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Tue, February 11, 2014

北朝鮮強制収容所を明るみに出す:安明哲『図説 北朝鮮強制収容所』(双葉社)

テーマ:ノンフィクション


安明哲『図説 北朝鮮強制収容所』(双葉社)

いまとなっては背筋が凍るような笑い話でしかないが、北朝鮮がこの世の楽園であり、成功した共産主義国家だと真面目に受け止められていた時代があった。1950年台からソ連崩壊あたりまでのことである。

要は、資本制と共産制のどちらを支持するかという話であり、主として社会党系の「進歩的知識人」たちは、こぞって後者とその具現化である北朝鮮を褒めそやしたのである。

だからこそ、たとえば朝鮮戦争は韓国とアメリカの侵攻によりはじまったという北朝鮮の公式見解を鵜呑みにするようなヒイキがはびこっていた。

ちなみに朝鮮戦争勃発についての北朝鮮の公式見解は以下のようなものである。

三八度線一帯に集結していた李承晩カイライ軍は、アメリカ人軍事顧問団の直接指揮のもとに、この日の早暁、全戦線にわたつて三八度線以北地域にたいする武力侵攻を強行した。
 敵は侵略戦争を開始するにあたつて、不意の攻撃をくわえることによつて、数日のうちに共和国北半部の全地域を容易に占領しうるものと考えた。そうして敵は、朝鮮人民に反対[ママ]する冒険的な戦略計画をうちたてた。『朝鮮人民の正義の祖国解放戦争史』(外国文出版社/1961)


金日成が、不意の攻撃をくわえることによつて、数日のうちに共和国北半部の全地域を容易に占領しうるとスターリンを説得し、南侵の許可と武器援助の約束を取り付けたことを知っている我々にとっては与太話でしかないのだが、こういった騙りを真剣に受け止めていたものが、たかだか数十年前にはごまんといたのである。

驚かされるのは、北朝鮮がいかなる国家であるか明らかになってきたのはここ最近のことであり、楽園とまでいかなくとも「人民」は幸福に生活していると思っている日本人が、それなりに存在したということだ。

たとえば岩波書店の社長であった安江良介は『世界』の編集長時、北朝鮮では衣食住に加えて教育・医療という国民生活の基本的な課題において十分な保障がなされていると呑気に記しているが、これが北の宣伝に踊らされているのか、それとも「左翼」擁護のためにあえて騙ったものかは定かではない。

しかしながら、のちに岩波の社長となる有力者が北朝鮮を礼賛していたことは記憶しておいてもよいだろう。

ちなみにこの文章が収録された『偉大な人民の指導者 キム・イルソン』(外国文出版社/1977)には、ほかにも未来者社長・西谷能雄、都知事・美濃部亮吉、横浜市長・飛鳥井一雄、岩波書店常務取締役・緑川亨などが寄稿している。

当然、ここでは収容所国家北朝鮮の実像など一文字たりとも記されることはない。いまのところ北朝鮮の真実の姿は、脱北者の証言によるほかないのである。

そして本書『図説 北朝鮮強制収容所』は、一度収容されると死ぬまで出ることができない──そして収容されてからの平均余命は約5年である──「完全統制区域」と呼ばれる強制収容所の警備隊員として8年間勤務した作者が、命懸けの脱北の末、全世界に初めてその真実を明らかにした『北朝鮮 絶望収容所』(KKベストセラーズ)を圧縮し、自らイラストを添えたものである。

ガロ系の稚拙なイラストが、あまりにむごたらしい地獄を、読者に突きつける。

完全統制区域がどのような場所であり、いかなる地獄であるかはWebでも本書でも、直接あたってもらうほかない。書評で語るにはあまりに重すぎる。

ひとつ付け加えておかねばならないのは、そこでは日本人も収容されているという驚愕の事実であり、作者は日本人妻が警備隊員に撲殺されたのを目撃したという。

この一件からもわかるように、北朝鮮強制収容所は悲惨な隣国の話ではない。日本の話であり、アジアの話であり、さらには人間の話なのである。

これを知らないで済ますことももちろんできるし、多くのひとはそのまま日常を過ごしているだろう。…別に何かの運動をしろと迫っているわけではない。

世界には野蛮が数多存在し、われわれはたまたま日本に生まれ、無難に過ごしている。知るということは、世界の野蛮を認めることである。「わたし」により世界は知られることで変容し、その変容した世界で生きる「わたし」も変容するだろう。

