山本長官VS南雲長官
テーマ:ブログ映画{山本五十六」を観てきた。
まず、入りのよさに驚いた。封切りの何週目になるのか知らないが、四週目以上にはなっている筈。
観劇当日は月曜日の昼過ぎで、天気予報は夕刻以降の降雨を告げていた。にも拘らず、館内は満員。当然のことながら白髪頭の仲間連れが多い。そのなかにあって若い人の顔も結構多かった。それだけで何か嬉しい気分になったが、なんでかなぁ?
作品としての出来については批評家がいろいろ言っているが、観ていて興味深かったのはハワイ攻撃の司令長官、南雲中将の存在だった。南雲長官は奇襲部隊から二次攻撃の必要性を再三具申されながら「トラ・トラ・トラ」(われ奇襲に成功せり)と柱島にいる連合艦隊へ打電してハワイ沖を去っていった。
山本司令長官の幕僚たちは、なぜ南雲部隊は二次攻撃をやらんのか、と色めきたった。
そうしたなかで山本五十六は「南雲さんには南雲さんの考えがあってのことだろう」と司令塔から出てゆく。
たしかに南雲長官には彼なりの考えがあったのだ。
ハワイ奇襲部隊を率いる艦隊の司令長官として出発するとき、彼は軍令部総長から「戦いは長くなる。一隻の艦艇も傷つけるな」と念を押されたのだ。
山本五十六がこのことを知っていたかどうかは知るよしもないが、もし、あの時、連合艦隊司令長官としてハワイの第二次攻撃を命じていたら事態はどうなったであろうか。
ミッドウェイ海戦の日本軍惨敗の種はこの時の山本VS南雲の間で育っていたのではないか。それにしては太平洋戦争におけるキーマンたる南雲長官の最後が何も描かれていなかったのはさびしい。
海軍軍人の仲間意識というか身内認識で思い出すことがある。
福留参謀長は搭乗機の不時着によって敵の捕虜となったが、生還後また軍に復帰した。捕虜となった間に持参していた暗号帳をすべて調査され、解読されてしまっていた。この暗号がその後も使用されたかどうかは判らないが捕虜になった参謀長が復職したのは本当のようだ。海軍の身内びいきの現れといえる。
連合艦隊のつながりでいえばNHKの「坂の上の雲」も楽しみなドラマだった。ただ難をひとついえば、日露戦争で満州に派遣された陸軍軍人が全くバラバラな軍服を着ていたことだ。日露戦争の史料は自衛隊の目黒研究所へ行けば殆んど揃っている筈。大山司令長官、児玉参謀長、乃木第三軍司令官ならびにそれぞれの幕僚たちの軍服が全部違っていたのはどういうことなのか?特に大山司令長官の奉天入城の際の写真が現存するだけに、NHKが何故あのような扮装をさせたのか腑に落ちない。
現在、日本で製作されている時代劇は一本だけだそうだ。テレビ界では時代劇の視聴者は高齢者ばかりで、しかも高齢者は購買力を持たないからドラマを提供しても商品の需要につながらないので、時代劇は敬遠されているらしい。
やむを得ぬ仕儀とはいえ、時代劇を支えるのは職人である。特に美術関係、大道具の建て込み、小道具、衣装、床山さんなど、みんな名人気質の職人である。
職人というのは仕事をしてナンボの世界である。仕事のなくなったこの人たちがいなくなったら時代劇は自然消滅するであろう。
100年ほど前の日露戦争ですらキチンと描けず、どこからも批難の声が出ないようでは将来の時代劇は思いやられる。
文化庁にお願いしても、なんともならんのかなぁ・・・。





