明治という時代は西欧をお手本にして、無理やりこの国の「現実」を作り変えようとした時代でした。生活習慣から「国家」のあり方まで含めて、概念が先行し、それにようやく「現実」が追いつきかけたのが、多分、明治30年代頃だとぼくは思います。
例えばこの時期に、日露戦争が起きます。出征した人の十人に一人が死んで、十五万人の普通の人が徴兵されて死傷していく事態の中で、人々はことばにうまく出来なくとも「国家」と「個人」という問題を実感せざるを得なくなります。靖国神社が軍の管理下に入るのもこの時代です。大逆事件で「文学」や「思想」が「国家」に立ち向かおうとしたのも自然主義文学発生直後のことです。
抽象的な概念にしか過ぎなかった「私」や「社会」や「国家」が具体的な「現実」として人々に根を下ろし、その新しい「現実」と人々の関わりを考えた時、もうそれまでの一定の約束事のサンプリングからなる、あらかじめ書式が定められている「文学」や「ことば」ではこの新しい「現実」がうまく表現できない、と若い文学者たちも読者たちもようやく実感するようになったのだと思います。そのために持ち込まれたのが、自然科学的なリアリズムだったわけです。
しかも日本はその時、標準語としての日本語を急速に立ち上げつつありました。
この国の文学が立ち上がる明治30年代とは、極めて人工的な「新しい現実」に対応して、極めて人工的な「新しい日本語」をもってそれを記述しようとし始めた時代だったということです。
田山花袋『蒲団』とはそのような時代の中で「新しい現実」と「新しい日本語」=文学との関わり合いをめぐって書かれた小説だと言えます。
『蒲団』という小説を今の視点で読み直すと、これは実は「言文一致体」という文体と、その文体がもたらした「私」とをめぐる小説だということに驚かされます。この「新しい日本語」の文体からなる「文学」が一人の女性に「私」を与え、その「私」を「文学」という虚構の世界ではなく「現実」に生きようとした結果の悲劇が『蒲団』という小説です。

大塚英志『キャラクター小説の作り方』