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2009年09月28日(月) posted by mosrite-us

1963年 『ホンダとモズライト』

テーマ:セミーモズレーの過去

セミー・モズレーがヴェンチャーズと握手をし、モズライト・ヴェンチャーズ・モデルの量産化に向けて、日々悪戦苦闘していたのが1963年でした。








そのベイカースフィールドから北東にあたるモハヴェ砂漠の端の方、カリフォルニア州とネヴァダ州の州境の山々に沿うように、デス・ヴァレーと呼ばれる幅のある長い谷があります。そこは、塩湖が干上がった後の谷で、アメリカでも1番、世界でもまれな高温地帯としても知られていて、56.7度というとんでもない高温の記録があるそうです。谷のほとんどはカリフォルニア側で、今では全米最大のデス・ヴァレー国立公園となっています。









1963年の夏、この谷を通る1本のルートを、疾駆する小さな日本車2台がありました☆(あったはずです)この世界に知られた恐ろしく暑いといわれるアメリカの谷、デス・ヴァレーを全力疾走していたのは、米国仕様左ハンドルの2台のホンダのSだったはずです☆





ホンダは第9回(1962年)の東京モーター・ショーでホンダ・スポーツと呼ぶ2座席車S360S500を発表。S500は翌年発売され、テストと宣伝写真の準備に2台をホンダ・アメリカに送ったと伝えられています。









当時ホンダは、アメリカで死の谷を走るSの写真を国内パンフに載せ, この米国テストの直後、発売されたばかりのS500606ccに排気量アップし、S600へと生産を移行する決定をしたのではないかと思われます。とすると、テストで送られた2台とはS500S6001台の可能性がありますね☆







 

 

さて、このホンダの2座席スポーツカーS500のエンジンにはードル・ローラー・ベアリングが使用されていました。組み立てクランクのビッグ・エンド(大コンロッド)やカム・シャフト等に使っていたらしいです。本田宗一郎は『このエンジンはみんなニードル・ローラーだ!』と説明したとか?











セミー・モズレーの創り出したモズライト、そのヴィブラート・ユニット『VIBRAMUTE』も『MOSELEY』にも、軸受けにセットされていたのはやはり『ニードル・ローラー』だったのです。









ニードル・ローラーとは主に高回転のシャフトの軸受けに使われるレベルの高いベアリングです。言葉通り針かピンのような細いコロが軸の周りを取り囲んでいるのです。ホンダのDOHCエンジンの高回転狙いは目的から当然としても、セミーはどうして使ったのでしょうか☆








憧れの速弾き師匠レス・ポールを越えるため、このベアリングを使った自製のユニットを組み込んで、師匠にも絶対不可能な目にも留まらぬスーパー・スピードのハイパー・アーミングを実現するつもりだったのかもしれませんね☆ 








 

 セミーによれば、このニードル・ローラー・ベアリングを採用したのは、6本の弦を同時に回転させる軸位置を下げることを考えたのがそもそもの始まりだったそうです。









それは回転軸の中心から、各弦の位置をそれぞれ設定することにより、全体の音程をホールドしたまま変化させられると考えていたからでした。







しかし、それまでのしっかりした大きなローラー・ベアリングを使用すると、その直径の関係でシャフトの軸中心が高くなってしまう事、軸径が大きいと軸中心からの距離に制限が出来、微妙な音程変化のアジャスト・スペースを上手くとれない事、さらに、ネックとボディの納まり具合の設定では、ボディのトップに穴を掘って軸受け部のベース・ユニットを埋めざるを得ない場合も生じます。







他にもスプリングでバランスをとるのに摩擦を考えたり。。。と、実際いろいろあったようなのですが、これらを何とかしたいと考えたんですね☆




軸をしっかり保持させたいので、コンパクトで直径よりコロ軸受けの長さが長いもの。そして、これまで以上にフリクション、つまり接触抵抗の少ない物に的を絞って探した結果、入手した物は航空機用の部品となり、高速回転するシャフトを滑らかに滑らかに受け止めるべく造られた当然の高級品でありました。







それについて、セミーは余剰物の放出品(軍の?)を手に入れた!と語っています☆




探せば、きっとボールでも小軸径のものがあったはずですし、ローラーなら小軸径で長いものがあったはずなのですが、セミーはそれを使わずあえて別のものを探したようです。









そしてそれは、すでに市場にあったものより良い結果を引き出す可能性が高いと予想されるものに絞ったからでしょう。ベター・ギターへのセミーの希求は、誰もやっていないことを実現しようとした本田宗一郎の精神に通じるようにも思えるのですが、いかがでしょうか☆☆










