Sat, March 01, 2014

『殺人者と恐喝者』:「こまけぇこたぁいいんだよ!!」というカーらしい一冊。

テーマ:ミステリ

カーター・ディクスン
殺人者と恐喝者 (創元推理文庫)


昭和16年発表。HM卿シリーズ長編12作目。

原題は“Seeing is Believing”。百聞は一見に如かずといった意味合いで、読み終わった後ならばそれなりに効いてくる伏線めいたタイトルなのだが、やはり訳題のほうが目を引く。旧訳者・長谷川修二の手腕が光るところだろう(或いは編集者というべきか)。

さて、カー/ディクスンというひとは、読者がびっくりさえすれば何でもありと考えているフシがあり、アンフェアと批判される作品をいくつかものしているが、そのなかでも本書はアントニー・バウチャーが噛み付くなど、かなり有名なものといえる。

筋はいろいろなところで紹介されているので簡単に記すにとどめるが、「愛人がのぼせ上がったことで邪魔になってきた弁護士が自宅にて彼女を絞殺。うまいこと死体を処理し安穏としていたのだが、殺人を嗅ぎつけた彼の伯父に強請られ、さらには妻にも気づかれてしまう」という「事実」が冒頭で明らかにされ、夫=殺人者、伯父=脅迫者と同居するという悲惨すぎる人妻に恋心を寄せる若き軍人が登場し、近所でHM卿が自伝を口述筆記の最中と、スラップスティックな予感で幕を開ける。

実際、催眠術をかけられた人妻が、術師の命令で旦那を刺殺するかという悪趣味極まる催しものにて、ゴム製の無害なはずのナイフがいきなり本物とすり替えられており、あえなく旦那は刺殺されてしまう。もちろん旦那が殺人者だからこそ、彼女は無意識のうちに憎んでいたのである。

この事件では、ナイフに近づくことができた人物は絶対にいないという点で不可能犯罪が成立し、さらに動機の不明瞭さが読むものを悩ませる。

残念ながら、前者に関しては数多の評者がいうようにきわめて幼稚なものである。しかも十分な伏線もなく唐突な印象を免れ得ない。

それに対し、なぜ殺されたのか、誰に殺されたのか(正確には誰に操られたのか)を連動させる謎は、さすがにカー/ディクスンと唸ってしまう熟練の手管である。よく視点を変えることで地と図が反転し見え方が一変してしまうだまし絵があるが、本書もそのたぐいのものだ。

要は、それまで構築されてきた前提やルール自体をひっくり返してしまい、いままで読者に見えていた図も変わってしまうというカー/ディクスンがお得意とする技法だが、この構築の仕方に、重大な瑕疵、えげつないアンフェアな部分が存在するのである。


───以下、完全にネタバレ───











問題は、訳題にもなっている殺人者と恐喝者の関係だ。

飯のタネである金主を殺す恐喝者はいない。したがって恐喝者は犯人ではないというごく自然な発想を利用し、ある人物を安全圏においてしまうのである。

しかしその前提が間違っていたとしたら、つまり恐喝者であった伯父が殺人者であり、彼こそが脅されていた金主だとしたらどうだろうか。話はまったく変わってくる。当然、彼こそが最大の容疑者となる。

この真相を伏せながら、自然に物語を進めてゆく手腕が本書の見どころなのだが、この前提を構築したアンフェアな部分をいかに考えるかによって、本書の価値は大いに変わるだろう。

この前提を構築した箇所とは呆れたことに以下のような冒頭の一文なのである。

ある真夏の夜、グロスターシャー州のチェルテナムで、アーサー・フェインはポリー・アレンという名の十九歳の女性を殺害した。
One night in midsummer, at Cheltenham in Gloucestershire, Arthur Fane murdered a nineteen-year-old girl named Polly Allen.

 それが事実として認められた。すなわち――
That was the admitted fact.

 アーサーにとってポリーは長い人生の一挿話に過ぎなかった。しかし、彼女のほうは彼にのぼせ上がり、令夫人と一悶着構えそうな気配があった。結婚話さえ匂わせる始末。(中略)
The girl was only an incident in his life; but she had fallen for him, and was threatening to make trouble with his wife. She even mentioned marriage.

 そこで彼は、妻のヴィッキー、ヒューバート叔父、それに二人の使用人が揃って留守の晩に、ポリーを自宅に招いた。彼女は一夜のお楽しみに心躍らせ、誰にも知られずこっそりやって来て、首に巻いたレーヨンのスカーフで絞め殺された。(中略)
So, one night when Vicky Fane, Uncle Hubert, and the two servants were away, he invited this girl to his house. She came there secretly, expecting a party, and was strangled with her own imitation-silk scarf.

 しかし、感づいた人間が二人いた。叔父のヒューバートは犯行時に知り、妻のヴィッキーはやや遅れて気づいたのである。
But two persons found out about it—Hubert Fane, Arthur's uncle, when it happened; and Vicky Fane, his wife, a little later.


