ゆるゆる日記

ゆるゆる日記


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かぜぼびきばじた。(風邪をひきました)
どぼやらここ数カ月の疲れがどっと出たもよう。

でもぐっすり眠れる。ぐっすり眠れすぎて「夢」というものをまったく見ていない。寝床につくと、次の瞬間、朝になっているという寸法。これはこれでなんだか味気ないものだが、でもそれが健康というものなんだろう。

もちろん「不安」はある。それは人間である限り決してなくなることはないだろう。
「自殺したい人」は、それがあまりにも大きすぎて、「ゼロ」にしたくなる。「自殺したい人」とは、「“自分”という意識をゼロにしたい人」なんだろう。

僕の場合、もちろん「不安」は今でも時折ふわっと奥底から黒い影のように湧いて出て来るような時があるけれど、でもどこか別の方角を見て作業していると忘れてしまう。(そこで必要なのは「作業」である)
「別に、完全に消さなくてもいいや」と思える人。それが心の健康な人なのだろう。

まあ、いっか。
の精神は、もはや僕のすがるべき「(精)神のひとり」である。
といえる。

 *  *  *

カンケーないが、僕の友人が二人、助けを求めている。
二人とも、僕が鬱だった時に、(デパスなみに)超強力にサポートしてくれた友人だ。二人のヘルプの内容を聞いてみよう。

まずひとり、市川市在住ヨースケくん。
どうやら、テレビかビデオで見たゾンビ映画を、もう1度借りて観たいので『タイトル』を知りたいとのこと。こんな映画だそうだ。

まずリーダーがいて不死身、動きは疾走する感じで集団または個別に襲ってくる。ドアがぎりぎりで閉まってたすかると次の場面に移る。場所は未来で地区をつなぐ電車の様な乗り物があった。戦う隊員は未来チックな武器とユニフォーム、主人公は女でグループは数十名以上、男女混成。ゾンビは特殊な銃で死ぬがしばらくするとパワーアップして蘇っていたよーな こんなんでどう?かなりお互い撃ちまくりっていう映画。

だそうだ。
↑このような映画をご覧になった読者で、タイトル憶えている人、知りませんか? ちょっとゾンビ映画に詳しそうな人がいたら、訊いてみてください。
コメント待ってまーす。(もちろん違うコメントも待ってまーす)



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気持ちのリアルさは失われてしまうけれど、その頃によく耳にしていた歌を、ふと澄んだ日に聴く機会があると、それまで「忘れて去っていた」と思っていた「その時の気持ちのリアルさ」が、まるでフリーズされていたものが電子レンジで解凍されるみたいに、いきなりホカホカの湯気をたてて心の中に現れることがある。

「音楽」は、時として「冷凍された記憶」としてのディッシュ(皿)の役割をすることがある。
何度も何度も食べてると「リアル」な感動も薄れてなくなっちゃうけど。

 *  *  *

生きていることが何よりも「大事」、という表現がある。
たしかにそうなのかもしんないんだけどさー、ウツが治った僕にしてみてもやはり違和感があるんだよね。

あのさー、「命を大事に」とか「命を粗末にするな」とか「命は地球よりも重い」とかってさー、あまりにも紋切り型でなんにも考えてないカンジで説得ゼロなんだもんね。

じゃあどんなカンジで表現してみるのが今の僕にとってピッタリくるだろうか? と考えた。
生きることが.....「大事?」
違うな。
「大切?」
ちがうな。
生きることが..........................................................................「先決」 ?  ! 
うん。これがいちばん近いかも。
「生きることが先決」
考えるよりも、「生きる」ことが先決。
もちろん「考えること」も生きることのひとつだけど、あくまでも「ひとつ」でしかないのだ。ウロウロ体をうごかしているとよくわかる。うごきなさい。

不安より希望より将来より過去より自分より、今を生きることが「先決」。「なぜ先決なのか」について考えるより先決。
疑問より先決。考察より先決。
先に「決めてしまう」のか、先に「決まっている」のかは知らないけど。
そんなこと突き詰めるよりとにかく生きることが、「先決」。
そんなふうに今感じている。

 *  *  *

ちなみにこのブログは携帯で読めるだけではなく、出先から携帯で日記を更新することができるのだ。(もちろんどこのコンピューターのWEBからでもUPできる)

