曜変天目茶碗

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曜変天目茶碗は中国の南宋時代(12~13世紀)に焼かれた陶器製の茶碗である。世界に3点しか現存しておらず、その3点とも日本にある。そしてこの3点はいずれも国宝に指定されている。
 
 
昨年末、この曜変天目茶碗の4点目が、テレビ番組の鑑定で発見されたとして話題になっていた。しかし、今月になってあれは偽物だと専門家が指摘してまた騒動になっている。
 
曜変天目茶碗は様々な陶芸家が再現を試みているが、まだ成功していない。成分や製法が完全には解明できていないようだ。
 
陶器制作も一度技術が失われると、800年経っても、現代の科学をもってしても再現は容易ではない。どうして中国でこの技術が途絶えたのだろうか。
 
もともと曜変天目茶碗を至高の陶器として尊重してきたのは、歴史的に日本である。中国ではそう見なされていなかったのか、あるいは尊重されていたが、時代や王朝の変化で価値がないものと見なされるようになったのか。
 
武道の伝承も何となく似たような境遇にあるように思う。明治維新後の文明開化の風潮で、もう必要ないとして多くの武道流派が失伝した。さらに太平洋戦争後も武道流派は受難の目にあった。
 
空手の運命も同じようなものだったが、空手の場合、「近代化」の名目で内部からも自己否定運動が展開されたので、多くの古流の型や組手の技法が失伝したり改変されてしまった。
 
いま「伝統派空手」と呼ばれている諸流派の空手家達が昭和50年代の空手雑誌などでは、声高に「空手の近代化」を叫んでいたりするから、その当時の雑誌をいま読み返したりすると、ちょっとびっくりする。
 
本部流も、「ナイハンチみたいな地味な型はやってもしかたがない」とか「もっとダイナミックに改変してはどうか」などと、宗家も昔は他の流派の人から「アドバイス」を受けたりもしたが、最近のナイハンチの再評価を見ると、変えずに良かったとつくづく思う。
 
他にも、本部拳法の「掛け手」とか本部御殿手の「棒蹴り」のように、他の流派ではすっかり失伝してしまった技法も本部流は継承している。
 
掛け手、演武:丸川謙二、本部朝正、1992年5月、東京。
 
しかし、世の中には、「本を見て復元したのではないか」などと、誹謗中傷してくる人もいるから、映像などで記録を残すことも大切である。本部流はもう過去50年近く学術的な保存調査をしてきており、定期的に武道学会でも発表している。
 
一度失われた技法は再現は容易ではない。再現したところで、800年後にも残る陶器と違って、本来無形の武道の技というのは、昔と同じものだと誰が断言できるだろうか。だから、時代の流行に流されずに、連綿と継承していくことが大切だと思う。
 
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