ここでは、アーサーが殺人を犯したことを記しているのだが、地の文は基本的にその物語世界における真を書かねばならない。

ところが、これは旦那をナイフで刺殺したヴィッキーの知識なのである。

読者が地の文が真実を語っていると信頼しているからこそ物語は成立するのであり、その物語世界の構築にこそ、あらゆる小説の基礎がある。どんなに奇天烈なお話だろうと物語世界の構築さえうまくいけば、それは完全にリアルなのである。

したがって諸氏が本書をアンフェアというのはもっともであり、本格原理主義者には我慢ならない作品といえよう。

しかし、冒頭からあっけらかんと詐欺をやってのける図々しさ、読者に植えつけた殺人者と脅迫者の関係を維持するための数多の仕掛け──これについては、解説の麻耶雄嵩がみごとに解き明かしている。こんなものを見せつけられた日には「だがそれがいい!」といわざるをえない。

一般的に、カー/ディクスンは密室云々と喧伝されそればかりの作家と思われていそうだが、実は、密室であったり大掛かりなトリックを効果的に見せつけるためのこと細やかな技法、レッドヘリングにこそ、最大の妙味があるのだ。

麻耶雄嵩がいう「カーの“よき読者”」とは、それが楽しめる傾奇者のことである。


最後にひとつ。

HM卿が真相を解き明かす部分で、冒頭の文章についてメタミステリ的に解説を加えている(原文参照)。つまり本書において地の文は、事件の真相や真実を構築するために存在するのではない。

真実の開示は地の文ではなく、HM卿の口述によっているのである。したがってわれわれは、カーター・ディクスンが書き記したもろもろの地の文ではなく、HM卿の口述のみを信じなければならない。HM卿こそが真実を開示するのである。

であるならば、本書の物語世界内で延々と続けられる口述で明らかにされるHM卿の本当かよ! と疑わざるをえない過去の悪行の数々をも、われわれは間違いなく真実であるとみなさねばならない。

逆に言うと、本書は、いつか上梓されるであろうHM卿の自伝が真実であることを保証するための一冊なのである。


"Y'see, ma'am, your knowledge that your husband was a murderer was the
'admitted' fact. "Sure. But who admitted it?
"If this were all written down and traced back, you'd find that there was only
one source for all the details about Arthur: Hubert himself


★★★★☆
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
Sun, February 23, 2014

山本小鉄『いちばん強いのは誰だ』 (講談社プラスアルファ文庫)

テーマ:実用・その他

山本小鉄
いちばん強いのは誰だ

タイトルだけ見ると、あらゆる格闘技のなかで「いちばん強いのは誰だ」と考えてゆく本に思えそうだが、さすがに新日本プロレスの重鎮だけあってそれはなかった。

新日本プロレスは最強→その中で「いちばん」→格闘技界最強!

というスタンスである。

この書籍が上梓された2000年8月といえば、小鉄の愛弟子・橋本真也が引退を賭けて柔道王・小川直也と三回目の対戦。ゴールデンタイムの中継内で完敗した数カ月後であり、大ブームとなった総合格闘技でプロレスラーはほとんど通用せず、それまで「格闘技世界一」を標榜していた新日本は、実力を猜疑の眼差しで見られるという冬の時代であった。

いや、正確にいうとプロレスと格闘技は異なるジャンルに属するという認識が、ちまたに広く行き渡りはじめた時代といってよい。その認識は、深く掘り下げてゆくと以下のようになる。

プロレスはプロレスにおける独特の「強さ」があり、それは総合格闘技などで測るものとは違う

この考えはプロレスの実態をほぼ言い当てており、これが事実だからといってプロレスを貶めるものではまったくない。

しかしながら、先に述べたように自ら格闘技と同じ土俵に立ってしまった新日本プロレスは、対外試合で敗北を続ける現状を横目に、格闘技においてプロレスは最強であると強弁しなければならなかったのである。

ちなみにあらいざらいを暴露してしまい、プロレスを地に引きずり下ろしたといわれる新日本プロレス元レフェリーのミスター高橋『流血の魔術 最強の演技』は、翌年の出版である。

いうまでもなく、高橋本が出る前から、すでに格闘技=プロレスという意味でのプロレスの凋落ははじまっていたのである。

さて、そのような苦しい台所事情を覆い隠しながらいかにプロレスをアピールするか。これこそが本書に課せられた試練である。

はっきりいうと、プロレスをまったく知らない人間が本書を読み、プロレスすげー!とは残念ながらならないだろう。

ここに書かれているのは、全日本プロレスとは違い、新日本道場ではグレイシーや総合格闘技に匹敵することを行っているが、試合では観客を楽しませるためその類のものは封印しているといった程度の話だからである。

それが事実なら、PRIDEのリングでやってくれよと突っ込まれるのはいうまでもない。ちなみに総合格闘技のリングで活躍したプロレスラーは、いずれもレスリングのバックボーンがあり、総合格闘技に特化した練習を行っていた。プロレスが通用したというのとは、やや違うのである。

しかし、プロレスラーは本当はすごいんですという話を数多のエピソードを交えて語り尽くしていくあたり、プロレスマニアにはなかなか興味深い。

たとえば猪木が力道山の日本プロレスから独立して新日本プロレスを立ち上げたときグレート小鹿が脅迫にきたとか、ルスカは世界最強の格闘家だ(これはミスター高橋もいっていた)、モハメド・アリのセコンドは拳銃を隠し持って試合に臨んでいたなど、おもしろい話がちらほらと載っているのである。