そのような微小なとっかかりとして本書が読まれるならば、作者は幸福を感じるはずだ。

※画像は、『偉大な人民の指導者 キム・イルソン』より。作り物じみたこどもたちがもの悲しい。

★★★★☆
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Sat, September 01, 2012

戊辰、維新はわれらが祖父の時代:東京日日新聞社会部編『戊辰物語』(岩波文庫)

テーマ:ノンフィクション


1928=昭和3年に『東京日日新聞』で連載されたもの。維新前後を生きてきた人物たちの回想を編集した一編である。あわせて西南戦争前後の回顧録である「五十年前」(1926=大正15年連載)と、主として新撰組についての証言を集めた「維新前後」も収められている。

乱歩だったか、昭和前半期くらいは明治時代の本などいくらでもあったと書いているが、本書を読んで気付かされるのは、同様に1868年における革命を経験をした人間がまだまだ存在したという事実である。明治、大正、昭和と区切ってしまうと各時代がずいぶんと違ったもののように思えるが、年数だけを見ればたかだか60年。ちょうどいま、われわれの曽祖父、祖父が敗戦前後を回想するようなものだろう。

敗戦前後については、それなりに市井のひとびとの証言が色々と出回っているのだが、さすがに明治維新前後となるとなかなかそういったものも見当たらない。正確にいえば口語体の東京弁で書かれたその類のものだが、とにもかくにも本書のような回顧録が貴重であることに変わりはない。

重要なのは『東京日日新聞』である以上、証言者が江戸中心になるということ、そして彼らにとって維新とは、どこか彼岸のものでしかなかったということだろう。

今と違って電信電話のない時代、京都に何が起きようと、江戸は依然として江戸の春であった」(27頁)

逆に「電信電話」の普及のおかげで、西南戦争が地方的反乱で済んだと喝破したのは山路愛山だが、それは措くとして、「戊辰物語」がどちらかといえば敗北した側の地域の人間による回想であることは頭にいれておいてもよいだろう。

しかし解説の佐藤忠男も注意をうながしているが、回想を繰りひろげるひとびとは金子堅太郎尾佐竹猛[タケキ]高村光雲といったように無名の諸氏というわけではないのだ。したがって厳密には市井からは乖離しているともいえようが、それで本書の楽しみが減じることはない。

もちろん歴史的な逸話、たとえばかの有名な依田学海と近藤勇、土方歳三の会話などもよいのだが、ネットで閲覧できる画像を前にしながら読み進めるとおもしろいものがいくつかある。

たとえばこんな写真がある。

灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし
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いうまでもなくから幕末から明治初頭(1863-1884)に活躍したフェリーチェ・ベアトやその弟子日下部金兵衛スティルフリードなどによる写真だが(当然、白黒のそれに彩色。またただの裸写真に刺青を描き加えたものもあったらしい)、刺青の「伝統」云々というひとたちにはたまらない画像だろう。実際にこういった写真を掲げて「誇り」云々とかまびすしいサイトや雑誌記事を見かけたひともいるとは思うが、これらを見ながら次の回想を読むのも一興である。

この時分の若い者はもう、からだ一ぱいにほりものをするというような事はなかった、普通に着物を着ているのではちょっとわからないようにほった。
 顎下の胸のところや、手の首までほるのは野暮で、高いものを取りおろそうという時に腕のものがチラリと見えたり、羽織でも着た時には、『ほりもの』のほの字も見えず、いざとなって素ッ裸にでもなった時、何かこう凝った入墨のあるという方が粋だといっていた。(中略)
 全身くりからもんもんは『がえん』といって折助に多い。下帯から胸の辺へ一反位の新しい白木綿を巻いただけで威張って歩く
」(79-80頁)

なるほど、いわれてみるとみな「粋」になるように彫っているのだろうか。なお、これらは絵葉書などにして売られたので、「オリエンタリズム」を強調するためにわざわざもろ肌で撮ったと考えるのが妥当である。それどころか「御用」なる札をもって走る幕府による「継飛脚」は撮影期にはすでに廃止され、残るは民間業者のみであった。

ちなみに明治5年の改正増補郵便規則発布の頃から、通信事業をめぐり政府と在来の町飛脚が価格競争など抗争を繰りひろげたとかで(石井研堂『明治事物起原[5]』)、上記の写真撮影時期はおそらくそんな時期のものなのだが、邪推すれば刺青というよりも飛脚のアピール、最後の顕示であったかもしれない。


