En el camino hasta los espectáculos

踊りのこと
フラメンコのこと
日常のこと

ぽつぽつと書いていきます



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へレス・フェスティバル11日目のビジャマルタ劇場での公演は、アルバ・エレディアでした。

これについては、以前にも書いたの割愛。

アルバについての投稿はこちら

 

そして、12日目はビジャマルタでの公演はお休み。

 

13日目は、パストーラ・ガルバンでした。

パストーラは人気あります。

ソロコンパスの表紙に出てくるホセ・ガルバンの娘です。

 

この公演の最初、パストーラはフレコだらけの、ムックのような衣装を着て、身体をゆらゆら揺らして踊っていました。

そうしたところ、ムックのような衣装はぱっとはぎとられ、舞台上方に飛んでいきました。

すごい仕掛け!

舞台というのは、お客さんをあっと驚かせる何かがあるといい。

 

 

パストーラは、私の中の勝手な印象は、

☆裸足で踊る。

☆ひざ丈のミニスカートで踊る。

☆コンパス感たっぷりの踊りをする。

☆小柄、太目のキャラを上手く使って、グラシオッサな(愛嬌ある)踊り手。

です。

とっても、フラメンカな人で、私も大好き。

けど、この公演は、あまりフラメンコを踊った印象がない。

ダイジェストビデオを見てみると、バタとパリージョでシギリージャを踊ってる。けど、全然印象に残ってなかった。

マリア・パヘスもバタとパリージョでシギリージャを踊ったけど、それはすごく覚えている。

何でだろう?

それよりも、なんでしょう?アラブ音楽みたいのに乗って、カンテさん(女性)二人と一緒にお尻を揺らしながら踊ってるのは、ものすごく覚えている。

そうなんだ、この公演のパストーラの印象は、お尻も身体もゆらゆら。

彼女が絨毯の上で裸足で踊る公演を見たのはこれが2度目。

なんで裸足なんだろう????

裸足でも、サパテアードの音がなくても、コンパスを表現するってのに挑戦してるのだろうか。

パストーラは、セビージャのタブラオで何度か見ました。

その時は、「すごい!」と思ったのですが、テアトロでは、まだ「感動!」ってのはないかも。

ちょっと風変わりな方に逃げてて、フラメンコに真っ向勝負してる感じがしないからかな?

私の中でパストーラは、ベレン・マジャやファルキートと同じところにいる。

直球勝負したら負けないのに、なぜか変化球で来る人たちってカテゴリー。

 

スペインにはすごい踊り手がいっぱいいる。

トップまで駆け上がった彼女たちにしたら、すごい踊り手のすごさは、私たち以上に分かるのでしょう。

「同じことしたらダメだ」

って気になるのかもしれません。

多くの公演を見ていると、全員に共通して言えるのは、「オリジナリティの探求」。

例えば、マヌエラ・カラスコがどんなに素晴らしくても、どんなに大好きで憧れていても、真似てみてもマヌエラになれないし、そっくりに上手に踊れても、それはマヌエラのコピーでしかない。

それじゃ踊り手として足りない。

自分の長所を探し、それを舞台で出していかねば。

舞台を作る人たちは、「どこに自分の良さがあるか。どうやったら自分ならではの良さを出せるか。どうしたら誰かのコピーではなくオリジナルになれるか」を迷い、模索しているよう。

公演そのものには好き嫌いはあるけれど、「ああ、この人は、そうきたか」って感じで、それぞれの人たちのオリジナリティの探求を観れるのは面白いです。

 

https://vimeo.com/207711755

 

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へレス・フェスティバル10日目のビジャマルタ劇場での公演は、アンヘル・ムニョスでした。

アンヘル・ムニョスは、毎年へレス・フェスティバルのクルシージョも担当しています。

 

 

私は彼のレッスンは受けたことがないので分かりませんが、リピーターも多く、すぐに満員になってしまうし、評判の良い先生のようです。

彼の公演を見たのはこれが二回目でした。

公演の最後のカーテンコールでは、クルシージョの生徒さんたちが舞台まで駆け寄り、花束を贈っていました。

前回の公演でも見られた光景でした。

他にもクルシージョを担当し、さらに公演も行う先生っているけれど、こういう光景を見たのはアンヘルだけだ。

よっぽど、生徒に慕われている先生なんだろうなって思って見ていました。

 

