Sun, August 11, 2013

浜尾四郎『博士邸の怪事件』(春陽文庫)

テーマ:ミステリ
$灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし
博士邸の怪事件 (春陽文庫)

乱歩により、代表作『殺人鬼』をドイルの平明なる文章を以って、ヴァン・ダイン流の長編を書くと激賞された浜尾だが、その諸作品を読めばこれが過褒であることは瞭然だろう。

邪推すれば、

元帝大総長の養嗣子で、子爵という肩書をもっていられる現職の検事を探偵小説文壇にひっぱりこむということは、探偵小説に対する一般の認識を昂めるためにも有効なのではないか


という『新青年』の編集長でもあった横溝正史の回想が、浜尾への評価の甘さの原因を物語っているようにも思える。

私事だが、博士課程在籍中、日本における探偵小説への蔑視の様相を探りながら、1960年台になぜ松本清張がバカ売れしたのか、また1980年台になぜ横溝正史ブームが発生したのかを考察した論文を執筆したのはよき思い出であるw

さて、本書は1931年=昭和6年にラジオドラマとして放映されたものを出版したものである。

ある歴史学の博士がラジオ講演のために外出中、留守番中の妻女が絞殺される。

奇妙なのは、19時過ぎに彼女からの電話を受け会話をしているにもかかわらず、その死亡推定時刻が13時近辺であるということだ。

俄然、博士への疑いが濃くなるなか、彼女の前科持ちの前夫が現れ、奇しくも娘と同日に死んだという彼女の母親が遺した莫大な財産をめぐる、怪しい駆け引きの様相が明らかになるといったところで、ラジオドラマらしく、さして混み入ったものではない。

中心となるのは、いうまでもなく死亡推定時刻のズレであり、これをいかにして処理するのかという興味で読み進めていくのだが、これが驚愕の肩透かし。

先の乱歩の評言を俟つまでもなく、和製ヴァン・ダインとして今も名高い浜尾だが、皮肉にも彼が本格のルールとして提唱した「ヴァン・ダインの二十則」に思い切り反しているのである。

もちろん、ノックスやヴァン・ダインのそれを破ろうと、作品の魅力に寄与していれば何ら問題はないのだが、本書の場合、いかにも苦し紛れの取って付けたような破戒ぶりなのだ。

しかも名探偵藤枝にもさして精彩がなく、全体的に何とも低調な作品である。よほどの好事家以外、読む必要はないと思われる。

ちなみに併載されている短編「不幸な人達」は、実は浜尾が短編向きの作家であることをよく示している佳品である。

★★
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
Sun, August 04, 2013

Ohio Penitentiary 511 Ensemble "hard Luck Soul"

テーマ:ジャズ
$灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし
Ohio Penitentiary 511 Ensemble "hard Luck Soul"

アレイスター・クロウリーなみに常人の何倍ものドラッグを喰らいこみ、酩酊状態で意識を失いながらも何とか録音を終えたというチャーリー・パーカーの伝説のラバーマン・セッションを思い出せば何となく想像はつくのだが、ジャズと刑務所は親和性が高い。

適当に思い出すだけでも、ヤク欲しさに強盗を働くようなやばいひとながら、末期がんに侵されてから、なおその演奏の輝きを増すというちょっと普通ではない天才のスタン・ゲッツや、30代から50代までの約30年間を麻薬のために刑務所と病院で過ごしながらも60前になって唐突に復活し、ビバップ・モンスターとして数多の録音を残したフランク・モーガン、かのマイルスやエバンスだって相当にはまっていたとかいうし、例のアート・ペッパーも麻薬で長いブランクがあいてるわで、とにもかくにもジャズメンというのは麻薬が大好きなのである。

となると、刑務所のなかにバンドを組めるくらいジャズメンがいてもおかしくないのだが、そんな刑務所ジャズの最高傑作として長いこと語り継がれてきた作品が、このオハイオ州立刑務所のジャズバンド、Ohio Penitentiary 511 Ensembleなのだ。

ノースカロライナにて"The Outer Limits"なるどこかで聞いたような名前のバンドを率いていたレイナード・バーサが、親友のソニー・ロリンズの甥っ子と仲良くムショ入りするところからこの話ははじまる。ちなみに彼らがなぜ刑務所に入ることになったかは明らかになっていないし、刑務所バンドを続ける上でいろいろな苦難があったというのだが、それも詳しくは書かれていない。

内容はファンク、スピリチュアル、ジャズ・ロックを呑み込んだ、一聴、驚愕のジャズ。たまたま刑務所を訪問していたオハイオ州立大学ののバンドが彼らのあまりの熱気と力量に驚き、録音の手はずを整えたというくらいだから、中身のすごさも想像がつく。

ギターとパーカッション、ピアノが延々と繰り返す快感のリフに乗せ、ローガン・ロリンズとバーサのソロがバシバシと決まりまくる一曲目で完全にヤラれると、捨て曲なしの30分をあっという間に過ごすことになる。