また悪趣味をそそられるこんな文章も見受けられる。

大審院判事尾佐竹猛氏の所蔵するものに、横浜の質屋の番頭が、三人の強盗を手引きして主人を殺したことが発覚し、捕えられて、その番頭が真中で磔になっており、強盗は三つ首を並べて晒されている暗闇坂お仕置場のものがある。
 同じく尾佐竹氏の手にある明治五年に横浜ポルトガル人ダローザなるものが撮影した晒し首の写真には、平然とその首台に肱をかけて洋服に下駄をはき、チョン髷の男と外に卑しげな四人が撮っているが、その表情の野蛮無智なる有様は、よく当時のこの種刑罰施行関係者の素質を忍ばしめ、一見戦慄嘔吐を催す
」(205頁)

さすがに法制史を専攻した尾佐竹猛だけあって、晒し首だ獄門だというとよく目にする人物なのだが、ここで挙げられている画像というものがどうも見つからない。参考までにかの有名な壮吉の磔を提示しておくが、この壮吉の磔自体、撮影場所に暗闇坂や長野だのと諸説あり謎の写真である。名和弓雄『拷問刑罰史』(雄山閣)の説明がもっともそれっぽいのだが、手元にないのでよそのブログから重引しておく。

強盗の手引きをして、主人を殺害したため磔にかけられた十七才の質屋の小僧が、磔台の上で無惨な屍体となって写されているが、大変に珍しい写真である。この写真の発見者は、法学博士、岡田朝太郎氏で、牛込神楽坂の毘沙門天様の縁日の屋台を、ひやかして散歩中、古本見世で偶然発見し、驚きかつ喜び、一円五十銭というのをいろいろ押問答の末三十五銭で買いとったものであるというが、大正中期の三十五銭はなかなか高価な値段である。
 写真は半紙折大のもので、裏に妙な英語が書いてあった。Year of Serpent(蛇の年)とあるので、磔の廃止された明治六年以前の巳年(蛇年)である、弘化二年、安政四年、明治二年の史実を調べていくうちに、やっと横浜戸部監獄で、明治二年、くらやみ坂刑場で執行された処刑をダローサ氏が撮影したものとわかり、同類六名の斬首に使用した刀、磔に使用された非人槍、晒場の戒具が戸部監獄に保管してあったのを発見したので、刑事資料として、帝大法学部列品室に移管してもらい引きとったと聞かされた
」(「筆不精の雑彙」http://bokukoui.exblog.jp/3989213/)


※アメブロの検閲に引っかかっため、画像は削除しました。


後者の「刑罰施行関係者の素質」云々という画像は、探索してもまったく見当たらないのだが、名和の重引にも登場する「ポルトガル人ダローザ」のほうは、東京にてポルトガル人による演劇興行権を得ようと東京運上所(税関)に書簡を出すなどしている人物である(倉田喜弘編『芸能 (日本近代思想大系18)』)。しかしそれよりも1863年5月から1865年にかけて発行されていた“The Japan Commercial News”の編集発行人として有名といえる。

幕末期に出現した外字新聞が在留外人に向けて発行されたのはいうまでもないが、治外法権の特権から政治批判を自由に展開し幕府の政策にも影響を与えていた。もちろん幕府をはじめ日本人がそれらを読むには翻訳を介さねばならない。その際、記事の取捨選択、翻訳を行ったのは洋書調所で、柳川春三や箕作麟祥らによって翻訳されたダ・ローザの“The Japan Commercial News”がその嚆矢である。

その後も後藤猛太郎に雇われるなど明治史に微妙に顔を出す人物なのではあるが、さすがに『戊辰物語』でそのあたりに触れられることはない。

さてずいぶんと余話に空間を割いたが、本書はこのように登場する逸話をネットや他文献と組み合わせ、色々と楽しむことができるのだ。近年、明治期の資料の公開はとどまるところを知らず、もはやネットがあれば明治史はある程度勉強できてしまう。勉強のみならず、歴史好きならば色々と遊べることは必定なのだが、そのための取っ掛かりとして、本書のようなあやふやな回顧や証言で占められた一編を用いるのもなかなか乙なものである。研究書のようにしっかりとしていない。それが本書の最大の魅力というと、まあ言い過ぎだろうが。

★★★★☆
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Sat, August 13, 2011

副島輝人『日本フリージャズ史』:フリージャズの共闘者である作者が自身の経験を元に書き記すジャズ史

テーマ:ノンフィクション
$灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし
副島輝人『日本フリージャズ史』(青土社)

1962年の銀巴里セッションからはじまり、90年代の渋さ知らズあたりまでを記してゆく一編。

フリーというと「左翼崩れの団塊の世代のやつね」とかいわれるのはまだいいほうで、「それはなんだ?」と素朴な疑問をぶつけられたりするのだが、かれこれ20年ほどフリージャズを聴いているにもかかわらず、楽理も何もなく、ただただ「かっけー」「すげー」と唸りながら頭を垂れている状態なので、フリージャズはこうだといったお話はできない。