携帯で読むイケナイ宝箱。
http://motogi.ameblo.jp/
モトギ・アメブロ・ジェーピーだよ。
「ブロ」はRじゃなくてLですよ。
「お気に入り」に登録することが、まず「先決」。

 *  *  *

カンケーないが、今日、落ち武者を見た。
落ち武者とけんかした。


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今日は1日じゅうヒマだったので はなげぬき をやっていた。
はなげを抜いているときは「素」といっていいのだろうか。


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ちなみに、ウッツーが直ると、腹が自然に減り、クスリがなくてもよく眠れ、そして始末のわるいことに「性欲」も湧いてくる。

これまでは「性欲」なんて、ぜんぜんなかった。
「それどころじゃありませーん」てカンジでさ、アタックしてくれる女の子(今おもえばかなり魅力的だった)が目の前にいても、タメ息つきながら鼻クソほじくっていたりしてさ。すげー悪いことしたな。

ウッツーの時はさ、もう、なんつーか「アタシが守ってあげる」的でありつつつ、ホントーに心から通じ合える女の子と、「まさにそのシチュエーション」にならなければ勃起なんかしないんだよね。

でも、直ると違う。
コンビニの雑誌のグラビアのビキニのオッパイ見ただけで「むむむ」と来る。性格とかぜんぜんカンケーなく。
体に、むむむ。(動物回帰?)

映画『スクール・オブ・ロック』のDVDを借りに行ったついでに、ほんとひさしぶりに店内の奥のひらひらした「のれん」をくぐり抜けてみた。
するとそこはいちめんピンクの花園でした。クラクラした。
え? 借りたかって? うっせーな。

 *  *  *

トラックバックしてくれたから書くわけではないが、
『うつの上にも三年』というブログが、うつ関係では注目を引くのでご紹介。(紹介すると当人の精神が混乱する恐れのあるブログもあるので、そういうのは「ここ」では控えます)

彼女はご自分のことを「根暗な楽天家」と言っておられるが、僕は「難儀な楽天家」なので、心のポジションが似ている部分もあり、文章もしっかりしていて、「ドン底」の時の状態を「私をただの人形にしやがった」などと表現するあたり「なるへそ」と腹なども叩くこともあり、鬱関係のTEXTを読むなら僕のと一緒に読まれると、よりいっそうご理解が深まると思います。
けっこう明るいです。

鬱とはぜんぜんカンケーないけど、もうひとつ面白いと思ったのは、『へなちょこ女子大生の日記』
よくもまあ19歳でこんなことにまで意識が及ぶなあ、と敬服する場面が、ときおりチラホラする。これもスゲー明るい。
というかほとんど笑える動物? こういう性格うらやましい。

 *  *  *

ちなみに、ぜんぜん、まったくカンケーないが、
このブログは、同じURLで、携帯で読めるって知ってた?
ためしてみ。
http://motogi.ameblo.jp
モトギ・アメブロ・ジェーピーだよ。
「ブロ」はRじゃなくてLですよ。


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鬱の話ばかり長々としてるとランキングが下がってしまう。
でも、いいんだ。どうせ賞金もらえないし。
わたくしの野望は、ブログのランキングが1位になることではなく、日本人の自殺のランキングを7位に落とすことである。
(なんつって。ははは、そりゃムリか)
それに「感覚」ですらもいずれ忘れてしまいそうな気がするんだ。
でもまあ、いいんだ。憶えているうちに書いとかにゃ。

 *  *  *

ところで昨日、

たぶん、「気持ち」というのは脳のまさにリアルな「状態」であり、「感覚」というのは、しばらく反芻可能な体の「記憶」なのだろう。なのでその記憶をたどることによって「シチュエーション」も思い出せる。自分がどんなことを述べていたのかも言える。でもその気持ちの「リアルさ」だけが思い出せない。

と書いたけれど、そう書いていて、ふと思った。
これって、なんだか「恋」に似てないか?

それも、「ほのかな恋心」とかいうのではなくて、「ああ、この人に巡り会うために自分は生まれてきたんだ!」とか周囲に喋りまくりそうな、異様に高揚した精神状態で、(当時の当人にとっては)100年に1度の恋の、相思相愛の、むちゃくちゃアツアツのカップルが、
......けれども、つき合いだして何年も経って、ふと「あの時の燃える恋心」を思い出そうと試みた時の、あのカンジ。

どんな出逢い方をしたのかも憶えている。どんな言葉をかけたのかも憶えている。OKのサインも、デートの場所も、キスの感触も、握りあった手と手の「感覚」も憶えている。でもその時の気持ちの「リアルさ」だけが思い出せない。
たとえまだ「好き」ではあっても、決してドキドキはしない。
というような意味で、とても似ている。(身に憶えない?)

