと悲しいことだろう。

JR西日本の幹部の基地外ぶりは目を見張るばかりだ。嘘に嘘を重ね、傲慢きわまりない。雪印が解体されたときに似ている。JR西日本を解体すべきだ。伝わってくるJR社員の言葉は、およそ当事者のものではない。

JR西日本は、直ちに資産を売り払い、賠償に当てるべきだ。ビル、ホテル、ショッピングセンターを売り払え。土地を売れ。電車を売れ。線路を手放せ。鉄道事業を直ちに止めろ。
ほんの数百円で、郊外から都心へ高速でわれわれを運んでくれる電車には、なにかあったら90%以上の高率で死傷することが折り込まれている。利便性のコストだ。これが高いか安いかは立場によって考えが異なる。俺は満員電車に乗ることが少ないので、安いけれどなにかあったら死ぬかもしれない、いまの電車でかまわない。

毎年一万人死ぬことが前提の自動車も毎日運転している。自分が人を殺したり自分が死ぬかもしれないリスクより、利便性を優先しているからだ。

自分が死ぬとは思っていない日常の延長にある事故死。これこそが支払うべき対価だ。

向けようのない怒りをぶつけるとしたら、毎年一万人が車で死んでも、トヨタ、日産、ホンダを決して糾弾しようとしない商業ジャーナリズムを批判せよ。現代日本の死の商人は自動車産業だ。すべての商業ジャーナリズムの大スポンサーである彼らをメディアは決して批判できない。

毎年一万人の死者である。阪神淡路地震でも5000人。自動車による死が異常と感じられないとしたらメディアに騙されている。

電車の100人の犠牲は自動車の100分の1。

自動車の維持費と電車賃の差分だ。
急ブレーキによる車輪ロックと、そのためのせり上がり脱輪のことが、やっと asahi.com  に出てきた。
事故当日から、妖怪のような風貌の桜井某がうれしそうに主張していたとおりだ。

不思議なのは、一番最初に、このほとんど真相に近いだろうと思われる解説が出てきたのに、他の学者、メディアは、及び腰で、当たり障りのない一般論ばかり繰り返している。

JRの馬鹿役員の出す情報を垂れ流し、置き石をいつまでも報道するのは犯罪行為だ。ことほどさように、映画業界のみならず、商業メディアのいかに鈍感で、その実、どれほど犯罪に荷担しているかが伺われる。

JR西日本の馬鹿役員どもは即刻辞めるべきなのに、関西経団連の副会長職だかなんかには、残る意向、なんていう情報が流される。腐れ外道めが。恥を知れ。

エデンより彼方に 

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こういう深刻ぶった糞映画はたちが悪い。 なにもかも不快。

ジュリアン ムーアを見たくて見た。

ゲイの亭主。妻を演じるジュリアン ムーアは、黒人とのすれすれ不倫。まず、ゲイの気持ちが全くわからない。妻の思想も謎。黒人差別にものすごく敏感で、黒人と不倫するほど差別をなくそうとしている主婦が、思いっきり同性愛者の亭主を基地外扱い。

見るべきところは、古くさい顔立ちのジュリアン ムーア。なんで、あんなにも主婦なんだろう。

それにしても、何故こんな映画が2002年のアカデミー賞候補に?支離滅裂なシナリオに、妙に立派な音楽が付いて、きれいな映像。意味がわからない。

俺はこの数日、つき合っている若い女のことで頭がいっぱいで、しばらく映画を見る気にならなかった。久々に見た映画が糞映画でも2時間映画に集中していられるのは気持ちがいいものだ。蛇足ながら。。。



23才の運転士は、20時間連続勤務の終わりの朝、直前に犯した失敗を取り繕うことで頭がいっぱいになる。地獄の「日勤」処分は拷問だ。はっ、と目の前の危険に気付いたとき、パニック ブレーキをかけた。

大阪神戸の人たちの「官」嫌いをしばしば見聞きする。

日本の中心は東京であるから、官庁の中心は東京である。全国組織のトップ、出世頭はみんな東京にいる。しかるに、大阪神戸にある国家単位の「官」はすべ て二番手である。そこに勤めるトップは、東京ばかり見ていて、大阪神戸をうっすらと軽蔑している。そのふんぞり返った雰囲気が、大阪神戸の人々のこころに 届くのだ。そうして大阪神戸の人々は「官」全般を憎む。

