九州大学生体解剖事件:上坂冬子『生体解剖』(中公文庫) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

九州大学生体解剖事件:上坂冬子『生体解剖』(中公文庫)

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上坂冬子『生体解剖―九州大学医学部事件』(中公文庫)
※画像はPHPから上梓された新版。

遠藤周作の小説海と毒薬』のモデルとなった九州帝国大学生体解剖事件を、アメリカ国立公文書館に眠る資料をもとに再構成した一編。

‘Record of Trial in the Case of United States vs K. Aihara, et 29, Part 1, 1940 - 1948’及び‘Exhibits in the Case of United States vs K. Aihara, et 29, Part 1, 1940 - 1948’なる上坂が依拠したと思しき資料はいまでも現地で閲覧可能だが、この先の電子化もまずないであろうことから、この事件に関しては本書がいまでも基本資料となるはずだ(ただし中公文庫版では仮名を用いている)。

周知のように米軍捕虜8名が生きながらにして臨床実験のために解剖され殺害された九州大学が舞台の事件で、大本営から価値ある「捕虜」以外は「適当に処置せよ」と通達され対応に困っていた軍に対し、偕行社病院副院長格であった小森卓軍医が言外に人体実験に使用したいと希望し受け入れられたところからこの事件は幕をあける。

当時「搭乗員」は国際法における「捕虜」とみなされないがゆえ(「空襲時ノ敵航空機搭乗員ニ關スル件」)、捕虜以下の取扱いを受け多数が無残に処刑されており、また搭乗員ではないが捕虜に対する生体実験も行われたという日本軍の性格を見るならば(立川 2007:116-119,113)、この事件もその一環として考えることもできそうだが、重要なのは研究者もしくは医者の側からのアプローチと、それを助長するかのような怨嗟の雰囲気、つまりB29による爆撃の被害への怨恨がこの事件を比較的抵抗なく惹起せしめたということだ。

確かに一般的なイメージとは異なり九州大学教授石山福二郎が自身の研究のために積極的に捕虜獲得に尽力したという事実はない。むしろ石山は小森から話をもちかけられた際、単純に医療手術だと誤解していた節があったくらいなのだが、とはいえ「生体解剖」なる小森の意図を実行に移すわけだから弁護のしようがない。とにかくこれが医学と研究者の問題であることは注意する必要がある。そして捕虜への私刑じみた行為がままあり、それが許容されていたということも。

このあたりは丹念な上坂の叙述を追ってもらえばよいのだが、実は本書は「生体解剖」の実態もさることながら、取り調べおよび裁判の様子、また死ぬまでこの事件に対し思いを馳せてきた弟子たちの様子など、事件のその後にも読みどころがある。

作者が、個人として組織にあらがうことは無意味なのではないかと、生体解剖に一貫して消極的な反抗を示していた鳥巣太郎に問うている。昭和54年のことである。「それをいうてはいかんのです」と、彼は声を荒げて反論した。

どんなことでも自分さえしっかりしとれば阻止できるのです。[…]言い訳は許されんとです。[…]とにかくどんな事情があろうと、仕方がなかったなどというてはいかんのです

事件から約35年。彼がいうのはきわめて真っ当で、それでいて時として困難な身の処し方である。生体解剖であろうとよくある日常であろうと、取るべき道にさほどの差はないようだ。



立川京一,2007,「旧軍における捕虜の取扱い」,『防衛研究所紀要第』第10巻第1号,防衛研究所.99-142頁(http://www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j10_1_3.pdf)

★★★★☆
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