ただそれでは不親切なので、作者自身の考えを引用する。ただし七〇年前後の状況を踏まえた上でのものだ

ニュージャズとは、新しい時代に向けて、それまでの固定した概念や定型化された形式に対して反逆的、実験的な要素を多分に持ったジャズの総称である。だから、当然フリージャズもその中に含まれている。フリージャズといえば、メロディやビートの枠を明確に否定したフリー・フォーム、文字通り自由形式の方法で、個人のその時点での想念から出発する、いわばアナーキーなジャズを指す。

当時のノリでいうならば、「永遠に前衛」であろうとするジャズである。もちろん、いくつかたのタイプがあるわけで、以下に副島による区分を引用しておく。

1.アタマ(始まり)とエンディング(終り)だけにテーマとなるメロディがあり、中の部分はフリー・フォーム。と言っても、メロディ楽器奏者はキーを意識してインプロヴィゼーションする場合と、全くそうでない場合もある。つまり曲という器があって、中味は自由ということだ。山下洋輔トリオや沖至グループの演奏に多く聴かれる。
2.曲がなく、トーナル・センターとしての一音、または複数音だけを決めて演奏する。ひと頃の富樫グループが、時々この方法を用いた。
3.完全フリー・フォームとして、任意に出した最初の一音に反応して、全く自由に演奏を重ねていく。但し、内的リズムや音列を抽象的に利用したり、それを打ち切って別の方向に持っていったりする場合もある。例えば、佐藤允彦のソロ・ピアノや、高柳昌行ニュー・ディレクションの演奏などはこれに近い。
4.オートマティズムのように、自分の内的精神状況を音に託して表現する。阿部薫のソロなどは、こうした方法によるものと言えようが、無意識のうちに音階が出来てくると、突然よく知られたメロディとなって一瞬表に現れることがある。

よく整理されたもので、これからフリーを聴こうというひとは頭に入れておくとよいはずだが、注意しなければならないのは、奏者たちが観客の前に登場し、そこで展開されるパフォーマンスすべてをそこに含めねばならないということだろう。本書を読めばよくわかるのだが、奏者自身の肉体表現もそうだし、詩の朗読、演劇、舞踏などとのコラボレーションによるパフォーマンスも、フリーの一環なのである。

そういえば、アーティストの杉村篤(元スカパラのクリーンヘッド・ギムラや杉村ルイの父といえばおわかりだろうか)がニューヨークに在住していた際、ブッチ・モリスの演奏をバックにして、オートペインティングのパフォーマンスを行ったと話してくれたことがある。

おそらくフリーとは、奏者の肉体を音楽のかたちで開示することであって、何で音楽である必要があるの? という疑問にまで突っ走らないギリギリのところで踏みとどまりつつ、演じるもの、聴くものとの相互作用をもたらすものだ。このように考えれば、フリージャズの歩みがただジャズ史の一環ではなく、数多のジャンルを巻き込んだ芸術運動のひとつであるともいえるのだが、実に、今までろくに入門書もなかったわけで、その意味でフリージャズに焦点を絞った本書の意義は大きい。

本書が特に素晴らしいのは、長らく日本フリージャズに評論家、プロデューサーとして関わってきた作者自身の知見に基づいた作品であることで、いうなれば通史というよりも、緩やかな編年形式で、各ミュージシャンについての思い出などを語ってゆく回顧録である。ときには興行に失敗で莫大な借金を抱え、アルバイトをしながら耐え忍び、フリージャズを見守り叱咤してきた副島の回想が、一読に値するのはいうまでもないだろう。

もちろん、ディスコグラフィー形式のフリージャズ通史もぜひ欲しいところだが、本書のような回想が大事なのはいうまでもない。特にフリージャズはアングラな活動を長年強いられただけあって録音が残っていない演奏が多々あり、副島のような同伴者による証言はきわめて貴重なのだ。

わたしがジャズを聴きはじめた頃は、もちろんネットなどなく、ジャズ本を読み想像力と期待に胸を膨らませ、アルバイトで金が入ると、一枚、二枚と狙い撃ちしては聴き倒したものだが、幸福なことに現在は検索すればすぐにでも情報が出現する。気になった奏者を運がよければすぐにでも聴くことができる。