この例を読んで、ほーと思えるようなプロレス好きな人間ならばそこそこ楽めるだろう。本書でプロレスを救うことはできなかったが、それなりに価値はある一冊といえる。

★★★☆☆
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
Tue, February 11, 2014

北朝鮮強制収容所を明るみに出す:安明哲『図説 北朝鮮強制収容所』(双葉社)

テーマ:ノンフィクション


安明哲『図説 北朝鮮強制収容所』(双葉社)

いまとなっては背筋が凍るような笑い話でしかないが、北朝鮮がこの世の楽園であり、成功した共産主義国家だと真面目に受け止められていた時代があった。1950年台からソ連崩壊あたりまでのことである。

要は、資本制と共産制のどちらを支持するかという話であり、主として社会党系の「進歩的知識人」たちは、こぞって後者とその具現化である北朝鮮を褒めそやしたのである。

だからこそ、たとえば朝鮮戦争は韓国とアメリカの侵攻によりはじまったという北朝鮮の公式見解を鵜呑みにするようなヒイキがはびこっていた。

ちなみに朝鮮戦争勃発についての北朝鮮の公式見解は以下のようなものである。

三八度線一帯に集結していた李承晩カイライ軍は、アメリカ人軍事顧問団の直接指揮のもとに、この日の早暁、全戦線にわたつて三八度線以北地域にたいする武力侵攻を強行した。
 敵は侵略戦争を開始するにあたつて、不意の攻撃をくわえることによつて、数日のうちに共和国北半部の全地域を容易に占領しうるものと考えた。そうして敵は、朝鮮人民に反対[ママ]する冒険的な戦略計画をうちたてた。『朝鮮人民の正義の祖国解放戦争史』(外国文出版社/1961)


金日成が、不意の攻撃をくわえることによつて、数日のうちに共和国北半部の全地域を容易に占領しうるとスターリンを説得し、南侵の許可と武器援助の約束を取り付けたことを知っている我々にとっては与太話でしかないのだが、こういった騙りを真剣に受け止めていたものが、たかだか数十年前にはごまんといたのである。

驚かされるのは、北朝鮮がいかなる国家であるか明らかになってきたのはここ最近のことであり、楽園とまでいかなくとも「人民」は幸福に生活していると思っている日本人が、それなりに存在したということだ。

たとえば岩波書店の社長であった安江良介は『世界』の編集長時、北朝鮮では衣食住に加えて教育・医療という国民生活の基本的な課題において十分な保障がなされていると呑気に記しているが、これが北の宣伝に踊らされているのか、それとも「左翼」擁護のためにあえて騙ったものかは定かではない。

しかしながら、のちに岩波の社長となる有力者が北朝鮮を礼賛していたことは記憶しておいてもよいだろう。

ちなみにこの文章が収録された『偉大な人民の指導者 キム・イルソン』(外国文出版社/1977)には、ほかにも未来者社長・西谷能雄、都知事・美濃部亮吉、横浜市長・飛鳥井一雄、岩波書店常務取締役・緑川亨などが寄稿している。

当然、ここでは収容所国家北朝鮮の実像など一文字たりとも記されることはない。いまのところ北朝鮮の真実の姿は、脱北者の証言によるほかないのである。

そして本書『図説 北朝鮮強制収容所』は、一度収容されると死ぬまで出ることができない──そして収容されてからの平均余命は約5年である──「完全統制区域」と呼ばれる強制収容所の警備隊員として8年間勤務した作者が、命懸けの脱北の末、全世界に初めてその真実を明らかにした『北朝鮮 絶望収容所』(KKベストセラーズ)を圧縮し、自らイラストを添えたものである。

ガロ系の稚拙なイラストが、あまりにむごたらしい地獄を、読者に突きつける。

完全統制区域がどのような場所であり、いかなる地獄であるかはWebでも本書でも、直接あたってもらうほかない。書評で語るにはあまりに重すぎる。

ひとつ付け加えておかねばならないのは、そこでは日本人も収容されているという驚愕の事実であり、作者は日本人妻が警備隊員に撲殺されたのを目撃したという。

この一件からもわかるように、北朝鮮強制収容所は悲惨な隣国の話ではない。日本の話であり、アジアの話であり、さらには人間の話なのである。

これを知らないで済ますことももちろんできるし、多くのひとはそのまま日常を過ごしているだろう。…別に何かの運動をしろと迫っているわけではない。

世界には野蛮が数多存在し、われわれはたまたま日本に生まれ、無難に過ごしている。知るということは、世界の野蛮を認めることである。「わたし」により世界は知られることで変容し、その変容した世界で生きる「わたし」も変容するだろう。

そのような微小なとっかかりとして本書が読まれるならば、作者は幸福を感じるはずだ。

※画像は、『偉大な人民の指導者 キム・イルソン』より。作り物じみたこどもたちがもの悲しい。

★★★★☆
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。