不思議とローカルで活動しているバンドには共通する雰囲気があり、そのよい意味での泥臭さや熱気、思い切った編曲、構成などになぜだかやたらと魅力を感じてしまう。念頭に置いているのは、The Frank Derrick Total ExperienceやHorace Tapscott with the Pan-Afrikan Peoples Arkestraなんだが、わかるひとなら頷いてくれるに違いない。

この刑務所バンドの録音は残念ながらこれのみで、全曲のアレンジを担当したロリンズもつまらないトラブルでギャングに射殺され、もはやこの世にはいない。なんとも伝説には事欠かない一枚である。

しかしさまざまなエピソードを抜きにして、刑務所のなかで溜め込んだ鬱憤をはらさんというのか、これは本当に素晴らしくグルーヴ感に満ちた演奏である。聴いたら間違いなく元気になり、ひとにお勧めしたくなる。ジャケ裏のメンバーたちのいかにも囚人然とした悪い顔も必見である。

★★★★☆





AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
Tue, January 01, 2013

『タトゥー・セラピー』:邪馬台国の住民並に刺青がはびこる今日この頃の風潮に一石を投じる作品

テーマ:実用・その他

ウダPAOマサアキ
タトゥー・セラピー』(東京キララ社)

おそらく邪馬台国の住民並に刺青がはびこる今日この頃、彫る方も彫られる方も、刺青について何かしらのスタンスをもたねばならないと思うのだが、街ゆかば腰パンの隙間から薔薇だの羽根が見え隠れし、ネットでごまんと彫師が見つかるこのご時世、ただカッコイイとか自分を変えたいとかでホイホイとそれを刻み込む前に、いったい刺青とはどのようなものなのかを知るのも有意義だと思う。

その意味で、自身が彫った刺青を取りあげ、そこにいかなる意味があるかを語り明かす本書は大いに参照に値するといってよい。

作者の発想は、日本の伝統だから刺青は大事! だとか、刺青が日陰の存在なのはおかしい! といったような肩肘はったものではなく、その人にとって刺青はいかなる意味があるのか、という一点に尽きる。刺青は目的なのではなく、生きることについて何ごとかを付与する或いは剥奪する手段なのである。

彼のことばでいうと「方法論としての刺青」。

つまり刺青ではなく生こそが問題なのであり、本書も数々の決まりごとや技法ついての説明が読みどころではあるのだが、やはり刺青を彫り彫られることへの思い、その意味にこそ核心はある。

たとえば以下のような箇所は、彫師自らがいうだけに傾聴に値する。

末期ガン患者にモルヒネ打っても、痛みこそ感じなくなるけど、本質的なことはなにも改善できないというのと一緒で、刺青を彫っただけではなにも変わらない。[…]全身彫ろうがワンポイント彫ろうが、何も変わりゃしないわけよ。それが変わったと思えるか思えないかは、本人の気持ちの問題。大切なのは、彫った絵を見て、その思いを継続させること。それがない限り、絶対に変われないよね。(119-120)


自分の人生をしっかり見てさえいれば、ここは入れてもいいけどここは入れてはいけない、そういう“粋”と“外道”の境目もわかってくるはずなんだ。それを見る目もないから、すぐ見えるとこに入れちゃうんだ。見る目があれば、見えないところに入れるんだよ。それはなにを見る目かと言ったら、“人生を見る目”だよね。ファッション性とかのカッコよさを見る目ではなくて、自分がどう生きていくのかを見る目。もちろん外道として生きる覚悟があるのなら、どこに彫ってもいいと思う。(216-217)


タトゥー愛好者の中には今の日本の社会環境に不満がある人も多いですが、私ははっきり言って、今のままでいいと思います。タトゥーを理由にプールや温泉で入場を断られて文句を言う奴がいますが、だったらタトゥーなんか最初から入れるなっていう話ですよ。

タトゥーって最近ファッション化しすぎてしまいましたが、単に美しいとかカッコいいだけの世界ではない。昔からアウトローたちが入れてきたように、下世話で毒のある世界。

そんな社会からはつまはじきにされる彫り物を、自分の生き方を貫く覚悟を彫っていたわけで。それは現代のタトゥーでも変わらないと思うんですよ。だから、ある種の後ろめたさが感じられなくなったら、タトゥーなんて入れる意味はなくなる。

プールに入れなかったり、公務員になれなかったりする可能性は、タトゥーを入れるときにすでに承知していたはず。それも覚悟でタトゥーを入れた自分を最後まで貫けって言いたいですね(彫り師・ウダPAOマサアキ氏インタビュー『後ろ指さされない刺青は刺青じゃない』"社会派"彫り師がタトゥーブームを斬る!)


作者がいうとおり、刺青とは被差別者へと自らを貶める行為であり、そのような自己を生涯呑み込むことなのだ。したがって刺青に必然性などまったくなく、いわば戯れといえる。

ただその戯れが、真っ当な人生を否定してでもそれでもなお、というほどに真摯なとき、かえってそこに粋が生まれる。

このようなことを書くと刺青擁護と思われてしまいそうだが、基本的に刺青はなくて一向にかまわない邪魔なものである。しかし、邪魔なもの過剰なものが完全に欠落した生というのも味気なく、そこまで真摯に戯れられるひとたちを羨ましく思うこともなくはない。

★★★★☆
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。