先生としていい先生が、必ずしも生徒に慕われるとは限らない。

生徒に慕われる先生ってのは、情に厚かったり、生徒と距離が近かったりする人だと思うけれども、それが逆に指導する上では邪魔になることがある。

むしろ生徒と距離があり、ドライな位の先生の方がレッスンは滞りなく行われ、秩序も守られ、生徒も変な振る舞いをしなくなる。

どういうことかと言うと、ドライな先生は落ちこぼれる生徒がいても、そのクラスのレベル設定どおりに振りを進め、振付を期間内に完成させるべく粛々とレッスンをしてくれる。

ドライだから、生徒が落ちこぼれてきても、「ちゃんと練習しなさい」と言ってあげたりしない。放っておく。

それは生徒の自己責任だし、わざわざ注意するのは気力がいるし、気力を絞ってまでして言ってあげる程、その生徒に情はないということ。

その代わり、クラス内に置いておいてくれる。

存在することは許してくれる。

けど、その人たちのことは見ていない。座敷わらじと同じ扱い。

非常にドライ。

情の厚さをレッスン内では見せないので、生徒もその先生には甘えられない。

だから、レッスンは滞りなく進む。

先生が情に厚い人だったり優しい人だと勘づくと、生徒というのはすぐ様つけ入る。

ピーチクパーチク言い出す。

レベル設定を外れた生徒までもが、受講している権利を主張しだし、レッスンは進まなくなる。

そうすると、レベル設定に合った、まともな生徒たちが割を喰う。

優しい先生ってのも、良し悪しなんだと思う。

生徒につけ入る隙を作らない先生ってのは立派だと、色々な先生のクルシージョを受けると思う。

但し、そういう先生はすごく割り切っているから、笑顔で挨拶はできても、心の交流は感じられない。

けど、レッスンは滞りなく進む。

 

アンヘル・ムニョスのレッスンは受けたことがないので分かりませんが、ここまで生徒から慕われるってことは、ドライな先生ではないんじゃないかと思います。

温かい心の交流を感じられるからこそ、生徒はリピートするし、先生の舞台があれば花束をもって駆けつけます。

けれども、彼のレッスンの進め方が悪いって話は聞いたことがない。

振りも完結するって言われてたような記憶があります。

いったいどういうやり方しているのでしょう。

彼の生徒への接し方、教え方を学ぶって意味では、レッスンを取ってみたい先生です。

けど、へレス・フェスティバル、何度も行ってるのに、彼のクラスは取ったことがない。

なぜなら、彼の踊りにあまり興味がないから。。。(^^;)

致命的・・・。

いえ、下手じゃないです。

彼なりの世界観があるのも舞台を見て分かります。

けど、私が心惹かれる感じじゃないんです。

だから、受講するクルシージョをどれにしようか候補には上がるのですが、いつも落選します。

 

今回の舞台も、最初は苦しかった。。。。

もう、私にとってのフラメンコじゃないの。

ギターがなくて、機械音がメトロノームのようにずっと鳴り響くの。

そこに、黙々とサパテアードをするアンヘル・・・。

ギター以外の楽器は出てくるのだけど、ギターは全然出てこない。

カンテも出てこない。

「ああああ、苦しい」

と思ってみてたら、やっとカンテが出てきた。

そして、そのカンテさんがギターを弾きながら歌いだした。

「なんと、フラメンコの公演でありながら、プロのギタリスト不在の舞台なのか!!!」

と驚いた。

それも、一つの表現方法。彼の世界。

ただ、これを見て私は思った。

オーソドックスで、昔からある普通のフラメンコに、スペインの人たちは飽きているのかもしれない。

だから、バイオリン、コントラバス、サックス、ハーモニカ、アコーディオンなどなど、色々な楽器をフラメンコに取り入れている。

けど、やっぱりフラメンコはギターだ。

ギターだけで足りないことはない。

敢えて変わったことをしなくても、フラメンコは十分魅力的なのに。

そんな風に思った。

 