ついでに書いちゃいます☆


1963年は2輪で世界の頂点に立ち始めたホンダが、アメリカでも正当に認められる事となって行った絶好調の年でした。


この頃カブのヴァリエーションは、ポートにハンター、スポーツといろいろ増えていたはずで、今考えると正にCMソング?の『リトル・ホンダ』がチャート・インしたのは翌年の1964年です。インしたのはビーチ・ボーイズではなくてホンデルスだそうで、やっぱりCMソングだったのかな?。カブとは別のペダル発進モデル(戦後のエンジン付自転車の超進化版?)が『リトル・ホンダ』という名で日本で出たのは、もう少し遅れて最初のエレキ・ブームの後、つまりあれはもうGSの頃になっていたかな?ちょっと元気な女子高生が、サックスとかピンクとかホワイトのメットかぶっての通学風景は、今も覚えています。




YOU MEET THE NICEST PEOPLE ON A HONDA


TOMORROW’S GUITAR …TODAY! MOSRITE







これが60年代の前半だったんですね。



Mosrite US Custom Shop 

2009年09月22日(火) posted by mosrite-us

ダブルネックギター本皮彫り

テーマ:商品開発担当者のつぶやき

ダブルネックギターが大好きな商品開発者がいます。

彼は、ダブルネックギターの本皮彫り(レザークラフト)の初回サンプルを製作していました☆



Mosrite US Custom Shop 


一枚の皮にこんなにも細かいデザインを彫ることができるのってすごいですよね。。

感心しました。。。


Mosrite US Custom Shop 


私・・・何を開発してるんですか?本皮のかばんとか??


担当者・・・まだ秘密☆商品化されることを願っててください☆



今は初回サンプル段階で、商品化するかどうかもまだ未定みたいです。



でもダブルネックギターの本皮のトートバッグとか、小物入れとかあってもかわいいなあ。なんて個人的には思います☆

是非頑張ってほしいです☆



Mosrite US Custom Shop 


2009年09月15日(火) posted by mosrite-us

カスタム・アンプとモズライトの関係③

テーマ:セミーモズレーの過去

カスタムアンプとモズライトの関係③ (①・②の続き)




楽器事業部の縮小の末、バディが去った後、セミーはバディと契約していた品物を全て新経営陣に納め、モズライトの商標権を自分の元に戻しました。



今後はカスタム社から注文はないので、セミーは別の会社を通じて製品の配給をしようと動き始めたものの、カスタム社に納めたギター&ベースやモブロは、換金処分で、市場に放出されてしまうことになってしまいました。



これはカスタム・エレクトロニクス社が倒産したわけではないのです。会社の新経営陣とすれば、商標権を持たなくなったモズライトギターの資産(在庫)を早急に処分するのが正しい選択であったはずなのです。




なぜなら、セミーが新たな代理店と共に新型のモデルを投入すれば、倉庫に納品されたモズライトギターの資産(在庫)は旧製品となり、売るのは難しい事になるからです。



商標権が無いので宣伝も出来ず、仮に全ての在庫が売れ、追加注文が来ても、再生産の権利もありません。 在庫を保持することによる倉庫や販売の経費をかけずに、また商品が価値を失う可能性が迫っているなら、速やかに意思決定をして動かなくてはならなかったのです。






結果的に言えば、確かにこの状況はセミーには辛いものでした。





新しい代理店に製品を持ち込んでも、市場にはすでに必要以上のモズライトがあることになってしまったのですから、上手くいきません。





幸い商標権は戻され、再び自分の手にあるのです。セミーはモズライト・ギターの製造を中止し、次の機会を信じて待つことにしました。





それがこの時のセミーの判断でした。









業務内容のウェイトを変更したカスタム・エレクトロニクス社は、それを指揮した経営陣の計画通りの展開となって進み始め、やがてPCITの発達に伴った製品を次々に開発してさらに順調な発展を遂げ、現在では業界でも確固とした地位を築いているはずです。




そのアンプ部門は90年代に入って本拠地であったカンサス州のシャヌートから、バディ・ロスが創り出したブランドとして分かれ独立し、今も製品が供給されているのは皆さんご承知の通りです。一方、結果的に会社を失ってしまったバディ・ロスですが、この後、エフェクターの『ROSS』ブランドで、業界復帰をしているはずです。セミー同様に、きっとこの人も電気楽器が大好きだったのでしょうね。






かつてセミーと握手を交わしたあのバディ・ロスが率いていたカスタム・アンプはけして倒産したのではありません。



この時、カスタム・エレクトロニクス社が経営する主力事業の方向を転換したため、『楽器ビジネスを縮小することになった』ということでした。それさえなければ、バディ・ロスのカスタム・アンプとセミー・モズレーのモズライトは、それぞれを補い合って発展成長したはずなのです。