状況は変わった。もはやフリージャズは秘儀でもなんでもない。万人に開かれた、間口がとてつもなく狭き門である。はっきりいって万人が聴く必要のある音楽ではない。ただ、このような、聴くものに衝撃を与え覚醒させる音楽が存在するということを知っておいて損はないはずだ。また戦後日本のサブカルチャーの一側面を探るという意味でも、大きな意義がある。

本書はそのためのよき伴侶になることは間違いない。
───────────
【目次】
第1章 自立への鳴動
 新世紀音楽研究所の運動
 フライデー・ジャズ・コーナーの実験的演奏
 日本のジャズ自立への意識
 ジャズ・ギャラリー8の開店
 日本初のフリージャズ・グループ、富樫雅彦カルテット
 渡辺貞夫の帰国と、世界のフリージャズ情況
第2章 日本フリージャズの確立と展開
 ジャズは銀座から新宿に移る
 新宿ピットイン
 初期の山下洋輔グループ
 ニュー・クリティシズムの台頭
 吉沢元治トリオ
 富樫雅彦の活動
 初期の佐藤允彦トリオ
 ESSGというグループ
 形相のジャズ・山下洋輔トリオ
 ジャズ界組織化への幻想
 日本初のフリージャズ・コンサート
 山下洋輔のコンセプト
 富樫雅彦のコンセプト
 高柳昌行の主張と佐藤允彦のメソッド
 フリージャズの意味と方法
 高柳昌行ニュー・ディレクション
 フリージャズにおける空間の概念
第3章 突出した前衛として
 ニュージャズ・ホールの創設と富樫の事故
 映画 『連続射殺魔』 とレコード 『アイソレーション』
 高柳昌行のニュージャズ・ホール離脱
 阿部薫という男
 阿部薫の生と死
 ナウ・ミュージック・アンサンブルの出現と、その時代背景
 ナウ・ミュージック・アンサンブル――過激から狂気へ
 ナウ・ミュージック・アンサンブル――聴衆への挑発
 六〇年代イヴェントの突出度
 タージ・マハル旅行団
 ニュージャズ・シンジケート
 現代詩との競演
 アンダーグラウンド映画との提携
 沖至のイメージするもの
 高木元輝と豊住芳三郎の抽象的対話
 がらん堂
 コンポーザーズ・オーケストラ
 ニュージャズ、地方に進出
 ニュージャズ・ホールの閉幕
第4章 栄光の時代
 プルチネラ・ライヴの発足
 プルチネラを襲った低気圧と高気圧
 坂田明の登場
 梅津和時、片山広明、近藤等則等の出現
 ミクスド・メディアのイヴェント 『グローバル・アート・ヴィジョン#71』
 暗黒舞踏 『四季のための二十七晩』 への参加
 第一回フリージャズ大祭 『インスピレーション&パワー14』
 豊住・高木の外遊と、沖のフランス移住
 山下洋輔トリオのヨーロッパ大遠征
 『スピリチュアル・ネイチャー』
 『四月は残酷な月だ』
 『インスピレーション&パワーVol.Ⅱ
 佐藤允彦ソロ・ピアノ三部作
 金井英人とキングス・ロアー
 中村達也の創造的オリジナル楽器
第5章 ポップ・アヴァンギャルドの創出
 明田川荘之の 『アケタの店』 と、八王子 『アローン』 の梅津和時
 井上敬三の登場
 半夏舎と間章の死
 近藤等則の脱日本的あり方
 日本発ポップ・アヴァンギャルド
 坂田明の場合
 『どくとる梅津バンド』
 フリージャズ第一世代の動向
 『藤川義明&イースタシア・オーケストラ』
 フリージャズvs現代音楽――『パンムジーク・フェスティバル16東京』
 海外フリージャズ・ミュージシャンの招聘
 『メールス・ジャズ祭』 への進出
 世界的視野から見たポップ・アヴァンギャルド
 ミュージシャンと批評家の関係の一例
 『スタジオ200』 での 『月例インスピレーション&パワー』
第6章 越境と変貌
 〈無国籍/無境界〉音楽
 価値紊乱者、ジョン・ゾーン
 邦楽との遺伝子交換
 富樫雅彦と映画 『千年刻みの日時計』
 アジアからの風、姜泰煥
 高瀬アキと橋本一子
 新しい俊英たち
 “熱さ”について
 高柳昌行のアクション・ダイレクトという方法
 逝ける人々
第7章 今日から更なる明日に向けて
 九〇年代俯瞰
 大友良英の新しい音への挑戦
 不破大輔 『渋さ知らズ』 の疾走
あとがき
参考文献・資料
人名・グループ名索引

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