光文社の古典新訳文庫から出ている『失われた時を求めて』を読み進めている。

この作品は大変長大な小説で、さまざまな伏線が張り巡らされており、
それを味わいながら読み進める楽しみがある。

大まかにいうと、語り手の幼い頃から、時間を追ってエピソードが綴られているが、
語り手の知り得ない過去の話が入ってくることもある。

それも含めて、ロジックではなく思いつきの連鎖でエピソードが綴られているのが特徴で、
人間の頭の中に浮かぶものを次々写し取って書いたかのような趣がある。


私は、読者の位置がはっきりした小説が好きだ。
いわゆる「信頼できない語り手」の小説は楽しい。
語り手の語りにバイアスがかかっていることを理解しながら、実際にはどういうことだったのかを明らかにする。

この『失われた時を求めて』の場合は、情報が小出しにされる楽しみがある。
読者は、小出しにされる情報から、語り手である主人公をめぐる人間関係を読み解いていくのである。

光文社の古典新訳文庫は、シリーズのコンセプトからも読みやすい訳になっているのだが、
それ以上に、この新訳文庫のシリーズで読み進めたい理由がある。
それは、他の日本語訳の場合、伏線が指摘されてしまっているという点だ。
それでは伏線を楽しむ魅力、はっきり言えば、この小説の魅力はほぼなくなってしまうということだ。


私がエラリー・クイーンの国名シリーズを読んでいたときのことだが、
最後の『ニッポン樫鳥の謎』を古い創元推理文庫で手にいれ、
カバーに書いてある数行の、事件の概略に目を通し、いざ読み始めた。

ところが、その数行の事件のあらましの中に、トリックが示されてしまっていたのである。

「あれ、この事件の説明、カバーに書いてある説明と違うな~」
と思いながら読んでいたら、結局それがトリックだったという……。
おかげでミステリーとしては全く楽しめなかった。
では純粋に文学として楽しめるかというと、やはりそうではないわけだ。
私にとってこの作品を読んだ意義は、当時の欧米人が日本文化をどう見ていたかの一端がわかった、ということのみだ。


そんな苦い経験があるので、伏線を楽しむことができないのなら、私にとってその小説を読み進める価値はほぼなくなる。
このシリーズならばその心配はないようだ。

 

まだ途中まで(最新刊は四巻めにあたる、第二篇「花咲く乙女たちのかげにⅡ」)しか読み進めていないのだが、冒頭部分の、眠れずにいる語り手が一体何歳なのか、
要するに、小説内現在がいつなのかがはっきりしない。

眠れずにいる語り手が、幼い頃の回想をはじめ、それが5歳くらいの幼い頃から少年といっていいくらいの年齢になるまでを描いたのが、
おそらく第一篇「スワン家のほうへ」だと思うのだが、はっきりしたことはわからない。

ただその回想の中で描かれる、語り手をとりまく人間関係の生臭い感じ、特に社交界の人々のスノビズム、俗悪さが、
非常にわかりやすく示されているのがおもしろい。

・ほぼ寝たきりのため、日がな一日、窓から街の通りを行き交いする人々を眺め、
「○○夫人はきっと雨に濡れてしまう」「××夫人は、今日は15分も遅れている」など、
その動向を一々重大事件のように考えている、語り手の叔母。

・自分のもとを訪れる女性に、自分の召使いの悪口を言い、召使いの方にはその女性の悪口を言う、語り手の叔母。

・年若い召使いをやめさせるために、アスパラガスばかり剥かせて喘息を悪くさせようとする叔母の召使い(ただし彼女の料理の腕は天才的)。

・語り手の一家といるときには、スノビズムを忌まわしき物としているのに、実際は有名人にすり寄るのが好きな医師。

・避暑地のホテルで、貴族の邸に招かれることをこの上なく光栄なことと考えているくせに、
「あれは偽物」「あれは高級娼婦」などと勝手に偽物扱いしているブルジョワ。

・実は知り合いでもなんでもない有名人を、自分の知り合いであるかのようにみせて自慢する語り手の友人の父親。
彼の場合はまだ、知り合いであると名言してはいないため、嘘「は」ついていないのだが、
(その叔父になると、完全に虚言癖になっている。)


時代は違えど、「そういう人間いるよね」と言いたくなる感じだ。

とはいえ、この語り手は、そういう人間をただ切り捨てるのではなく、
注目されたいとか、綺麗な女性の気をひきたいとかいった、自分のマイナスの感情もしっかり描いているのがおもしろい。
また、語り手が繊細すぎるのもおもしろい。

・一人で寝る前に母親からのキスを求め、来客がいると母親が一緒に部屋に上がってきてくれないため、
来客を憎み出す幼い頃の語り手。

・叔父が高級娼婦を自宅に招いている時に、叔父の家を一人で訪れ、叔父が口止めしたにもかかわらず、
家族の前で口にしてしまい、叔父と自分の家族を険悪な関係にさせてしまった幼い頃の語り手。

・大して造詣が深いわけでもないのに、造詣が深いかのように見せている友人を信じ込んでしまう、少年期の語り手。

・美しい女性に注目してもらえるよう、公爵夫人と知り合いだということをアピールしたい青年の語り手。

など、「おいおい」とつっこみたくなるが、色々な人に共感される人間らしい主人公といえるだろう。


そういった語り手と、その周りの人物が、どう関わってどう関係を結んでいくのか、読み進めるのが楽しみである。