しかし俺はここに屈折した心を感じる。「官」はすなわち「東京」のこと。「官」を嫌う大阪神戸人も、心の底で東京に憧れ、嫉妬を抱いているのではないだろうか。

鉄道においても、阪急の優雅さ、阪神の面白さを自慢する関西人も、JRを話題にすることは少ない。おそらく、警官も嫌いだろうし、官公庁、ことに旬の大阪市役所など、関西人の怒りと嘲りの対象だろう。

そのような環境で、JR西日本幹部はは過剰に民間と張り合う労働強化に走る。現場は覚醒剤でも使わないとその激務に耐えられない。かつての佐川急便と同じだ。

3秒後にすべてが終わった。
すべての事件事故報道は娯楽でしかない。事故原因についてあれこれ説明する学者、評論家を楽しむ。

桜井某の、マッド サイエンティストっぽいしゃべり。鉄道ヲタクと言うより、筋金入りの共産党ロボットに見える。前髪が不審だ。増毛なのだろうか?少なくとも髪を染めていることは確か。眼鏡がでかい。目が死んでいるようで怖い。

未熟な運転士が急ブレーキをかけたことによる「せり上がり脱輪」説を主張。なかなか説得力がある。「ブレーキをくれる」ということば使いが現場っぽい。

日比谷線の事故では、時速40キロでも同様のことが起きたと言う。たった100キロ程度では脱線なんかしない、置き石で脱線した例はたったの一件もない、たかが100キロでぶつかったぐらいで、ぺちゃんこになる車両はあり得ない、など断言が続き小気味いい。たかだか100キロ、と連発するのが大丈夫?と思うが。

しかし。

あまりにテレビから呼ばれるので、嬉しくてたまらないらしい。日テレに出たとき、にやにやして、よだれを垂らしそうなほど満足気な表情を出してしまった。ヲタクの本質丸出しだ。もはや、生で出すのはあぶない。

自説が引っ張りだこになれば、誰しもそうなる。地震の時の地震学者、台風の時の「お天気屋」ども、戦争の時の江畑健介、航空機事故の青木など親子でやっていやがる。正蔵襲名か。

浅ましいことだ。

JR西日本では、1分遅れたことを責められ、業務停止を命じられた運転士が自殺した事件があった。映画「鉄道員」の世界そのままではないか。昔は、非人間的な職場環境だった、と言う話ではない。

いま、目の前でそうやって大事故が起きた。事故は絶対起こさない。その上で、ダイヤは絶対守る。1分でも遅れたら必ず取り戻せ。この命令におびえた運転士は、自分も死ぬことになる大事故を起こした。

小さな事故やミスを絶対に許さない環境で起こりうるのは、大事故だけだ。細かいミスや不正を隠蔽し、隠しきれなくなったとき破綻する銀行や企業と同じだ。同じことが鉄道で起こればこのような結果を招く。
「クローズアップ現代」には、がっかりだ。

馬鹿な曽根とかいう御用学者のじじいが、鉄道車両同士はぶつからないことを前提に出来ているから、横からぶつかったら、鋼鉄製の車両でもこうなるのはしょうがない、と言い放った。死ねや、じじい。

アルミの弁当箱のようにくしゃくしゃにつぶれた車内に、19人の遺体が確認された、と番組中に情報が入ったにもかかわらず、このじじい、平然と言い放った。

このじじいが教育しそこねた20代が日本を劣化させ、日本を滅ぼすのだ。かわいそうなのは、馬鹿のままでいることが個性だと教えられてきた、20代青年たち。

もはや手遅れだ。

じじいが、わかりもしないコンピュータ任せで、20代を締め上げる。運転士が嘘を言ってまで自分を守ろうとしたのは、じじいの機嫌を取るためだ。じじいこそ、乗客の命なんて何とも思っていない。

じじいの罪が、20代を狂わせている。

悲しい。