但し、この公演を見てフラメンコを見た感じはしなかったのですが、アンヘル・ムニョスの世界観はすごく伝わった。

それが好きか嫌いかとかは別として、アンヘルの世界は見えた。

そして、見ていてすごく苦しい公演だったのに、終演後に妙な爽快感があって、

「ああ、これがこの人の人柄なんだろうな」

って思った。

彼に限らず、真っすぐで、素直で、純粋で、いい人の舞台ってのは、見た後に必ず爽快感がある。

だからすごく印象に残ってる。

 

もろフラメンコというものを伝えていきたいのか。その為の公演なのか。

もしくは、フラメンコというツールを使って、自分というものを表現していきたいのか。その為の公演なのか。

きっとこの公演は後者。

だとしたら、この公演は成功なのかもしれない。

 

https://vimeo.com/207187569

 

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へレス・フェスティバル9日目、後期になって1日目のビジャマルタ劇場は、ロハス&ロドリゲスの公演でした。

 

「テアトロの舞台を見るならば、群舞が見たい!

群舞があるからこそ、ソロも引き立つ!」

と思ってる私なので、群舞のあったこの日の舞台は楽しめました。

基本、好きな路線ってやつですね。

 

ただ、あまり印象に残っていない・・・・。

 

スペイン国立バレエ団や、アンダルシア舞踊団や、その他、群舞を使ってる公演はいくらでもある。

月日が経てども、印象に残ってる公演は結構ある。

けど、この公演は、観てる時は、「すごーい」と思ったのですが、まだ一か月しか経っていませんが、今となってはあまり印象に残っていない・・・。

これ、致命的!

照明がものすごく綺麗だったってのは覚えてる。

ロハス君の方だか、ロドリゲス君の方かは分からないけど、ファルーカを踊ってて、床に膝をついてするブエルタを何回転もしてて、拍手を求めて気合いを入れてたとか、そんなのは覚えてる。

ロハス君の方だか、ロドリゲス君の方かは分からないけど、ティエントを男性が踊ってて、珍しいなって思ったのも覚えている。

けど、それ以上の印象が残っていない。

多分なのですが、これって特徴がなかったんだと思います。

スペインのテアトロで上演される作品のレベルは高いので、見慣れてしまうと、抜きんでたものしか覚えてないのかもしれません。

オーソドックスなもの、よくある馴染みのあるものには、斬新で革新的で前衛的なものにはない良さがありますが、オーソドックスでよくあるものってだけではダメなんですね。

私は、この方々を初めてみたし、初めて知ったので、何とも言えないのかもしれないのですが、なんというのでしょう・・・キャラ立ちしてる人がいなかったのも、全体がぼやけてしまった要因かもしれません。

どこかで見たことのある感じで、誰かと似ていて悪くない、けど、オリジナルじゃないよねって感じ。

それと、見栄えの良い、美味しいとこばかりを集め、一つの作品としてしまった感じで、それ故に、何を伝えたいのかの焦点がブレてしまった感じ。

その公演全体に流れるテーマを明確にしないとぼやける。

同じような作りの初日のアンダルシア舞踊団は、すごく印象に残るのに、この差は何だ?

皆、一生懸命に頑張ってたし、手を抜いてるどころか、気合い入りまくりでしたが、一生懸命だけじゃ越えられない壁はあるんですね。

舞台って、本当に難しいですね。

 

 

「良くなかった」

「駄作だった」

「嫌い」

と言われるよりも、実は一番手厳しい、

「悪くはない。それなりに楽しめた記憶はある。けど印象に残ってない」

って感想。

なんでだろう。

無難だったのかな???

見てる時は、素敵って思ったのだけどなぁ。。。。

 

こうやって色々な舞台を見ると、

無難にまとめて印象に残らない作品を作るよりも、

好き、嫌いが分かれたとしても、観た人にとって忘れられないものを作りたいって思うようになります。

全員から好かれることは難しい。

あんなに大絶賛する人の多いファルキートの作品ですら、私みたいに、好きじゃないって人もいるのだから、全員から好かれるのは無理だ。

だったらなんと言われようと、自分の色の濃い作品を作った方がいい。

 

https://vimeo.com/207029789

 

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