ふたりの握手があと1年早ければ、別の展開があったかもしれませんね。





http://www.kustom.com/history.aspx


当時の様々なミュージック・シーンで使われたカスタム・アンプのデザインの特徴です。2ページ目のジョン・フォガティの右側に、いろいろユーザー・アーティストが記されていますが、その中にマイケルのいた『The Jackson 5』の文字もありますね。













2009年09月14日(月) posted by mosrite-us

カスタム・アンプとモズライトの関係②

テーマ:セミーモズレーの過去

カスタム・アンプとモズライトの関係②


70年代に入って間もなく、セミーはあるショーでカスタム・アンプで有名なバディ・ロスと知り合いました。


当時バディが率いるカスタム社のアンプは、音を創り、そして増幅する性能だけでなく、その外装材に他社とは違う特殊な材料を採用していて、それによってひと目でわかる特徴あるデザインをした事も、業界で成功を収めてきた大きな理由でした。




忽ちふたりは意気投合し、ビジネスでの握手をしたのです。

バディは前金を渡すことからその握手を具体化して行きました。




やがてその金額は大きなものとなり、セミーの全てのモズライトはカスタムを商標権者として、そこを通じて配給されることになったのです。




でも、その時既に会社でのバディの立場は危うくなっていたのでした。。。




カスタム社の経営者が変わり、会社が資本を集中し、官公庁向けのパブリック無線システムや警察用機材の開発製造へとメイン・ビジネスを転換することになっていきます。。。



そして、それまでバディが率いた楽器ビジネスはどんどん縮小へと動き出していたのでした。









このあとセミーのモズライトはいったいどうなっていくのでしょうか。。。。


次回掲載予定内容は、

バディが去ったあとのカスタム・エレクトロニクス社とセミーのモズライト。~セミーの決断~

です。









2009年09月11日(金) posted by mosrite-us

カスタムアンプとモズライトの関係①

テーマ:セミーモズレーの過去
カスタムアンプとモズライトの関係①


レス・ポールは94歳でしたが、マイケル・ジャクソンは50歳でした。投薬の事故かもしれないけど、とてもショックでした。早すぎますよね。。。。




それがどうしてカスタム・アンプと繋がるかっていうのはまだ先の話です☆少しお待ちくださいね☆


マイケルの他界後、『スリラー』を再見する機会が多くなり、やっぱり『超』が付くほどの出来のプロモーションビデオだったな・・・と、感嘆するばかりでした。



↑↑この映像は、有名なジョン・ランディス監督が創ったんですよね。(彼をホラー系と考えるかコメディ系と考えるかは専門家にお任せしましょう☆)



ジョン・ランディス監督の作品のひとつに、『ブルース・ブラザース』という作品があります。ご存知でしょうか??ブルース、カントリー&ウエスタン、ソウル、ゴスペル、スウィング・ジャズ、そして、ブロードウェイのミュージカルに、いったい何人踊ってるかというくらいのモブ・ダンシングと、何も知識無く観始めると、トップ・アーティストによるアメリカ音楽史の実演版??と思える作品でした(笑)


話はコメディながら適度にペーソスが含まれ、何しろ、モノクロ時代の人と思っていたキャブ・キャロウェイの素晴らしさに遭遇できたのも嬉しいことでした。(彼はムーン・ウォークの元祖!?&東けんじ〔Wけんじの・・・〕の師匠?!)マイケルもこの人ぐらいまで歌って踊っていて欲しかったなあ。それに、エンドのあたりでは、スピルバーグも出演していました☆なんて豪華な映画。。。。。。



続編『ブルース・ブラザーズ2000』には、前作にも増して凄いプレイヤー達がゲスト出演しています。顔ぶれは是非ご覧になって確かめてみてください☆(↓You Tubeでも色々見れますよ☆)



『ブルース・ブラザース』や『ブルース・ブラザース2000』には、やたらとパトカーがでてきて、凄まじいカー・チェイスとハード・ハード・クラッシュがこれでもかこれでもかと実写で展開されるんです。(CGではないです)これがBIG3がまだ力を持っていた頃の、アメリカ車社会の迫力だったのかもしれませんね。



こういった警察や消防や救助といった官公庁系のパブリック無線システムや、警察の交通取締り用電子機材の開発製造会社が、カスタム・エレクトロニクス社だったのです。


(この映画に出てきたパトカーに搭載されていたかどうかは未確認です)



この続き(カスタム・エレクトロニクス社とセミーの関わりなど)は、次回のブログで掲載します☆




今日はこのへんで失礼します☆

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