鬱というのは、「恋狂い真っ最中」の、リアルなハッピーの、いわば「対極」に位置するものなのかもしれない、とふと思った。
水槽の底にたたずむキミ。
星空に手が届きそうなくらい舞い上がるキミ。
極端な自己否定と、極端な自己肯定との対比。
トチぐるい。
「恋」の状態も、あれはあれで「素」ではないですからねえ。
それに、激ウツの人が素敵な恋をGETして、ケロリと直っちゃったりするのも、何度も目撃していますから。(人にもよりますが)

 *  *  *

で、話は戻って、昨日の話のつづきなんだけど、
僕が鬱を、あえて「直った」と表現して、直った状態を「素である」と書く理由には、そうやって、いわば便宜的に自己判断したほうが、「どうせ生きてゆくのなら、そのほうが楽しいから」ということの他に(昨日は黙っていたけど、実は)あと4つの理由があるので、ご紹介。

1つめの理由。
それは、医者からもらった(自分に合う)薬が如実に効果をあらわすから。
そして「直った」あかつきには、如々に薬を減らしていって、最後には薬などぜんぜん必要のない精神状態に「必ず戻る」からである。
毎回必ず戻るのだから、「直った」と表現したくなるのも、やむを得まい。
(クスリとお医者さんのことは、本の中で書きます)

2つめの理由は、
鬱の期間が、たとえその最中には地獄のように長く感じられていようとも、冷静によーく考えてみれば、(少なくとも僕の場合には)自分がこれまで生きて来た人生の中の、わずか1割程度の年月でしかないからである。
過半数を超えることは、僕の場合には、あり得ない。

僕の場合、あきらかに「鬱病」と、自他ともに認める状態になったことは、これまでに3度ある。
1度めは父親が大学受験の前に死んだ時のこと。
2度めは、最初の著書を出版したあとのこと。(これはかなり人生が混乱する)
そして3度めが「今回」である。(理由はナイショ)

1度めは、とにかく初めてだったので、ひどく混乱し、知識もなく、うろたえ、焦り、悪循環を繰り返して、病院に行こうということすら考えつきもしなかった。「なぜ人は平然と生きてゆけるのか、これからどうやって自分は生きていけばいいのか」
そればかり考えていて、「水槽の外」の世界から発せられるメッセージのほとんどすべてに違和感を感じていた。
なので直るまでに2年かかった。

2度めは、「これはなんとかしなければならない」と思い、とにかく鬱の研究をして、本を読みあさり、「脳と神経」の勉強もし、精神科医と何度も話し合い、「薬」を試しまくり、それでも直るまでに8か月ほどかかった。

そして勤めていた会社が倒産するなどして小さな「プチ鬱状態」を何度か経験した後、今回の「デカい鬱」で、それまで学んだことを心のよりどころにして、なんとか被害を最小限に食い止めた。
期間は、4か月である。(合計して3年と、ちょっと)

知識と対処方法を、しっかりと「アタマ(気持ち)の中」ではなく、箇条書きにできるぐらい細胞の中に暗記しておいて、それを(たとえどんな気分に揺れ動いていようとも)信じて疑わず、頑張らなくてもいいから具体的にほんの少しずつ実行してゆけば、必ず直る。
その経験に対しての手ごたえと「安心感」を、「動けなくなるほどの鬱」の中でさえ確かに(ほのかに)感じていた。
それが3つめの理由である。

そして4つめの理由は、
もう鬱ではなくなった人が、「あの時はやはり頭の調子がおかしかった。今は普通だ。自分の鬱は直った」と、異口同音に発言するからである。
水槽の中にいる人にはおそらく信じられないかもしれないが...。

でも、「直った」とは言っても、永久に鬱とオサラバしたとは思えない。
たとえば「母親」が死んだ時、おそらく僕はまたひどい鬱と再会することになるだろう。
友人や兄妹が死んだ時も鬱になるかもしれない。経験はないが、歳を取ってから重病にかかった時も鬱になる可能性がある。

でも、僕の鬱は、また、ほどなくして直るだろう。
「直してみせる自信」と言うほどのものではなく、ただ単に持病の処置をする人のように、普通にそう思うのだ。



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